2008年09月25日

[西川周作を守ろう]第3回 非紳士的行為こそ面白い

相手を欺く行為はサッカーの本質だ。

今回は「子供に有害派」の方には是非読んで頂きたい内容である。第2回から大分間も空き他記事も挟んでしまったが、丁度最近の記事に関連した内容である。今日は最近の話題に関連しながら、非紳士的行為の公言を機会に少しだけ触れてみたい。

マテラッツィはプロフェッショナルだ


マテラッツィは対戦相手に備え、わざわざ話せないスペイン語で侮辱する言葉を覚え、試合中に流暢に相手を侮辱したらしい。「そんなことをする暇があったらプレーを磨け」と言う意見もあるが、プレーを磨く側の「楽しんでサッカーや練習をする優等生」の限界はロナウジーニョである。楽しめなくなればそこから持ち直すには異なる能力が必要になる。良く言われる心技体以外のプラスアルファを挿す。

ぎりぎりの相手との連戦の日々、普通なら「もうサッカー疲れた」となりそうな所。磨り減らず、自らを律し相手への備えを怠らない。そんな心を持てるマテラッツィのように「雑草魂」あるプレイヤーこそ実は最も強い。彼の侮辱行為も「カードを貰わず乱せるなら儲けもの」。徹底した勝負への執着心が生み出した“スパイス”に過ぎない。

だが代償は決して小さくなかった。彼は今期のCLでもダークなイメージから、明らかな審判からの狙い撃ちでフェアプレーにも関わらず退場とさせられた。ジダンとの一軒以後「彼は悪質」というイメージが定着してしまった。ピッチを去るときも悔しさをにじませながらも黙々と歩いていたが、どこか彼の後姿から審判のミスジャッジすら「仕方ない」と受け入れる雰囲気を感じた。マテラッツィの心中を察すると、筆者の方が辛くなった。プロとして潔い姿ではあるが、試合前から審判にマイナスの先入観を持たれるのは、選手として重すぎる代償だ。彼は今もそれを払い続けている。ジダンの頭突き事件はまだ終わっていないのだ。だが彼も上記のように大きなものを失った以上、もう充分ではないだろうか。
仮にJリーグの優勝決定戦、日本人同士で同様の事件が有った場合、2試合の出場停止と罰金という最低限の調整だけでサッカー協会とファンは許すだろうか。西川選手への処罰を見るに怪しい。江戸時代の裁判のように、脱法的、感情的罰則が行われかねない。一人に責任を押し付けて万事解決のようなフリをする日本の悪しき体質である。
オシムは「欺けないのは日本の社会全体の問題ではないか?」と言った。読み手の貴方はどう思うだろうか。

“マリーシア”は少年時代から始まっている

サッカー少年達の間でも、実力に劣ろうと口先で調子の良い子がコーチに気に入られ優遇されているかも知れない。そのとばっちりを受け、中村俊輔を凌ぐ才能の子がコーチの単なる一個人の趣向で「伸びないレッテル」を張られ潰されてしまったかも知れない。競争社会の勝者は、敗者から見たらどこかしら常に「汚い」のだ。それは「才能」そのものの保有を含めてである。オシムも、才能が子の成長に重荷となる怖さを知らなくてはと語っている。彼ら”若き才能”を見出しまっすぐ育てるには、この「汚さ」をいかに汚いまま保てるか問われているのではないか。
世界では、更に過酷な競争を潜り抜けた猛者が日本人を待ち受けている。彼らは当然日本人よりもガタイも強い上に「汚い」。

選手が明らかに意図的、故意な反則行為を行うのは大別して

  • 1.相手に追い詰められている

  • 2.相手をいら立たせている

の2パターンがある。量としては2が圧倒的に多い。筆者の好みでは相手選手を苛立たせようとする立派なプレーだ。日本代表では旧岡田ジャパンのW杯戦以後、こういった勝ちたい意欲に溢れたプレーを個人的には見たことが無い。正々堂々とやって勝ちを目指すなど強いチームだけがやれば良いのだ。アジアはともかく、日本など世界相手ではまだその段階には居ない。よって、世界で戦う為には初めからフィジカルというハンデを背負う日本が対抗するにはマリーシアな選手の育成は必須なのである。ピッチ内では如何に相手のペースを乱すか、虚を付くか、騙し合いのスポーツで乱される方が悪い。そう言った人間の汚い面も清濁合わせ飲むサッカーという存在が、人間臭くて筆者は好きなのだ。「サッカーは紳士のスポーツ」と言う言葉は選手やサポーターが「汚らしさにまみれた戦いをピッチ外やスタジアム外に持ち出さない為」にあるルールに過ぎない。他記事でも書いたよう決して「『誰に対しても紳士』のスポーツ」では断固としてないのだ。


アルゼンチンの育成に見る素材の磨き方

アルゼンチンでは(かいつまんで言うと)サッカーで子供を育成するときレッドカードとなるプレーをイエローに、イエローカードとなるプレーをファールに、ファールを取らずにプレーさせるらしい。この中から数々の個性的なスターが生まれ(筆者の嫌いな)メッシも出ている。

子供の育成の視点から見たとき、あなたならどちらを選ぶだろうか?

