2009年08月17日

坂本博之「熱導・新世界」見て見ぬふり

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 最近、社会全体が「見て見ぬふり」をすることに馴れてきてしまっているような気がします。自分のことを優先するあまり他者との関わり合いを拒否する、そんな世の中になり始めていることに僕は憂いを感じています。  教育の現場でも、先生が子供たちを叱ることは減ったと聞きます。親や教育委員会だったり、先生たちにも言い分はあるのかもしれませんが、成長過程の子供たちに善悪の判断を教えていくのも大人の役割だと僕は思っています。大人が子供たちに対して真剣に向き合わなければ、子供はそういうものなんだと思ってしまう。  以前ある中学校で講演した時も、教室で僕が話してる最中に生徒たちが騒ぎ始めました。初めはあまり気にせずに話を続けていましたが、騒ぎは一向に収まらない。部外者の僕がとやかく言うのもと思い、担任の先生の方を見たのですが、特に何も言わない。僕はびっくりして結局そのまま講演は終わったんですが、なにか後味の悪さが残りました。  また最近こんなこともありました。散歩がてらに近所の公園に行くと、高校生ぐらいの少年たちがたき火をしていました。そしてまだ火が消えていないうちにそのまま立ち去ろうとしたので、「ちょっと待て」と僕は彼らに声をかけました。僕が注意すると彼らは少し面倒くさそうに残り火を消し始めました。すぐにその場を立ち去りたそうな彼らに、僕はもう一言声をかけました、「どうしていけないか分かるか」と。  もし僕がこのまま彼らを帰らせてしまえば、きっと彼らは面倒くさい大人に怒られたというだけで、自分たちの行為の善悪を理解しないまま帰ってしまうことになります。それではいけない。だから僕は公園には幼い子供たちがいることなどを説明し、彼らにも「なぜそれがいけないのか」を説明しました。すると彼らも納得し、理解し、僕も彼らも晴れた気持ちで別れることができました。  大人たちが子供たちと真剣に向き合えば、彼らは分かってくれます。「見て見ぬふり」をすることは楽なことかもしれません。ただ、こうした風潮が社会全体に広まってしまえば、自分のこと以外は関係ないという人が増え、冷めた世の中になってしまうような気がします。昔はこうるさい近所のおじさんやおばさんがいました。子供たちにとっては面倒くさいかもしれませんが、僕もそんな大人でいたいと思います。


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posted by 坂本博之 |20:52 | 坂本博之「熱導・新世界」 | トラックバック(0)
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