2008年09月18日

イエローは選手に託された「切り札」

日本人は騙す側になれるのかよりお読み下さい。

■まずは「時間の駆け引きでの抗議」

確かに欧州のトップチームでも公開練習で大々的にシミュレーションの練習をするチームは居ない(笑)。
明確にやるなら裏表を分けられる成熟した年代になるまでは、フェイントなど基本的なプレー内での騙し合いの延長線上から教えていく方法が適しているのではないか

前記事のコーチの例に出てくる「シミュレーションや審判の判定に不満を言おうとした子」
に対し、コーチは以下のような前提の色眼鏡で見てしまっているのだと思う。

  • 子供が不満を言うのは自分のプレーへの固執や苛立ちなど私心からでしかない

  • サッカーで審判は絶対であり、不平を言う選手は退場を含めた厳し制裁が待っているだけ

しかし実際のサッカーはより柔軟でそんな型にはまった物ではない。
そこでまずこのような指導から初めてはどうだろうか。
「審判への抗議は私的にはダメ、常にチームの全体の為にしろ」。


例えば下記のように実際に起こり得る現実的な場面の挙げてみた。

1.失点のショックから立ち直れていない味方が居たら抗議して立ち直る時間を稼ぐ。

2.逆に相手チームの勢いを断つのに時間が欲しい。ので適度に抗議する

3.味方の疲労が激しく水分等をを補給したい

4.味方メンバーがジャッジに不満を持ちプレーに集中できないが抗議するスキルの乏しいので自分が代わりに抗議し溜飲を下げる

5.ベンチが選手交代の準備をしているので確実のこの中断で交代させる為の時間調整

6.抗議をして味方の観客を盛り上げ、雰囲気を作る

7.今、正にケンカっぱやいチームメイト(既にイエロー1枚貰っている)が審判に食ってかからんとしているので、先んじて抗議するポーズを取る事で防波堤(チームメイトと審判の間に入る)となる。

8.審判へのイメージ合戦の為、(実はクレバーだが)スタンスとして猛抗議をする。
又はそんな味方をなだめる役として間に入り、怒り役の味方がカードを貰わないようにしつつ審判の性格を探る

9.既に遅延行為を意図的に行った味方GK等がイエローを貰っているので、敢えて自分が抗議に行き、代わりに時間を稼ぐ



このような私心からではなく、チームの為の精神で抗議する場面で、今これを読んでいる貴方が観客やスタッフだったらどんな感想を持つだろうか?

  • ああ、あいつ抗議に行ってるなぁ

  • あいつはまた要らない事をして、カードを貰いにいくだけだ

  • お、あいつ。冷静に周りを見てうまく抗議している中々やるな

私的な見解を示せば、どれだけ試合を読めているかの表れであると思う。俯瞰した観客側として見えることも有るし、逆にピッチの上の選手側からしか見えないものもある。
例のように、効果的に抗議をする為には、抗議の仕方を覚えれば良いというものではない。まず味方メンバーの状態を把握する観察力や、日頃からチームメイトの性格を知っておくコミュニケーション能力があってこその抗議である事が分るだろう。“考えるサッカー”とはこのような面もある。「時間稼ぎの抗議」は高度に考えるサッカーだ。

大切なのは抗議=×と無抵抗に条件付けされたパブロフの犬を大量生産する事ではなく、なぜ抗議するのか、考えて行動する力を付けさせる事だ。
冒頭の子が私的な抗議をしたのなら得るものは少ないが、公的な抗議を誰からも教わらず自主的にしたのなら、その子は伸びしろのある逸材なのかも知れない。コーチは知らずに、考える力、可能性の芽を摘んでいるのである。



■イエローカードは選手に託された「切り札」

先ほどまで血相を変えて食いかかっていた選手がイエローを貰ったら、ピタリとおとなしくなり審判の周りにすら寄って来なくなった。などと言う場面は欧州リーグで多々見受けられる。
彼ら駆け引きに長けた選手にとってイエローカードは、「ルールをほんの少し破り試合を有利に出来る1枚だけの貴重な切り札」である。料理で言う所のスパイスや隠し味。大人の為の刺激だ。筆者は相手選手を故意に負傷させるような荒いプレーは否定派だが、選手によっては、負傷目的のイエロー覚悟でのプレーも見受けられる。
イエローの使い方の上手い選手は、大一番の試合、拮抗したここぞと言う場面で最も有効にイエローを使ってくる。決して退場にはならない所がミソである。イエローの貰い方一つとっても考える選手は有効に使う。



