2006年06月15日
[坂本博之]不動心再び
今年で36歳になる。現役生活は15年目、40戦以上を戦った。3年前には椎間板ヘルニアの手術を受け、腰にメスまで入れた。だが、2年半ぶりの試合となった再起戦では痛恨のTKO負け。この敗北は事実上の「引退勧告」にも思えたが、それでもグローブを置くことはしなかった。1月14日に行われた復帰第2戦こそ勝利で飾ったものの、まだまだ完全復活とは言い難い。「平成のKOキング」と呼ばれ、数々の名勝負を繰り広げてきた不動心の男。坂本博之は今、何を思うのか。=進化を目指し新たな領域へ= 「現役でいるのは、自分の中にまだ進化する可能性を感じられるから。決してボクシングにしがみついてるわけじゃない」 坂本ははっきりとそう言った。昨年5月当時日本ウェルター級4級の柏樹宗(三津山)との再起戦に敗れた後、多くの人が引退を予想したが、坂本が出した結論は「現役続行」だった。 「この年で腰の手術をして、誰もが勝つと信じ、俺自身再デビューのつもりで挑んだ再起戦にも負けて……。普通だったらそこで終わり。ファンや関係者も99.9%そう思ったはず。グローブを置くか置くまいか、悩み抜いた。朝起きて『ああ俺ってもうボクサーじゃないのかな』、そう思ったこともあった。でもそこで俺は考えた。『俺は本当にやれることを全部やったんだろうか、やり残したことはないのだろうか』って」 弟と2人だけで生き抜いてきた養護施設時代から、坂本はどんな苦境に立たされても、誰にも頼らず自分の力だけで前を向いて歩んできた。ほんのわずかでもそこに希望があるなら、その可能性に挑戦して生きてきた。だから、自分ができるすべてのことをやってから、グローブを吊すのはそれからでも遅くないはず。坂本はそう思ったと言う。 -やり残したことがあれば、それはどういうことなのか 「試合をやってみて気づいたことがある。それは昔のように動けると思ってたけど、そうではなかったということ。手術の影響は予想以上に大きい。だったら、これまで以上に腰に負担をかけない体作りをしなきゃいけない。年齢的にもボクシングのトレーニング方法だけじゃだめだって思った。だからまず実戦に入る前に新しいトレーニングの道を探った。幸運にも知人を通じてスポーツ科学が専門の筑波大学の教授の方を紹介してもらうことができ、自分が知らない未知のトレーニングがあることが分かった」 -それはどのようなトレーニングなのか 「アウターの筋肉ではなく、体の内部を鍛えるトレーニング。体幹やインナーマッスルと呼ばれるもの。結局いくら筋肉を付けてもそれを使えなければ意味がない。今やってることは体の中を鍛えて、自分の体を無駄なく効率良く使えるようになることを目指してる。トレーニング自体はつま先だけで歩いたり、バランストレーニングだったり、太極拳とかヨガとかに近いのかもしれない」 -実際にその効果は出ているのか 「実戦での効果はまだまだの部分はあるけど、体では感じる。週に1度4時間、筑波大でトレーニングしていて、終わった後は体の節々が痛い。それは今まで使ってなかった部分が鍛えられているから。このトレーニングをやったからといって、パンチが強くなったりするわけじゃない。ただこれは俺にとって新しい領域。持ってる力を100%発揮できる体を手に入れればさらに進化できる。そういう目標を持ってやってるし、トレーニングはすごく奥が深いから、毎週すごく楽しみにしてる。スポーツ選手の中でも40を過ぎた巨人の工藤公康投手も筑波大でトレーニングをやっていて成功してるし、自分も手応えを感じてる」 -進化とは具体的にどういうイメージなのか。それは今までの坂本博之のボクシングとは全く違うものなのか 「しなやかさ、俊敏性、柔軟性。例えて言うと猫のような動き。体に負担がなく無駄のない動きができるようになりたい。昔のようなボクシングをそのまま続けようとは思ってない。若い頃は打たれてもひたすら前に出て、ぶっ倒すことだけを考えてた。でも、今はもっとスマートに、相手をいなしたり、相手の力を利用したりすることも大切だと思ってる」=坂本博之がボクシングを続ける理由= 坂本は冷静に自分の置かれている状況を見据えている。昔のような若さ故のボクシングを取り戻そうと思わずに、自分の長所を生かしつつ、年齢や怪我の影響という短所を補っていくことに重点を置いたトレーニングを積み重ねている。こうした姿勢が冒頭の「ボクシングにしがみついてるわけじゃない」という発言につながるのだろう。 