2006年01月30日
[小堀佑介]謙虚に地道に、新王者の素顔
1月14日の日本スーパーフェザー級タイトルマッチ、小堀佑介は強敵・真鍋圭太をマットに沈め、念願だったチャンピオンの称号を手にした。「一時期はボクシングを諦めかけていたこともあった」と言うが、腐りかけの状態から2カ月に及ぶ集中トレーニングを経て見事に再生した小堀。普段は口数の少ない新チャンピオンの素顔を紹介する。 「一久と違ってホント目立つのが苦手で……、地味な感じでいいんです僕は」 日本スーパーフェザー級王者になった感想をあらためて尋ねると、小堀佑介は開口一番こう切り出した。一久とは日本フェザー級王者の渡邉一久のことである。小堀と渡邉は1月にタイトルマッチを行い、2人して見事なKO勝利で新王者になったばかりだが、派手なキャラクターの渡邉に対して小堀の性格は「まったく正反対」なのだという。「周りからはもっとチャンピオンらしくしろって言われます(苦笑)。貧乏くさく見えないように頑張ってはいるんですけど、注目されたり人前に出ることがどうも苦手で。できればあまり目立たないチャンピオンでいたいんですが……」 と話し、チャンピオンとしてどう振る舞っていいか若干戸惑い気味の様子。そんな口数も少なく物静かな小堀だが、リング上では実に豪快なボクシングを見せてくれる。 1月14日のタイトルマッチは、階級最強との呼び声も高かった「KOセンセーション」こと真鍋圭太(石川)と対戦。真鍋有利の下馬評を覆し、2Rに左ボディーから強烈な右ストレートを見舞ってダウンを奪い、再開後にはさらにダウンを追加、圧倒的なKO勝利で新王者の座を掴んだ。強敵・真鍋をして「最初のダウンの後は覚えてない」と言わしめ、この試合で小堀は1月の月間MVPを受賞しているのだ。 「1Rのインターバルでトレーナーの田中先生から『あのコンビネーション行けるぞ』って言われて、その通りにしただけなんです。だからあれは田中先生のおかげなんです」 試合を振り返ってもあくまで謙虚な小堀である。だが、いくらトレーナーが最高の指示を出しても、それをしっかり実行できるだけの力量をボクサーが持っていなければ話にならない。あの試合を見れば小堀の実力に疑いの余地はないが、小堀がこの試合にかけた意気込みは並々ならぬものがあった。 スーパーフェザー級では、2002年8月から本望信人が約3年間にわたりタイトルを計7度防衛し、同門の小堀としてはなかなかタイトル挑戦の機会が巡ってこなかったため、一時期はモチベーションが上がらず、腐りかけの時期があったという。 「やっぱり目標が見つからないから全く練習しなかったです。ロードワークもしないで朝から遊びほうけてばっかりで。だからタイトルマッチが決まった時は、世界チャンピオンだろうが相手は誰でも構わないっていう気持ちでした。このチャンスをモノに出来なかったらボクシングを続けることはもう無理だと分かっていたので、ここでやらなきゃいつやるんだっていうくらい気合いが入りました」ちょうどその頃、松戸にある角海老の寮から追い出された小堀は行くあてがなく、田中トレーナーの家に転がり込んだ。これではさすがに練習もさぼれない。小堀は死ぬ気で練習したと言う。 「これほど集中して練習をしたことは今までなかったです。2カ月間、毎朝一久と3人でロードワークに出て、夕方からジムで練習の繰り返し。さすがにそれまで怠けてたからホントに死ぬかと思いましたけど(笑)。とにかくロードが辛くて、初めはジムワークもできないし、坂道も登れないくらい足が疲れちゃって。でも結果的に今までで一番強くなったって実感できるほど充実して練習ができましたね」 あの試合に関して田中トレーナーの功績は誰もが認めるところだが、小堀自身が大一番に最高の状態に仕上げてきたからこそ、あの結果があったのである。普段はあまり感情を表に出さない小堀が、勝利コールの瞬間に満面の笑顔を浮かべ、しどろもどろになりながら「チャンピオンになることがこんなに嬉しいことだと思わなかった」とコメントしたのはそんな背景があった。 