  • 1.子供は育てるもので指導を適切にするべき
比較的日本の育成システムである。

  • 2.育たないと潰される(敢えて)劣悪な実戦練習に子供を置くべき
当然上記のアルゼンチンの育成システムである。
(同国に体格は日本人以下でも若くして完成された選手が多いのは、この育成方法の違いが関係あるのかも知れない。)


両方のバランスに取れた環境が理想だが、比重を置くならどちらが適切かサッカーファンの方々では、意見は分かれると思う。筆者も難しい。だが、親の立場で我が子を預ける先としてを見たらどうだろうか。筆者でも2を選ぶのは親心がどうしても邪魔をしてしまう。時に「自分の可愛がりたい欲求」を子供自身よりも大切にした結果子供を潰してしまっては居ないだろうか。筆者が考えるに、彼ら過度な保護者は日本サッカー界の将来にとって「有害」である可能性すらある。勿論筆者の好きな、ルール内で知恵の限りを尽くした「人間臭い」サッカーにとっても「有害」である。
だが、日本人選手が強くならなくとも、(筆者が嫌いな)健全すぎるサッカーを求める声も当然あるだろう。現実には彼のようなファンが、金銭、資源供給(我が子にサッカーをやらせる)両面でサッカー界を支えているのは事実である。よってサッカー協会が彼らの声無視できるわけはなく、(個人的には今回の処分も重すぎると思うが)現実には至極妥当と言える。


※注意
以前の記事で
>私にとってのオシムさんは世界的に有名な監督である前に同じサッカーを見れる唯一の仲間でした。
と書いた後、こんなコメントが寄せられた。
「自身をオシムと同様に描かれる事は、危険ですよ」

今回の記事もオシム氏の発言を引用している以上同様に取られかねないので一言付け加えておく。
筆者はこの記事を書き終えるまで、引用したオシムの発言を知らなかった。たまたまネットで見つけたので補足に加えさせて貰ったに過ぎない。筆者がオシムの真似をしているのではなく、別の所で育ったサッカーの見方が今回の側面に関してはたまたま同じ見解を含む事柄だったのである。以前も書いた通り、オシムと筆者の考え方の違いは多々ある。決して相容れないであろう点も確かに感じる。だが、当ブログでたびたび書いてきたように、一言で”サッカー”と言っても、その意味するところは人により全く違うのである。だがオシムはなんとなく、好きなサッカーは違えどその前にまず筆者と同じ『サッカー』を定義している仲間なのである。一番分かりやすいのは、オシムも筆者も育成が好きだ。ただオシムからしたら筆者などサッカーを知らぬ若造に過ぎないかもしれないが。世界最新のサッカーを見ようと全く理解していない人。マイナーな地区リーグしか見ずともサッカーを本質的に分かっている人。筆者の周りにも様々な人が居る。読者の方々も感覚的に『同じサッカー』を見れる仲間を持つ方なら、筆者の歓びと、決して自分とオシムを同一視していない事を、ご理解頂けるだろう。

続きを読む...

posted by karakuti |09:35 | 日本サッカー | コメント(6) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年09月18日

浦和 アルカーディシーヤとセルティックvsオールボー

今回は少し雑談を。今日行われた試合の感想など載せてみたい。一応最近の記事から関連した内容になっているので、この記事へのコメントは不許可設定としてある。書き込みたい方は以前の記事を読まれてからどうぞ。


後半34分 オールボーDF2マイケル・ヤコブセンのファールで何故かDF4マイケル・ボーシャンが退場になる。
http://soccer.yahoo.co.jp/world/uefa_cl/result/1296437.html

浦和 アルカーディシーヤでは 後半20分ベンアシュールのタックルで細貝が倒れたが、その後直ぐ細貝が相手を蹴る。
後38分 堀之内の、ペナルティーエリア外の浦和のファールで何故かPK。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/acl/2008/final/0917/002.html

以前の試合でも鈴木 啓太が相手が押して来た後、両手で押し返していた。
http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00060983.html

一つづつ見て行こう。
セルティック戦での退場はもしかしたら4番の暴言などによる物かも知れないが、見ていた範囲ではそのようなシーンはなかった。少なくとも誤審の匂いのするジャッジである。以前のCLでも審判が誤って別の選手をレッドにした後、即訂正したシーンがあった。はた目には一人退場になれば誰でも大差はないかも知れないが、選手と審判の信頼関係はボロボロである。そう言った試合は必ずと言っていいほど荒れる。重要なのはCLレベルでも明らかな誤審が有り得るということだ。



