2008年08月07日

[西川周作を守ろう]第2回 成熟したサッカーには悪役が必要だ!

成熟した文化には悪役が必要だ!

また異なる視点から述べてみたい。まず西川選手自身もどう考えても意図的に今回の騒ぎを起こしたとは考え難い。周囲も西川選手の警告対象となったプレーは批判されるブロガーの方も(筆者が見た限り)居なかった。だがその後公言した行為又は、協会の罰則には否定的な意見が多い。
しかしサッカーをエンターテイメント、ショーとして捉えれば悪役(ヒール)は大切な存在である。世の漫画、映画、小説、悪役無しでは成り立たないものがある。これは「無害」なはずの子供向けアニメ、アンパンマン、おじゃる丸など現行放送中番組ですら例外ではない。ここで考えてみよう。サッカー界には悪役は要らないのか、と。
例えば、近年のJリーグでも、ダービー、クラシコ、因縁の対決、日本では馴染みの言葉まで取り出して、人によっては必要以上に見えるほど対決姿勢を煽り、互いを悪役化することで盛り上げている。他にも監督やコーチ、選手自身も対戦前に「相手チームを見返してやろう」などと相手が自分たちを低く見ていると勝手に盛り上げて戦意を奮い立たせている。これも広い意味で悪役である。この構図は世界でも例外ではない。上記のようないわく付きの対戦は大概客の入りも良く、興行として成功している。歴史を遡れば因縁が先か、商業目的での巧妙な宣伝が先か、良くサッカーを知るファンの方でも判断は難しいのではないか。
筆者に言わせればフィーゴはレアルファンに試合の前々から子豚の頭などをサポータに用意させるほどサッカーを盛り上げた素晴らしいプロである。翌年はさすがにプロに徹しきれず、レアル戦前にイエローを貰って累積警告による出場停止を貰い難を逃れた(勿論フィーゴは公言はしていない(苦笑))。一度目の壮絶さを経験してしまった以上、生身の人間として見れば致し方ない事である。だがサッカー選手は皆生涯に1度で良いから機動隊にジェラルミン盾で囲まれながらCKを上げて、サッカー界全体を盛り上げて貰いたい(苦笑)。

対戦カードは忘れたが、マンUのファーガソンも一昨年のCLでスタメン所属選手の因縁のチームと対決する時、観客の罵声による選手メンタルへの悪影響を計算に入れ、敢えて出場させなかった。選手本人は出る気満々でファーガソンの采配に不満そうだったが、指揮官としてそこまで備える姿に筆者は感銘を受けたのを覚えている。選手は多分「古巣?のファンの前で成長した姿を見てもらいたい」位の甘い考えで出場を希望している印象だった。だが現実にはその“ファンに受け入れられる気満々”の状態で罵られたら、後々までパフォーマンスに尾を引きかねない。そんな雰囲気を呼んだファーガソンはやはり名将である。ちなみに試合は当然マンUが勝った。また広い目でサッカー界から見れば「出てきたら罵ってやる」と不純な動機でスタジアムに足を運ぶファンも熱烈で確実な収益を見込めるコア客に当たるかも知れない。選手や監督、チームは、彼らの「正義」や「愛情」の御旗の元、結果の善悪問わず常にその標的とされている。


悪役の程度と資質

日本ではそろそろ悪役が必要なのではないか。プロレスなども筆者から見れば“それ”だけで成り立たせた、という意味で極めて洗練されたショーである。ただ、ラツィオなど、クラブから金銭を巻き上げるほど癒着したウルトラ・サポーターは行き過ぎである。ここで肝心なのは悪役は共通してどこか「憎みきれない」所が無ければ成り立たないという事実である。バイキンマンが出演しないよう本気で願っている子供も居るとは思うが、それは「居ない時すら存在を意識させる魅力」がバイキンマンたる所以である。憎まれ過ぎて排除されたり潰されてしまっては元も子もない。筆者は今回の公言問題に対するファンの反応も、そういう元も子もない大人気なさを感じる。
悪役を応援するファンは必要であるし、ダービーでは両チームサポーターが罵り合ったりしているが、他者から見れば特にどちらも悪役ではない。両チームが対戦するときだけ互いが悪役になるのである。
世界的に見た時、サッカー界には悪童と呼ばれる選手や、ダーティーな監督、オーナーが居る。個人的印象でいえば今はモウリーニョ監督など立派な悪役としてサッカー界を盛り上げている逸材だ。彼のサッカーを嫌いと言う人は結構居る。だが、嫌いとは好きの反対語ではない。好きの反対語は無関心であり、嫌いの反対語も同様だ。自分のひいきのチームの相手が「無関心」なクラブの時より、「嫌い」なクラブとの対戦の方がかえって見てしまうのではないか。サッカーはショーである。見て貰えて初めて成り立つ。モウリーニョの例を見るに悪役に適したポジションは選手よりも監督かもしれない。選手は悪役を演じただけでも、「協調性にかける問題児」として自らの価値を下げ、サッカー選手としての人生を棒に振りかねない。幾らサッカー界に悪役が必要だからと言って、自分の年俸や将来性を犠牲にして悪を演じさせるのは酷である。本人がやりたいなら願ってもない事だが。この辺は悪役ではなく、ゴン中山を超える“キャラ立ち”したタレント的選手の方を目指して欲しい。最近は強烈なキャラが見えず少し寂しい。


