2009年05月30日
大分が昨年の3:5:2というか、3:4:1:2から4:4:2システムへ変更している。なぜ変更したの?変更理由は?
相手チームからよく研究されて、崩されることが多くなったからである。
そして、もう一点は得点が欲しくなったからである。4:4:2の方がより攻撃的な布陣で戦えるのである。
○ ○ ○ ○ ●
● ●
○ ○ ○ ○ ● ● ● ●
●
○ ○ ● ●
今年の大分 昨年の大分
どんなフォーメイションにも長所と欠点がある。フォーメイションを決めるのは監督の考えと選手の持っている能力である。大分は昨年、固定されたフォーメイションで勝ち上がってきた。そして各チームは何とか破ろうとあの手、この手と研究してきた。1チームの作戦が大分DFを破れば各チームは一斉にその手法を使ってくる。
3:5:2システムでは多くの得点力は望めない。理由はサイドプレーヤが少ないからである。現代サッカーで試合を決するのはサイドロードの権利をいかに奪い取るかにかかっている。
FC東京戦、FC東京は大分陣内ハーフラインから10m~15m地点でサイドチェンジ、これがうまくいくとDFのサイドが上がる、そしてFWがサイドに寄る。これでサイドで3対1の条件が整ってくる。大分は何度もこれをやられて、失点してしまった。
現代サッカーは多くの運動量を必要とする。各シーンでいかに数的優位な条件を作れるか、いかに優先権を先に奪えるか・・・にかかっている3:5:2ではサイドプレーヤの運動量が多く要求されて、押し込まれるとサイドの道を取られてしまう。そうすれば得点の香りが遠のいてしまう。
4:4:2の長所はサイドに2名いることである。特にDFのサイドはFW的センスとスピード、テクニックを要求される。岡田監督の日本代表を見ると内田、長友と速くてうまいのがそろっている。
欠点はセンターDFの裏にカバーするDFがいないことである。ここはセンターDF二人でチェレンジ&カバーをしっかりとやることである。1対1の強さが求められる。
元々、4:4:2の方がシステム的に自由度が高い。要するにポジション変更がやりやすい。相手にしてみればポジションがドンドン変わってくるのでマークがやりづらく、失点に結びつく可能性は高い。
3:5:2システムはやはり守備的なシステムなのだ。大分が固定されたメンバーで、このシステムを使って戦うには限界が来ていたと思う。
posted by kabosu |20:16 |
大分トリニータ |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2009年05月30日
大分県出身者で歴史的に1番古く名前が出てくる方が瀬口真喜郎氏(東京高師)だ。日本で最初に行われたサッカーの公式戦(横浜で外国人クラブと対戦)に東京高師から出場している。試合日は1904年(明治37年)の2月6日だ。
この瀬口氏、出身は大分師範で明治39年3月に東京高師を卒業している。卒業後は福岡県の小倉高等女学校に国語漢文の教諭として赴任している。その後、淡路島の洲本高等女学校(現洲本高校)に行き、この町で生涯を終えている。
昨年、戦前サッカーが盛んだった大分師範の方(89歳)にアルバムを見せていただいた。びっしり詰まったサッカーの歴史に驚いた。全国師範学校大会(明治神宮競技場)での試合写真など多くの宝物を見せていただいた。
大分県にサッカー(当時蹴球)が最初に伝わってきたのは、いつ頃、どこなのだろうか?日本サッカー協会の歴史などからは戦前のチームは大分師範、大分中学、中津中学、宇佐中学、大分商業などの名前があがっている。
また、日本代表、日本代表監督、日本サッカー協会理事長などを勤めた竹腰重丸氏は明治39年、臼杵市で生まれて13歳までこの町で過ごしている。そして日本サッカー協会のエンブレムで日本代表チームの胸にある3本足のカラスのマークのデザインした方も臼杵市出身の日名子実三氏である。昨年、大分国体が開催されたのを機に大分市の県立芸術会館で日名子実三展が開催された。
は大分のサッカー誰がいつ、どこで始めたのだろうか?
