2009年06月28日
今季二度目の故障者リスト(DL)入りとなった松坂大輔(レッドソックス)の復帰はおそらく8月ごろまでずれ込みそうだ。WBC出場で本来の春季キャンプにおける調整スケジュールが大きく狂わされたうえ、イチローを開幕から胃潰瘍治療のためDL入りさせたマリナーズとは対照的に、レッドソックス首脳陣の判断が甘かったため、松坂は単に故障に見舞われたり不調に悩まされるだけでなく、本来の投球メカニズムを完全に狂わされてしまっている。
だがもし故障や不調を克服して復帰したとしても、松坂が今後長くメジャーで現役生活を続けていくためには、彼自身がその「投球哲学」を大胆に転換しなければならないのではないか。
そんな松坂に大きなヒントとなりそうな「金言」を見つけた。ライター高橋安幸さんの著書「伝説のプロ野球選手に会いに行く」に掲載されている故・稲尾和久さん(元西鉄ライオンズ。殿堂入り)のインタビューに、こんなくだりがあった。
「(プロ入りしてから)最初は速い球を投げる、コントロールのいい球を投げる、それがピッチャーの目的だと思っていた。だけど(何年かキャリアを重ねていくうちに)もっと大きなテーマがあるはずだと気づいた。それは、〈ピッチャーは何であれ、バッターをアウトにする>ってことだった。どんなに球が速くても抑えられるとは限らないし、コントロールが良くても、よかったためにかえって打たれることだってある」
詳細についてはぜひ高橋さんの本をご一読いただきたいが、稲尾さんはご自身の投球哲学を次の一言で締めくくっている。
「要するに、(試合の)展開によってベストのアウトとは何かを考えなきゃ」
かつての横浜大洋ホエールズのリリーフエースだった斉藤明夫は、先発からリリーフに転向したとき、三者三振で相手を打ち取った試合の後、「師匠」と仰いだ江夏豊氏と顔を合わせたとき、いきなり頭を小突かれた。
「リリーフエースの本当の役割がわかってないのと違うか?」と江夏氏は斉藤を戒めたのだ。その理由は、上記の稲尾さんの「投球哲学」と同じものだった。
西鉄と西武と名前・本拠地は違えど、同じライオンズでエースとして君臨した稲尾さんと松坂だが、プロ入り時の出発点は対照的なものだった。甲子園春・夏連覇、決勝戦ノーヒットノーランなど輝かしい実績を引っさげ、ドラフト1位で入団した松坂に対し、稲尾さんは中央球界で全く無名の存在で、1年目の島原キャンプでは大下弘、中西太、豊田泰光ら当時の主砲たちを相手に、来る日も来る日もバッティング投手を務める毎日が続いた。
1日の投球数は400球から500球にも及んだが、ストライクばかり立て続けに投げると、「打ち疲れるからたまにはボール球を投げろ」と注文がつく。結局、「3球ストライクを投げ、1球ボールを投げれば、全投球の4分の1は自分のための練習ができる」と稲尾さんは発想を転換し、3つストライクを投げると、外角低めのスライダー、インサイドへのシュートや内角高めの速球を、ストライクとボールの境目ギリギリに投げ分け、生命線となった制球力を磨いていった。やがて稲尾打撃投手の投球に手を焼くようになった中西や豊田が三原脩監督にレギュラー入りを進言し、稲尾さんはこの年新人王に輝き、さらに西鉄3年連続日本一の立役者となり、1961年には日本プロ野球年間最多の42勝をマークするまでになる。
2001年の秋、私は幸運にも稲尾さんにインタビューする機会に恵まれたが、そのとき、この年15勝15敗の成績ながら沢村賞に選ばれた松坂に、盛んに苦言を呈していた。
「15勝しても同じ数だけ負けてしまったら“エース”とは呼べない、それはただの“主戦投手”なんですよ」
2007年のワールドシリーズ第3戦を含め、私はメジャー移籍後の松坂の登板試合を解説する機会に何度か恵まれたが、そのたびに感じたのは、「ストライクゾーンをフルに活用していないこと」と、「アウトを取るオプションが少ないのではないか」ということだった。
現在のメジャーでもっとも稲尾さんの投球哲学に近いピッチングを披露しているのは、先日も当Blogで紹介したロイ・ハラデイ(ブルージェイズ)だろう。彼こそまさに、「試合展開によってベストのアウトとは何か」を考えている投球のお手本なのだ。
はっきりいえば、ハラデイにあって松坂にないものは、(細かい球種を別にすれば)ほとんどないと思う。だがその投球内容が極端に対照的なのは、結局「ベストのアウトを取るため」の投球哲学の違いなのだ。