確かに1月14日のマンコントーン・ポンソムクワーム選手との試合では、序盤しっかりとガードを上げてジャブを使って相手の出方を見極め、3回にボディーから得意の左フックでマンコントーン選手をマットに沈めた。 このクラスの相手ならば、過去の坂本だったら1回から倒しに行ったことは間違いないが、今回の試合では今までにあまり見られなかった、いわば「巧さ」が光った試合でもあった。しかし、その反面、坂本のファンの中から「もっと豪快な坂本のボクシングが見たい」という声が聞かれたことも事実である。それに対して坂本はこう答える。 「俺は廃人になるまでやる、とは一言も言ってない。若い頃の自分のビデオをたまに見るけど、確かに強い。でも力だけで勝負できた若い頃とはもう違うんだよ。昔にこだわってたら前に進めない。若い頃とは違うという事実を受け入れられるかどうかが進化への第一歩だと思う。この間の試合に関して言えば自分自身納得してる。昔と比べればおとなしい内容だったことは確かだし、ファンには物足りない部分もあったかもしれない。でも今は進化の過程だからあれでいい。自分の道を信じてるから今は何を言われようとあまり気にならない。でもボクシングは人間性や人生観がもろに出るスポーツなんだよね。 何をやっても俺という人間は変わらないし、だからいずれ昔のようにガンガンやる場面も必ず出てくると思ってる」 もう一つ気になることがある。それは1月の試合の後、坂本が控え室で「タイトルを目指すだけじゃない、腰の病気をやっても頑張れる俺みたいなボクサーがいるってことを見てほしい」と話していたこと。その真意をあらためて問うてみた 「まだ再出発したばかりで、自分自身が過程にいる段階でメディアにはあれしか言えなかったというのが本音。これから一つ一つ試合をクリアしていく中で、タイトルのことをまた口にできるようになると思う。チャンピオンを目指してないかって?もちろん今でも目指してる。ボクサーだったら当たり前のことだからね」坂本はボクサーとしての勝負をまだ決して諦めていない。しかし、この年齢でしかも腰の手術までしてボクシングの世界で再起を目指すことは常人には想像し難い厳しさがあるはず。坂本はなぜそこまでしてリングに上がり続けるのだろうか。 「好きなことで飯が食える幸せを知ってるから。だからその場所に居続けるための努力を惜しまない。ボクシングは俺が選んだ道だし、もちろんやり続けることは辛い。でもそれ以上に楽しい。理屈じゃないんだよね、ボクシングは。それに俺は一人じゃない。支えてくれるたくさんの人たちと一緒に戦ってるから」 こう言って坂本はこの日、札幌に住む68歳の女性から届いた手紙を見せてくれた。脊椎の病気を患い手術をしたが、同じ境遇の坂本がボクシングで再起を目指していることを知り、勇気づけられたという内容だった。 「本当に嬉しいよね。色んな人たちが頑張ってるんだよ。俺が手術をして入院してた時に高校1年生の男の子に出会った。彼は重度の腰の病気で全身麻痺状態なんだけど、歯を食いしばって立ち上がるリハビリをしてる。でも、あまりにエネルギーを使うから貧血を起こしちゃうんだよね。俺はベッドの上でその姿を見て、俺よりももっと辛い思いをしてあの子は頑張ってる、だったら俺はもっと頑張らないとって」 その男の子とは今でも交流を続けている。先日の試合での坂本の勝利に喜ぶ母親に、高校生になったばかりのその子は「勝ったことを喜ぶんじゃなくて、坂本さんがもう一度リングに立ったことを褒めてあげなよ」、そう言ったという。 坂本はボクシングを続けられる原動力の一つに「そういう人たちとの出会いがある」と話す。たくさんの人たちから勇気を貰い、坂本はリングの上でその勇気を多くの人たちに還元する。人間関係が希薄になりつつあると言われる現代の社会で、坂本は心と心が触れ合う人間らしいつながりを重んじる。 「結局どんなトレーニングをしたって最後はハートの勝負。幸せなことに俺は本当にたくさんの人たちから勇気を貰ってるから。だからハートでは絶対負けない。それをリングの上で証明したい」 6月末には次の試合が決まっている。新生・坂本博之を目指す不動心に宿る炎はまだ燃え尽きていない。
■坂本博之プロフィール http://www.kadoebi.com/boxing/players/index.cgi?n=339
posted by 角海老広報室 |21:12 |
コラム-KNUCKLE IS THE SOUL |
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