浦和 アルカーディシーヤの細貝。何と頭の悪い選手な事か。筆者の一番嫌いなプレーである。後のジャッジを見れば分かるように審判は決して観察力が高くない。細貝の演技次第では相手の退場になる可能性だって有るのに、私心から相手を蹴りつけてイエローを食らうなど日本の代表クラブとして相応しくない。どんなに気持ちを熱くしようとも頭は常に冷静でなければならない。戦う気持ちの出し方が間違っているし、彼を育成した歴代の指導者にも責任がある。あのようにカッとなるプレーを見せるのは何故か日本人選手に多い。例外も勿論あるが海外の選手はどんなに頭に来ていようと基本的に自分が不利になる行動には慎重である。細貝もどんなに頭に来ていようと報復行為は審判によっては相手のプレーを問わずレッドになる可能性がある。悪質なジャッジであろうと集中力を切らしては自滅以外の何者でもない。
アルカーディシーヤは中々の試合巧者で的確に浦和を苛立たせていたのは良く分かったが、要は浦和がが駆け引きで負けていただけの話である。


鈴木啓太相手を押し返していた試合だが、この試合の審判は後にサッカー協会が抗議するほど酷かった、確かガンバの安田が腹を蹴られた試合だ。だが、これも同様である。相手がプレーと関係ない場面で手を出すような暴力行為をして来た場合、「やられたらやり返す」のに相応しいプロとしての対応は、前記時のカンナバーロのように、その場で顔を抑えて倒れこむ事である。相手のレッドかイエローをノーリスクで狙えるシーンをふいにする日本人選手を見るたび、筆者は「駆け引き」「騙し合い」「欺く方法」を日本の育成やリーグ全体で取り組む必要性を強く感じるのである。特に筆者は鈴木を、五輪時代は確かに荒かったが、もっとクレバーな選手に成長したと買っていた分、非常に残念である。南アフリカW杯でも日本人がキレて退場⇒敗退という図式が出来かねない。普段のJリーグなど国内とジャッジが異なるからと言ってメンタルをコントロールできないようでは不安極まりない。

posted by karakuti |21:15 | 日本サッカー | トラックバック(1)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年09月18日

イエローは選手に託された「切り札」

日本人は騙す側になれるのかよりお読み下さい。

■まずは「時間の駆け引きでの抗議」

確かに欧州のトップチームでも公開練習で大々的にシミュレーションの練習をするチームは居ない(笑)。
明確にやるなら裏表を分けられる成熟した年代になるまでは、フェイントなど基本的なプレー内での騙し合いの延長線上から教えていく方法が適しているのではないか

前記事のコーチの例に出てくる「シミュレーションや審判の判定に不満を言おうとした子」
に対し、コーチは以下のような前提の色眼鏡で見てしまっているのだと思う。

  • 子供が不満を言うのは自分のプレーへの固執や苛立ちなど私心からでしかない

  • サッカーで審判は絶対であり、不平を言う選手は退場を含めた厳し制裁が待っているだけ

しかし実際のサッカーはより柔軟でそんな型にはまった物ではない。
そこでまずこのような指導から初めてはどうだろうか。
「審判への抗議は私的にはダメ、常にチームの全体の為にしろ」。


例えば下記のように実際に起こり得る現実的な場面の挙げてみた。

1.失点のショックから立ち直れていない味方が居たら抗議して立ち直る時間を稼ぐ。

2.逆に相手チームの勢いを断つのに時間が欲しい。ので適度に抗議する

3.味方の疲労が激しく水分等をを補給したい

4.味方メンバーがジャッジに不満を持ちプレーに集中できないが抗議するスキルの乏しいので自分が代わりに抗議し溜飲を下げる

5.ベンチが選手交代の準備をしているので確実のこの中断で交代させる為の時間調整

6.抗議をして味方の観客を盛り上げ、雰囲気を作る

7.今、正にケンカっぱやいチームメイト(既にイエロー1枚貰っている)が審判に食ってかからんとしているので、先んじて抗議するポーズを取る事で防波堤(チームメイトと審判の間に入る)となる。

8.審判へのイメージ合戦の為、(実はクレバーだが)スタンスとして猛抗議をする。
又はそんな味方をなだめる役として間に入り、怒り役の味方がカードを貰わないようにしつつ審判の性格を探る

9.既に遅延行為を意図的に行った味方GK等がイエローを貰っているので、敢えて自分が抗議に行き、代わりに時間を稼ぐ



このような私心からではなく、チームの為の精神で抗議する場面で、今これを読んでいる貴方が観客やスタッフだったらどんな感想を持つだろうか?