「あそこまで感情をストレートに出したことは過去にないです。あの瞬間はちょっと……、生まれて初めてあんなガッツポーズをしましたね。今24歳ですから振り返ってみればデビューして6年ですもんね。あの日を目指してずっとやってきて、やっぱり入場の時から感慨深いものがありました。でももし負けてたらこの性格だからどっかに飛んで逃げてましたけど(笑)」 これでようやく一つの目標を達成した小堀。しかし、ボクシングを始めたきっかけは極めて不純な動機だった。 「千葉県の四街道出身なんですけど、中学2年の時ですかね、要するにモテたかっただけなんです。辰吉選手の試合を見てたらなんか格好良く見えて。あ、ボクシングやればきっとモテるってなぜだか思ってしまったんですね。すぐ地元のジムに入会したんですけど、単に女の子に『ボクシングやってんだよね』って言いたいだけだから全然ジムにも行かなくなっちゃって」小堀の昔話はまだ続く 「それでもまったくモテなくて、高校に入学した時にはなんとなく女受けが良さそうだったんで今度は吹奏楽部に入部しました。やっぱりレギュラーになりたいから人気のないコントラバスを選んだら、半年後に全国大会に出場しちゃったんです。ところが始まって数秒で曲のどの部分か分からなくなって、これはいるだけ迷惑だなと思って。でもみんな真面目だから辞めるのにもちゃんとした理由が必要で、しょうがないから『ボクシングを真剣にやりたいんです』って全員の前でスピーチしてようやく辞められたんですよ。それで仕方なくまたボクシングをやる羽目に」 まるでコメディーのような形で始めたボクシングだが、やっていくにつれてだんだん面白くなってくる。ついに高校卒業時にはプロを志すようになり、今後の進路について両親に相談したという。小堀は三人兄弟の次男だが、兄は国立大学を卒業、弟は現在医大生という家庭。やはりボクサーになることに反対された小堀は、なかば勘当気味に家を飛び出してしまう。 「だから勝手に都内のジムを回って、当時一番勢いがあると感じた角海老に入門することに決めちゃったんです。巣鴨に2万5千円のアパートを借りて親ともうまく行ってなかったから仕送りもないし、たこ焼き屋でアルバイトしながらボクシングをやってました」 と当時を振り返る。だが、両親もランカー入りをした頃から理解を示してくれるようになり、嬉しいことにチャンピオンになった今では親子関係も修復したそうだ。 「実はデビュー戦から両親は僕の試合を観に来てるんですよ。一度KO負けした時には『恥ずかしいから早く辞めなさい』って言われたんですけど、自分も負けてるから返す言葉がなくて(苦笑)。でもタイトルマッチに勝ってチャンピオンになった後で、あんなに反対していた母親から『見直したわよ』って言われて、びっくりしました。今はきっと理解してくれてると思います」 と小堀は嬉しそうに言う。チャンピオンになってからは練習にも力が入るようになり、充実した毎日を送っている小堀。これからの目標について聞くと、 「とにかく目立たないように(笑)。でもあんな死ぬ思いをして練習してるし、やっぱり負けたくないです。今の立場ですから勝つと負けるので大きな違いがあるのは分かってますから。一つ一つの試合を着実にクリアしていて、先の事はあまり考えてないですね。しいて言えば一度インドに行ってみたいことくらいですかね。インド、一度行ってみたいんですよ」 リングの上とプライベートではだいぶ印象の違う、なかなか掴み所のない天然キャラの小堀だが、ここは是非とも目立ちたくなくても目立たずにはいられないくらいの高みまで行ってほしい、そんな期待を抱かせるボクサーであることは確かである。
posted by 角海老広報室 |21:03 |
コラム-KNUCKLE IS THE SOUL |
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