2009年01月30日

さらに選手をムチ打つな!バーレーン戦を振り返る

今日は昨日に引き続き気分が乗ったのでもう一筆書いてみたい。
特に準備もなく一発勝負である(笑)、尚、試合は見れていない。その腹いせに周辺をうろついているだけで、バーレーンに特に思い入れがある訳ではない(笑)。念の為。

バーレーン戦を振り返る
以前から岡田監督のバーレーンに対する危機感は人一倍のものがあると思う。私よりかなりバーレーンを強いと想定しているのではないだろうか。

昨年のバーレーン戦お忍び観戦

遠藤の強行帯同

と、はっきり言って必死である(笑)。遠藤・中村なしの現有戦力で、尚且つアウェー。相手はレーザー光線とか昨日書いたように(もしかしたら)放送妨害とか、シャワーを冷水にしたり、控え室のクーラー切ったりまでして勝ちにくるほど日本を意識している(一概にバーレーンのことではない)。選手たちも先日マンUと当たったガンバのように「強豪日本に勝つチャンス!」と、モチベーションに溢れ、多分目もキラキラさせて挑んでくるのだろう。
岡田監督は色々と選手のコンディションに気を使うタイプなようで、先日のイエメン戦も「この時期の代表にしては史上最強」と評している方も居た。私はこの時期に絞った代表レベルのデータなど持ち合わせていないので議論入ることもできなかったが、「そういう見方もあるのか」と大いに学ばせて頂いた。
ただ大一番のオーストラリア戦を控えて、今にピークを持ってくるわけには行かないし、色々大変だと思う。なにやら五輪世代も面倒見ているし。

先発メンバーを見ると2軍とはまでは言えないまでも核の遠藤か中村
ムードメーカーの闘莉王。それなりに攻撃を作る大久保。辺りの人材が確かに居ない。経験で問題ないといえるのも稲本、中澤、玉田位。

 日本スタメンメンバー
 ▽GK:川島
▽DF:長友、寺田、中沢、内田
▽MF:稲本、中村憲、本田、岡崎
▽FW:玉田、田中達

マチャラは今回も手堅くまとめて試合を作ってきたんだろう。あの監督がやることはもう大体想像できる。これは彼を評価していると言うことだが。まず前半セットプレイから失点となると何となく上手く乗せられた気がする。スポナビのレビュー選手のコメントJ'sGOALのレビューコメントも面白い。
内田によると「相手はまるで4トップだった」と失点前後の混乱を言い表している。昨日の記事に頂いたコメントでも選手の対応力を問題視されていたが、マチャラ監督のプランが日本の許容量を超えた所を狙っていたのはかなりの確率で有り得るようだ。大幅にリスクを取ってでも得点を狙う試合構成の振り幅は最新サッカーに近い匂いを感じさせる。大胆にして繊細。「中盤のタメを消された」と何人かの選手がコメントをしていたのを見ると大方そんな形で、守備はかなりキメ細やかにプレスをかけて来たのだろう。前回対戦もそうだった。中東の選手をどうやってそこまで守備の意識を浸透させ掌握しているのか私には見当が付かないが、日本が主力を欠き、調整試合というのを差し引いても相変わらずの監督である。監督ばかり褒めているとバーレーンの選手は大したことが無いように思われてしまうが、中々どうしてサッカーを展開できる素材が揃い、アジアのTOP4、韓国、オーストラリア、サウジ、日本、(サウジは最近微妙に落ちた気もするが)の次のグループ、あまり最近の現状には明るくないが、イラン、イラク、UAE、中国、北朝鮮、辺りと同じ程度の素材は持つのかもしれない。中国、イラクはワールドカップ予選で既に居ないが実力は拮抗し勝敗はちょっとしたことで揺らいでいるだろう。カタールはセバスチャンを主将から外して無意味にモチベーションを下げたり指導陣(だかそれを選んでいる王族だが)が最近迷走を初め、また力を落としている気がしている。マチャラ監督のプラスαを入れると、非常に難しい判断だが、日本にとってバーレーンは北朝鮮・UAE・カタールよりは強いと思う。現に3次予選では中国、イラクの強豪を抑えて突破して来た。マチャラは多分自分より強いチームに力を発揮するタイプの監督なのだろう。皆あまりに触れていない(と思うが)韓国だって負けているし、敗戦を酷評する前に相手の実力を測り間違えては居ないだろうか。オーストラリアも最近は最小スコアでの勝利で手こずっている様子だし、バーレーンの強さは中々のものだ。


ちょっと岡田監督の擁護
巷の動きにまるで疎い私にも、当ブログの読者を通じて、時々世の風潮が耳に入ってくる。昨日も岡田監督の辞めろコールが起きていると、なにやらただならぬ情報を頂いた。少数派が居心地が良い私は、とくに好きとは言えない大好きな岡田監督を擁護してみようと思う。

今回のアジアカップ3次予選は、はっきり言って2位までに入れば無問題。本来は負けても良い場所で、若手に経験を積ませられる絶好の機会のはずだった。それをオーストラリア戦のせいで正月明けからの初召集でコンディションもモチベーションも高まる若手をほぼ追い出し、まだ一年の疲れも取り切れていない(と言うか更に主力は傷も癒えてない)主力選手たちを即追い込んでコンディションを作らねばならない。そんな休暇すら、岡田監督が心を配り確保した2週間である。選手は各クラブのキャンプも始まっていない時期にも関わらず、時間的猶予がないから尻に火を点けられて、多分怪我のリスクを上げてまで急ピッチでコンディションを作っているはず。岡田監督得意のあまりの気迫で休み明けの川口などもペースを崩し故障を誘発してしまったのではないかと想像する。

本来オフ明けのコンディション作りなど代表監督の仕事ではない。この点そんな面倒くさいことをしないオシムなどの監督であればイエメン戦から召集し、アジアカップ後の駒野のように顔色がどす黒くなるまで酷使したり、鈴木啓太のように病院送りになる選手を増やしたかもしれない。この辺オシムファンの私だが考え方が違う。

岡田監督はかなり辛抱強く全体のコンディションの底上げをしながら、使える選手使えない選手を選り分け、結果本田と稲本をたかがアジアカップ予選の為に呼ばなければならなくなった。私はこの勝利の為に手段を選ばぬ岡田監督は嫌いではない。本田など、かろうじて召集&Aマッチ出場はしているが、岡田ジャパンの印象ははっきり言って全くない。借り物の応急処置の感は否めない。選手に休みを与えた時点でこうなる事態も想定していただろうが思いのほか手間取っていると言う所だろうか。仮にオーストラリア戦に敗れることがあったら、岡田監督への風当たりは強くなるだろうが、基本私の評価はあまり変わらないだろう。

オーストラリアに敗れても日本はW杯に行ってしまうだろうし、休みの効果は少なくとも次のJリーグシーズンを通してみないと分からないからである。今シーズン代表主力レベルの選手の怪我が少なければ、2010年のW杯にも当然継続してアドバンテージを持ち込める。こういっては何だが、2009~2010年にかけて他国代表メンバーに怪我やモチベーション低下などあれば、岡田監督の配慮は一層価値を増すだろう。つまり少なくとも来年まで、私は目先の勝敗だけで評価を下せない。


これ以上若者に鞭打つな
ここまでお読み頂き、大多数の読者の方は既にお気づきかもしれないが今日の本題は選手のケアについてである。題名も無い頭を振り絞って、なるべくセンセーショナルに「さらに選手を鞭打つな!」と書いたが内容はあまりにも地味、選手のコンディション作りについてである。
騙したようで後味悪いが、更新まばらの辛口弱小ブログだから多少なことは、まぁよいだろう。さらに一説によると、「弱小」の前に「妄想」が付くのだそうである(笑)。

この時期の日本代表に内容を求めるのはかなり酷で、代表外の選手は1年に一度の長期休暇に日頃の疲労を必死になって抜いている時期である。人が休んでいる時にも「名誉」一つの為に働いている人間を、普段より出来が悪いと酷評するのも、可哀相な気もするのである。単に私以外の世間が酷評に染まると当ブログの立つ瀬が無くなるという事情があるのはここだけの内緒である・・・・。

私はまだ態度を決めかねているが、Jリーグの秋冬制導入議論ではマグノ・アウベスやバレーの辞め方や、シーズン途中、中途半端なストーブリーグで馴染み難い移籍をしなければならなかった、大久保、長谷部、水野、小野辺りの欧州冬移籍組を見ていても賛成に傾くのである。
「そんなもの来シーズン始まってから取り返せば良いではないか」と言われる読者の方。貴方は新卒と中途採用の打ち解け難易度の差を跳ね除ける適応力&社会性の持ち主だと言うことだろう。日本語NGの環境でもその能力がいかんなく発揮されるよう、付き合い下手な書き手として祈っておく。と、ここまですれば、言わんとすることの重大さがお分かり頂けるだろうか?。

話は変わって先日、20代の食生活が不規則でアンバランスな人は、そうでない人に比べ40代で糖尿病が発症する傾向が高いと報道されていた。20代からの継続的な食の管理が40歳を超えて物を言うという話である。

直接この話に関係は無いが、私はまず休みと言う言葉に敏感である。選手は所属クラブや代表でそれは数少ないプロ契約を勝ち取った戦力としては大事にされているかもしれない。
反面、若くて無理が利くガタイだからと、OFFの時間がどれだけ確保されているのか疑問だ。別に選手の遊び呆ける時間を増やせと言っているのではない。どちらかと言えば拘束してでも疲労を抜けと言う話である。

しかもこの点で明らかに欧州より遅れているのである。彼らがバカンス中にJリーグは中盤。肉体に掛かる負担や損傷に比べ、来シーズンの戦いに備えるべきオフはあまりにも短い。そしてそんな本来オフ中であるはずの今、選手たちに「バーレーン戦の負けは許さない!」と過度のプレッシャーをかけるファンは、本当にサッカーファンの資格があるのかと、ふと疑問に思う瞬間もある。

別に岡田監督の擁護をしているのではない。このやり方ではメンタル的に十分健康な人材でも、シーズンを追うたびに精神的肉体的に追い詰められてしまい、必要以上に選手の引退を早くしているのではないかという懸念である。
先の記事の中澤のように

「日本ってベテランに厳しい国だと思いませんか?」

とベテランを粗末に扱う要因になっていやしないか。要はベテランに厳しいとは、ベテランに至るまで選手を長持ちさせるという発想がJリーグ、更に日本社会全体に欠けている結果

本来ベテラン以降も活躍可能な選手をすり減らし、激変させてしまっている=使えないベテランが多いからベテランに厳しい。

のではないか?と考えられるのである。これは結局は若手に厳しいということである。
派遣の雇い止めなどもこの点で同様の傾向が如実に現れた結果と言える。若者に厳しい日本というのは皆の責任だしこのブログでは話がずれてしまうのでこれ以上扱わないが。


世界一効率良い育成を目指せ
海外でもうつ病などメンタルで苦しむ選手は居る。うつの大敵は過労である。サッカー選手のライフスタイルは特殊で、肉体的負荷が特に著しく高いだろうが、その一方で勝ちを求める周囲からのプレッシャーは、通常の職業では考えられない量と質があるだろう。仲間であるはずのメンバーと激烈なポジション争いも私には到底耐えられそうもない。ロナウド(Cロナウドではない)も「成功して最も辛い事は?」と聞かれ、「周りからの嫉妬が一番大変だった」と以前語っていた。想像に過ぎないが、子供の内もポジション奪われた子の親に嫌がらせをされたり、相手の特定できない悪意に沢山晒されて来たんだろう。私が考えてしまうのは、中澤も日本サッカー界がロスしたように、日本は人材の不必要なロスなど起こしているほど恵まれた育成力を持っていないということである。メンタルに弱い傾向のある選手であっても、きちんとしたケアがありさえすれば将来の中村や遠藤以上に代表やクラブで日本全体を引っ張っていくような可能性があるのである。
小学校、中学校、高校、ユースなどで

「メンタルが弱い」=素質に問題があるから無理。

という(私から見たら)指導側の能力不足が要因で日の目を見られなかった逸材もきっと居るはずである。そこで「ではメンタルの弱い子をどう育てれば良いのか?」を学ぶきっかけと姿勢を改められないようでは、サッカーを好きとは言えないのではないか。先日読んだ将棋の子でも競争世界でのメンタルケアが、結局はファンを初め業界の為になると実感した。結局サッカーも感情を持つ人間がする行為である。他の国が捨てるような人材であっても育てられるノウハウがあれば、例え目に見えた数値として具体的には表れなくとも確実に日本全体の選手レベル底上げに寄与出来るだろう。