  • ああ、あいつ抗議に行ってるなぁ

  • あいつはまた要らない事をして、カードを貰いにいくだけだ

  • お、あいつ。冷静に周りを見てうまく抗議している中々やるな

私的な見解を示せば、どれだけ試合を読めているかの表れであると思う。俯瞰した観客側として見えることも有るし、逆にピッチの上の選手側からしか見えないものもある。
例のように、効果的に抗議をする為には、抗議の仕方を覚えれば良いというものではない。まず味方メンバーの状態を把握する観察力や、日頃からチームメイトの性格を知っておくコミュニケーション能力があってこその抗議である事が分るだろう。“考えるサッカー”とはこのような面もある。「時間稼ぎの抗議」は高度に考えるサッカーだ。

大切なのは抗議=×と無抵抗に条件付けされたパブロフの犬を大量生産する事ではなく、なぜ抗議するのか、考えて行動する力を付けさせる事だ。
冒頭の子が私的な抗議をしたのなら得るものは少ないが、公的な抗議を誰からも教わらず自主的にしたのなら、その子は伸びしろのある逸材なのかも知れない。コーチは知らずに、考える力、可能性の芽を摘んでいるのである。



■イエローカードは選手に託された「切り札」

先ほどまで血相を変えて食いかかっていた選手がイエローを貰ったら、ピタリとおとなしくなり審判の周りにすら寄って来なくなった。などと言う場面は欧州リーグで多々見受けられる。
彼ら駆け引きに長けた選手にとってイエローカードは、「ルールをほんの少し破り試合を有利に出来る1枚だけの貴重な切り札」である。料理で言う所のスパイスや隠し味。大人の為の刺激だ。筆者は相手選手を故意に負傷させるような荒いプレーは否定派だが、選手によっては、負傷目的のイエロー覚悟でのプレーも見受けられる。
イエローの使い方の上手い選手は、大一番の試合、拮抗したここぞと言う場面で最も有効にイエローを使ってくる。決して退場にはならない所がミソである。イエローの貰い方一つとっても考える選手は有効に使う。



■カンナバーロは“役者”としてもバロンドール候補

騙し合いに関しては細かく書く気力が今回は残っていないで簡略に触れさせてもらうが、基本の考えは、

「誤審は起こるものではなく、起こさせるもの、又は起こさせないもの。」

無論そんな手段無しに勝てるのであれば、ないに超した事はない。
ロッベンやマテラッツィのように一旦「ダーティーな演技者」というイメージが付けば払拭するのは難しい。
達人はクリーンなイメージのまま平然と演技をするものである。
冒頭の記事カンナバーロ。オシムをして「最高のGKとは『手も使えるカンナバーロ』」と言わしめた。凄まじい読みから選択される動きは敵FWの攻める気そのものを滅する。「積極的な守備」という言葉が果敢に叫ばれるが、多くの守備を如何にちんけに「積極的」と呼んでいるか。バロンドール受賞シーズンの彼を見ればそれを知る事ができる。
世界最高のDFと言われたが、その実「相手の手が自分の胸に当たったのにも関わらず、顔を抑えて、のた打ち回る」。騙し合いでも完成された選手だ。
勿論彼がそんな事を行なう場面を見ていて、筆者が「そこでは不要だ」と感じた事は一度もない。
どれも針の穴を通すような極限の主導権の取り合いでの場面であった。
カンナバーロは、結果を残し不要な汚いプレーはしない。その上で必要な騙し合いが出来る。そんな選手である。(私にはちょっと劇薬だが(苦笑))



■毒を使うばかりが脳ではない

騙し合いは毒では有るが時に薬ともなる。
味方に毒の使い手が1人居るだけでメンバーの余裕を生み全体のパフォーマンスを上昇させる。騙し合いも駆け引きと同じく、相手を貶めるのみならず、味方の好影響を与える側面もある。

例えば、「新人がデビューする時、マッチアップする相手選手が格上なら敢えて自分が相手を苛立たせ新人を無形にサポートする」などである。

又前記事のバラックのような選手は(毒)持ちながら使わない方法で、逆に使い続ける事が出来る。使うだけが脳ではなく、実は持つ事の方に意味があったりもする。毒を持つ者は当然毒への免疫も出来るからだ。決して中田の例のように相手と騙し合うだけが使い道ではない。
メッシ本人が言うにはがあの年齢であらゆる嫌がらせに平然としていられるのもアルゼンチンでの育成が下地に有っての事らしい。
持つ持たないの議論より、脳ある鷹は爪を隠す。前記事のバラック然り(毒である分)使いどころを見極める目が何より重要ではないだろうか。


おまけ

記事中の抗議の取り上げ方に納得のいかない物がある方、より抗議について知りたい方などは大内範行さんのブログ宮本恒靖というマネージメントなども面白い。興味があれば当記事のみならずご覧になることをお勧めする。
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/ouchicom/article/21


次回はUP出来ていなかった西川周作の第3回を来週木曜更新予定である。

posted by karakuti |19:00 | 日本サッカー | コメント(4) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年09月11日

