2009年09月01日
プロレス&格闘技専門誌『kamipro』のウェブサイト『kamipro.com』にて元『週刊ゴング』編集長・金沢克彦氏が好評連載中の『こちらプロレス村役場ドットコム』の一部をこちらで公開します。今週はZERO1後楽園ホール大会で実現した「真・夏男決定戦」真壁刀義 vs 崔領二の批評です!!
真・夏男決定戦で見せつけられた現実……
崔領二は真壁刀義の生き様に完敗を喫した!
今週は、20年ぶりとなる船木誠勝のプロレス復活劇でもなく、邪道・外道の20周年興行の話題でもなく、ZERO1の8.29後楽園ホール大会のメインイベントについて書いてみようと思う。というのも、もうそろそろハッキリと書く必要があると感じたからだ。
同大会のメインを飾ったのは、崔領二vs真壁刀義の一騎打ち。『真・夏男決定戦2009 最強勇者vs最強戦士』という謳い文句が示す通り、今年度の『火祭り』覇者と『G1クライマックス』覇者が雌雄を決するという大胆なマッチマイク。 ZERO1にとっては、現在提供し得る最高の大一番だと思う。会場は、刀義団プラス新日ファン vs 領二会プラスZERO1ファンの応援合戦もあって、異常な盛り上がりを見せた。新日応援団側が声を揃えて発する「しょっぱいぞ!」コールや「中途半端!」コールは多少行き過ぎにも感じたが、それがあったから殺伐とした団体対抗戦ムードが出来上がったのも事実である。
ただし、その空気とは別に、リング上の闘い模様を冷静に観察した結果をいうなら、真壁の圧勝。これはもう動かしがたい現実であった。私個人の仕事に対するスタンスでいくと、やはり判官びいきが働いてしまう。そう言うと、逆にZERO1サイドはおもしろくないかもしれないが、そこがテレビ朝日『ワールドプロレスリング』の放送席であっても、ZERO1の選手が新日勢と絡むときに限っては、ややZERO1よりの解説となる。やはり2001年の旗揚げ戦から今日に至るまで、ZERO1 のレギュラー解説を務めてきたこともあるし、地上波放送という絶好の機会にZERO1戦士の魅力を広く伝えてやりたいという思いに駆られるからだ。
『G1』と『火祭り』のどちらが上かといえば、興行規模において『G1』が上なのは当たり前。ただし、試合内容を比較するなら、『火祭り』は決して『G1』にも劣っていないというのが率直な意見でもある。今年は、田中の4連覇を阻んで、優勝決定戦で佐藤耕平を下した崔が見事に初優勝を達成した。苦節8年、大器と呼ばれながら、なかなか結果を出せなかった男が、世界ヘビー級王者戴冠(現在は田中将斗が保持)に続いて、もうひとつの勲章を手にしたわけである。
ここで、話は8.16両国大会のG1最終戦にまで遡る。
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posted by kamipro |22:28 |
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2009年07月28日
元『週刊ゴング』編集長で、最近『子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争』(宝島社)をリリースしたばかりの金沢“GK”克彦氏が、7.26『ハッスル・エイド2009』の感想を激筆!! 物議をかもした同大会のラスト、さらに今後のハッスルの進むべき方向性についても鋭く指摘しています。
『ハッスル』創設メンバーがすべて去った!
新生ハッスルへの期待と不安とアドバイス
7.26『ハッスル・エイド2009』(両国国技館)を観戦してきた。昔からそうなのだが、『ハッスル』の場合は“取材”というより“観戦”というほうがピッタリとくる。バックステージで選手の声を聞けるわけでもないし、理屈をこねる必要もないわけだから、単純に「おもしろいかどうか?」がすべて。日本のプロレス団体の興行で一番肩の力を抜いて観られるのも『ハッスル』というリングなのである。
ただし、今大会ばかりは少し空気が違っていたような気がする。8割方きれいに埋まった会場の空気もそうだし、私も気分的に軽いノリではなかった。いつもはボックス席(記者席)で知人らと一緒に「これ、おもしろい!」とか「ハズしたよ、寒いなあ」とかしゃべくりながら観戦しているのだが、ひさしぶりに誰ともつるむことなく、一人おごそかに(?)大会を見届けた。
やはり、「さよなら、高田総統」には、それなりにグッとくるものがあった。とくに、エスぺランサー・ザ・ゴッドがマグナムTOKYOのAVスタープレスに敗れ去り引き揚げた後のVTR(高田総統特集)には、それなりの歴史を感じてしまった。というよりも、『ハッスル』の歴史そのものをフラッシュバックで見せられたように思う。
高田総統が初登場したのは、04年3月の『ハッスル2』(横浜アリーナ)だった。もちろん、会場は“ドン引き”状態。「いくらなんでも……」という感じで、観客、マスコミ、関係者、他団体のレスラーと、ほぼ大多数が呆れかえったことだろう。私も呆れた。「これは絶対に無理でしょう!」と思った。
実際に、その時の映像も少し流れたのだが、まったく様になっていないというか、しゃべりのトーンも声の張りも全然違っていた。演じている本人がキャラを掴まえていないというか、明らかな手探りであって、お客の引き具合にも困惑しているのだ。