松坂は長期DL入りの機会に、投球フォームのチェックや建て直しとともに、ぜひ稲尾さんの投球哲学を、本や映像などで学んでほしいと思う。彼が「試合展開によってベストのアウトとは何かを考え」てマウンドに上るようになれば、「ハイド」から「ジキル」への変身も決して夢ではないはずだ。そしてもうひとつ、稲尾さんから学んでほしいのは「ポーカーフェイス」だ。
「ピンチになっても動揺した顔を相手に見せない、絶好調だからって変に気張らない、相手に心理を読まれたら負けに近づく」
確かに置かれている時代や環境の違いはある。だが、「ベストのアウトを取るためのピッチング」と「ポーカーフェイスの効用」は、十分にメジャーの強打者相手にも通用する投球哲学ではないだろうか。
posted by kairi1958 |14:15 |
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2009年06月25日
本日6月25日(木)、私の著書「戦火に消えた幻のエース 巨人軍・広瀬習一の生涯」が新日本出版社より全国一斉発売されました。書店でご購入、お取り寄せいただけるほか、Amazon、楽天ブックスなどのネット書店、新日本出版社からのサイトからもご注文が可能です。
(新日本出版社)
http://www.shinnihon-net.co.jp/catalog/product_info.php?products_id=1969
(Yahoo!ブックス)
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAY37080/
(Amazon)
http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E7%81%AB%E3%81%AB%E6%B6%88%E3%81%88%E3%81%9F%E5%B9%BB%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B9%E2%80%95%E5%B7%A8%E4%BA%BA%E8%BB%8D%E3%83%BB%E5%BA%83%E7%80%AC%E7%BF%92%E4%B8%80%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B6%AF-%E4%B8%8A%E7%94%B0-%E9%BE%8D/dp/4406052534/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1245894032&sr=8-1
(楽天ブックス)
http://item.rakuten.co.jp/book/6102558/
日米開戦前夜の1941年夏、彗星のように東京巨人軍に出現し、プロ初登板のマウンドでいきなり3安打完封勝利(デビュー戦初登板初勝利は巨人史上初)の鮮烈なデビューを飾ると、この年8勝、翌42年には21勝で最高勝率投手となり、兵役で全盛期の力を失っていた沢村栄治、重病で戦列を離れたスタルヒン(須田博)の穴を埋めて余りある活躍でチームの勝利に大きく貢献しながら、やがて兵役に取られ、激戦地のフィリピン・レイテ島で22歳の生涯を閉じた“幻のエース”広瀬の野球人生を、私が四半世紀にわたって取材・調査を行ない、このたび一冊の本にまとめることができました。
'(主な目次)
1 瀬戸際の巨人にあらわれた“救世主”
2 甲子園出場と社会人野球・陸上競技での活躍
3 日米開戦前夜の職業野球
4 戦時下のウイニングボール
5 戦火に散ったエース
6 エピローグ
別項 戦争と野球1・2'
今年はジャイアンツの創立75周年にあたりますが、沢村から上原浩治まで21人を数える歴代の20勝投手に名を連ねながら、おそらくもっともその名前が知られることがなかった広瀬の足跡を、ぜひ拙著をご覧いただき、ひとりでも多くの野球ファンに知っていただければ幸いです。
拙著の取材ノート「東京巨人軍史上初の新人初登板初完封投手・広瀬習一の輪郭~“幻のエース”の足跡を追い求めて」を、私が幹事を務める野球文化學會の年間論文集「ベースボーロジー10」に投稿しておりますので、こちらもぜひご一読ください。