「駆け引き」を日本化する

先日の記事にて書き込み頂いた中に興味深い物があったので少し追加で触れてみたい。
未読の方は先にお読み頂いた方が良いだろう。


■本田の真意

取り上げた本田が他のより詳細なインタビューでは「オランダへ意図的に与えられたPK」という発言だったらしい。前回は短い記事引用しただけであった為彼の真意からずれたようだ。本田選手が本当に言いたかったのはインタビューの方だろう。
負けた当人達は誰かのせいにでもしないと立ち直れない。そんな心中は痛いほど分る。実際に審判のジャッジも指摘通りオランダびいきだったのかも知れない。本田は、五輪代表で欧州の審判ジャッジにしっかり触れた経験のあるただ一人の日本人選手であった。
客観的に見ても本場オランダ1部エールディビジ、VVVでのジャッジと比較し腑に落ちない審判だったのかも知れない。世界の一流クラブの選手も「審判が酷かった」と嘆くことはある。アウェーなどで特に顕著だし、例え勝った試合でもそういった発言はある。

ただ、簡単に言うと勝利した側は「今日は審判の(ひいきの)おかげで勝った」とは絶対に言わない。
そういった場合「勝利が重要。審判は覆らない」と言う。
どうしてもこの辺が聞く方に釈然としない、負け惜しみのような物を感じさせてしまう。



■学ぶ姿勢

見方を変えれば先の対オランダ戦は

1.「審判のジャッジに神経質になるようなメンタル状況ではプレーに集中できず実力を発揮できない」
↓
2.その状況まで本田を苛立たせた相手チームのテクニックが合ったのでは?
↓
3.日本選手の試合中に集中力を取り戻す技術に問題はなかったのか?
↓
4.そもそも試合日前からスタッフの、選手のメンタルケア能力はどうだったのか?

と前の記事以外にも色々な視点が開けていく。

重要なのは敗戦からより多くを学び取ろうとする姿勢を持ち続けられるかどうかではないだろうか。勿論辛い事だが日本の戦後を見ていると、学ぶ力では日本は負けていない、世界に誇れるものがあると私的には思っている。後は出来れば(私が)生きているうちにピッチでそれを実現して欲しい(笑)。

本田選手には厳しいようだが、やはり五輪は第一に経験の場。敗戦から真摯に学んで欲しいと言う気持ちが強い。



■実は教える方も分っていない

同じく頂いた書き込みの引用から

有名な少年サッカーコーチが「シュミレーションや審判の判定に不満を言おうとした子はすぐに交代させる。演技をしたいなら演劇部にでも入ればいいし、審判に対するリスペクトを持たない子は試合する資格がない」と堂々と話しているのを聞いて愕然としたのですが、まだまだ「スポーツ=教育の一環」と考える指導者が多いのも原因のひとつかもしれません。

こう言ったサッカーコーチの話も、当人は真剣に良かれと思って指導しているつもりだろう。
ここまで徹底していなくても日本指導者は皆、演技への指導加減をどうするか頭を悩ませていると思う。

「自分のプレーを人のせいにしない」。「ズル(演技)をして結果を得ようとしないで先ずは実力を付ける」。
どちらも大切で上記コーチの指導も一つの方法だ。
ただ大人になって国際舞台やJリーグに入るレベルになるとそれだけではもう通用しない。内容で勝って駆け引きで負け、結果試合に負ける。そんな日本陣の姿を見るたびに、「もっと若年層から様々な駆け引きの経験を積ませた方が良い」と確かに思う。

多分日本の指導陣は「実際には駆け引きの重要性は認識として有るものの、どうやって教えたらいいのか正直分らない」。といった所が本音ではないだろうか。指導側も本当は分っている。実力が均衡した対戦になるほど駆け引きが物を言うのがサッカーという競技だ。だが現実には指導者側のスキル不足への言い訳も相まって

1.「正々堂々実力を出す事に集中するべし。姑息な真似は断固抹殺」

2.下記のようなリスクを並べ指導の難しさを理由に無策で選手を送り出す

  • 若年層に複雑な駆け引きを要求しても中々処理できず却ってパフォーマンスが低下する

  • 自分の所で駆け引きを良しとしても上の年代の指導者が悪としたら子供が混乱し、却ってマイナスになってしまう

  • 保護者や周囲の反対が根強い。そもそも子供にスポーツをさせる意図から外れ、支持が得られない

  • 非常にデリケートな技術であり、変に曲解して姑息な方法を子供が覚えてしまったら後の社会生活や人格育成にも悪影響を及ぼしかねない

このような所から総合的に判断し、「子供の内はプレー面での実力向上に努める」という方針に落ち着くと想像できる。その結果、Jリーガーや代表レベルとなるごく一部の才能ある子供達が、いざ世界を相手にした時、駆け引きの未熟さから苦い敗戦を味わう事態となっている。



