2008年12月04日

【kamipro】96年の田村vs桜庭戦、サクはシュートを仕掛けたのか?

『kamipro』の携帯サイト『kamipro Move』が12月より新たに立ち上がりました(※加入方法などの詳細はこちら)。毎日のニュースだけでなく、コラムやブログなども充実しています。その中でも編集部員が日替わりで日替わりで書いている「kamiブログ」というコーナーは日々の取材活動のこぼれ話やスクープ情報をいち早く出す隠れた注目コンテンツです。今回は格闘技界が大きく動く年末こそ要注目な「kamiブログ」の一部をここでご紹介します! ちなみに、こちらは12月4日に公開された原稿です。

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96年の田村vs桜庭戦、サクはシュートを仕掛けたのか?(堀江ガンツ)

大晦日の『Dynamite!!』で、桜庭和志vs田村潔司戦が決定したのを受けて、かつて96年にUWFインターのリングで3度行なわれた二人の闘いが再びクローズアップされている。

この3試合、田村潔司の全勝となっているが、これはいわゆる"プロレス"の試合ではなく、その中の1試合、もしくは2試合がシュートだったのではないか、ということが語られているのだ。はたして真相はどうだったのか? 当時の状況を踏まえて検証していきたい。

この田村vs桜庭について『ゴング格闘技』誌では、田村潔司インタビューで、聞き手の熊久保英幸氏が「1戦目と2戦目は桜庭選手がガチをしかけてきましたよね?」と聞いている。つまり、桜庭の意思でシュートマッチになったという意見だ。しかし、僕が思うに、桜庭がガチを"仕掛けた"ということは「ありえない」と考える。

プロレスにおいて、試合中にシュートを「仕掛ける」というのはタブー中のタブー。プロレスをやろうとしている相手に「仕掛ける」というのは、無防備な相手を襲うようなものだ。これは小川直也vs橋本真也の"1.4事変"などでもわかるとおり、"事件"となってしまう。

ましてや先輩後輩の上下関係をキッチリしている田村が、試合中に後輩から仕掛けられたりしたら、試合は間違いなくギクギャクした"セメントマッチ"となっていただろう。そして、試合後は怒りを表明していたはずだ。しかし試合後、二人は笑顔で握手を交わしている。試合内容も、当時「UWFスタイルの進化系」とも称えられた見事な名勝負となった。"掟破り"をされながら、それを名勝負に昇華させるのは、さすがにUWFスタイルの天才である田村でも不可能だろう。

また、桜庭がもし「仕掛けた」としたならば、……

※続きは携帯サイト『kamipro Move』で!! 


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2008年11月13日

【kamipro】過去三度の一騎討ちをナマで目撃したGKが激筆!! “Uの宿命”田村vs桜庭

昨今のMMAの文脈だけでは語ることができない因縁の一戦、それが田村潔司 vs 桜庭和志の因縁マッチだ。いまはなきUWFインターナショナルで過去三度のシングルマッチで伝説を残した両者の対戦を新日本プロレスの番記者だった金沢GK克彦氏はすべて目撃していた。『kamiproドットコム』で大好評連載中のコラム「こちらプロレス村役場ドットコム」に掲載された、その当時の秘話の一部をこちらで公開しよう。

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撮影/菊池茂夫

12年半の空白を埋めるUの宿命か? 田村vs桜庭、4度目の一騎打ちを心して見届けよう!

年越しのドリームカードである田村潔司 vs 桜庭和志の一戦が、大晦日の12.31『Dynamite!!』で実現する。5年越しというのは、初めて田村 vs 桜庭というカードが実現に向かって動き出しのが、03年の暮れであるから。つまり、世間が空前の格闘技ブームに沸き返っていた当時の話。03年の大晦日には『PRIDE男祭り』(さいたまスーパーアリーナ/フジテレビ系)、『K-1 Dynamite!!』(愛知・ナゴヤドーム/TBS系)、『イノキボンバイエ』(神戸ウイングスタジアム/日本テレビ系)の3大イベントが競合し、まさに格闘技バブルの絶頂期を示していた。

そこで、PRIDEサイドが発案した桜庭絡みのベストカードが田村戦。プロレスファン、U系ファン、格闘技ファンと、すべてのニーズに応える最上のマッチメイクであったことは間違いない。しかし、案の定、田村がそれを拒絶した。いまになってみれば、よく分かる。田村の性格上、お祭りの一環として、興行戦争の目玉企画として、また爆弾カードとして、桜庭と交えることは避けたかった。それが偽らざる本音だったろう。

その後も、PRIDEのリングで、二度実現に向け動いた田村vs桜庭は、結果的に田村が固辞する格好で二度とも流れている。しかしながら、ラストPRIDEとなった昨年の『PRIDE.34』(4.8さいたまスーパーアリーナ)で、『HERO'S』に移籍した桜庭が里帰りし、榊原社長を挟むかたちで田村と並び、将来的な対戦をファンに確約している。

過去、桜庭の「赤パン」発言などから、田村が態度を硬化させた時期もあったが、一つの時代の終焉に際し、互いの小さなわだかまりはどこかへ吹っ飛んでいたのだ。ところが、当のPRIDEが組織として完全に崩壊し、総合格闘技は再編期を迎えることとなり、田村 vs 桜庭の気運も一時的なものとして沈静化してしまった。

ところで、冒頭で5年越しのドリームカードと記しているが、周知の通り田村と桜庭はUWFインターナショナルの先輩後輩の間柄。Uインター時代、両者は3回シングマッチ(※Uインターにはダブルバウトもあった)で肌を合わせている。その期間というのは、ちょうど史上最大の団体対抗戦と言われた新日本 vs Uインターの潰し合いが、マット界の話題を独占していた時代。そこで、独り対抗戦に背を向けて、あくまで新日本と交わることを拒絶したのが田村だった。田村はあまりに真っ正直であり、頑固一徹な男だった。

新日本との対抗戦が勃発する直前に、当時Uインターのエース外国人であったゲーリー・オブライト(故人)を破り、試合後、「高田さん、僕と真剣勝負でやってください!」とマイクアピール。この一言が田村のすべての思いを象徴していた。紛れもなく、高田延彦に次ぐUインターの二番手にまで成り上がっていた田村。新日本の中でも、MMA志向が強く、当時は道場最強と言われた石澤常光(現ケンドー・カシン)などは、対Uインター開戦を前に、「やりたいのは田村潔司!」と言い続けた。私が「田村は出ないよ」と言っても、石澤は「田村戦しか眼中にないです。出てこい!と。マスコミで煽ってください」と執着心を捨て切れぬ様子だった。



※まだまだ当時の秘話は出てくる!! つづきはこちらでお読みください!!


posted by kamipro |00:27 | Dynamite!! | トラックバック(1)
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