http://blog.goo.ne.jp/holycow1998/e/8ff830fd620a62fc9756e846f985646f
なお、今回当Blogをご愛読の方に、拙著と「ベースボーロジー10」を各1冊セットでプレゼントいたします。住所・氏名・ご連絡先を明記のうえ、当コメント欄(公開いたしません)か下記のアドレスまでご応募ください(当選者の方を含めた応募者全員の個人情報は発送後すべて責任を持って廃棄いたします)。
omahaexpress@gmail.com
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2009年06月11日
日曜日までは「カネを払っても絶対見たい選手」は都合によりお休みします。
番外編「カネを払ってでもぜひ見たかった選手」として今日紹介するのは、1947年からアスレチックス、インディアンスでプレーした左腕投手ルー・ブリッシーだ。
先日、NHK-BSで放送されていた「This Week in Baseball(TWIB)」を見ていると、メモリアルデイの特集でブリッシーがインタビューに登場していた。1924年生まれだから今年で85歳。メジャーでの通算成績は
44勝48敗、防御率4.07だが、1949年には自己最多の16勝をマークし、オールスターゲームにも選ばれている。
彼の名前を初めて知ったのは、もう30年以上前、八木一郎さん(当時セ・リーグ企画部長)の著書「誇り高き大リーガー」に掲載されていたエピソードだった。余談だが、予備校生時代に買ったこの本には、現在の仕事をするようになってからもたいへんお世話になった。2004年にイチローがジョージ・シスラーの年間最多安打記録を破ったとき、シスラーのエピソードが最も詳しく紹介されていたのは、依然として(もしかしたら現在も)この本だった。
大学在学中、現在も史上最高のサウスポーの呼び声が高いレフティー・グローブの再来として、その才能をメジャーリーグで半世紀にわたり監督を務めた名将コニー・マックに認められ、卒業後のアスレチックス入りが内定していたが、第二次大戦が勃発すると兵役に志願してヨーロッパ戦線に派遣され、そこでドイツ軍の攻撃により負傷、左脚の脛を粉砕骨折する重傷を負い、治療に当たった医師は左脚切断の診断を下した。
だが除隊後のアスレチックス入りを依然としてめざしていたブリッシーは必死に切断回避を訴え、医師もその強い気持ちをくんで切断手術は回避した。だが、骨折部分はジグソーパズルのようにバラバラになっており、ブリッシーはその後、23回にも及ぶ手術に耐えなければならなかった。
1946年7月、23回目の手術を前にして、フィラデルフィアのアスレチックス球団事務所に松葉杖をついたブリッシーが姿を現す。マック監督は翌年の春季キャンプ参加を約束するが、球団事務所にいた誰もが、ブリッシーが実際にマウンドに立つことは不可能だと考えていた。
だがブリッシーは23回目の手術を終えると、同年12月、アスレチックスと契約し、翌年春ようやくプロ野球選手としてのスタートを切った。開幕ロースター入りこそならなかったものの、傘下マイナーで25勝をマークし、9月28日にメジャー昇格を果たした。
マック監督の最晩年、往年の栄光がすっかり色あせ、Bクラスやテールエンドが定位置となっていたアスレチックスにあって、ブリッシーは1948年に14勝、49年には16勝をマークし、その後インディアンスに移籍し、53年限りで現役を退いている。
決してメジャーリーガーとして超一流の成績を残したわけではないが、戦場で再起不能寸前の重傷を負いながら、不屈の闘志で23回もの大手術に耐え、ついにメジャーのマウンドに立ったブリッシーの姿は、戦争で傷ついた多くの傷痍軍人、そしてアメリカ人にとって大いなる励みとなった。
ブリッシーは現在、不自由な左足を押して、イラクやアフガニスタンで傷ついた元兵士たちが入院している病院を慰問して回り、彼らの社会復帰に手を差し伸べている。
「グローブの再来」とまで呼ばれたブリッシーがもし戦場で傷つくことなく、無事メジャーリーグに登場していたら、おそらく殿堂入りに値する数字を残しただろうといわれている。それほどの才能を通算44勝の投手にしてしまった戦争の悲劇に思いをはせる一方で、傷だらけの体で自分の夢を実現させ、いまは孫ほどの年齢にあたる傷痍軍人たちの「カムバック」を支援しているブリッシーの人生には、殿堂入り級の称賛が与えられるべきだろう。