■サポーターが変われば、「駆け引き」も教えられる

日本の文化として「健全なスポーツによる人格育成」というのは恐ろしい根の深さで国民に浸透しており、大本からの変更は中々難しいのが現状だろう。こんな背景もあり、勝利至上主義と言われるアルゼンチンなどの国がその実日本人の及ばないスペクタクルを見せる姿には中々目が向けられない。
多くの保護者にとってスポーツは良き社会人になる為のステップであり、プロサッカー選手を目指してあらゆる素地を作る場ではない。筆者を含めた、サッカーファンはまずこの点を認識しなければならないだろう。人様の子は他人事。良い選手を輩出すればその育成で犠牲となる子は知らない。では本当のサッカーファンとは言えない。下手をしたら、自分の会社の後輩が、姑息な真似ばかりする問題児だらけになってしまうなんてことに成りかねない。それはさすがに無いか。

その上で少なくともJリーグ他プロを目指す素材の育成から、駆け引きなどの勝負強さを学ぶ機会を徐々に与えて行き、更にその先に、前記事のような騙し合いの技術を磨く手順となる。



■第二の“中田英”は作れない

折角例に出したので再び彼に登場してもらおう。中田は高校生時代から海外のプロを目指し、練習法も自ら考えたり、語学を習得したりしていたらしい。平塚に入ってからも先輩である都並敏史氏が「お前(中田)のパスは強すぎる。それでは繋がらないし本末転倒だ」と注意するとルーキーにも関わらず「いや、欧州ではこれ位でないと通用しない」と切り替えされた。都並氏は「15歳も年の違う先輩に指摘されて物怖じしない性格と、こんな若い世代から本気で海外移籍を考えている姿、共に自分達の世代との違いにカルチャーショックを覚えた」と話していた。
今振り返れば都並氏は、日本人として後の世代を含めても稀有な「プロサッカー選手の卵」を目の前にしただけなのだが、その衝撃は想像するに容易い。余談だが、都並氏はその後、世代は違えどもプロとして有るべき中田の姿に刺激を受け、負けん気を発揮して毎試合、中田の鋭いパスに食らいついて活躍した。引退を決めたのも「サイドバックとして(中田の)パスを受けきれなくなった」時に決めたらしい。私はそんな中田のパスが好きではないが、上を目指す姿勢には素直に敬意を持てている。彼のプロとしての骨格は育成された物ではなく自ら獲得した物なのかも知れない。だがしかし、彼の成功がもたらした日本サッカー界、特に指導者への影響は計り知れない。日本素材たる子供達は何の問題もなく世界で通用する事を実証されてしまったのである。「次は我々指導者が「育成」した素材を世界へ旅立たせる番だ」。そう意気込んだに違いない。育成が素晴らしいから世界で通用した日本人選手を筆者はまだ知らない。



■まず「守」に到達せよ

話が脱線したが、言いたいのは、駆け引きや騙し合いの技術は中田のようにプロを目指す素材にとって有意義な指導でも、その他大多数のサッカー少年には毒となりかねない点である。

サッカーを知る人々の間でも、「子供に大人のようなサッカーをさせてどうする。その分可能性や伸びしろを消す指導では世界に羽ばたく逸材など輩出されない」。と言った意見も多い。

筆者が言えることは、多くの日本指導陣は欧州などサッカー先進国の若手育成の場で、駆け引きや騙し合いがどのように教えられているか。
それすら知らない段階に過ぎないと言う事だ。何かを上達させる場合対象が何であれ基本的な方法は下記のようになる。

  • その1.最も進んだ方法を学ぶ

  • その2.1を自分達(ここでは日本の子供達)に合う方法にアレンジする

  • その3.2を洗練させていく

日本古来からの武道の教え、「守・破・離」と同様である。サッカーの駆け引きの指導法において、日本はまだ1の守の段階にすら学ぶべき物を残している。個人的には「むしろ代表はこんな状態で良く戦っているな」。とは思う。勿論先人から学ぶのは一つの方法に過ぎない。実際の試合を見れば実は答えなど全てが詰まっている。ただそれを見る側に読み解く目が無いだけだ。以前も欧州でサッカー指導者として修行中の方から書き込みを頂いたが、もしそういった方がご覧になっていたら、「騙し合いの教え方」についても頭の片隅に入れておき、何かを得て来て欲しい。