今、大分県サッカー協会にはこの歴史にまつわるものが一切ない。
数年前から、東京で日本サッカー史研究会なるものが発足している。関心のある方々が中心となって、もう一度深く広く掘り下げている。
月1回ペースで日本サッカー協会事務所を借りてゲストを呼んだりしている。
サッカーを「蹴球」とは誰がどういう意味で翻訳したのか?日本に初めてサッカーが来たのは?誰が?どういう背景があって?様々な歴史を検証している。
3月も和歌山県那智勝浦でシンポジュームを開催している。この地は日本で始めてサッカーの本を出した中村覚之助(東京高師)の出身地でもあり、3本足のカラスを祭る熊野神社がある。
いつの日か、大分県臼杵市で竹腰重丸と日名子実三を語る会を開いてみたい・・・。
「歴史を語れないものは未来を語れない」
posted by kabosu |04:05 |
大分トリニータ |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2009年05月28日
ベンゲル ノートから著者:中西哲生、戸塚啓
アーセナルの練習場は9面の芝生がある。その内、トップチームは3面使用する。1週間に1面使用すれば、次にまわってくるまで2週間空く。2週間空けば芝生の手入れはバッチリらしい。
クラブハウスは2階建て、床は板がきしむ。これも膝に負担がこないようにベンゲルの注文だそうである。監督がメディアの前に出るのは週1回の定例記者会見のみ。通常はすべて練習は非公開だ。
<印象に残った言葉>
良いプレーをしても負けることもあれば、悪いプレーをしても勝つことがある。長い目で見て我々に必要なのは流儀である。歴史に残るのはプレーに流儀を持ったチームだ。明日はアーセナルの試合がある「よし見に行こう」とたくさんの人が思ってくれるような試合をしなければならまい。観客はお金を払ってスペクタルを堪能しにくるのだから。
「Respect the geme」
対戦相手がいなければゲームは成立しない。
審判がいなければ無秩序な争いになてしまう。
観客がいなければひどく寒々しくなる。
だからこそサッカーのゲームを構成するすべての人々や物に対する、深い尊敬とともにプレーしよう。
このトレーニングを実施すれば技術が向上する。しかし、選手に学ぼう、上達しようという意志がなければ効果は半減する。
パスは前へ出せ。
「Pass should be future、not past、not present」
パスは未来へ出しものだ。過去でも現在でもない。
1863年 The FA 設立。
この国のサッカーの歴史は間違いなく世界を牽引している。
大分トリニータは苦慮している。
八方塞の状況だ。
打開策をどう見出していくか。
posted by kabosu |21:05 |
サッカー |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2009年05月27日
長居スタジアム・・・芝がはげない・・・(笑)
前半はパスが早く回り、日本らしかったが、後半はボールが動かなくなってしまった。日本の一人一人がボールを持つ時間が長くなってしまった。パスのリズムを作り出す選手がいなくなってしまった。本田のようにボールを持つ選手も必要だが、時折見せる独りよがりなプレーが目についた。
チリは前半のチャンス、決定機にゴールが決まればまた違った流れになったであろう。前半終了付近からチリは失点&時差などコンディション不良から動けなくなってしまった。
もしW杯に出場して戦えば、勝てる確立はかなり低くなるであろうチリの強さだった。大分の選手がいないのは寂しかったな~。やはり順位がそのまま出てくる日本代表メンバーだ。
この日本代表に選ばれる条件は速さ、技術、戦術理解度だ。特に判断の速さ、プレイの速さ、走る速さは必須だ。大分での候補は金崎、森重、清武・・・・西川あたりか。
いずれにしてもJリーグで良いパフォーマンスができないと選ばれる可能性は少ない。西川も絶好調時に比べて今一歩の感がある。まだ戻っていないように思える。決められる時に決められているのだ。あれを防がないと日の丸はまだ無理だ。
いずれにしてチームに勝利がきて、笑顔が増えないとサッカーを楽しくできない。ここが基本だ!