サッカーの技術教育に代表される、ピッチの上で必要なことを教えれば、後はそいつがどうなろうと知ったことではないという無責任な育成からは決して生まれない発想だろう。日本のサッカーの実力は弱い。だから少しでも補えるようにメンタルケアを世界一充実させよう。という取り組みだって十分意味がある。同じことをやっていても欧州を初めとしたサッカー先進国に追いつき、追い越すことは出来ないからである。まずは代表常連組のOFFに心を配る。こう言った小さな所から、既に勝負は始まっているのではないか。

posted by karakuti |04:00 | 選手を守る | コメント(14) | トラックバック(0)
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2009年01月29日

日本敗戦。なぜ相手を褒めないのか。

残念ながらバーレーン戦は見れなかったので腹いせをかねて、今回は激辛と言うよりも雑談をしてみたい。まぁそれでも辛くなるのが私の特徴なのだが(笑)。

たまには見られないのも良い
見れないとなると逆に興味をそそられるのが人間というもの。今回のバーレーン戦は生、録画放送、ダイジェスト放送も無いらしい。放送権を高く売りたい側との交渉が付かないらしい。売る側もネット放送で配信するらしいが、放送権を販売するよりも利益が出るとは思えない。何とも不思議な話ではあるが、試合放送の無い代表戦というのもなにやら不思議な気にさせられる。代表戦、サッカーが娯楽であり、人々に見られてなんぼの存在であることを改めて認識できた。一応試合の流れは若干乗せられている。
試合の大筋はこんな感じ


去年のバーレーン戦を振り返る
見れないので去年のでも書いて溜飲を下げることにする(笑)。
今までの日本VSバーレーンの通算成績は6勝一敗、今日で2敗目。一敗目は去年3月のバーレーン戦。あまり覚えていないが岡田ジャパンの船出の時期、バタバタと敗退した。内容もかなり悪い方で、日本が自滅した感じであった。岡田監督は「目が覚めた」と「俺流宣言」をするのである。私の見た目では、オシムの存在が負担となり、岡田監督は遠慮し、選手はしっかりと導いてくれる監督を失い迷走した感が強かった。当時の記事やブログもその論調で酷評し、「情けない」と批判のお祭りであったのを覚えている。しかし、あの試合は日本が悪かったのも当然あるが、その隙をつけたバーレーンの戦略のようなものが勝っているのを感じた。当然サッカーの分かる一部の人は試合前からマチャラのバーレーンを警戒していた。ソースが見当たらなくて恐縮だが、当時マチャラ監督が警戒していたのは田代だったそうだ。アジアカップ張りのポジッションから+田代で高さを武器にたたみ掛けてくる攻撃サッカーを想定していたのだろう。

だが岡田監督は巻を使い勝機を逃した。当時の巻はまぁいつも通りと言うか、やんわりと言えば自ら点を取りに行くエゴに執着するタイプのFWではない。調子も上向きとはいえなかった。岡田監督は起用法も間違っていたと思う。オシムは巻をゴールゲッターとして起用したことは多分無かったが、岡田監督は攻撃の柱と勘違いしていた。脇役に主役をやらせては劇も役者も潰れてしまう。多分見ている人の何人かは、私と同じように『何故巻?』とフランスW杯時の城のように、「?(クエスチョン)」の嵐が日本中のTVの前で吹き荒れていたことだろう。
片や田代はリーグ戦の中盤から後半にかけて鹿島で存在感を出し、終盤から年をまたいで下降線を辿っていた(だろう)とはいえ決定力では明らかに上だった。岡田監督は旬の素材を使うのが上手い料理人のように調子の良し悪しを見る目は中々だ。多分今の岡田氏なら田代を使っただろう。だが当時はオシムサッカーへの遠慮があった。それが巻のスタメン起用に表れていた。スタメン巻を田代に変えていたら勝てたかどうか。確実なことは言えないが私の見立てでは十分有りうる話だった。

貴方は日本に勝てる?
私は世界で見た時の日本の評価は低いが、アジアでの日本は十分TOP4に入る実力を持てているし、アジアカップに関しても本気で取りにいけば十分優勝が狙えると思っている。要は今この文をお読みいただいている読者の方が、アジアのTOP4以下どこかの国代表監督となり、「日本を破れ」と言われたら、これは至難の業だろう。ワールドカップ出場組とそれ以下の各国のサッカーレベルはかなりのギャップがある。近年その改善が目覚しく、バーレーンやオマーンなど急激に実力を向上させている国は当然あるが、かといって日本(や他のW杯常連国)相手に互角の戦いを行えるか水準かといえば、各国共まだまだものが足りない。

そんな中日本に勝つためには、様々な要素を自分たちの有利に働かさなければ難しいだろう。まず外せないのは

日本側がある程度自滅すること

である。実力を存分に発揮させたら基本勝ち目は無いに等しい。次に

監督が機能すること

である。基本アジアのサッカー中進国に足りないのは、チームとしての一体感である。逆の言い方をすれば個の能力の向上は一朝一夕には立ち行かない為、現有戦力で戦うには、色々足りない持ち駒の選手を、何とか形にするしかないのである。チームを最も短期間で強くするには監督による作用を用いるのが最善である。(別に改まって言うほどのことではないが)


なぜ相手を褒めないのか
去年のバーレーン戦はまさしく監督の力、マチャラが持ち駒を掌握し、日本を分析し、勝機をつかむ最善の努力を重ねていた成果だと私には見えた。得点シーンも川口のミスのように見えたが、あれだけの少ないチャンス(とも言えない様な攻撃)にも関わらず、バーレーンの選手を萎えさせなかったのである。普通自分たちのサッカーがほとんど通用しない展開となったら、意識無意識に関わらずどんな優秀な選手も多少は試合を投げてしまう。これは人間として仕方が無いことで、例えばインザーギだって常に100%のモチベーションでは無い。
話を挟むが今回の放送権騒動だって、日本国内放送が無ければ当然日本選手陣のモチベーションは多少なりとも下がるはずである。とすると、放送権は金が欲しかったのではなく、バーレーン側が放送して欲しくなかったのではないと妄想してみたりする。産油国がそこまでして勝とうとしてくれるとしたら、日本にとってこれほど光栄な事はないし、世界に出た時に使える経験を増やせるかもしれないと思ってワクワクしてしまう。今の日本はアジアでは強くなりすぎて内容は消化試合に過ぎない試合が増えてしまってつまらないのである。
さて話を戻そう。
「勝機がある」と選手が思い続けられるサポートをすることが監督の大事な仕事であり、逆に言えば選手のモチベーション操作以外に、それほどの仕事内容は無いとも言える。サッカーは人がするもので、人はモチベーションによる上がり下がりが最も大きい生物だからこれは必然ではある。日常でも、「頑張れば」「調子がよければ」試合に出してもらえる。という監督と選手の信頼がどんなやり方であれ最低限必要なのだとこのコラムなど見ていたら改めて思った。

バーレーンの元の評価が私が人より低いというのもあるだろうが、マチャラ監督が「よくあの戦力で形にしているな」というのが昨年の敗戦の印象だった。あの試合は間違いなく勝った相手の方が良い試合をしており、オシムの言う「良い試合をしたほうが常にかつとは限らない。だが一致することが望ましい」に適した結果だった。要はあの試合で日本が悪かったというサポーターは私から見たら、サッカーのファンではなく、日本のファンに過ぎないのだ。
相手が良かったのか、自分たちが悪かったのか。同じことを言っているようでいてこの違いはことのほか重要である。例え都合が悪くても現実を謙虚に見ようとする目からしか成長は生まれない。そしてアジアに強豪国が増えるのは結果日本の為になると私は信じて疑わない。オーストラリアの参入も大歓迎である。


改善すべきは攻撃指導陣
だから今回の敗戦も特に驚くことは無い。試合後に見たが側近の日本分析も的を得ている以前の記事で現代表の攻撃を

単に「高い位置でボール奪う」「相手を自由にさせない」「少タッチ数で速攻」「サイドを効果的に使う」「FWは積極的に裏を狙う」程度の時代遅れな内容が精一杯

と私は書いたが特に酷評したつもりもない。酷評とは見たものを酷く言うことであり、私は見たままを言っただけだからだ。

とすると次はその責任を誰が取るのかという話になってくる。岡田監督がダメなのかと言えば、私は必ずしもそうは思えない。岡田監督は以前のフランスワールドカップの時もそうだったがサイドを比較的重視する組み立て方をしてくる。監督として有能か無能かを判断するには、持ち駒の質を考慮して評価しなければならない。日本人選手を用いて今以上の攻撃を展開させられる監督が、世界には当然居る。
だが、日本サッカー協会の予算でその監督が雇えるのかと言えばNOである。予算内で最善の選択。を行う以上のことはどんな人にも出来ない。岡田監督がベストとは言えないがベターとは言えるのではないかというのが私のここ1年くらいの判断である。
では攻撃に関してアイデアの無いであろう岡田監督をどう用いればよいのかと言えば、出来ればコーチなどで補う使い方が望ましい。
これは岡田監督の守備優先サッカーが、政治で言う与党のように取りたいだけ選手を取って、残りで攻撃を行う。という構成ではなく、先に「攻撃にこういう人材がこのぐらい必要」という所からチームを作り、残りで守るのである。
それを今担っているのは大木氏であろうと言われているが、ここが人材不足なのではないかと私は懸念している。
クリンスマンは監督の仕事に分業と言うスタイルを持ち込んだ人物ならしいが、これからは多分代表チームでは顕著にこの形が主流になっていく気がする。

守備を教えられる監督はそれなりに居るだろう(それもレベルによるが)。そして攻撃のアイデアを持つ監督も居るだろう。だが持ち駒に合わせてアイデアを選べるほど豊富な攻撃選択肢を持つ人材は、どこにいるのか私も知りたいくらいである。以前書いた日本のスカウト力を称えた記事のようなスタイル、人材は居るだろうが攻撃に関しては少ない。
しかも、基本世界を相手にしたら通用する攻撃も、使える人数もごく限られる。リスクの計算からサイド攻撃からのクロスを選択したい気持ちは分かるが、それだけでは通用しないのは(私にとっては)先のユーロを制したスペインを見れば分かるのではないか。小柄でフィジカルが弱くサイドアタックの宝庫だったスペインが、サイドに頼らない攻撃を実現したら優勝してしまったのである。まぁマルコス・セナが居たからとか攻撃面以外の理由も確かにあるけれど。


いつ誰がどうやってまで面倒を見ろ
最後の所ではどれだけ良い攻撃を行えるかよりも、それをいつ行うか。なのである。簡単に言っても、昨年のアーセナル、セスクが怪我する前のウォルコットは控えレベルの駒ではなかった。だがどれだけ活躍しようと次の試合もベンチ。レギュラー組に怪我が無い限りベンチであった。
あれは新しい流れなのだと思う。
スタメンで起用できる選手を控えに残しておくことが、新しい戦術なのである。
ウォルコットが速さを武器にするタイプで有効期間に制限があることと、相手DFの足が止まる後半30分前後からが最も有効である部分は当然あるが、それを差し引いても、攻撃陣への起爆剤としての効果は莫大だった。どのくらい大きいかと言うと、ウォルコットが入る前、攻撃陣は手抜きをするくらい大きいのである。まるで単調、やる気の無い永遠に得点が生まれ無そうな退屈な攻撃に終始する。
普通こんな試合展開に陥った攻撃陣は立ち直ることは無い。だがアーセナルは全て計算の上、自分たちの体力だけでなく、'アイデアまでも'出し惜しみ''し、単調な攻撃で相手を麻痺させる為に時間を用いていたのである。

今までも同様な戦術を取る監督・チームは有ったが、あすこまであからさまな試合展開の披露は初めて見た。

一例に過ぎないが、私の言う攻撃指導陣とは、岡田監督に「後半○○分から○○を入れてくれ」と、入れる時間と召集する選手、その用い方に至るまで権限を持つ、もしくは提言できる人材である。

どう攻撃する。とか、どうペース配分する。とか、どう起用する。を個別に相談し、助言するのではなく、「この素材をこういう形でこのタイミングで使いたい」と自らのアイデア実現する具体的なイメージまで説得力を持って周りに納得させられる能力ということだ。