■変革の最前線

日本のサッカー育成において高校サッカー界の存在は非常に大きいが、いざ騙し合いを教えるとなると上の理由から抵抗が大きいのは事実だろう。いずれ日本によりサッカーが根付いたらこの世代にあった技術を教える時も来るだろう。だが現在はJ各クラブのユースの方が比較的プロを目指す姿勢の子や保護者が多く向いているかも知れない。それでも保護者を始め、不安や抵抗があるだろうが、指導者は駆け引きを育成段階から教える重要性や必要性を説いて実践する場を作っていくのも仕事の内だろう。大変だとは思うが、ある意味日本サッカーの最前線である。
また、国内で駆け引きを学ぶ場を提供するには実践と学習の場として試合形式の大会の設立も欠かせない。
となると当然、現在の国内育成での審判基準よりも柔軟に駆け引きを行なえる、新しい審判基準も作成し審判を対応させなければならない。
世界を目指す素材に絞った大会では、一言で言うとジャッジを荒めにして駆け引きを学びやすい環境を作る。など環境面でのサポートも必要となるだろう。
日本サッカー協会は現場の自主性や多様性を維持しながらも、無駄な混乱が生じないよう、ある程度の指針”どの程度の駆け引きの育成を求めるのか”を設ける必要もある。



書いていたら思いのほか長くなったので次回もこの話を続けたいと思う。
アップは1週間後位の予定である。

続きを読む...

posted by karakuti |21:50 | 日本サッカー | コメント(13) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2008年09月11日

日本人は騙す側になれるのか

前記事の鮮度が落ちてしまったので穴埋めに一筆寄せておく。
サッカーをどう楽しもうとその人の自由である。色んな楽しみ方が出来てこそ、サッカーの魅力、奥深さが証明されるとも言える。そんな中今日は筆者のサッカーの楽しみ方の紹介である。読み手の貴方に何らかの刺激、参考になれば幸いである。

■本田の発言は本当に審判批判なのか

上の記事によると、五輪最終戦のオランダ戦にて本田は次のように語っている。


「後でビデオを見たがPKに値するような行為ではなかった」
「審判は前半の初めからまるでどこかでペナルティーを告げる準備が整っているかのように試合を裁いていた。得点が奪えなかったの紙一重の差だった。チャンスは何度もあった。これは日本が克服しなければならない問題だと思う」


私にはこれのどこが記事見出しの「審判批判」に当たるのか見当が付かない。だが、中々良い経験をしたのかも知れない。まず以下から話そう。

「審判は前半の初めからまるでどこかでペナルティーを告げる準備が整っているかのように試合を裁いていた。」

欧州贔屓の審判がいるという話はこのブログで耳にする。しかしこの発言では審判がそのPKをどちらのチームに与えるかまでは言及していない。とすれば本田の言いたい所とはつまり、「後半の(どちらかに告げられるであろう)PK獲得合戦でオランダに負けた」という事である。
とすれば、日本チームはハーフタイムでPK獲得に向けたシュミレーションの打ち合わせは必須であったという事だ。言い方が悪ければ相手のシュミレーション対策が必須であった。と言い直す。

本田は気が付いた以上当然上記審判への印象を休憩中などチームメイトと話し合う責任があっただろう。本田は果たしてそれを全うしたのだろうか。想像に過ぎないが筆者にはそれを怠った自らや日本チームを戒める向上心ある発言に見える。



■騙す側と騙される側

続いて以下について

「後でビデオを見たがPKに値するような行為ではなかった」

これは中々判断が難しいが、敢えて一つに絞って私見を紹介してみたい。

ずばりオランダは「本田のPKに値しない行為」ですらPKを獲得できる何かを持っているという事だ。
筆者としてはこれは切実な問題で、日本人選手はサッカーが騙し合いのスポーツだという事を忘れている。無論Jリーグでも騙し合いは行われているが、欧州で長年培われてきた騙し合いはJの非ではない。
まず対象が選手同士ではなく、審判、観客、監督、スタッフまで関係者全てに及ぶ。
例えば、最も良い囮は、自分が囮と思っていない選手である。
こういう選手は周りの敵に「ボールが来る」。と思わせやすい
敵を騙すにはまず味方から。この言葉の見本のような例だ。



■誤審なのか名演技なのか

「審判が公平でない。ミスジャッジをした」という時、
実は、審判の問題のみならず、相手選手が誤審を起こさせる技術に長けていた。という可能性を日本人サポータがどれだけ意識できているのか疑問である。
筆者の基準ではEURO2008のバラックなど酷い物だった。これは褒め言葉であるが、彼がコンディションの良い代表戦では、ピッチにいる間審判を欺かない時が無いほど、完成されたサッカーサイボーグである。
スポーツに限らずどんな競技でも上級者になるほど、どんな微細な動きも余す所なく意味が込められていて、大衆は後になって、その布石の意味に気付き、感心させされる。ということが多々ある。バラックはその誤審の起こす布石を打つ技術が素晴らしい。

ここからは憶測だがバラックの最も優れている点は、その術を要所となる試合でしか出さない事である。これによって彼はサッカー選手の評価を決める大一番で結果を掴めるプレイヤーとなれる。この辺の話はジダンなどもDVDで話していた。