■カンナバーロは“役者”としてもバロンドール候補

騙し合いに関しては細かく書く気力が今回は残っていないで簡略に触れさせてもらうが、基本の考えは、

「誤審は起こるものではなく、起こさせるもの、又は起こさせないもの。」

無論そんな手段無しに勝てるのであれば、ないに超した事はない。
ロッベンやマテラッツィのように一旦「ダーティーな演技者」というイメージが付けば払拭するのは難しい。
達人はクリーンなイメージのまま平然と演技をするものである。
冒頭の記事カンナバーロ。オシムをして「最高のGKとは『手も使えるカンナバーロ』」と言わしめた。凄まじい読みから選択される動きは敵FWの攻める気そのものを滅する。「積極的な守備」という言葉が果敢に叫ばれるが、多くの守備を如何にちんけに「積極的」と呼んでいるか。バロンドール受賞シーズンの彼を見ればそれを知る事ができる。
世界最高のDFと言われたが、その実「相手の手が自分の胸に当たったのにも関わらず、顔を抑えて、のた打ち回る」。騙し合いでも完成された選手だ。
勿論彼がそんな事を行なう場面を見ていて、筆者が「そこでは不要だ」と感じた事は一度もない。
どれも針の穴を通すような極限の主導権の取り合いでの場面であった。
カンナバーロは、結果を残し不要な汚いプレーはしない。その上で必要な騙し合いが出来る。そんな選手である。(私にはちょっと劇薬だが(苦笑))



■毒を使うばかりが脳ではない

騙し合いは毒では有るが時に薬ともなる。
味方に毒の使い手が1人居るだけでメンバーの余裕を生み全体のパフォーマンスを上昇させる。騙し合いも駆け引きと同じく、相手を貶めるのみならず、味方の好影響を与える側面もある。

例えば、「新人がデビューする時、マッチアップする相手選手が格上なら敢えて自分が相手を苛立たせ新人を無形にサポートする」などである。

又前記事のバラックのような選手は(毒)持ちながら使わない方法で、逆に使い続ける事が出来る。使うだけが脳ではなく、実は持つ事の方に意味があったりもする。毒を持つ者は当然毒への免疫も出来るからだ。決して中田の例のように相手と騙し合うだけが使い道ではない。
メッシ本人が言うにはがあの年齢であらゆる嫌がらせに平然としていられるのもアルゼンチンでの育成が下地に有っての事らしい。
持つ持たないの議論より、脳ある鷹は爪を隠す。前記事のバラック然り(毒である分)使いどころを見極める目が何より重要ではないだろうか。


おまけ

記事中の抗議の取り上げ方に納得のいかない物がある方、より抗議について知りたい方などは大内範行さんのブログ宮本恒靖というマネージメントなども面白い。興味があれば当記事のみならずご覧になることをお勧めする。
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/ouchicom/article/21


次回はUP出来ていなかった西川周作の第3回を来週木曜更新予定である。

posted by karakuti |19:00 | 日本サッカー | コメント(4) | トラックバック(0)
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イエローは選手に託された「切り札」

シュミレーションじゃなくてシミュレーションでしょ。

posted by ナオキ | 2008-09-18 08:13

イエローは選手に託された「切り札」

おお、そうでした。ご指摘ありがとうございます。
早速修正しておきます。

posted by 辛口 | 2008-09-18 18:29

イエローは選手に託された「切り札」

こんにちわ。

今回の管理人さんの文章を読んで、なんとなく自分の考えがきちんと整理されてきたので、投稿失礼いたします。

端的に述べると、「審判との駆け引きを教えたところで、その子の実生活や今後の人生に悪影響があるとは思えない」ということです。よく考えたら、「実生活」と「サッカー」がサッカー指導の現場で、なぜ同じレベルで語られているのかが不思議な気がしています。
むしろ、相手の気持ちがわかる、賢い子になれるのではないか?とすら思えます。

他人の心理がわかる技術を、実生活で人を助けることに使うか、悪用するかはその子次第でしょう。というか、サッカー指導の範疇を超えています。その子の育った環境や人間関係などの、サッカーとは別の要素に左右されるのではないでしょうか?

審判の心理を読めるということは、対戦相手の心理も読めるということ。他人の心理を読むということは、サッカーに限らず「実生活」でも重要なことです。

ところで、いわゆる「サッカー先進国」の、ここで言う「審判との駆け引き」がうまい国の国民たちは、果してその大部分が「実生活においてもズルイ人間たち」ばかりなのでしょうか?

「この子は昔は良い子だったのに、サッカーを指導されたばっかりに他人の気持ちを逆撫でする悪い子になってしまった」
と親が嘆くのを、私は未だかつて聞いたことがありません。

サッカー強国の代表ともなれば、その下に何千、何万という夢破れた選手たちがいることでしょう。「審判に対する心理」を学んでいて、それでもプロになれなかった選手は山ほどいるはずです。その人たちはサッカー選手以外の職業について生活しているはずですが、その人たちの大部分は、果して「実生活においても」ズルイ人間になっているのでしょうか?