日本代表はベルギー、ウズベキスタン、カタール、オーストラリア戦を残すのみとなった。中村俊輔・・・・大分に来ないかな・・・無理だろう、お金ないもん(笑)。
posted by kabosu |21:29 |
日本のサッカー |
コメント(1) |
トラックバック(0)
2009年05月26日
サッカーの勝利、1対0、3対2、2対1・・・勝つってどういうことか。
わからなくなってしまった。
勝利よ・・・いずこへだ!
練習するグランドもなかった、ユニフォームもボールも・・・選手も・・・・資金も・・・何にもなかったのに、クラブを作って走り出した・・・。
選手は仕事をしながら夕方からの練習、仕事がきついから止めたいという。家に行って徹夜で話し込む・・・何とか続けるという・・・朝帰りで役所へ・・・現溝畑社長だ。
2002年の招致、大分トリニティの設立&運営・・・よくやったよな。
もちろん一人ではできなかった、多くの方々の協力なしには不可能だった。
でも彼がいなければふたつとも、間違いなくなかった!
全身全霊をかけて突き進んだのが溝畑社長だった。
彼は私利私欲で動かない、彼は大義名分で動かない。
彼は着眼大局&小局着手・・・情熱で動く。
いろいろあるが、正直で全うや・・・。
15年間、体を張ってクラブを支えてきた。
ガンバレや・・応援するで!めげるな・・怯むな~!
posted by kabosu |20:58 |
大分トリニータ |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2009年05月24日
九州石油ドームの芝生の問題が話題になっている。というか、これは3月に開幕してからずっと選手、マスコミ、サポータの中でも話題になっている。
ビッグアイができた2001年からずっと試合を見続けているものとして、少し長文になるが、知っている範囲で書いてみたい。専門家ではないので認識違いなどがあるかもしれませんがご容赦願いたい・・・。
建設途中段階からこのスタジアムの芝生問題はいわくつきである。建設はドームに経験のある竹中工務店が行った。設計は故人となったが黒川紀章が行った。建設段階では芝生の問題はまったくクローズアップされなかった。というよりも、スタジアムの芝生、サッカー場の芝生について大分県はまったく知識がなかった。スタジアムができた後で芝生を根付けて完成~・・・庭師さんがちょっとやってOK・・・とそんな感じだった。
欧州ではスタジアム建設時は芝生の維持管理は設計段階から考慮して、中には先にピッチを建設して、その後で周辺の建物を作るスタジアムもあると聞く。芝生は1、太陽 2、雨 3、風の条件が整わないと維持管理に手間がかかる。そういったグランドキーパの称する方々の意見をまったく聞かずに建設したのがビッグアイである。要するに無知だったのである。
スタジアムの芝生維持に、お金がかかることに驚いた県は、安い方法はないものかと競馬場で使用されている野芝を植えつけようとした。FIFAもOKしたということで、Aコート、Bコートにこの芝を植えつけた。しかし実態はFIFAに正確に確認していなかったのだろう・・・FIFA視察でこの芝生はボツになって大慌て。しかもスタジアムの芝生は竹中工務店まかせで・・・芽が出ずに大慌てでやっと社会問題に・・。
ここで国立競技場を1年中芝生を緑にした「エバーグリーン」というのかな・・今はJビレッジにおられる方に芝生の検討を依頼。2002年の6月W杯開催に何とか間に合わせて欲しいと依頼した。そして何とかギリギリ間に合ったのである。
芝生は洋芝(ティフトン)のバミューダグラス?を使用したと思います。西日本地区のスタジアムの芝生は農業でいう2毛作を行っています。夏芝は秋から冬にかけて枯れます。従って秋の10月ごろには機械で夏芝を痛めつけて弱らせます。そして冬芝の種を蒔きます。冬芝は1週間から2週間で伸びて根が張ります。大分トリニータはこの時期に長崎や熊本、鹿児島に出ていました。