簡単に言えば世界で5本の指に入る「本当に」汚い選手ということだ。
どの位汚いかというと、私は汚くてサッカーを知る選手が好きだが、その私が好きになれない程汚い。彼に騙されずに済む審判は世界にも数少ないだろう。



■騙す側に回った中田英

まだ本田は、『「相手のPKに値しない行為」ですらPKを獲得できる何か』の存在に気付いた段階に過ぎない。だが日本人選手としてこのレベルに至れる素材は少ない。比較して申し訳ないが中田英は倒れるのが本当に上手かった。ファール獲得は試合開始から審判と信頼関係を築く所から始まる。少し具体的に書いてみよう、

1.まず確実にファールとなる場面で数回倒れ、ファールを獲得する。


勿論これにも中田が編み出した「両足同時転び」が審判に良い印象を与える。またその分相手選手が守備面で荒い選手である事を印象付け、徐々に審判のイメージ操作を行う。
更にこれにはファール獲得以外に敵のチャージを思い留まらせ主導権を握る意味もある。


2.そしてここぞという場面でファールでない接触中に中田は倒れる。当然条件反射で笛は吹かれるが、その実ファールではない。

そんな時相手選手が中田の戦術に気付いているプレイヤーならば、中田に手を差し伸べながら「お前上手く審判に印象付けたな」と苦笑いをしながら中田を称えに来たりしていた。中田も笑顔で何か答えていた。勿論中田が常に倒れていた訳ではない。考えて倒れられる選手は、考えて倒れぬ事も当然出来る。

筆者の想像では「まぐれだよ」などと相手の健闘を称えていたのかも知れない。試合中騙し合おうと、時に選手の気持ちが最も分るのはマッチアップした相手選手である。試合中もそんな時だけは笑顔を見せていた中田が、強く筆者の印象に残っている。プレイのみならずサッカー文化に打ち解けている気がした。



■真剣勝負と日本人

サッカーのみならず誤審を憎む日本人サッカーファンは多い。
根底には競技に対し正々堂々、紳士で、健全な日頃の鍛錬を競う場のという解釈があるからかも知れない。
それどころか真剣勝負の場たる試合中にピッチで演技をするなど持っての他という風潮もある。
しかし筆者に言わせれば真剣勝負とは勝者のみが歴史を語る、言い訳無用、生死をかけた分かれ目の勝負の事である。
よって、上記のような楽しみ方をする人にはこう聞いてみたい。
人間は演技が出来る。それを自ら封じて果たして真剣勝負と言えるのか。と
ここでいう真剣とは全てを出すと言う意味である。
紳士とはそれを支える下流の人々あっての存在である。本当に人に紳士であろうとすれば、一般的な紳士の概念に収まりきらない。
よってそういった本当の紳士は「誰に対しても紳士」と言った表現で区別されている。
サッカーは紳士のスポーツ。だが決して「誰に対しても紳士(の人)のスポーツ」では無い所が肝心である 笑。

スペインでは、「ペナルティーエリアではFWは肩に小鳥が止まっても倒れる」。と言われるらしい。また、相手が怪我をしていたらそこを攻めてあげるのが優しさという田村亮子の名言がある。即ち日本チームに誤審を誘発させる行為への脆弱さがあれば、倒れてファールを獲得するのが日本チームへの正々堂々とした戦いではないか。



■まとめ

  • 試合は審判へのイメージ合戦から始まる

  • 相手が審判への印象付けが悪ければそこを突くのが礼儀

  • 「相手のPKに値しない行為」でPKを獲得できる程の技術を得るべし

  • 騙し合いと互いの人間性や国民性は別の観点で語られるべき

  • 汚いのではなくサッカーというショーである

サッカー選手はピッチに立ったら、一人一人が舞台の演じ手だという事を肝に銘じて欲しい。審判も人であり、瞬時に捌く以上、誤審は必然である。選手はそれを如何に有利に用いるかという鍛錬が必須である。
特に日本の海外未経験の国内若手選手に対してそう思う。
「気持ちで負けない」重要性は良く語られるが、「審判へのイメージ合戦で負けない」重要性を語る人を筆者は知らない。筆者にとってはどちらの重要性も甲乙付けがたい。

世界の1流所は大概、名プレイヤーであると同時に「名役者」でもある。
名役者による大一番、クライマックスでの迫真の演技。本当か嘘か見分けるのは極めて難しい。

マラドーナの有名な一言。「あれは神の手だった」を知っている人は居ても、その時の対戦相手を知っている人は少ない。

サッカーはショーであり、騙し合いのスポーツである。そして騙された方を覚えている人は少ない。果たして日本人は騙す側になれるのか。

余談だが、サッカーには黒い噂も後を断たない。

続きを読む...

posted by karakuti |03:52 | 日本人欧州移籍 | コメント(12) | トラックバック(2)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加