もしそうであれば、その国の生活や経済は大打撃です。国は国民が作るものであり、「ズルイ人間」ばかりの国であるなら、そもそも国として立ち行かなくなっているはずですから。当たり前ですが、そんな話は聞いたことがありません。

反対に「審判との駆け引きはズルイこと」とされて、それを学んでこなかった我々日本人の元選手たちは、その多くがみんな「良い人間」なのでしょうか?
私も学生時代、まあ部活程度ではあるものの、一応サッカーをしていました。
もちろん「審判の駆け引き」を指導された覚えはありませんが、胸を張って「そのおかげで自分は良い人間に成長できた」などとは、口が裂けても言えません(笑)

そもそも、スポーツにおける審判との駆け引きを学んだせいで、自分は歪んだ人間になったと主張する人を、私はただの一人も知りません。誰もがスポーツではなく、「成長過程」の中で人並み程度に嘘をつき、仕事をサボり、他人を利用することを覚え、上手に生きていくコツを知ります。
けれど、これは生きていく上で必要不可欠なものであり、多用すれば人から信用を失うことも同時に知るものであると私は思います。

こういった面から見ても、子供に審判との駆け引きを指導したところで、何の影響もないと思います。子供は、我々大人が考えるより「ずっと大人」なはずです。

実生活で他人を欺くことばかりする人は、誰からも到底信用されないが、反対に友人や上司や恋人との駆け引きを上手にできるものは、自らの身を助ける。同様に、サッカーで下手な駆け引きを連発する選手だと、当然火傷をする。だが、心理を巧みに知るものなら、それは大きな武器になる。こういうことではないでしょうか?

頑なに審判との駆け引きを拒否することは、まるで「TVゲーム=凶悪犯罪者育成玩具」と脊髄反射的に叫ばれている、日本の悪しき伝統である「根拠のない拒絶」と同じものが垣間見れてなりません。

なぜ、殊、審判に対する駆け引きになると、多くの人が声高に「否」と言うのでしょう?いろいろ考えてみましたが、おそらく審判という存在は(少々大げさに表現すると)ピッチ上の神だからです。どんな人でも、神と駆け引きするなど畏れ多いものです。けれど、審判はピッチ上の神でありながら実は「一人の人間」であるということが往々にして見逃されている気がします。人間ゆえにミスをするし、ファールが続けばPKやFKを与えたくなります。さらに暴言を吐かれれば「感情に任せて」退場を命じるという、テロを起こすための口実のために存在するような神なんだか何なんだかよくわからない審判もいるわけです。

しかし、審判がいなければサッカーは成り立たない。じゃあそんな「神であり、人間でもある審判」にどう接するか?答えは自ずと見えてくるのではないでしょうか?

posted by チワワ | 2008-09-18 19:44

イエローは選手に託された「切り札」

ちわわさん。
コメントありがとうございます!

>>審判との駆け引きを教えると~むしろ、相手の気持ちがわかる、賢い子になれるのではないか?とすら思えます。
そう言って頂けると私も書いた甲斐があると言うものです。この辺は人によって判断の分かれるデリケートな問題なので結論は記述せずに置きましたが、私も同じように感じます。行き過ぎた演技?指導は問題ですが、ベースはあくまで観察力とコミュニケーション力を育てる範囲に当たると思います。

>>他人の心理がわかる技術を、実生活で人を助けることに使うか、悪用するかはその子次第でしょう。というか、サッカー指導の範疇を超えています。
そうですね。サッカーにそこまで求められても重荷というか、正直厳しいですが、指導側としては「技術をチームの為に使う」という思想を通して、その子が良い方向に技術を使えるよう促す位なら可能ですね。「駆け引き」の問題で試されているのは指導側なんだと思います。


実生活では日本は”察する文化”だと良く言われますが、相手の気持ちを汲める思いやりのある人間への評価は比較的他国よりも高く、重用されていると思います。「優しい子」というと大体「思いやりがあって」と続きますからね。ですからサッカーに関しても、上手く日本の察する文化を活かせるようになれば、駆け引きにおいてもフェアプレーに拘り過ぎる育成から抜け出せる希望も少しは有ると思います。


>>「神であり、人間でもある審判」にどう接するか?
上に書いた事と矛盾しますが、日本では目上の存在に意見する事は非とされていますよね。韓国などより強い国も有りますが、給与体系も年功序列、子供の頃から審判への対応を通して、目上を敬う指導をし過ぎ、例え裸の王様になっていても(本人の前だけでは)黙っているような文化が有ると思います。陰で言わず相手に敬意を持ちながら主張するのは、「ごく慎重に行なうべき」という意識を、サッカーに関係する人々が変えられるかにかかっているのかも知れませんね。
更新した記事の細貝なんかももしかしたら審判へのフラストレーションを感じていて上手く出せない所があったのかもしれません。

今回は私の方こそちわわさんの書き込みから色々と学ぶ所や書く意欲も沸いてきて、大変得る物が多かったです。
また気が向いたら不定期でもUPしていきますので、たまに覗いてくださいね!。

posted by 辛口 | 2008-09-18 21:41

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