2007年09月15日
余生
長年ボクシングを見続け、自他共に認める大のボクシングファン、村木田一歩氏の独善コラム!男の平均寿命が78歳ということだが、そうすると自分にはあと20年ばかりが残されていることになる。しかしながら、最後までまあまあ元気でいられる年数となると、もう少し割り引く必要があって、自分としては、いいとこ70歳くらいではないかと思っている。老醜をさらす前に自分で何とか決着を付けられればいいが、とも思っている。となると、余生はあと10年ちょっとということで、正月があと10日回しか迎えられないという事で、つまり今まで生きてきた年月の5分の1ほどしか生きられないということになる。途中の病気や事故でもっと寿命が短くなる可能性もある。「大変だぁぁぁ!」 そんなわずかで大切な余生だから、今まで以上に1日1日大事に過ごそうという考え方もあったが、沈思黙考の結果、結局自堕落に生きてやろうと思うに至った。勿論最低の義務を果すことと周囲に迷惑をかけないマナーは忘れないようにとは思っているが、とにかく基本的にはダラーッと生きてやることにした。若い頃はヒトカドの人物になれると思っていたし、その時々の努力は頂上を極めるための過程と納得していたが、結局その頂上のずっと手前で、「こんなもんかな」という事になってしまい、自分が”地球を救う愛の戦士”でもないことにも気付いた。 人間の生きる意味については古来よりいろいろ言われているが『我思う故に我有り』というのは、どうもしっくり来ない。その種のもったいぶった言い回しで、人間を高い位置に置こうとする魂胆が透けて見えて、どこか欺瞞と自己満足でしかないというふうにしか思えない。人間ってそんなに偉くて優秀だったっけ?結局人間は、どうしたら他の人間を効率よく支配することが出来るかに腐心してきた生物にしか過ぎないんじゃないのかって。蟻の役割分担社会というレベルにさえ到達できず、1万年かかっても強者と弱者の仕組みから脱却することが出来ずにいる、哀れな生き物なのだ。自然界において、同種で殺しあうのは人間だけだし、人間の歴史は詰まるところ殺戮に使う武器の進歩の足跡にしか過ぎないんじゃないの。そう、人間は実に、実に悲しい生き物なのだ。で、そんなに悩んだり、力む必要はないって事で、要するに人間は単なる生き物の一種に過ぎず、他の動植物と同様、とにかく子孫を残すことだけが唯一の存在目的だっていうことにする。そして結局、個体数と食料が地球規模でバランスが取れてさえいればいいのだから、日本の少子化なんて全然OK。 で、とにかくやりたくない事はやらない、会いたくない人には会わない、好きな事だけやるという夢のような余生を今から始める。時間がないので、余計なこともしない。好きなジャズとオールディーズだけ聴いて、たまに本を読んで、映画を見る。そして、スポーツは、ボクシングだけという事になる。
posted by 村木田一歩 |15:10 |
コラム-リングサイド |
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