あくまで守備的な監督の下で、攻撃陣を集めてピッチの片隅で「こんなバリエーションもあるよ」と練習メニューをこなさせる程度では、望ましい攻撃指導とは言えない。

よく言われる「'攻撃は個人のイマジネーションで教えるものではない'」という主張ははっきり言って正しい。
だがそういう時はこう尋ねる事にしている。では日本代表は放って置けばそんな攻撃が起こるほど人材に恵まれていますか?と、持ち駒で最大限の結果を望むのであれば、育成好きな私に反する免もあるが、有効な攻撃を選手が行えるよう環境づくりをしたり導いたり出来る力が求められている。

この面で今のサッカーのチーム作りは次の時代の扉を確実に開け始めている気がする。攻撃は、自然に起こるものではなく、起こすものになるのではないか。当然しばらくは門外不出だろうけど、試合を良く見ていれば気づく人は気づくのである。この攻撃には選手のアイデア以上の何かがあると。

posted by karakuti |02:57 | 試合レビュー | コメント(5) | トラックバック(1)
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2009年01月07日

中澤・遠藤・中村はもうダメなのか

新年一つ目ということで相応しい内容が書ければ良いのだが取り合えず固く構えず雑談的に思ったことを書き記してみようと思う。


日本ってベテランに厳しい国だと思いませんか?」
大分古いがNumber717号の新連載「黙示録」の中澤佑二。開口一番のセリフである。降格争いをする神戸や大宮に自分獲得への名乗りを上げさせ、結果横浜に大して巧みに自らを売り込む。獲得に現実味を出すため海外を明確に否定するのも忘れない。
記事中で自らの心境を「30歳を過ぎるとJリーグでは移籍金が発生しなくなる。これは30になった自分が唯一勝ち取った権利でもある。」と語る。彼を嫌いな人は『金の亡者』として見るかも知れない。私自身は以前から中澤を海外移籍しないもう一つのプロの形として、金を現実的に考える姿を賞賛している。誰もが言うことだが例えば漫画界では手塚治虫。彼が原稿料を上げないばかりに若手漫画家は編集社側に「手塚先生より高額を要求するとは何様だ」と当時の生活水準では当然の値上げも断られたそうな。その道を代表する人はもはや自分の都合だけで報酬を決めてはいけないという話である。またプロとは金を貰う人という意味もある。ブラジルなどの選手からしたら金額に拘らなすぎるのはプロとしての自覚が足りないとも言えるだろう。非常に短い不安定な選手人生。「無謀な海外移籍など夢想家がすることだ」と言う選手が居ても、私は一理あると思う。私の反対していた大久保の移籍も決まったようだが、もしかしたらJクラブからの日本人海外移籍での移籍金No1更新だろうか?(2億5000万らしい)
だとしたらこれはこれで日本サッカーの新しい記しである。どなたかご存知の方が居たら教えていただきたい。

今日はけなす記事なので先に誉めておこうと思う(笑)。
以前の記事でも多少言及したはずだが中澤のプロへの道は一般的なJリーガーとはかなり異なっている。どこからもオファーのかからないままプロの道をあきらめず集中するために敢えてプータロー(違うかもしれないが)で母校の高校の練習に参加。全てのJクラブに履歴書を送り全て断られてもプロへの道を諦めず周りに白い目で見られながらヴェルディユースと母校の練習試合に紛れ込み、同クラブのコーチに直談判して掴んだヴェルディの練習生の座。先日の、「内定を貰いながら天皇杯で活躍するエリート高校生」とは1味も2味も違う。苦労が多い分、プロへの執着は人一倍であろう。また「周りを言葉で引っ張っていくタイプじゃない」というのも、そう言うマイペースで我が道を行くタイプでなければ、そんな努力をしてまでプロフットボーラーの仲間入りをしていない。言うなれば日本サッカー界が発掘できなかったにもかかわらず、自力で代表まで上り詰めた奇跡の逸材である。大学からなら中村憲吾など、無名からプロへの道は少しはあるが、高卒で「サッカー浪人」となりここまで成長したプレイヤーはいないだろう。

3人の去年の言葉
中村俊輔、遠藤保仁、中澤佑二、昨年の日本代表の主力であり屋台骨でもある3人。
しかし私は3人とも明らかに一昨年より、昨年のパフォーマンスを落としていたように思える。
昨日放送のスポルトのインタビューか何かで
中村は「代表とクラブの移動で去年は不完全燃焼だった」と語った。
遠藤は昨年1月(約1年前)のインタビューで今年の目標を聞かれ「特にありません」。
中澤は同じ質問に「健康」。と答えていた。
遠藤は良く取れば飄々とした彼らしいコメント。悪く言えば何も望まぬ消極的な余裕の無い状態と言った印象だった。中澤はとにかく肉体のコンディション維持に限界を感じ始めている「切実な本音」が出た様子。もちろん彼ら代表組の年間試合数や予定は想像を絶する過酷なものだろう。
だが案の定中澤も遠藤も中村も夏から冬に怪我が出た。年々無理が利かなくなっているのである。

アフリカの日差しコメントにて指摘を受けたように6月のアフリカは冬だそうです)
もちろん去年、彼ら3人の活躍が他の選手に比べ劣っていたというのではない。私が言いたいのはこの3人が2010年の6月に今と同じ活躍が期待できるかということである。
フランスでは25.3歳。30歳以上は小島、井原、中山。日韓では平均年齢25.2歳。30歳代が3名だが山本氏が明らかにしていたように、実質森島以外は戦力安定化のための重りであったろう。
ドイツでは27.4歳。GKを除けば30歳以上は居ないが、この4年間で平均年齢が2.2歳上がっているようにメンバーがあまり入れ替わっていないとも言える。当時29歳の中田は中心だったが明らかに年齢的ピークを過ぎていた。現在の中心メンバーだとある程度本気だったバーレーン戦メンバーなど参考になると思う。28歳ならまぁスタミナの問題は少ないとすると1975~1979年生まれの2010年に30歳~になっている選手が6人。80~81年生まれの28~29歳になるのが9人。合わせて15人(26名中)、思いのほか厳しいメンバーである。
2010年に30歳~。世界の代表的に見たら特に珍しい年齢では無いが、既に昨年2008年時点でパフォーマンスに低下が見られる選手を、スタメンに3人乗せるのはかなり厳しいのではないか。ダエイの無用起用が尾を引き再建に時間がかかっているイランも人事ではない。W杯本戦は超が付く過密日程。ドイツでは3日置きに日中の熱線に晒されながら3連戦。アフリカの日差しはドイツを当然上回るだろう。ベテランの経験が物を言うだけの体力的余裕がドイツW杯経験組にあるかどうかもっと真剣に考える必要がある。

ここからは彼ら一人づつ思うところを触れてみたい。

中澤
中澤は一言で言うと覇気が無い。現状維持に一杯で、何かを追うという意識が感じられない。だが彼が今まではアジアを代表するCBであり、日本代表では得点元としても貴重な活躍を果たし現在の実力でも”代表水準”であることは間違いない。だが岡田監督の言う「2010年ワールドカップベスト4」で遜色ない人材かと言えばそれは「NO」である。私の感覚では(中澤個人ではなく)日本代表はベスト16なら素晴らしい成果、32なら満足できる所であろう。
更に、衰えが見える彼は1年半後怪我なく満足いける状態で望める可能性はかなり低いのではないか。本番で「怪我で満足いけない状態だった」という結果になったとしても、それは中澤のせいではなく長年蓄積した肉体の疲労や損傷により故障リスクが上がっている人材を起用した周りの責任。怪我をするのは当たり前である。
現状最終予選を突破するために必要な人材であったとしても、突破後使い物にならないとしたら最終予選で起用していて良いのか。オシムをして「アジアレベルなら問題ない」と言われた中澤は、本人が望むかどうかに関わらず周囲にそれ以上の期待を持たれている。
私は多分周囲のサッカーファン以上に中澤を評価する一人だと思うが、残念なことに「世界ではもうダメだ」というのが実感である。もちろん即全てが通用しなくなるのではなく。少しずつ「らしくないプレイ」が増え、決定的な場面での仕事にブレが出てジワジワと下降線を辿ると言うことである。岡田監督の信頼は厚く他のCBを見ても中澤が主力で行く可能性が現時点では非常に高いが、それだけに「それでは危ない」と言っておく必要があるように感じる。


遠藤
最近ペナルティーエリア付近での成長を見せる遠藤。元々冷静で流れの良く見える選手で、キックも正確なのは分かっていたが、ゴール前では日本のFW以上の決定力を持つかもしれない。ゴールに必要なスキルを動き(虚を突く)と決定力(冷静さ)に分けると、一般的なFWは決定力に欠けるタイプが多い。遠藤の場合は逆に決定力にはさほど問題がなく、ゴール前でシュートの間を得るだけの動きが無かっただけらしい。特別難しい動きやシュートをするわけではなく、基本的な動きと、ごく自然なシュートコース。世界で見たら特に言及するほどのスキルではないが日本代表では十分戦力になると感じる。他の選手全ての動きを囮とし、遠藤の1点に頼る時がもしかしたらワールドカップ本戦でくるかもしれない。
ただ遠藤は先日黒子として期待する記事を書いたが、クラブW杯でのマンU戦ではガンバのボランチでは目を覆いたくなるようなプレイが露見していた。現時点ではポジションを後ろに下げるほど平凡なプレーが増えてくる。中盤の彼が生きるのは中田と同じく試合を落ち着かせたい場面、即ち1点のリードを守る展開の時である。ただ、今のサッカーでは全体的に逃げ切り目的の時は、もっとアグレッシブでボールを追い掛け回す守備的MFか、一発を狙えるFWなどを入れてより試合の全体の支配を目的とする場合が多く、ボールキープを得意とするタイプを途中から入れてくる手法はあまり見られなくなってきた。
遠藤が1年半後パフォーマンスが落ちているかと聞かれると、中澤よりは前向きな答えが出来る。ただどうやら伸び白は既に限界らしく彼に今以上のものを望んだりは出来ないがベスト4を目指すのであればFW(+2トップの3人目)起用一本に絞り連携を高めていく他無いだろう。


中村
特にこの一年でもっとも厳しい下降線を辿った選手である。中村は怪我もあったが明らかに運動量が落ちている。セルティック以後私の印象で最も運動量があったのは2006~7シーズンだろうか。当然一昨年からの疲労が蓄積している面もあり去年だけで中村の今後を言及するのは早計かもしれない。
だが、彼のファンやセルティックの試合を毎試合見ているような方なら既に、より悲観的な形で彼のピークが過ぎたことを受け止めているかもしれない。
私の場合はまだ「その雰囲気がする」と言う段階である。ただこうして記事に書く以上それなりの確信はある。
根拠となるのはスタイルの変化である。それだけなら一時的な怪我の影響などもありうるが、中村の場合プレースタイル自体が2008年から全体的に省エネ型に変わっていた。
年間MVPに輝いたシーズンの中村なその栄光に相応しく、チームの攻撃でも中心だった。だが去年のセルティックは同じようにMVPとなったマクギーティーが中心であり、彼は運動量とスピードで勝負できる若手である。反面逆サイドにいる中村はほとんど動いていない。正直な感想を言えば「どうしてしまったんだろう?」と思いたくなるほどの急なパフォーマンスの低下である。
元々ランで勝負するタイプではないが、以前にもまして運動量不足の傾向は高まり、既にロープレッシャーの中盤を突破するのにも周囲のサポートが無ければワンツー(自らのラン)などではビルドアップできない。常に周りが動くのを待っているのである。経験が裏目に出て安全に行こうとしすぎて結果悪い方に出ている感じである。
これが試合全体での消耗を計算して、得点機に決定的な仕事をするために温存しているのであればそれは運動量の落ちたベテランとして十分な「進化」なのだが。


攻撃の形作り
ウェズレイなど見事な「省エネっぷり」であるが、あれとて周囲を運動量豊富な選手で固め、ガチガチの約束=
「ウェズレイにボールが入る」→「トップスピードでサポート」
という戦い方が可能な他フィールドプレイヤーの「スタミナマージン」があっての戦略である。言うなれば「0トップ」のローマ&トッティーの形に近いだろうか。

オシムは「俊輔の代表にはしない」と言ったが、岡田監督はむしろ「中村と心中するチーム」を作って、田中達也、大久保、内田、香川、安田、玉田、長友(多分松井も)など必死でサポートできる人材を探しいるように見える。正直今の中村はオシムが読んでいた時の中村とは運動量で別人でとても心中できるパフォーマンスを2010年に持っているとは思えない。となると問題点は3つ。


