2009年07月18日

オールスターゲームで印象的だった光景

 今年のMLBオールスターゲームは、いくつもの印象的な出来事があった。

 始球式に登場したバラク・オバマ大統領は、以前からファンだと公言しているホワイトソックスのスタジャンを着てマウンドに上がり、セントルイスの観客から大ブーイングを浴びたが、いまから62年前、近代メジャーリーグ初のアフリカ系選手としてジャッキー・ロビンソンがドジャースでデビューしたとき、セントルイスのファンやカージナルスの球団、選手たちから受けた仕打ちとは比べようのないものだった。

 ロビンソンを擁するドジャースが、初のセントルイス遠征に向かう前、ドジャースがロビンソンを出場させるなら対戦を拒否すると表明した(同様の動きは、フィラデルフィア・フィリーズにもあった)。当時のMLB16球団でもっとも南に本拠地を置き、ミシシッピ川の水運や鉄道、高速道路網を利用して、人種差別のもっとも激しかった深南部(ミッドサウス)からの観客も多かったセントルイスの土地柄を反映して、ファンや球団、選手たちは、黒人がメジャーリーグでプレーすることにあからさまな拒絶反応を示したのだ。この動きに対し、当時のコミッショナーだったアルバート・“ハッピー”・チャンドラーやナ・リーグ会長のフォード・フリックはもしカージナルスがロビンソンをラインナップに加えたドジャースとの対戦を拒否した場合、出場停止などの重い処分を科すと警告したため、ボイコットはとん挫した。
 だが、スポーツマンズパーク(初代ブッシュスタジアム)に姿を現したロビンソンに対し、スタンドの観客は聞くに堪えないヤジの嵐を浴びせ、カージナルスの選手にもロビンソンに対してビーンボールやアンフェアなスライディングなどのラフプレーをいとわなかった。
 それほどの迫害を受けた「受難の地」というべきセントルイスの地で、62年後に自分と同じ肌の色を持つ合衆国大統領が始球式のマウンドに立ったことを、はたしてロビンソンは天国からどのような思いで見つけていただろうか。

 もうひとつ、感慨深かった出来事は、エドウィン・ジャクソン(タイガース)が球宴メンバーに選ばれたことだった。5回からリリーフで登板したジャクソンは、1イニングを三者凡退に片づけた。
 2年前、まだ彼がタンパベイ・デビルレイズ(当時)のユニフォームを着ているころ、彼がオールスターゲームのマウンドに立つことを想像することはできなかった。ドジャースに外野手として入団したあと、投手に転向し、大型トレードでタンパベイに移籍し、将来を嘱望されていたが、大成するまでには長い「未完の大器」の時代があった。
 常時150kmを超える速球と鋭いスライダーを持ってはいたが、何せプロ入り後に外野手から投手に転向し、マイナーでの修業期間も十分でなかったため、素晴らしいツールを十分に使いこなせていなかった。
 ボールが先行し、苦し紛れにストライクを取りに行った棒球を狙い打たれるパターンの繰り返しで、しかも相手打者に球種を悟られないよう、ボールの握りをグラブや体の動きで隠すという基本中の基本も身に着けておらず、9イニングス平均の与四球4.91個、被打率は3割近く、1イニング平均の許出塁数平均を示すWHIPは1..76、防御率5.76で、この年は5勝15敗の成績だったが、「彼が15敗した理由はわかった。わからないのはなぜ5勝できたのかということだ」とコメントするほかない投球内容だった。この年、インターリーグの対パドレス戦ではナ・リーグを代表する本格派右腕のジェイク・ピーヴィーと投げ合ったが、「いつもの」ピッチングでレイズ打線を翻弄したピーヴィーに対し、ジャクソンは1イニングス持たず降板。その経緯については当時、「格差は野球をつまらなくする」のタイトルで当Blogにもエントリーしている。