批判するファンが悪い

西川選手の発言は大分サポーターは大概公言は非難しつつも彼自身は擁護している。ここで初めの筆者の立場を思い出して貰いたい。

「プレー自体は良い、公言も良い。擁護・罰則するのは普通。批判する方が悪い。」

大分サポーターは当然擁護する立場で上で言う普通にあたる。ここで「悪役」とさせて貰っている「批判する人々」とは

  • 第一に、既出の過剰な保護者である。
  • 第二に、公言は悪いとするサッカーファン達である。

少々分かり難いが筆者は個人的には「公言は良い」と思っているが、世間的には、「公言は悪い」(と受け止められている)と考えている。ここで問題となってくるのは「悪い」を利用しようという発想がなぜサポーターから出ないのかという所だ。上で書いたように悪はサッカーを盛り上げる大切な要素であり、日本ではまだまだ足りていない。それは言い方を変えれば、他のエンターテイメントと比較して、サッカーが文化的に「根付いていない」何よりの証拠ではないのか。折角悪役のイメージの付いた選手を良い行いをして印象を払拭させるなど、勿体無いこと、この上ない。西川選手の公言を「悪」として受け止め、それをサッカーをより盛り上げ発展させる為の糧としてしっかり活用出来ないのか。上で書いたように西川選手は意図的に悪役を演じられる器であるとは思わない。しかし、俳優界では津川雅彦さんがしっかりと悪役を演じ、今日の評価を現実とした。背景には何よりも映画界に悪役を受け入れる文化が有ったからである。

西川選手は悪役起用を見送るとしても、日本サッカーは、又日本サッカーファンはどうであろうか。今回の事件もサッカー文化の成熟さが問われてはいないだろうか。悪しきものも逆に栄養とし日本サッカーを繁栄させる糧とする。器の深い発想が出ない観衆。そんなファンの底の浅さが本当の悪なのではないか。
よって協会に対しても、西川選手に対しても、批判する方が悪、とさせて頂いた。

大分のサポーターの方々は、今回の事柄で西川選手を「美味しい程度で適度に罵る」対戦相手のサポーターが居たら、余り固く考えず、サッカー界が盛り上がるなら良いか。位の広い心で見てあげて欲しい。ただ筆者は甘いので西川選手がそれに耐えうる器の選手でないなら、残念だがスタジアムでこの話題に触れるのは控えてあげて欲しい。


おまけ

ブログの立場と執筆動機

西川周作選手が故意による警告受けたと公言した問題に触れてみたい。
既にサッカー協会の処分やクラブ側の対応も固まり、一旦決着を見た段階である。他のブロガーさん達も他の話題に移っている段階だが、逆にサッカーファンの意見は出尽くした時期とも言え今回の出来事を通して、透けて見えてくるファン側の対応にものを言いたい。


目に付くサイトには回ってみて色々な意見を読ませて頂いた。要約すると大体次のどれかに当てはめて良いかと思う。

  • 1.プレー自体は悪くない、公言したのが悪い

  • 2.プレー自体も公言したのも悪くない、行き過ぎた罰則は悪い

  • 3.プレー自体は悪くない、公言したのが悪い。だが西川選手を応援していく。

どの意見も一理あり、それぞれサッカーや西川選手に愛情を持って書かれている。だが、とりあえず数が少ない。サッカー全般のためにもっと色々な意見が有っていいのではないか。折角自由に書けるブログである。むしろもっと色んな意見が無いといけない。と勝手に使命感を感じ盛り上がった所で最近名前負けしている「激辛批評」というブログタイトルに合わせて次の意見をぶつけたいと思う。


「プレー自体は良い、公言も良い。擁護・罰則するのは普通。批判する方が悪い。」

若干思ってもいない脚色を載せ激辛風味を上乗せしているのは分かりやすくする為である(苦笑)。


次回も2週間後更新の予定です。

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posted by karakuti |19:00 | 日本サッカー | コメント(2) | トラックバック(0)
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