角海老-ボクシングコラム

井上尚弥の“怪物王子”たる所以

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 今週のボクシング界は、日本人48年ぶりの五輪金メダリスト・村田諒太(三迫)のA級プロテスト合格、井上尚弥(大橋)のプロ転向第3戦(vs佐野友樹)の話題で持ち切りだ。日本ランカー同士の無冠戦が地上波ゴールデンタイムで生中継されるのは異例中の異例。嘗ては輪島功一(三迫、元世界J・ミドル級王者)の炎の戦いを中継し、現在も地上波で唯一の定期放送(ダイヤモンドグローブ)を続けるフジテレビがボクシングをゴールデンタイムにライブ配信するのは、「PREMIERE BOXING FIGHTS」と題された1992年11月、10戦10勝(10KO)の指名挑戦者・渡辺雄二(斎田)がヘナロ・エルナンデス(米)に挑んだWBA世界J・ライト級タイトルマッチ以来、実に20年半ぶり。井上がこの世に生を受ける前、フジテレビ社屋が河田町にあった時代まで遡らなくはならない。余談ながら、筆者は「東京ラブストーリー」などの大ヒットトレンディドラマを世に送り出した某氏らしき人物と会場内ですれ違った。スポーツ畑とは無縁のお偉いさんが会場まで足を運ぶところに、局側のガチな姿勢を感じた次第だ。
 
 さてフジテレビが社運を賭けて先物買いをする俊英・井上のボクシングを一言で例えるならば、和製ノニト・ドネア(前WBO世界S・バンタム級チャンピオン)。とりわけ左のハンドリング性能には舌を巻いた。憶測でしかないが、遠近伸縮自在に操縦していたのを見る限り、ネイティブな左利きなのではないかという気がしてならないが、90年初頭にヘビー級四強の一角を担ったドノバン・“レーザー”・ラドック(カナダ)が得意としていた“スマッシュ”のようなアッパーとフックの判別がしづらいアングルから佐野を強襲したように、左の多彩さと当て勘は既に新人離れした領域。この試合では右拳を負傷し、左一辺倒の攻撃を余儀なくされたと伝えられるが、常日頃から攻撃の主眼を左リードに置いているからこそ、不測のトラブルに見舞われても、テンパらずに対応できたのだろう。左フックのダブル・トリプル連射は、物理的に考えても、身体の回転軸がブレることなく、尚且つ迅速に体勢を立て直す必要がある。つまりは筋力の柔軟性と体幹に秀でていないと、到底打てるパンチではないはずで、鋭い踏み込みを伴って放たれる左アッパー(フック)も、身体のバネが不可欠だ。ただ一口に“天才”と称される井上の左は、恵まれた身体能力と感性を土壌に、小学1年生から実父・真吾トレーナーとの二人三脚で気の遠くなる回数の反復練習を繰り返して、動きを身体にプログラミングさせてきた賜物。先天的な能力に依存せず、後天的な要素を磨き上げられる才覚にこそ、井上の怪物性が隠されていると思う。

 技術や身体能力といった目に見える部分に優れた天才系ボクサーは、近年でも何人か存在したと思う。では井上が彼らより抜きん出ているのは、一体何なのか。それは精神面ではないか。1Rから格上(同級1位)の佐野に臆するどころか、呑んでかかり、チャンスと判断したら、あえて大きい軌道で躊躇なく振り切る勝負度胸も光った。教科書通りのボクシングをするだけでなく、荒々しさも交えたり、状況に応じて瞬時にスイッチを切り替え、慌てず騒がず、トラブルシューティングもできる。弱冠20歳、プロ3戦目とはいっても、アマ81戦、ボクシング経験という点では既に百戦錬磨。そのキャリアに裏打ちされたメンタル面のブレのなさが技術を支え、“怪物”たる所以であると感じられる。

 とはいえ、同じ陸上競技でも短距離走と長距離走が別物であるように、ボクシングもプロとアマでは競技性が多少異なる。攻撃のテンポがやや一本調子に感じられたところは「まだプロ3戦目のルーキー」。絶対能力を活かし、トップスピードで最初から最後まで突っ切るボクシングは、逆に言うと、緩急強弱のアクセントが多少乏しくも映る。序盤から圧倒的劣勢を強いられた佐野は、最後まで井上の圧倒的なスピードに対応し切ることはできなかったものの、それでも最終回まで踏みとどまれたのは、終始超速で向かってきた井上のテンポを見切ったから、とも考えられる。

 もっとも、プロ3戦目にして10回戦でアマ時代のスタイルを濃縮して戦えること自体が恐ろしいが、今のところ井上は終始自分主導で試合を進めており、相手にペースを奪われ、消耗戦になった際の持久力や耐久力など、試されていない未知数な要素が多いのも事実。だが、井上が正真正銘の怪物であるのならば、そういった不安要素を封じ込めるはずで、そういった意味でも4戦目となる次戦で田口良一(ワタナベ)が持つ日本王座挑戦が実現すれば、興味深いことこの上ない。少なくても現時点の井上にとって、激闘慣れしている王者・田口は過去にいなかったタイプの強敵で、その壁は決して低くはない。

 最後に、もう一方の主役であった佐野についても触れさせていただきたい。佐野が所属する松田ジムは、今年2月にエース格の川瀬昭二(当時日本ライト級4位)が、14戦全勝(12KO)の土屋修平(角海老宝石)を破って、快哉を叫んだのは記憶に新しく、“第二の刺客”佐野も虎視眈々と怪物狩りを目論んでいたのは容易に想像できた。そんな佐野の心意気を弱肉強食のリング上でひしひしと感じ取ったから、井上は試合後に敗者への敬意を表明したのだと思う。「試練として、凄く良い試合になったと思います。佐野選手、ありがとうございました」という井上の言葉はファンの気持ちも代弁してくれたものでもあった。



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