そして春になって地温が20度を越えれば冬芝は弱くなり、眠っていた夏芝が芽をおこしてきます。スタジアムはこういう周期で1年中緑の芝生を維持しています。
それとは別にこの大分のスタジアムは構造的な欠陥を持っています。ピッチの地表が地面の地下2階になり、「風」がまったく通らない。さらにドームの正確上、影が多すぎて地表温度が上がらないという問題があります。
真夏に芝生に水を蒔いても風がないので、蒸発できずに、蒔いた水がお湯になり根をやられてしまうという問題です。夏場に数十台の大きなファンが廻っているのは少しでも気流を起こそうとしているためです。9月頃に芝生がよくないにはそのためのようです。
では欧州の屋根つきスタジアムはどうしているのでしょうか?スタジアム以外の場所で芝生を養成しています。そしてスタジアムの芝生が悪くなれば、育成した芝生をロール状に巻いてスタジアムで解き植えつけます。1週間ほどで根付くそうです。当然コストがかかります。
さて九石ドームは昨年大分で国体もあり、さらに芽土が嵩張ってピッチが高くなったこともあって、前面的にやりかえを行いました。これはどこのスタジアムでも10年に1度程度行うようです。
12月にJリーグが終わって、土を掘り返し、砂なども含めてやりかえたそうです。芝生は外で育成した夏芝をロール上にして植え付け、植えつける時に冬芝も混ぜて混合にしたと聞いております。
夏芝が元気になって根をしっかり張るのは地温が20度~25度になってからだそうです。でもそれは5~6月になるまで待たねばなりません。ではそれまでは?植えつける時に蒔いた冬芝が根を張らねばなりません。
現状のピッチを見るとどうもこの冬芝が機能していないのでは???と感じます。どうしてなのかはわかりません。
夏芝も天気の良い日が続いているので、もう落ち着いても良いのかな・・・と思うのですが・・。でも一時期よりは良くなっていると思いますが・・・。
現状的にはひたすら地温が上がるのを待つのみです・・・。
もう一点、日本ではターフ管理者の社会的位置づけが低いように思います。欧州に行けばスタジアムの歴代のターフ管理者の名前が書いた名板があったりするそうです。
またアメリカが芝生の先進国だそうで、あの大リーグのスタジアムの鮮やかな芝生やマスターズの芝生・・・ターフ管理者の引き抜きも多いと聞いております。
posted by kabosu |18:17 |
大分トリニータ |
コメント(3) |
トラックバック(0)
2009年05月23日
前試合、ナビスコカップの浦和戦で久しぶりの勝ち点1をあげた大分は中断までの最後のこの広島戦で勝ち点3が期待された。
しかし、結果は0対1で敗戦。リーグ戦10連敗を記録した。
この10連敗について試合終了後、溝畑社長は詫びた。深々と頭を下げた。
「ひとえに責任は私にある」・・・と。「この中断期間に立ち直して、再び戦えるチームにしたい」・・・と。
皆、一生懸命や・・・でも一生懸命では替えれない。何かを変えるにはもっと大改革が必要なのかもしれない。
浦和戦と同じように前からプレスにいった。でも広島パスワークの巧さに翻弄された。元々、大分にはサッカーのスタイルなるものがない。
広島の監督は1枚も2枚も上手だった。
posted by kabosu |22:26 |
大分トリニータ |
コメント(1) |
トラックバック(0)
2009年05月23日
職場の飲み会の帰り、どこからともなく快い♪メロディ♪が聞こえてくる。
バイオリン3人とチェロ一人の街角演奏会だ。思わず足を止めて音楽に聞きほれる・・・・。
ウムウム・・いいもんだ・・♪・・癒される時でもある。
聞きほれたリスナーが活動資金をボックスに入れる・・・。
千円札が多い・・・・。
ふとした街角の音楽文化に進んだお国柄を発見する。
街角のスポーツ文化ってないのかな?
音楽は楽器を持てば、世界中どこでも聞かせることができる。
スポーツはスタジアムでしか見せれないのか?