*1.1年半後に中村が周りの十二分なサポートがあれば中心となりうるか=世界のベスト20に通用する攻撃が繰り出せるか
これははっきり言って問題は攻撃の内容ではなく「繰出し方」(中村がキメ易い環境でボールを渡せるか)にあるのだがそんな高度なサッカーは現日本代表には望むべくも無い。よって無理であろう。
単に「高い位置でボール奪う」「相手を自由にさせない」「少タッチ数で速攻」「サイドを効果的に使う」「FWは積極的に裏を狙う」程度の時代遅れな内容が精一杯である。


*2.そんなサポートが他メンバーに可能なのか
以前の記事のとおり周囲の負担が大きすぎ私は悲観的である。


*3.遠藤や中澤など運動量で厳しくなるベテランと共存するのか
今回のテーマでもある。この3人が輝いていた時期と同様の運動量は望めないとしても、W杯本戦のグループリーグぼろが出ない程度量を維持できるのか?。更に、その上に行く時足枷にならないのか。私はかなり悲観的である。日本人はW杯が終わってから「こうだった、ああだった」と言い始める。だが結果を残したければWカップ前に言っておかなければならない。例えベテランを削って、かえって結果が落ちたとしてもである。何故なら今のままではベスト32が精一杯だからだ。これは先日の五輪でもファンは身に染みて分かったのではないだろうか。「無難なチーム作り」でベスト8を勝ち抜けるほど日本は実力国ではない。上を狙うなら新しい可能性に賭けてみてはどうだろうか。と言っても岡田監督に攻撃の構築を願うのは無理なので、現実には中村のイメージに頼るしかない。だが彼のイメージは悪くないとしても運動量が足を引っ張って実現不可能である。経験ある中村で90分行けるならそれがリスクが少なく安全な方法だが、今のサッカーでは止まる司令塔を置く余裕は許されないのが現実だ。

*まとめ
そこで例えば中村にチームを作らせ、同時に大分の金崎当たりを代表に呼び中村に「自らの代わり」として教育させてはどうだろうか。2人は絶対に同時起用無しという使い方である。金崎はまったくの私の思い付きで運動量で問題なければ誰でも良いのだが自らも突破力があったほうが中村とギャップがあり相手が困るだろう。このような形で中村を45分で交代できるようなチーム作りが攻撃面では最善ではないだろうかと思う。上に書いた本番の日程を睨んでの処置である。
オシムは遠藤と中村を二人とも指令塔としてサイドで起用する意欲的な実験も試みていたが、W司令塔はボールを足元で欲しがる選手が多すぎ長年代表が失敗してきた「ボールは持つものの攻めあぐねる」展開になりやすい。
中村45分起用。実現の可能性は0に限りなく近いが、私が考える「運に頼らないベスト16」の図はこの道が最も近い。
冒頭の中澤の言葉のように「不必要にベテランを排除する文化」が日本にはあるように思う。ベテランの経験やパフォーマンスを生かせないようでは当然サッカー2流国のままだろうが、逆に「ベテランの生かし方」について日本は1流と呼べるノウハウがあるのだろうか。思いつく所でも、プロとしての意識、コミュニケーションのとり方、雰囲気作り、若手へのプレイ面での助言、スーパーサブ、などなど様々な生かし場所がある。
体力は年齢で決まるものではなく、年だけを見て「もう使えない」と言うのはサッカーを知らない者の言う言葉である。
だが逆に言えば、衰えは若くともやって来るということだ。使えるか使えないかは自分の目で確かめなければならない。そして昨年のパフォーマンスを見るに中村ら3人が1年半後体力的に「主力」で行けるのか、私は疑問である。



申し訳ありませんが管理が面倒なのでコメントは許可制とさせて頂いています。
09/01/08 コメントを受け加筆、及び誤字乱筆を修正。

posted by karakuti |04:40 | 選手に辛口 | コメント(30) | トラックバック(0)
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2008年12月19日

ガンバVSマンU戦は不公平だ!!。

「スピードの違い」はもう聞き飽きた

私は毎回試合後の選手のコメントを楽しみにしている。当然「記者」と言うフィルターにより編集されてはいるが
それでも言葉のチョイスや選手の試合感と私の感想と照らし合わせて、どの程度周りが見えている選手なのかを計る物差しとして楽しんだりしている。コメントにより普段見ることのできない選手の様々な個性が垣間見える所も面白い。欧州移籍など上を目指す選手。自分の役割に徹する選手。試合自体を楽しむ選手などなどである。

今試合はJと欧州クラブが(ある程度ベストメンバーの公式戦で)当たる希少な試合と言うのもあり、様々なメディアも注目のようで関連記事も中々の数だ。

ブログ、新聞、選手、監督コメントなどをまとめると、総じて「スピードの違い」に触れている。皆が同じように語るので一視聴者の私としては、若干マンネリ気味である(苦笑)。
偉そうな言い方をすれば、『そう言う開催前から分かりきっている事は私のブログのように試合前にUPしろ』と生意気な気持ちにもなる。更に言えば知性とは区別する能力の事であると言う。単に『スピードが違う』という区別しか付かない国民のサッカーレベル(観戦者、試合関係者共に)では永遠に欧州に追いつき追い越す事は不可能である。これは私の前回の記事も当てはまってしまう。4つに分ければそれで良いというものではない。

よってスピードはもうお腹一杯、閉口気味なので今回は少し別の角度からガンバ大阪対マンチェスターUを振り返ってみたい。


マンUの舐めた態度

まず色々なファンがいて、私は後半開始前にカメラにアピールをするC・ロナウドを見て激昂するタイプだ。それは嫌いな選手欄にロナウドを乗せている程元々印象が良く無いせいもあるが、自分で偉そうにJクラブを叱咤しておきながら、いざ欧州のプレイヤーに舐められたような態度(今回のロナウドの行為は単にファンサービスかも知れないが)を取られると、なにやら消化できぬ感情が沸きあがって来る。
スコアは前半で2:0と既に大勢を決し余裕を持つのは当然のことではあるのだが・・・・・。

ファーガソン監督は試合前に少なくともスタメン5選手を公表している。

この辺は監督の性格によるが、オシムさんは「相手に失礼である」として格下相手でも決してスタメンの公表などしなかった。(リンク先のトリニダード・トバゴが格下なのではない)

そしてロナウドの態度、舐められて当然の試合展開で有ったのは否めないが、私は日本サッカーに対する見くびられた態度を感じた。掻い摘んでいうと「マンUが思うほど、今回の結果ほど日本サッカーの現状は低レベルではない」という気持ちだ。マンUが本当にアジアを侮蔑したクラブであればパクチソンを獲得してはいないであろうから、彼らがその意味で欧州で最もアジアや日本を軽視するクラブでは決して無い。がゆえに欧州での日本在籍選手の(実力を反映しない)地位の低さが気になる所ではある。散々日本の実力をこき下ろしている私が腹を立てるのも変な話だが、欧州のサッカー関係者よりは日本サッカーの実情を(多少は)詳しいだろうと言う自負から来るものである。


不公平な前提

試合に関して言い訳をさせて貰えば、去年は浦和のポンテ、今年のガンバはバレー、二川を欠きとベストパフォーマンスとは程遠い状態だった。バレー移籍は少し前の出来事ではあるが、2年連続エースストライカーのシーズン途中での引き抜きに遭い、とてもじゃないが十分な応急処置など不可能だ。今シーズンは苦渋の選択から遠藤やDFミネイロをFW起用したり四苦八苦して急造した「攻撃ガンバ」だった。贔屓目に見ればこれは異常事態である。もしマンUと戦うのであればとりあえずそれなりのがたいの外国人FWと残りの枠も大分のエジミウソンのようなチームにフィットした外国人が欲しかった。

スタメンに外国人枠1のガンバ。スタメンに外国人7のマンU

内訳はwikiの通り

ファン・デル・サール オランダ
エブラ フランス
ビディッチ セルビア
C・ロナウド ポルトガル
アンデルソン ブラジル
ナニ ポルトガル
ギグス ウェールズ
テベス アルゼンチン

途中交代したエバンズ(北アイルランド)やフレッチャー(スコットランド)もW杯出場国単位で言えば外国人である。(この辺ややこしいので間違っているかも知れない)


公平なサッカーは面白いのか

はっきり公平を規すのであれば対戦する両クラブのクラブランキングが低い方(この試合ではガンバ)のリーグルールに合わせて外国人枠を3人に限定して対戦する程度の枷が有ったとしてもおかしくはない。またマンUはこれでもプレミア内で比較的イングランド国籍選手は多い方のチームである。その他マンU(欧州王者)のパフォーマンスが落ちないようにと言う事であればガンバ(ACL王者)の選手交代枠を増やしたり、クラブW杯だけ外国人枠を増やしたりしても良い。(使いこなせるかは微妙だが)

更に言えば他競技同様に体重でハンデをつけても私はおかしくないと思っている。近年の研究されたサッカーは、個々の工夫で体格差を補いきれるほど未発達の競技ではなく、その傾向は年々強まっている。こんな状態での「平等」とは「体格に優れた人種を優遇する」という不平等ですらある。同じ能力の選手が二人いればフィジカルに優れた素材が生き残るのは明白だ。この傾向が進めば将来的にアフリカやカリブ系の祭典と化している陸上100m走決勝のように、特定の人種を競い合わせる競技と変貌しかねない。一応言及しておくが私が個人的にその様にハンデを導入したサッカーを楽しめるかはまた別の問題だ。


Jクラブが勝つためには

少し話が脱線してきたので修正するが、Jリーグファンの方の中にはアジア枠反対の方がまだまだ居る。そうではない方でもプレミアの外国人(EU籍)選手無制限のようにJリーグにアジア籍無制限を導入しようとしたら如何だろうか?。私は賛成だが、多分20%を切る少数派だろう。理由は多くの人が「そんな見知らぬアジア人だけのチームを見たいと思わない」か「日本人選手が冷遇される」など現実的な意見が多く、一理あるものが多い。細かな問題では、財政難クラブでの「薄給でアジア人選手の使い捨て」が起こらないか。また先細りの日本経済に頼ったJリーグ運営で、今後アジアの発展に乗り遅れないか。など等心配の種は尽きない。例えば50年後は日本代表クラスは全て中東や中国のサッカーリーグに引き抜かれている可能性だってある。消極的な意見だが、経済規模から言えば今後Jリーグの規模やアジアでの位置を維持するだけでもやらなくてはいけない事は沢山ある。

クラブW杯は一同に集まって定期的にアジアクラブと欧州クラブが対戦する場を提供しただけでも前進ではある。だがACL王者が勝利する本当の意味で面白い試合が出来るようになるのはまだまだ遠そうである。その道のりの険しさを思うと、クラブW杯も「ただ枠を作った」だけの簡単なステップアップにしか過ぎないのかも知れない。

ハンデの追加により試合が面白くなる余地があるのなら、アジアで開催されるクラブW杯は地元クラブの優遇有っても決しておかしくはない。すなわち欧州クラブ側外国人枠を1~2人にするのだ。マンUが勝つ姿を賞賛するJリーグファンの姿はどうしても若干の違和感が否めない。まずは形だけでも同じ土俵に上がり悔しがって欲しい。ガンバの善戦やマンUのプレーを称えるのはその後ではないだろうか。
私のような欧州サッカーファンは今回の試合結果はすっきりする所もあるが、私的にはそう単純な感情でもないらしい。仮にクラブW杯大会内では外国人枠は3人となったら、アジアクラブの勝率は上がるが、果たして大会は盛り上がるだろうか。
サッカーがアジアに根付いてくれば「欧州の外国枠はズルイ」という意見が当然出てくる時が来るだろう。

posted by karakuti |19:00 | 試合レビュー | コメント(9) | トラックバック(0)
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2008年12月13日

