2008年02月03日

サヨナラ。オシム。その2

私にとってのオシムさん

私にとってのオシムさんは世界的に有名な監督である前に同じサッカーを見れる唯一の仲間でした。
なので、私は「監督オシム」が亡くなる(監督業に付けない状態のこと)っても
極論すれば同じサッカーを見れる「サッカー観戦仲間」であるオシムが存命であればそれで良かったのです。

昨日のオシムさんのメッセージにも私のプロフィールに通じる内容が含まれています。
「どんな結果であれ、良いサッカーが勝利者となりますように。」

これは代表的な例ですが、他にも
「エッシェンとロナウジーニョはどちらが良い選手ですか?」
等と言うのもあります。

決して全てではないが、多くの日本サポーターの無知ぶりに閉口するだけだった私は、ある日オシムさんが発する一言一言が
「本当のサッカー」を知る者にしか表現できないものが、
見え隠れしている事に気が付きました。

初めは疑いましたが、やがて彼の見るサッカーと私の見るサッカーが非常に近いものであることに
気づき日に日にその思いは確信へと変わっていきました。。
勿論オシムは攻撃的なサッカーを好み、私は守備的なそれが好きなのですが、
まず「サッカー」の意味する対象が同じであることすら実は稀なのです。
この意味でオシムさんとは好みは違えども「サッカー」の定義が非常に近かった。


「本当のサッカー」などと言うと難しく聞こえますが、
分かりやすく言えば、小学生にJリーグを見せた後、
CLを見せれば誰でも分かる単純なことを言っているに過ぎません。

ただ、見終わった子供に「じゃあ何が違うの?」と聞かれた時
同じくらい簡単に説明できるかどうか、
両者の違いを深く理解しているかが違うのだと思います。

残念ながら、昨日観戦する姿からは、昨日の記事の3、「サッカーを学び続ける情熱」が彼の中に生きて機能しているのか、それを確認するには至りませんでした。
意識が戻ってすぐにクラシコを視聴したとのことでしたが
もしかしたら、今はただ試合を見ているだけで、
以前と異なり、更新されない自分のサッカー観に違和感や苛立ちを
感じているのではないでしょうか。
私は今回の発作がそれほど深刻にオシムさんから大事なものを奪って行ったように見えました。

もしそこが死んでしまっていると、(私にとってのサッカー観戦仲間である)オシムさんはこの世から居なくなってしまった事を意味します。

今回の発作に関して、私はこの点こそが堪らなく寂しい。

頭の良い方ですから、自らの学ぶ力が無くなったとしても、甘んじて受け入れ違うサッカーの楽しみ方をするでしょうが、
もしかしたら題名の通り、オシム監督だけでなく
「サッカー仲間のオシムさん」にも
サヨナラを言わなければならない日が
来てしまっているのかも知れません。

「サヨナラ。オシム。」

そうでないことを心から願いつつ、オシム監督へ。

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posted by karakuti |22:55 | オシム | コメント(6) | トラックバック(0)
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