もっと気軽に、肩をこらずに、スポーツに触れ合う街角文化って・・・ないのかな?
posted by kabosu |00:16 |
日本スポーツ |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2009年05月21日
先日、和歌山県那智勝浦で開催された「日本サッカー史シンポジューム」のDVDが送られてきた。チョウ~嬉しい~(笑)。
日本サッカー史研究会の知り合いのメンバーの方から送られてきました。コメントで「次は是非、大分県臼杵市で竹腰重丸と日名子実三を語る会を・・・」・・と(笑)。
極東大会で初優勝、ベルリンオリンピックのコーチ、日本代表のメルボルンオリンピックチームの監督、日本サッカー協会理事長、アジア大会団長など、近代日本サッカーの礎を築いた竹腰重丸氏は大分県臼杵市で生まれてこの町で12年間過ごしている。
日本サッカー協会の3本足の烏のエンブレムを作ったのも、大分県臼杵市出身の日名子実三氏。
このご両人が生まれたのは今から百年以上も前の明治の時代。まだ武士の残党がいた時代である。
2年前に竹腰重丸氏が生まれた生家跡を訪ねた。近くに海添川という川が流れており、この川で喧嘩で泣いた涙後を流して家に帰ったのであろう・・・。母からは武士の子が・・と厳しく躾けられたらしい。
日名子実三氏は昨年、大分で国体があった時に日名子実三展が県芸術会館であった。見学したが、大分大学に彼のことをよく調べている先生がいるのがわかった。
今度は臼杵の図書館を訪ねて、もう少し調べてみたい。
今日は夕方から雨、そして雷・・・。練習は途中で中断した。
posted by kabosu |21:07 |
日本のサッカー |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2009年05月21日
平日にもかかわらず、この人数・・・浦和サポには敬服いたします。
声を出されている方々の人数は、大分と同じぐらいでした。いやいや、皆さん熱い!
大分は高橋の1トップで4:5:1のフォーメイション。中盤が多い分、浦和に速めにプレッシャーをかけ続ける。立ち上がりは大分ペース、いつになく中盤からの早い詰め・・・とても9連敗しているチームには見えない。1点目も、追い込んだ大分の金崎が追いかけると浦和DFが後ろへパス、さらに追い込むと坪井がGKへバックパス、これが緩くて金崎が追いつきGKがキャッチする直前でシュートが決まる。36分、大分先制!
この後、浦和がペースを握る。ショートパスを多様して、ボールを一旦保持すれば10本以上パスを続ける。但し、手数が多すぎて大分が戻ってしまうが、それでもパスつなぎの妙技を見せる。特にファーストタッチのトラップ精度がすばらしく高く、いつもよい位置に置いているのが印象的だ。
そんな中、41分山田が大分DFの一瞬のスキをついてスペースへ飛び出し、原口→西澤→山田とつながり、角度のない右サイドから思い切りのよいシュート、ボールは大分GK下川の股間を抜けてゴール!1対1になる。
後半になっても大分は決定的なシュートチャンスを迎えるが、決めきれずに1対1のドローとなり勝ち点1を獲得する。
試合終了直後、九石ドームには拍手が響き渡った。それは9連敗している大分が脱皮したようなサッカーをしたからだ。伸び伸びと、自信を持って走り回り、積極的に仕掛けていくサッカーを展開したが、これが広島戦につながることを祈る。
それにしても浦和の原口、山田、後半になって入った高橋、これらの10代選手は、良く動くし技術レベルも高い。視野の広さ、遠さには感心する。
盛岡商業出身の林も見たかったが・・・出場しなかった・・残念。
やはり4:4:2は中盤からのプレスはひとつのポイントだ。大分も板についてきたが、1試合のみではまだわからない。大分で良かったのはイエローが1枚も出なかったことだ。これでホームでは2試合連続だ。
こういうサッカーをしていれば、必ずや結果が付いてくると信じている。
フィンケ監督は61歳、いかにもドイツ人らしい風貌からにじみ出てくるドイツサッカーの鏡のような雰囲気。あのパスサッカーの第2弾、第3弾と次々にステップアップしていくこれからの進化が見ものである。
posted by kabosu |05:27 |
大分トリニータ |
コメント(2) |
トラックバック(1)