遠藤は水を運ぶ人になれるのか

4つのスピード

近年のサッカーで重要なのはスピードだと言われる。
山本昌邦氏によれば、それはさらに3つに分けられる。ランスピード、シンキングスピード、パススピードである。
私は最近のサッカーではこれにファーストタッチ、ボールコントロールスピードも別個に設けた方がよいのではないかと思う。良く「1タッチで裏に抜け出す動き」と言われるヤツが分かりやすいだろうか。
ここ1~2ヶ月ほど、近年に無いほど国内リーグを見る割合が高い。その理由はスペインリーグが余り魅力的ではなくなってきたからだ(その話はまた別の機会にしよう。)
そしてたまに海外の試合を見る。すると一番驚くのはなんと言ってもそのスピード、試合展開の目まぐるしい変化の速さである。
現ガンバ大阪監督の西野氏がオリンピック代表監督を務めていた時、ブラジル五輪代表を見て「3倍速のビデオを見ているようだ」と話していたが、感覚としてはまさにそれが正しい。
私には「同じ競技とは思えない。」日本のフットボールは「違うサッカー」なのだと気付かされる。その印象は今も昔も変わらない。勿論だからJリーグは詰まらないと底の浅い事を言うつもりは無い。私のサッカー観戦仲間とも話すのだが、「欧州サッカーと違いテンポがゆっくりの方が落ち着いて見られる」と言う理由で日本サッカーを好んで見る場合すらある。別の競技としてそれはそれで楽しめるのである。
ただ両者が真剣に雌雄を決するとなると、日本人としてどうひいき目に見てもやはり分が悪い。
圧倒的な初速、判断力、キック力、ボールコントロール速度の前に、日本の選手はひたすら自らが経験してきた「サッカー」の速度差を埋めようと、無駄に脳と身体を疲れさせてしまう。ここで言う『無駄』とは、誰でも初体験の行動は気を使い疲れるように、経験さえあれば消耗せずに済むという意味だ。
そしてこの4つのスピードはオシム氏も語るように同時に行える必要が年々高まっている。
要するに、『①トップスピードで疾走しつつ、②最短最善の状況判断に基づき、③最速のパスを、④最良の位置にコントロールする選手』でないと世界のトップクラブでは居場所が無くなるという末恐ろしい話である。


スピードの次の戦い

近年のプレミアなどを見ていると、トラップ、シンキングスピードは、(以前からサッカーを見ている私には)既に人間の反応の限界に到達してしまったか、限りなく近づいている気すらしてしまう。

強豪クラブ同士の対決では、4つのスピードを持つのは既に当然。次はそれを如何に『ハイプレッシャーの中、90分間持続させるか』という過酷極まりない戦いを繰り広げている。

岡田監督が、「呼吸商」というデータを導入するのはこの「後半の集中力」の削り合いに着目している証拠ではある。方向性は勿論間違っていないが、どれだけ優秀な体力、集中力、持続力を持ち合わせようと、大事なのはその使い方である。
完璧な90分間を生む事は誰にも出来ないし、もしそんな事が可能だとしたら、プラティニの言う通り、「全ての選手が完璧なプレイをしたらスコアは永遠に0対0」で、多分サッカーは退屈なものになってしまうだろう。

雑感として、日本代表は本当の強豪、即ちビッグネームの代表がコンディションとモチベーションを整えて臨んできた試合では、大概前半30分を持たずに先制される。これは不意を突かれたと言うより、この30分でまさに失点するほど「疲れさせられた」場合すらある。更に悪い事に、気持ちの入りすぎた日本が飛ばしすぎ、30分間で自滅してしまうパターンもある。
岡田監督がどれだけ工夫を重ね、選手の集中力消耗を軽減しようと、私にはこの30分をせいぜい45分に伸ばせたら素晴らしい成果だと思う。どちらにせよ前半中には失点することに違いは無い・・・・。そして強豪国相手に先制を許せば、それはほぼ敗北が決定したと言う事である。


専門家にならざるを得ない

本日の朝日新聞には稲本を語る記事があった。欧州に渡って8年。彼は守備のスペシャリストとして、1対1に磨きをかけチームの信頼を得ていると有った。
この記事を見て思ったのは、日本人は欧州では何かに特化しないと生き残れないという事実である。在日時から稲本は守備に活力のあるプレイヤーだったかも知れないが、それに増して攻撃での活躍も彼を印象付けていた。
しかし欧州の過酷な生存競争に晒される中、日本人のレベル(フィジカルや語学、国籍ハンデなど背景全てを含む)では外国人枠という立場も有ってか、「何でも屋」オールマイティにレベルの高い選手。としては生き残れないのである。

確か今期昇格したモンテディオ山形の小林 伸二監督が
『うちでは守備も攻撃も上手い選手は獲得できない。どちらかしか出来ない選手をうまく組み合わせてチームを作るのが監督の仕事』と語っていた。
言うなれば、欧州で生き残っている日本人選手はこのレベルである。
彼ら欧州組みのパフォーマンスには敬意を払っているし、スペシャリティを身につけ助っ人として居場所を確保していることには素直に頭が下がる。
だが自分が監督として起用する立場になると、相手次第で出したり引っ込めたり、使い所の難しい選手となり必ずしも万能ではない。
稲本なら中盤でのエースキラー、中村ならセンタリング、松井ならサイドをえぐる、中田浩二なら左サイドの抑え。彼らはチームを機能させるためのパーツに過ぎず、圧倒的に必要なチームの心臓部にはなれない。

稲本を機能させるには彼の攻撃面を補えるだけ能力の高いボランチが必要だし、中村にはボールポジッションを維持できるチーム総合力と優秀なFW、松井には巧みに彼を使いこなす指揮者か、強力にバックアップできるサイドバック、中田には一人でこじ上げられるウイングか、値段のつく運動量と攻撃性を持った右サイドバック、が必要だ。


欧州組の女房役が居ない

彼らが日本代表に入ったとき、最高のパフォーマンスを出すのには、各所属クラブ以上の仕事をして貰うのが一番だ。だが、それは他選手との相性や動機、コンディションなどがピタリと一致しなければ難しい奇跡と言うものである。まずはクラブチームで彼らがこなす役割と同一のものを代表で発揮できる。そんな環境整備に注力する方が現実的である。しかし、上の4人見てもらえば分かるが誰一人として共存しないのである。彼らを使う為に必須の対となるパーツは日本には無い。もし日本にセスクが居るならば稲本は存分に存在価値を発揮できるだろうし、アネルカやアデバヨールが居れば中村の左足は報われる。
夢のような高望みを止めにしても、日本国内の選手は大半が欧州サッカーの経験が無い。欧州サッカーを知らなければ必然的に欧州組がどんな特性のパーツなのか本当には分からない。これは致し方ないことではある。Jリーグとは必要なパーツ自体が異なるのである。
だが岡田監督は普段Jリーグという「別のサッカー」での役割をこなしている彼らから欧州組の相手役を選定せざるを得ない。4つのスピードに慣れる欧州組を用いるにしてもその生かし方となると、何とも苦しすぎるのである。これが欧州組が代表にフィットしない、コンディション以外の要因である。単純計算でフィールドプレイヤー10人の半分である5人を超える欧州組が生まれれば、欧州サッカーを基本とした日本代表を作れるかと言えば、この「パーツの相性」の問題がそれを阻んでしまう。欧州組が日本サッカーと宝(必ずしもそうではないが)と仮定すれば、その女房役の欠如。これが日本サッカーの課題の一つである。代表は宝の持ち腐れを起こし、監督は苦渋の決断で必要以上に国内組を優先せざるを得ない。オシムはチーム初動期間に敢えて欧州組を招聘せず、「欧州組は私の代表では新しいパーツになれ」と所属クラブ以外の生き残りを求めた。だかこの手法は欧州組の適応能力の潜在量を的確に把握した上での洗練された融合技術であり、全ての監督が行えるベーシックな芸当ではない。
目の前の岡田ジャパン。ここはフィジカルで最もハンデのあるFWに関しては諦め、『FWだけが足りないフランス』のように「FW不足のジャパン」と呼ばれる位置を(まずは)目指すとしても、中田や稲本の守備と、中村・松井の攻撃を繋ぐ選手が必要不可欠なのである。


遠藤は水を運ぶ人になれるのか

その現時点での最有力は以前当ブログで「攻撃センスなし」と書いたガンバ大阪の主役、遠藤選手である。
オシムに訳の分からぬFW起用をされている姿を見て、当時は『何故(センスの無い)遠藤を?』と思いもしたが、
Cロナウドがウイングとして地位を築いた後、更にゴールゲッターとして開花したように、オシムは年齢的には伸び白に疑問符の付く遠藤を慣れないFWで虐め抜くことで、資質を刺激していたような気がする。その甲斐あってかG大阪のFW不足か先のACLで遠藤はFWに近い役回りをこなしていた。何やらここ1・2年彼のポジションは徐々に上がっている気がする。献身的な運動量(を提供しようと言う姿勢)、流れを読む目、粘り強い精神力など彼が持つ能力は決して低くない。
ただPKに代表される動かないプレースタイル(観察眼の高さに頼りすぎるプレー)をオシムは咎めると言うか惜しんでいたのだと思う。「遠藤が動くようになれば使える」と考え、彼に黒子をさせようとプランしていたのではないだろうか。
使われる側と使う側の両方の立場を経験した彼こそ、欧州組に水を運ぶ選手となるに相応しいのかも知れない。
明日のクラブW杯、遠藤選手の活動の量と質に注目して観るのも面白い。

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posted by karakuti |07:55 | 日本サッカー | コメント(6) | トラックバック(0)
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2008年12月12日

アジア枠の続き

かなり久しぶりの更新となる。
ユーロ以降最近はサッカーをしっかりと見る余裕が無く、ながら見が多くて、色々と思うことは有るのだが、記事にするほどの動機を見出せないでいる。ただ情報だけは最低限仕入れつつ、試合も細々と月に1~6試合程度は見ているので多少は流れが見えているとは思う。
最近はJリーグ33・34節、入れ替え戦、昨日のクラブW杯初戦、今日のチェルシー・CFRクルイ戦、など見ながらアーセナル戦を少々。と少し多めに眺めた(私の感覚では観たまではいかない)ので書きたくなった。

今日は以前のアジア枠の記事の際、同時に執筆しておいた未公開のものを加筆しての場つなぎである。書いてから半年近く経過しているので内容に不備があるかもしれないが、ご容赦願いたい。

読んだ方が何かを考えるきっかけや刺激になれば幸いである。


アジア枠とEU枠の違い

ドイツW杯の敗因の分析や強豪国との様々な側面からの比較により、最近言われるようになった事柄がライバルの存在である。日本の場合は韓国が昔から宿敵とされて来たが、他のライバルとなると中々一つに絞れない。裏を返せば韓国以外はW杯予選で当たるだけの存在に今までは近かった。

これがヨーロッパでは各国の歴史的因縁、サッカー間の宿敵、伝統やら逸話やらとにかく密に交流がある。インフラや市場規模の差もさることながら、欧州とアジアが最も違う点はやはりサッカーに対する情熱だろう。EUでは他の面で隔たりが有ろうとも欧州各国のサッカー人気は大体一定水準を超え、EU枠の制定も十分スムーズに行える下地が出来上がっていたと言える。極端な話アジアでは、放って置いたら永遠にサッカーが一定の文化的地位を獲得しない国もあるだろう。

こうした背景と下積みを元にEU枠創設されボスマン判決以後欧州サッカーに無くてはならないものとして機能している。

更に付け加えるならば、戦後処理の差である。2回の世界大戦を乗り越え「苦痛に満ちた和解の道」を共に歩んできた成果も少なからずあるだろう。ドイツフランスの共通教科書など良い例となる。

この本は、両国の「教科書検定」を正式にパスし公立校でこれ一冊で歴史を教えられる本である。しかも両国版の違いは記載言語がドイツ語かフランス語かだけである。これを最も歴史認識の違いが激しい日本と中国間で実現している姿を想像すれば筆者の言う「苦痛に満ちた和解」の意味を読み取って頂けると思う。まだまだお互いに面と向かって戦争について話せるほどアジア諸国と日本の関係は修復されてはいない。

今回の記事に韓国・オーストラリアしか名前が挙がらず経済的に最も蜜月な関係で距離も近い中国が並んでいないのも、歴史認識とからめたくはないが、残念な事だ。この面ではサッカーのプロリーグ化と経済的リーダーシップを日本が取る事を(日本人にとっては)今だ良しとしない国すら有るかも知れない。EU枠などのシステムに目が行ってしまうが、欧州からまず何よりも先に見習うべきは大戦後の和解努力を始め、国同士の交流や歴史認識の見直しではないのか。そんな気さえしてしまう。謝罪をすれば終わり。ではなく、そこが全ての始まりである。もしかしたら同じクラブの日本人と中国人が同じ教科書で学んだ思い出を話題に盛り上がれる時代が来るかもしれない。というか、いつか筆者を含め以下の世代が来させて欲しいと疑いなく心から思う。

その他経済面でも、近年は中国からプレミア所属の選手も出始め躍進する中国経済の観光客と放映権マネー目当てでの獲得もあるとささやかれている。Jリーグも世界的金融危機の中、最も裕福な浦和レッズですらどうやら人件費削減を余儀なくされている様子。ここに至って中国など金銭的な面でも無視できる対象ではない。現行のアジア枠構想に最大貿易相手国である中国が入っていないのは何とも歯がゆいし、「何故?」という疑問で一杯である。