のちに某バラエティ番組に出演した高田延彦氏は、深夜のバラエティ番組だけに自分が高田総統であることを認めてしまった上で、初登場のときの心境をこう語っていた。
「これが“ドン引き”ってやつだなって、初めて知った(笑)。だけど、反対にアレで本気になったんですよ。よーし、それじゃあ意地でもこのキャラを続けてやろうってね」
継続は力なりというか、とにかく続けることが肝心だ。たとえば、棚橋弘至の「愛してま〜す!」だって、使い始めはドン引きされヒンシュクを買っていた。それが、2年、3年と言い続けるうちに、いまではベルトを防衛した後など、その一言を期待して待っているファンのほうが遥かに多くなったのだ。
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2009年06月16日
kamiproのウェブサイト『kamiproドットコム』でコラムを毎週連載している元『週刊ゴング』編集長・金沢“GK”克彦氏。大きな衝撃と深い悲しみに包まれた今週は、三沢光晴さんとの思い出を綴ってくださいました。
三沢光晴とは、すべてを業(カルマ)として受け入れられる人物だった
三沢光晴さんが13日、広島大会の試合中(GHCタッグ選手権)に倒れ、同日午後10時10分に逝去された。死因は「頸髄(けいずい)離断」と報道された。当日、私は都内のスタジオで「サムライTV」の実況音入れの仕事をしていた。終了したのは午後9時40分。携帯電話を確認してみたところ、友人から着信がありメールが届いていた。「三沢さんが心停止状態で病院に運ばれたみたいです」という内容だった。携帯サイトを確認してみたところ、確かにそういう情報が掲載されていた。
それから、午後10時過ぎにスタジオを出て電車に乗り帰路に就いた。自宅までは、電車を乗り継いで1時間強かかる。その間、関係者5〜6人から電話やメールが入る。「「三沢社長の容態は?」というものばかり。こちらも、何人かにメールを送って情報を求めた。午後11時 15分、永田裕志から決定的なメール報告が入る。「現地で取材している記者から、三沢さんが亡くなられたという報告がありました。嘘であってほしいよ!」。
愕然とするしかない。「嘘であってほしいよ!」は誰もが抱く思いだったろうし、私も同様だった。その後、齋藤彰俊のことがとても心配になってきた。彰俊が新日本を離れてからは疎縁になってしまったが、いまでも年賀状のやりとりは続いているし、彼の性格はよく知っている。生真面目で腰が低く、心優しい男だ。
90年6月、福岡国際センターで馳浩がバックドロップの受け身に失敗して心肺停止状態に陥ったとき、対戦相手の後藤達俊の様子は見ていられなかった。その一部始終を私は観ていたし、昏倒する直前、シャワーを浴びて控室へ戻る馳と会話も交わしている。その後、馳が蘇生して一命を取り留めたのを知ったとき、後藤はようやく口を開いた。「馳にもしものことがあったら、俺はプロレスやめるつもりでした」。
2000 年4月、気仙沼大会のYL杯公式戦で福田雅一が倒れたときには、リングサイドの本部席にいた。すべてを観ていたし、病院にも駆け付けた。対戦相手の柴田勝頼には、とても声を掛けられなかった。福田選手が死去した2日後の追悼試合に出場した柴田は試合に敗れ控室に戻ると、もう見えなくなったリングを指差して「俺の居場所はあそこしかねぇんだよ!」と叫んだ。20歳の若者の血を吐くような決意表明だった。
ノアは翌日からも続く現行のシリーズを予定通り行い、彰俊も試合に出場した。立派な事後処理だったと思う。リーダーの三沢社長がそういう人物だからこそ、この決定は当然の成り行きであったのだろう。
最近の三沢光晴(敬称略)を思う。最後に、生で彼の試合を観たのは、5.6日本武道館大会。「グローバル・タッグリーグ戦」の優勝決定戦(三沢&潮崎Vs健介&森嶋)だった。正直いって、「しんどそうだなあ」と思った。
バリバリの潮崎に、重戦車のような健介と森嶋。その3選手に挟まれて、三沢のコンディション不良は余計に際だって見えた。気力だけで闘っているのが、伝わってくるのだ。本来であれば、もう楽をしてもいい年齢であり、立場だったと思う。しかし、腎臓がんの摘出手術による小橋建太の戦線離脱、秋山準の持病(椎間板ヘルニア)の悪化と、本来、トップに立つべき選手が、肉体の故障に悩まされる中、結局この2年間、ノアは三沢に頼らざるを得なかった。
まして、今年3月末で日テレ中継が打ち切りとなったわけだから、放映料が入らない分の穴埋めも必要になってくる。社長業、試合と、心身ともに休息の暇などなかったろう。そんな状況下でも、ようやく潮崎豪が本物になってきた。まさに、世代交代に向け動き始めた矢先の事故である。「たら」「れば」は禁物とは分かっていても、もし1年早く世代交代の流れが生まれていれば……そういう思いが沸いてくる。
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posted by kamipro |15:09 |
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