でも、やはり個人的には、ブリッシーを万全のコンディションでマウンドに立たせてあげたかった。そうなれば、アスレチックスやメジャーリーグ全体の歴史も変わっていたかもしれない。
(ブリッシーの通算成績一覧)
http://www.baseball-reference.com/players/b/brisslo01.shtml?redir
posted by kairi1958 |22:29 |
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2009年06月10日
斎藤隆がレッドソックスへ移籍し、黒田博樹もDLしていたため、今季はなかなかドジャース戦の中継が見られなかった。国営放送についてはあきらめているが、新たに放映権を獲得したCS局には、(中継数の制約があるのは十分理解できるが)バラエティーに富んだカード編成をぜひ期待したい。
さてMLB「カネを払っても絶対見たい選手」3回目に紹介するのは、そのドジャースに今季1年契約でFA移籍したオーランド・ハドソン二塁手だ。
2005年にブルージェイズで、2006・07年はDバックスで、両リーグにまたがってゴールドグラブを受賞した名二塁手は、経済不況による「FAバブル崩壊」のあおりをもろに食らった形になった。Dバックスは球団職員まで解雇する緊縮財政のため、攻守にわたってチームのリーダー役で、2007年の地区優勝にも貢献したハドソンとの再契約をせず、結局今年2月21日に、ジェフ・ケントが引退したドジャースが年俸340万ドル+出来高払い460万ドル以上、しかも単年契約と「破格ディスカウント価格」で獲得した。
ハドソン最大のセールスポイントはもちろんその二塁守備だが、単に守備範囲が広いとか、グラブさばきがうまいといった「個人技」のレベルにとどまらず、内野、さらには外野の守りにも神経を配って、守備全体のリーダー役を務め、ディフェンス力を120%以上に引き上げる能力に優れている。たとえば昨年まで所属したDバックスには、クリス・ヤング、ジャスティン・アップトンなど、並はずれた才能に恵まれた外野手がいたが、若さゆえの軽率さも目についた。その未熟な若手たちに対し、内・外野の中間に打球が上がった時など、アイコンタクトやボディランゲージで守備位置を指示したり、スペースを開けさせて自らが打球に飛び込んでチームのピンチを救った場面を何度も目にしたものだ。今季もセンターのマット・ケンプの守備力が向上しているのは、ハドソンの存在が大きいはずだ。
現在、ナ・リーグを代表する二塁手の座はこのハドソンとチェイス・アトリー(フィリーズ)、そしてハドソンを抑えて昨年のゴールドグラブをック得したブランドン・フィリップス(レッズ)が争う形になっている。DPコンビを組む遊撃手など他の内野手の守備範囲との兼ね合いもあって単純に数区を比較できるものではないが、6月上旬の時点で、ハドソン(56試合)の守備機会266、併殺数37、3失策に対し、アトリー(53試合)が守備機会272、併殺数30、5失策、フィリップス(49試合)が守備機会258、35併殺、4失策で、数字的にも実力が拮抗しているのがわかる。
投手にとっても、これほどの名手が後ろに控えているのは、さぞ心強いことだろう。
もちろんハドソンは守備だけの人ではない。通算打率.284、昨年は故障のため規定打席には足りなかったが初の大台となる.305を記録し、今季も58試合で打率.315と好調だ。4月13日の本拠地開幕戦では先発のランディー・ジョンソンらを相手にサイクルヒットを記録したが、これはドジャースの選手としては1970年のウェス・パーカー(元南海)以来となる快挙だった。
昨年までの正二塁手ケントは、二塁手としてメジャー歴代最多本塁打記録を保持し、ジャイアンツ時代にはMVPに輝くなどプレーヤー、とくに打者としては輝かしい実績の持ち主だったが、一方で守りは決して名手とはいいがたく、ネガティブな性格がしばしばチームメイトとの軋轢を生み、ドジャースでも若手選手との対立が報道された。ハドソンは長打力こそケントに劣るものの、守りでは百枚も千枚も上で、リーダーシップの面でも申し分ない。またチャリティー活動にも熱心な人格者で、ジョー・トーリ監督としては打者としてのタイプこそ違うが、彼にヤンキース時代のポール・オニールのイメージをオーバーラップさせているかもしれない。