アジア枠の課題
続いてアジア枠の課題について言及してみたい。まず問題となるのが、各国の思惑が実は異なっていることである。今回のアジア枠の制定に関してもKリーグの事務総長キム・ウォンドンさんはKFAニュースのこの記事の中でこう語っている

『アジア枠制定は日韓中で同時でなければならず、Jだけが先行するというのはありえません。考えてみてください。もし先にJがアジア枠を設ければ、極端な話、韓国から18 名の選手がJ1に流れるわけです。J2も含めれば合計33名。一方的な流出は釣り合いが取れませんし、Kにとって国内リーグに空洞化を招く危険性もある。』

私はこの主張は最もな意見だと思う。アジア枠の理念にはアジア全体のサッカー界の発展と交流、さらには娯楽としてのサッカーの充実、スポーツを通しての国民生活の質の向上まで影響を与えうる代物である。
導入時期に関して意見の一致を見ないまま、他国と余計なしこりを残しながら始めては、本末転倒。有益な交流どころかJリーグによる一方的なスターの奪取になってしまう。いずれはクラブ予算規模の違いから結果的にJリーグがアジアの中心になって欲しいし、くれるはずだとも思う。その為にアジア枠は日本サッカーにとって良いことだ。とは思うが、日本の一人勝ちでは依然としてライバルが足りず、世界に勝てる力は磨けないままである。良く引き合いに出される小柄な体格の国メキシコもプリメーラ・ディビシオンでは北中米カリブ海と地理的にも近い中南米から有力選手をかき集め、W杯ではここ4大会連続ベスト16、決勝トーナメント進出を果たしているが中南米は世界的なサッカー選手輸出国が多数有り一方的な搾取とはなり得ないのであるから、日本と韓国とは事情が違う。ましてや比較的条件の近い韓国、オーストラリア程度との連携で躓いていては、それを観たアジア諸国のアジア枠への参加に悪影響が出かねない。ハードルを上げて申し訳ないが初めてだからこそ、アジア枠は、参加国が「共に発展する利益ある構想」として成功して見せなければならないのである。その為には時間については妥協しようではないか。私の死後になろうともより良くアジアと日本のサッカーが育つ方向へ一歩づつ向かえば良いのである。ここは急いでアジアの選手をかき集めるよりも、各国共に発展できる方法を模索する必要を感じている。

次の問題は、アジア各国の多様性である。EUとの主な違いでも、時差、距離、気候、文化、経済基盤、リーグ開催時期、等の様々な違いがある。
中でも地理的隔たりは、Jクラブも総じてリーグ・ACL予選の両立に苦しんでおり、筆者が思うに欧州組の代表アジア予選参加が乏しいのもこの要因が含まれている気がする。中東など地理的に欧州からの方が近く、先日もバーレーン戦など欧州組をこれ幸いと招集しテストしていた。特に顕著なのが西アジア(中東諸国など)と東アジア(日本・中国・韓国など)の移動距離である。この「横に長いアジア」は例えば日本サウジ間の対戦では標準的な世界地図の経線で単純に経線6~7本分の直線移動距離がある。地球を横移動なので当然時差も100%近く変わってくる。日本-シリア 片道15時間日本-オーストラリア 片道18時間(時差は少ない)
筆者が知る話ではACLをせめて西アジア・東アジアに分け、両方の優勝者をACL決勝で戦わせる形で移動負担の軽減と、決勝戦に華を持たせてはどうか。という意見があった。誰が決めたか知らないアジアという形に捕らわれず、日本サッカー界にとってプラスの形に変えて行こう。という積極的な意見だ。筆者も基本的に悪くないと思う。今回のアジア枠発表も当然ではあるがこの「東アジア」の国々である韓国・オーストラリアだけが上がったのはこの側面もある。

今回発表のアジア枠も比較的地理的にも経済的にも近隣国で文化もアメリカ寄りの国、そう見ると非常に小さく、言うなれば「アジア枠。但しアメリカ派金持ち国限定のね」である(なんてこった)。ただ当分は地理的に近い東アジア諸国から創設していく形が良いだろう。

アジアには今だプロリーグの無い国、又は有っても機能が弱い国も多い。そう言った国にプロリーグを作り、さらにその国のプロリーグからJリーグへ、また日本人がその国のプロリーグへ。相互の選手移籍が実現し初めて、アジア枠の理念である”アジア全体の底上げ”と”日本の世界ランキングの上昇”が見えて来る。要は日本サッカー協会は自分だけの都合でアジア枠の必要性に気が付いた後、初めてアジア各国に目を向けようやく気が付いたのだ。「EU枠を真似する前にアジアにJリーグのようなプロサッカーリーグを増やさねばならない。」事に。そこで当然壁となるのが各国の

  • 1.資金

  • 2.サッカー人気

  • 3.インフラ

の余りのギャップである。一見プロリーグが存在する国でも規模や内容ではとてもプロと言えないものだって存在するだろう。


今後の展望

要は各国有力者に“金”をどうやって出す気にさせるかなのである。その方法を考えるのに手っ取り早いのが、自分に置き換えて考える事ではないか。読者の方々も、年に何回かの週末には贅沢ながら一消費者として好きな商品を買われるだろう。同じようにアジア各国の有力者、サッカーファンにスタジアムを含めたインフラ整備など莫大な金額の投資をさせる気になるだけプロリーグ化を「魅力的に見える商品」に仕立て上げなくてはならない。その意味から少ない予算や労力の中で大きなものにして行くには様々な工夫が必要ではあるが、上の項目”アジア枠賛成の理由”でも出てきた「指導者の斡旋」も簡単に例えると、「このPCを購入頂ければご自宅まで『無料セットアップ』に伺います。」と売り込む事で敷居を低くするアピールだと思っていただければ分かりやすいかと思う。

今週引退した川渕元チェアマンにも人生の最後の仕事として、日本サッカーではなく今度はアジアサッカーの為に、アジア枠普及の先頭に立って貰うのも悪くない。彼はJリーグ創始者として上記の理由で各国から尊敬を集められるだろうし、筆者から見ると「理念と夢で金を出させる名人」である。こう言った人材中々今の日本には稀有である。
更にアジア枠創設の暁には、まず手始めにEU・EFTAのように西アジアを刺激して、日本を中心とした「東アジア枠」を見せびらかし、対抗心に火をつけて西アジア枠の制定を働きかけるのが良いかも知れない。勿論将来的には2つを融合するのが今の所目標ではある。どちらにせよ小規模でもアジア枠を設ける事ができれば枠そのものが「プロリーグ化」を始めサッカーの更なる普及をを売る際の商品になり得る。使い方は勿論、「あなたの国の子もJリーグに」である。

筆者はこの程度しか思いつかないが他にも良いアイデアがあれば是非書き込んで頂きたい。ではまた間が空いてしまうかもしれないが別の話題で更新してみたい。。

後は枠数を何人にするかだが、筆者は無制限で構わないと思う。プレミアでもイングランド国籍の選手が追いやられてはいるが例えばマンUでは12名である。日本人の観客が最も多い以上無制限でもこれほど増えないのではないかと予想する。それよりも制限しなければならないのは人件費減らしを目的とした不当な低賃金での雇用である。アジア枠の最低年俸は日本人選手より引き上げて然るべきだろう。枠そのものよりも賃金規制でコントロールする方が良い外国人を多く集められ、良い刺激になるだろう。

筆者がここで書いたような形で、アジア枠全般が上手く運ぶとは到底思えない方も居るだろう。多分それは正しい。様々な予期せぬ障害が当然発生するだろうし、利点も蓋を開ければ懸念材料にすらなるかも知れない。所詮EU枠の真似。それではオリジナルは超えられない。しかし筆者にとってはJリーグが出来てもレベルの停滞が叫ばれる昨今、現状のままでは超えるどころか、サッカー先進国との差は開いていくのではと憂いている・・・・。

posted by karakuti |06:05 | アジア枠 | コメント(8) | トラックバック(0)
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2008年09月25日

[西川周作を守ろう]第3回 非紳士的行為こそ面白い

相手を欺く行為はサッカーの本質だ。

今回は「子供に有害派」の方には是非読んで頂きたい内容である。第2回から大分間も空き他記事も挟んでしまったが、丁度最近の記事に関連した内容である。今日は最近の話題に関連しながら、非紳士的行為の公言を機会に少しだけ触れてみたい。

マテラッツィはプロフェッショナルだ


マテラッツィは対戦相手に備え、わざわざ話せないスペイン語で侮辱する言葉を覚え、試合中に流暢に相手を侮辱したらしい。「そんなことをする暇があったらプレーを磨け」と言う意見もあるが、プレーを磨く側の「楽しんでサッカーや練習をする優等生」の限界はロナウジーニョである。楽しめなくなればそこから持ち直すには異なる能力が必要になる。良く言われる心技体以外のプラスアルファを挿す。

ぎりぎりの相手との連戦の日々、普通なら「もうサッカー疲れた」となりそうな所。磨り減らず、自らを律し相手への備えを怠らない。そんな心を持てるマテラッツィのように「雑草魂」あるプレイヤーこそ実は最も強い。彼の侮辱行為も「カードを貰わず乱せるなら儲けもの」。徹底した勝負への執着心が生み出した“スパイス”に過ぎない。

だが代償は決して小さくなかった。彼は今期のCLでもダークなイメージから、明らかな審判からの狙い撃ちでフェアプレーにも関わらず退場とさせられた。ジダンとの一軒以後「彼は悪質」というイメージが定着してしまった。ピッチを去るときも悔しさをにじませながらも黙々と歩いていたが、どこか彼の後姿から審判のミスジャッジすら「仕方ない」と受け入れる雰囲気を感じた。マテラッツィの心中を察すると、筆者の方が辛くなった。プロとして潔い姿ではあるが、試合前から審判にマイナスの先入観を持たれるのは、選手として重すぎる代償だ。彼は今もそれを払い続けている。ジダンの頭突き事件はまだ終わっていないのだ。だが彼も上記のように大きなものを失った以上、もう充分ではないだろうか。
仮にJリーグの優勝決定戦、日本人同士で同様の事件が有った場合、2試合の出場停止と罰金という最低限の調整だけでサッカー協会とファンは許すだろうか。西川選手への処罰を見るに怪しい。江戸時代の裁判のように、脱法的、感情的罰則が行われかねない。一人に責任を押し付けて万事解決のようなフリをする日本の悪しき体質である。
オシムは「欺けないのは日本の社会全体の問題ではないか?」と言った。読み手の貴方はどう思うだろうか。

“マリーシア”は少年時代から始まっている

サッカー少年達の間でも、実力に劣ろうと口先で調子の良い子がコーチに気に入られ優遇されているかも知れない。そのとばっちりを受け、中村俊輔を凌ぐ才能の子がコーチの単なる一個人の趣向で「伸びないレッテル」を張られ潰されてしまったかも知れない。競争社会の勝者は、敗者から見たらどこかしら常に「汚い」のだ。それは「才能」そのものの保有を含めてである。オシムも、才能が子の成長に重荷となる怖さを知らなくてはと語っている。彼ら”若き才能”を見出しまっすぐ育てるには、この「汚さ」をいかに汚いまま保てるか問われているのではないか。
世界では、更に過酷な競争を潜り抜けた猛者が日本人を待ち受けている。彼らは当然日本人よりもガタイも強い上に「汚い」。

選手が明らかに意図的、故意な反則行為を行うのは大別して

  • 1.相手に追い詰められている

  • 2.相手をいら立たせている

の2パターンがある。量としては2が圧倒的に多い。筆者の好みでは相手選手を苛立たせようとする立派なプレーだ。日本代表では旧岡田ジャパンのW杯戦以後、こういった勝ちたい意欲に溢れたプレーを個人的には見たことが無い。正々堂々とやって勝ちを目指すなど強いチームだけがやれば良いのだ。アジアはともかく、日本など世界相手ではまだその段階には居ない。よって、世界で戦う為には初めからフィジカルというハンデを背負う日本が対抗するにはマリーシアな選手の育成は必須なのである。ピッチ内では如何に相手のペースを乱すか、虚を付くか、騙し合いのスポーツで乱される方が悪い。そう言った人間の汚い面も清濁合わせ飲むサッカーという存在が、人間臭くて筆者は好きなのだ。「サッカーは紳士のスポーツ」と言う言葉は選手やサポーターが「汚らしさにまみれた戦いをピッチ外やスタジアム外に持ち出さない為」にあるルールに過ぎない。他記事でも書いたよう決して「『誰に対しても紳士』のスポーツ」では断固としてないのだ。


アルゼンチンの育成に見る素材の磨き方

アルゼンチンでは(かいつまんで言うと)サッカーで子供を育成するときレッドカードとなるプレーをイエローに、イエローカードとなるプレーをファールに、ファールを取らずにプレーさせるらしい。この中から数々の個性的なスターが生まれ(筆者の嫌いな)メッシも出ている。

子供の育成の視点から見たとき、あなたならどちらを選ぶだろうか?