 昨年はそうした欠点がかなり改善されて、ほぼ1シーズン先発ローテーションを守って14勝をマークし、チームのリーグ初優勝に貢献したあと、オフの交換トレードでタイガースへ移籍した。
 今季前半戦の成績は18試合に先発して7勝4敗、防御率2.52。121回2/3を投げて与四球35個(9回平均約2.59)と大幅に制球力が向上し、被打率.212、WHIP1.06と、まるで「ハイドからジキル」を思わせる大変身ぶりだ。
 ジャクソンにとっては、パイレーツ時代から若手選手の育成(同時にトラブルメーカーの扱いにも長けている。教え子にはボニー・ボニーヤ、バリー・ボンズ、ゲイリー・シェフィールドと「錚々たる顔ぶれ」が名を連ね、「MLBのスクールウォーズ」の異名も!?)に定評のあるジム・リーランド監督のもとでプレーしていることも大きいはずだ。
 同じく球宴出場を果たしたセンターのカーティス・グランダーソンは、2006年のワールドシリーズ第4戦、舞台も同じブッシュスタジアムで、痛恨の落球を演じ、チームがカージナルスの前に一敗地にまみれる原因を作ってしまったが、このショックにくじけることなく、翌年は二塁打・三塁打・本塁打・盗塁の全部門で20以上を記録すると同時に、センターの守りでも超ファインプレーを連発し、いまやトリー・ハンター(エンゼルス)やグレイディー・サイズモア(インディアンス)に匹敵する名センターへと成長した。
 グランダーソンにしても、ジャクソンにしても、名伯楽の下で見違えるような成長ぶりを見せてくれるのは、長い間メジャーリーグを見続けている人間としてとてもうれしいものだ。正直なところ、Aロッド、マニー・ラミレスと今年も薬物がらみのスキャンダルに見舞われたメジャーリーグに失望する部分もあったのだが、かつて「ブラックソックス事件」で傷ついたメジャーリーグをベーブ・ルースが救ったように、毎年新たに登場するスターたちが、ファンの希望をつなぎとめてくれる。

 今年はナ・リーグ西地区を除けばどのディビジョンも接戦で、ワイルドカード争いも熾烈だ。若手選手はキャリアが不足している一方で、逆に最後まで試合を諦めない必死さを持っているので、彼らの活躍や働きが、案外地区優勝・ワイロドカード争いの激戦を左右する可能性がある。フラッグディールトレードの行方もあり、後半戦のMLBからはますます目が離せない。



posted by kairi1958 |10:53 | Baseball/MLB | コメント(0) | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加

2009年07月04日

黄昏時に光り輝くマリアーノ・リベラの背中

 本日付のWeb報知に掲載された同紙MLBデスク蛭間豊章記者のコラム「Baseball Inside」に、追記としてイライアス・スポーツビューローが提供したマリアーノ・リベラ(ヤンキース)の興味深いデータが紹介されている。

 先日トレバー・ホフマン(ブリュワーズ)に続く史上2人目の通算500セーブを達成したリベラだが、セーブを挙げた試合で取ったアウトの数で、4アウト以上、つまり8回からの登板が、ホフマンの55試合に対し、101試合もあるという。

 私自身、ヤンキースタジアムで相手にリードを許した場面で、当時のジョー・トーリ監督(現ドジャース)が8回からリベラを投入した場面を2回も目撃している。いずれもデーゲームで、モニュメントパーク横のブルペンから、黄昏時の陽光を背中に浴びて、マウンドに向かうリベラの背中を見て、心の底から感動がわきあがるのを感じずにはいられなかった。

 リベラが1996年にメジャー初セーブをマークし、翌97年にヤンキースのクローザーとなって以来、一昨年まで、歴代1位のホフマンさえ及ばない偉大な記録がある。2007年までにマークした計443セーブはすべてチームのポストシーズン進出に貢献していたのだ。昨年ヤンキースがPS進出を逃して、「PS進出率100%」の記録こそ途切れたが、それでも482セーブ中443で91.9%を誇る。通算300S以上の歴代クローザーで、他に50%以上の進出率を残しているのは殿堂入りしたデニス・エカーズリーだけだ。もちろん、打撃や守備など強いチームを支える要素は他にもあるが、1996年以降のヤンキースで、リベラが傑出した貢献度を見せたのは疑いようがない。

 近年は全盛期に比べてスピードやカットボールの切れにやや陰りを見せているものの、10年以上にわたって大きな故障もなく、39歳(今年の11月で満40歳!)になった現在まで、強豪チームのクローザーを務めてきたことじたいが驚異的といえる。

 新ヤンキースタジアムは(経済危機の影響で緊急値下げがあったとはいえ)、超高額なチケットプライスでニューヨーカーやMLBファンの不興を買っているが、もしリベラの勇姿を拝みたいのであれば、最も安い外野席(ブリーチャー=それでもかなりのお値段ですが)で十分だ。観客の大歓声に迎えられて、ブルペンからマウンドへと小走りに向かうリベラの未来の永久欠番「42」を実際に見ることができただけでも、お金を払っただけの価値は十分すぎるほどある。

 

posted by kairi1958 |15:58 | Baseball/MLB | コメント(1) | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加