マニー・ラミレスの違法薬物使用による出場停止のアクシデントがあっても、ドジャースが依然としてナ・リーグ西地区を独走し続ける原動力が、このハドソンであることは疑いの余地さえないだろう。
ドジャースの歴史には、50年代のジャッキー・ロビンソン、70年代後半から80年代前半のデイビー・ロープスと、黄金時代には必ず名二塁手の存在があった。ハドソンはいま、その輝かしい系譜を受け継いで新たな黄金時代の一翼を担おうとしている。
posted by kairi1958 |13:42 |
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2009年06月09日
「MLBカネを払っても絶対見たい選手」の2回目は、ロイ・ハラデイ投手(ブルージェイズ)を紹介しよう。
松坂大輔のテンポが悪く、やたらと球数を費やす投球内容にゲンナリしているあなたには、ぜひハラデイのピッチングをご覧になることをお勧めしたい。
2003年に22勝をあげてサイ・ヤング賞に輝くなど、2002年から昨年までの7シーズン中6回二ケタ勝利をマークし、うち15勝以上5回、20勝以上2回。また分業制が当たり前となっている現在の野球界では珍しく完投の多さでも知られ、過去4回のリーグ最多完投と、3回の最多投球回数を記録している。これほどのタフネスを支えるのはその制球力のよさで、メジャーデビューからの9回平均与四球は約2.09。昨年は246回を投げて39四球(9回平均1.42)で、1イニング平均の与四球・被安打合計(WHIP)は通算1.21で、今季も無四球完封勝利で10勝目を挙げている。
速球の平均は90マイル半ばだが、シンキングファストボール、カーブ、チェンジアップを丁寧にコーナーに投げ分け、打者にゴロの山を築かせるピッチングを身上とする。フルカウントになることは1試合で数回しかお目にかからない。とにかくストライク先行で、しかも相手打者を度の球種・コース、カウントで打ち取るかをあらかじめ頭の中で想定する「逆算のピッチング」ができる投手なので、バッタバッタと三振の山を築くパワーピッチャーを見る以上に、爽快感がある。
もちろん三振を取れない投手ではなく、さる6月2日のエンゼルス戦では、自己最多の133球(!=松坂だったらまだ5回を投げ終えたぐらいかもしれない)を費やしたものの、自己最多の14奪三振で完投勝利を演じている。
「三振以外でもアウトの取り方はいくらでもある」というのがピッチングにおけるモットーで、日本のプロ野球ならかつての「神様・仏様」こと稲尾和久投手(西鉄ライオンズ)を連想させる。
ランディー・ジョンソン(ジャイアンツ)が先日のナショナルズ戦で通算300勝を達成したが、現役でそれに続く通算勝利数がビッグ・ユニットよりも1歳年上のジェイミー・モイヤー(フィリーズ)の250勝とあって、もはや300勝投手は出現しないのではないかといわれている。だが32歳の年齢に加えて、その耐久力やピッチングスタイルを考えると、私は現在通算141勝のハラデイが次の300勝投手になりうる存在だと考えている。
松井秀喜(ヤンキース)はデビュー戦でこそメジャー初安打・初打点をハラデイから記録したものの、通算では打率.234、2本塁打、7打点と苦手としており、他地区で対戦数が少ないとはいえ、イチロー(マリナーズ)も34打数8安打、通算打率.235と相性が良くない。昨日紹介したアルバート・プホルス(カージナルス)も4打数ノーヒットだ。逆にいえばプホルスやイチロー、松井でさえ打ちあぐねるほど、ハラデイが偉大な投手だということだろう。
かつてはメジャーでももっともチケット入手が困難だったロジャースセンター(旧スカイドーム)も、最近は空席が目立つ。NYやボストン、シカゴへの移動も短時間で済むので、ぜひハラデイの芸術的ピッチングを見るために、トロントに足を運ばれてはいかがだろうか。
posted by kairi1958 |14:14 |
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