  • 1.子供は育てるもので指導を適切にするべき
比較的日本の育成システムである。

  • 2.育たないと潰される(敢えて)劣悪な実戦練習に子供を置くべき
当然上記のアルゼンチンの育成システムである。
(同国に体格は日本人以下でも若くして完成された選手が多いのは、この育成方法の違いが関係あるのかも知れない。)


両方のバランスに取れた環境が理想だが、比重を置くならどちらが適切かサッカーファンの方々では、意見は分かれると思う。筆者も難しい。だが、親の立場で我が子を預ける先としてを見たらどうだろうか。筆者でも2を選ぶのは親心がどうしても邪魔をしてしまう。時に「自分の可愛がりたい欲求」を子供自身よりも大切にした結果子供を潰してしまっては居ないだろうか。筆者が考えるに、彼ら過度な保護者は日本サッカー界の将来にとって「有害」である可能性すらある。勿論筆者の好きな、ルール内で知恵の限りを尽くした「人間臭い」サッカーにとっても「有害」である。
だが、日本人選手が強くならなくとも、(筆者が嫌いな)健全すぎるサッカーを求める声も当然あるだろう。現実には彼のようなファンが、金銭、資源供給(我が子にサッカーをやらせる)両面でサッカー界を支えているのは事実である。よってサッカー協会が彼らの声無視できるわけはなく、(個人的には今回の処分も重すぎると思うが)現実には至極妥当と言える。


※注意
以前の記事で
>私にとってのオシムさんは世界的に有名な監督である前に同じサッカーを見れる唯一の仲間でした。
と書いた後、こんなコメントが寄せられた。
「自身をオシムと同様に描かれる事は、危険ですよ」

今回の記事もオシム氏の発言を引用している以上同様に取られかねないので一言付け加えておく。
筆者はこの記事を書き終えるまで、引用したオシムの発言を知らなかった。たまたまネットで見つけたので補足に加えさせて貰ったに過ぎない。筆者がオシムの真似をしているのではなく、別の所で育ったサッカーの見方が今回の側面に関してはたまたま同じ見解を含む事柄だったのである。以前も書いた通り、オシムと筆者の考え方の違いは多々ある。決して相容れないであろう点も確かに感じる。だが、当ブログでたびたび書いてきたように、一言で”サッカー”と言っても、その意味するところは人により全く違うのである。だがオシムはなんとなく、好きなサッカーは違えどその前にまず筆者と同じ『サッカー』を定義している仲間なのである。一番分かりやすいのは、オシムも筆者も育成が好きだ。ただオシムからしたら筆者などサッカーを知らぬ若造に過ぎないかもしれないが。世界最新のサッカーを見ようと全く理解していない人。マイナーな地区リーグしか見ずともサッカーを本質的に分かっている人。筆者の周りにも様々な人が居る。読者の方々も感覚的に『同じサッカー』を見れる仲間を持つ方なら、筆者の歓びと、決して自分とオシムを同一視していない事を、ご理解頂けるだろう。

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posted by karakuti |09:35 | 選手を守る | コメント(6) | トラックバック(0)
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2008年09月18日

浦和 アルカーディシーヤとセルティックvsオールボー

今回は少し雑談を。今日行われた試合の感想など載せてみたい。一応最近の記事から関連した内容になっているので、この記事へのコメントは不許可設定としてある。書き込みたい方は以前の記事を読まれてからどうぞ。


後半34分 オールボーDF2マイケル・ヤコブセンのファールで何故かDF4マイケル・ボーシャンが退場になる。
http://soccer.yahoo.co.jp/world/uefa_cl/result/1296437.html

浦和 アルカーディシーヤでは 後半20分ベンアシュールのタックルで細貝が倒れたが、その後直ぐ細貝が相手を蹴る。
後38分 堀之内の、ペナルティーエリア外の浦和のファールで何故かPK。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/acl/2008/final/0917/002.html

以前の試合でも鈴木 啓太が相手が押して来た後、両手で押し返していた。
http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00060983.html

一つづつ見て行こう。
セルティック戦での退場はもしかしたら4番の暴言などによる物かも知れないが、見ていた範囲ではそのようなシーンはなかった。少なくとも誤審の匂いのするジャッジである。以前のCLでも審判が誤って別の選手をレッドにした後、即訂正したシーンがあった。はた目には一人退場になれば誰でも大差はないかも知れないが、選手と審判の信頼関係はボロボロである。そう言った試合は必ずと言っていいほど荒れる。重要なのはCLレベルでも明らかな誤審が有り得るということだ。



浦和 アルカーディシーヤの細貝。何と頭の悪い選手な事か。筆者の一番嫌いなプレーである。後のジャッジを見れば分かるように審判は決して観察力が高くない。細貝の演技次第では相手の退場になる可能性だって有るのに、私心から相手を蹴りつけてイエローを食らうなど日本の代表クラブとして相応しくない。どんなに気持ちを熱くしようとも頭は常に冷静でなければならない。戦う気持ちの出し方が間違っているし、彼を育成した歴代の指導者にも責任がある。あのようにカッとなるプレーを見せるのは何故か日本人選手に多い。例外も勿論あるが海外の選手はどんなに頭に来ていようと基本的に自分が不利になる行動には慎重である。細貝もどんなに頭に来ていようと報復行為は審判によっては相手のプレーを問わずレッドになる可能性がある。悪質なジャッジであろうと集中力を切らしては自滅以外の何者でもない。
アルカーディシーヤは中々の試合巧者で的確に浦和を苛立たせていたのは良く分かったが、要は浦和がが駆け引きで負けていただけの話である。


鈴木啓太相手を押し返していた試合だが、この試合の審判は後にサッカー協会が抗議するほど酷かった、確かガンバの安田が腹を蹴られた試合だ。だが、これも同様である。相手がプレーと関係ない場面で手を出すような暴力行為をして来た場合、「やられたらやり返す」のに相応しいプロとしての対応は、前記時のカンナバーロのように、その場で顔を抑えて倒れこむ事である。相手のレッドかイエローをノーリスクで狙えるシーンをふいにする日本人選手を見るたび、筆者は「駆け引き」「騙し合い」「欺く方法」を日本の育成やリーグ全体で取り組む必要性を強く感じるのである。特に筆者は鈴木を、五輪時代は確かに荒かったが、もっとクレバーな選手に成長したと買っていた分、非常に残念である。南アフリカW杯でも日本人がキレて退場⇒敗退という図式が出来かねない。普段のJリーグなど国内とジャッジが異なるからと言ってメンタルをコントロールできないようでは不安極まりない。

posted by karakuti |21:15 | 試合レビュー | トラックバック(1)
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2008年09月18日

イエローは選手に託された「切り札」

日本人は騙す側になれるのかよりお読み下さい。

■まずは「時間の駆け引きでの抗議」

確かに欧州のトップチームでも公開練習で大々的にシミュレーションの練習をするチームは居ない(笑)。
明確にやるなら裏表を分けられる成熟した年代になるまでは、フェイントなど基本的なプレー内での騙し合いの延長線上から教えていく方法が適しているのではないか

前記事のコーチの例に出てくる「シミュレーションや審判の判定に不満を言おうとした子」
に対し、コーチは以下のような前提の色眼鏡で見てしまっているのだと思う。

  • 子供が不満を言うのは自分のプレーへの固執や苛立ちなど私心からでしかない

  • サッカーで審判は絶対であり、不平を言う選手は退場を含めた厳し制裁が待っているだけ

しかし実際のサッカーはより柔軟でそんな型にはまった物ではない。
そこでまずこのような指導から初めてはどうだろうか。
「審判への抗議は私的にはダメ、常にチームの全体の為にしろ」。


例えば下記のように実際に起こり得る現実的な場面の挙げてみた。

1.失点のショックから立ち直れていない味方が居たら抗議して立ち直る時間を稼ぐ。

2.逆に相手チームの勢いを断つのに時間が欲しい。ので適度に抗議する

3.味方の疲労が激しく水分等をを補給したい

4.味方メンバーがジャッジに不満を持ちプレーに集中できないが抗議するスキルの乏しいので自分が代わりに抗議し溜飲を下げる

5.ベンチが選手交代の準備をしているので確実のこの中断で交代させる為の時間調整

6.抗議をして味方の観客を盛り上げ、雰囲気を作る

7.今、正にケンカっぱやいチームメイト(既にイエロー1枚貰っている)が審判に食ってかからんとしているので、先んじて抗議するポーズを取る事で防波堤(チームメイトと審判の間に入る)となる。

8.審判へのイメージ合戦の為、(実はクレバーだが)スタンスとして猛抗議をする。
又はそんな味方をなだめる役として間に入り、怒り役の味方がカードを貰わないようにしつつ審判の性格を探る

9.既に遅延行為を意図的に行った味方GK等がイエローを貰っているので、敢えて自分が抗議に行き、代わりに時間を稼ぐ



このような私心からではなく、チームの為の精神で抗議する場面で、今これを読んでいる貴方が観客やスタッフだったらどんな感想を持つだろうか?

  • ああ、あいつ抗議に行ってるなぁ

  • あいつはまた要らない事をして、カードを貰いにいくだけだ

  • お、あいつ。冷静に周りを見てうまく抗議している中々やるな

私的な見解を示せば、どれだけ試合を読めているかの表れであると思う。俯瞰した観客側として見えることも有るし、逆にピッチの上の選手側からしか見えないものもある。
例のように、効果的に抗議をする為には、抗議の仕方を覚えれば良いというものではない。まず味方メンバーの状態を把握する観察力や、日頃からチームメイトの性格を知っておくコミュニケーション能力があってこその抗議である事が分るだろう。“考えるサッカー”とはこのような面もある。「時間稼ぎの抗議」は高度に考えるサッカーだ。

大切なのは抗議=×と無抵抗に条件付けされたパブロフの犬を大量生産する事ではなく、なぜ抗議するのか、考えて行動する力を付けさせる事だ。
冒頭の子が私的な抗議をしたのなら得るものは少ないが、公的な抗議を誰からも教わらず自主的にしたのなら、その子は伸びしろのある逸材なのかも知れない。コーチは知らずに、考える力、可能性の芽を摘んでいるのである。



■イエローカードは選手に託された「切り札」

先ほどまで血相を変えて食いかかっていた選手がイエローを貰ったら、ピタリとおとなしくなり審判の周りにすら寄って来なくなった。などと言う場面は欧州リーグで多々見受けられる。
彼ら駆け引きに長けた選手にとってイエローカードは、「ルールをほんの少し破り試合を有利に出来る1枚だけの貴重な切り札」である。料理で言う所のスパイスや隠し味。大人の為の刺激だ。筆者は相手選手を故意に負傷させるような荒いプレーは否定派だが、選手によっては、負傷目的のイエロー覚悟でのプレーも見受けられる。
イエローの使い方の上手い選手は、大一番の試合、拮抗したここぞと言う場面で最も有効にイエローを使ってくる。決して退場にはならない所がミソである。イエローの貰い方一つとっても考える選手は有効に使う。



■カンナバーロは“役者”としてもバロンドール候補

騙し合いに関しては細かく書く気力が今回は残っていないで簡略に触れさせてもらうが、基本の考えは、

「誤審は起こるものではなく、起こさせるもの、又は起こさせないもの。」

無論そんな手段無しに勝てるのであれば、ないに超した事はない。
ロッベンやマテラッツィのように一旦「ダーティーな演技者」というイメージが付けば払拭するのは難しい。
達人はクリーンなイメージのまま平然と演技をするものである。
冒頭の記事カンナバーロ。オシムをして「最高のGKとは『手も使えるカンナバーロ』」と言わしめた。凄まじい読みから選択される動きは敵FWの攻める気そのものを滅する。「積極的な守備」という言葉が果敢に叫ばれるが、多くの守備を如何にちんけに「積極的」と呼んでいるか。バロンドール受賞シーズンの彼を見ればそれを知る事ができる。
世界最高のDFと言われたが、その実「相手の手が自分の胸に当たったのにも関わらず、顔を抑えて、のた打ち回る」。騙し合いでも完成された選手だ。
勿論彼がそんな事を行なう場面を見ていて、筆者が「そこでは不要だ」と感じた事は一度もない。
どれも針の穴を通すような極限の主導権の取り合いでの場面であった。
カンナバーロは、結果を残し不要な汚いプレーはしない。その上で必要な騙し合いが出来る。そんな選手である。(私にはちょっと劇薬だが(苦笑))



■毒を使うばかりが脳ではない

騙し合いは毒では有るが時に薬ともなる。
味方に毒の使い手が1人居るだけでメンバーの余裕を生み全体のパフォーマンスを上昇させる。騙し合いも駆け引きと同じく、相手を貶めるのみならず、味方の好影響を与える側面もある。

例えば、「新人がデビューする時、マッチアップする相手選手が格上なら敢えて自分が相手を苛立たせ新人を無形にサポートする」などである。

又前記事のバラックのような選手は(毒)持ちながら使わない方法で、逆に使い続ける事が出来る。使うだけが脳ではなく、実は持つ事の方に意味があったりもする。毒を持つ者は当然毒への免疫も出来るからだ。決して中田の例のように相手と騙し合うだけが使い道ではない。
メッシ本人が言うにはがあの年齢であらゆる嫌がらせに平然としていられるのもアルゼンチンでの育成が下地に有っての事らしい。
持つ持たないの議論より、脳ある鷹は爪を隠す。前記事のバラック然り(毒である分)使いどころを見極める目が何より重要ではないだろうか。


おまけ

記事中の抗議の取り上げ方に納得のいかない物がある方、より抗議について知りたい方などは大内範行さんのブログ宮本恒靖というマネージメントなども面白い。興味があれば当記事のみならずご覧になることをお勧めする。
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/ouchicom/article/21


次回はUP出来ていなかった西川周作の第3回を来週木曜更新予定である。

posted by karakuti |19:00 | 日本人は騙す側に慣れるのか | コメント(4) | トラックバック(0)
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2008年09月11日

「駆け引き」を日本化する

先日の記事にて書き込み頂いた中に興味深い物があったので少し追加で触れてみたい。
未読の方は先にお読み頂いた方が良いだろう。


■本田の真意

取り上げた本田が他のより詳細なインタビューでは「オランダへ意図的に与えられたPK」という発言だったらしい。前回は短い記事引用しただけであった為彼の真意からずれたようだ。本田選手が本当に言いたかったのはインタビューの方だろう。
負けた当人達は誰かのせいにでもしないと立ち直れない。そんな心中は痛いほど分る。実際に審判のジャッジも指摘通りオランダびいきだったのかも知れない。本田は、五輪代表で欧州の審判ジャッジにしっかり触れた経験のあるただ一人の日本人選手であった。
客観的に見ても本場オランダ1部エールディビジ、VVVでのジャッジと比較し腑に落ちない審判だったのかも知れない。世界の一流クラブの選手も「審判が酷かった」と嘆くことはある。アウェーなどで特に顕著だし、例え勝った試合でもそういった発言はある。

ただ、簡単に言うと勝利した側は「今日は審判の(ひいきの)おかげで勝った」とは絶対に言わない。
そういった場合「勝利が重要。審判は覆らない」と言う。
どうしてもこの辺が聞く方に釈然としない、負け惜しみのような物を感じさせてしまう。



■学ぶ姿勢

見方を変えれば先の対オランダ戦は

1.「審判のジャッジに神経質になるようなメンタル状況ではプレーに集中できず実力を発揮できない」
↓
2.その状況まで本田を苛立たせた相手チームのテクニックが合ったのでは?
↓
3.日本選手の試合中に集中力を取り戻す技術に問題はなかったのか?
↓
4.そもそも試合日前からスタッフの、選手のメンタルケア能力はどうだったのか?

と前の記事以外にも色々な視点が開けていく。

重要なのは敗戦からより多くを学び取ろうとする姿勢を持ち続けられるかどうかではないだろうか。勿論辛い事だが日本の戦後を見ていると、学ぶ力では日本は負けていない、世界に誇れるものがあると私的には思っている。後は出来れば(私が)生きているうちにピッチでそれを実現して欲しい(笑)。

本田選手には厳しいようだが、やはり五輪は第一に経験の場。敗戦から真摯に学んで欲しいと言う気持ちが強い。



■実は教える方も分っていない

同じく頂いた書き込みの引用から

有名な少年サッカーコーチが「シュミレーションや審判の判定に不満を言おうとした子はすぐに交代させる。演技をしたいなら演劇部にでも入ればいいし、審判に対するリスペクトを持たない子は試合する資格がない」と堂々と話しているのを聞いて愕然としたのですが、まだまだ「スポーツ=教育の一環」と考える指導者が多いのも原因のひとつかもしれません。

こう言ったサッカーコーチの話も、当人は真剣に良かれと思って指導しているつもりだろう。
ここまで徹底していなくても日本指導者は皆、演技への指導加減をどうするか頭を悩ませていると思う。

「自分のプレーを人のせいにしない」。「ズル(演技)をして結果を得ようとしないで先ずは実力を付ける」。
どちらも大切で上記コーチの指導も一つの方法だ。
ただ大人になって国際舞台やJリーグに入るレベルになるとそれだけではもう通用しない。内容で勝って駆け引きで負け、結果試合に負ける。そんな日本陣の姿を見るたびに、「もっと若年層から様々な駆け引きの経験を積ませた方が良い」と確かに思う。

多分日本の指導陣は「実際には駆け引きの重要性は認識として有るものの、どうやって教えたらいいのか正直分らない」。といった所が本音ではないだろうか。指導側も本当は分っている。実力が均衡した対戦になるほど駆け引きが物を言うのがサッカーという競技だ。だが現実には指導者側のスキル不足への言い訳も相まって

1.「正々堂々実力を出す事に集中するべし。姑息な真似は断固抹殺」

2.下記のようなリスクを並べ指導の難しさを理由に無策で選手を送り出す

  • 若年層に複雑な駆け引きを要求しても中々処理できず却ってパフォーマンスが低下する

  • 自分の所で駆け引きを良しとしても上の年代の指導者が悪としたら子供が混乱し、却ってマイナスになってしまう

  • 保護者や周囲の反対が根強い。そもそも子供にスポーツをさせる意図から外れ、支持が得られない

  • 非常にデリケートな技術であり、変に曲解して姑息な方法を子供が覚えてしまったら後の社会生活や人格育成にも悪影響を及ぼしかねない

このような所から総合的に判断し、「子供の内はプレー面での実力向上に努める」という方針に落ち着くと想像できる。その結果、Jリーガーや代表レベルとなるごく一部の才能ある子供達が、いざ世界を相手にした時、駆け引きの未熟さから苦い敗戦を味わう事態となっている。



■サポーターが変われば、「駆け引き」も教えられる

日本の文化として「健全なスポーツによる人格育成」というのは恐ろしい根の深さで国民に浸透しており、大本からの変更は中々難しいのが現状だろう。こんな背景もあり、勝利至上主義と言われるアルゼンチンなどの国がその実日本人の及ばないスペクタクルを見せる姿には中々目が向けられない。
多くの保護者にとってスポーツは良き社会人になる為のステップであり、プロサッカー選手を目指してあらゆる素地を作る場ではない。筆者を含めた、サッカーファンはまずこの点を認識しなければならないだろう。人様の子は他人事。良い選手を輩出すればその育成で犠牲となる子は知らない。では本当のサッカーファンとは言えない。下手をしたら、自分の会社の後輩が、姑息な真似ばかりする問題児だらけになってしまうなんてことに成りかねない。それはさすがに無いか。

その上で少なくともJリーグ他プロを目指す素材の育成から、駆け引きなどの勝負強さを学ぶ機会を徐々に与えて行き、更にその先に、前記事のような騙し合いの技術を磨く手順となる。



■第二の“中田英”は作れない

折角例に出したので再び彼に登場してもらおう。中田は高校生時代から海外のプロを目指し、練習法も自ら考えたり、語学を習得したりしていたらしい。平塚に入ってからも先輩である都並敏史氏が「お前(中田)のパスは強すぎる。それでは繋がらないし本末転倒だ」と注意するとルーキーにも関わらず「いや、欧州ではこれ位でないと通用しない」と切り替えされた。都並氏は「15歳も年の違う先輩に指摘されて物怖じしない性格と、こんな若い世代から本気で海外移籍を考えている姿、共に自分達の世代との違いにカルチャーショックを覚えた」と話していた。
今振り返れば都並氏は、日本人として後の世代を含めても稀有な「プロサッカー選手の卵」を目の前にしただけなのだが、その衝撃は想像するに容易い。余談だが、都並氏はその後、世代は違えどもプロとして有るべき中田の姿に刺激を受け、負けん気を発揮して毎試合、中田の鋭いパスに食らいついて活躍した。引退を決めたのも「サイドバックとして(中田の)パスを受けきれなくなった」時に決めたらしい。私はそんな中田のパスが好きではないが、上を目指す姿勢には素直に敬意を持てている。彼のプロとしての骨格は育成された物ではなく自ら獲得した物なのかも知れない。だがしかし、彼の成功がもたらした日本サッカー界、特に指導者への影響は計り知れない。日本素材たる子供達は何の問題もなく世界で通用する事を実証されてしまったのである。「次は我々指導者が「育成」した素材を世界へ旅立たせる番だ」。そう意気込んだに違いない。育成が素晴らしいから世界で通用した日本人選手を筆者はまだ知らない。



■まず「守」に到達せよ

話が脱線したが、言いたいのは、駆け引きや騙し合いの技術は中田のようにプロを目指す素材にとって有意義な指導でも、その他大多数のサッカー少年には毒となりかねない点である。

サッカーを知る人々の間でも、「子供に大人のようなサッカーをさせてどうする。その分可能性や伸びしろを消す指導では世界に羽ばたく逸材など輩出されない」。と言った意見も多い。

筆者が言えることは、多くの日本指導陣は欧州などサッカー先進国の若手育成の場で、駆け引きや騙し合いがどのように教えられているか。
それすら知らない段階に過ぎないと言う事だ。何かを上達させる場合対象が何であれ基本的な方法は下記のようになる。

  • その1.最も進んだ方法を学ぶ

  • その2.1を自分達(ここでは日本の子供達)に合う方法にアレンジする

  • その3.2を洗練させていく

日本古来からの武道の教え、「守・破・離」と同様である。サッカーの駆け引きの指導法において、日本はまだ1の守の段階にすら学ぶべき物を残している。個人的には「むしろ代表はこんな状態で良く戦っているな」。とは思う。勿論先人から学ぶのは一つの方法に過ぎない。実際の試合を見れば実は答えなど全てが詰まっている。ただそれを見る側に読み解く目が無いだけだ。以前も欧州でサッカー指導者として修行中の方から書き込みを頂いたが、もしそういった方がご覧になっていたら、「騙し合いの教え方」についても頭の片隅に入れておき、何かを得て来て欲しい。



■変革の最前線

日本のサッカー育成において高校サッカー界の存在は非常に大きいが、いざ騙し合いを教えるとなると上の理由から抵抗が大きいのは事実だろう。いずれ日本によりサッカーが根付いたらこの世代にあった技術を教える時も来るだろう。だが現在はJ各クラブのユースの方が比較的プロを目指す姿勢の子や保護者が多く向いているかも知れない。それでも保護者を始め、不安や抵抗があるだろうが、指導者は駆け引きを育成段階から教える重要性や必要性を説いて実践する場を作っていくのも仕事の内だろう。大変だとは思うが、ある意味日本サッカーの最前線である。
また、国内で駆け引きを学ぶ場を提供するには実践と学習の場として試合形式の大会の設立も欠かせない。
となると当然、現在の国内育成での審判基準よりも柔軟に駆け引きを行なえる、新しい審判基準も作成し審判を対応させなければならない。
世界を目指す素材に絞った大会では、一言で言うとジャッジを荒めにして駆け引きを学びやすい環境を作る。など環境面でのサポートも必要となるだろう。
日本サッカー協会は現場の自主性や多様性を維持しながらも、無駄な混乱が生じないよう、ある程度の指針”どの程度の駆け引きの育成を求めるのか”を設ける必要もある。



書いていたら思いのほか長くなったので次回もこの話を続けたいと思う。
アップは1週間後位の予定である。

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posted by karakuti |21:50 | 日本人は騙す側に慣れるのか | コメント(15) | トラックバック(0)
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