2009年04月29日
本屋に寄ると、「シャムスカマジック」の本が店頭に並んでいるが、現状のチーム状態と考え合わせると思わず眼をそらしてしまう。
立ち上がり、大分は全員、前への意識が強かった。前へ、前へと運動量も多い。システムは4:4:2.DFの両サイド(高橋、小林)は積極的に上がっていった。
しかし、パスミスも多い。まずパスのコースが受け手と合わない、ずれているケース。そしてパススピードが遅い、これは以前から言われていることだが・・・そのために詰められて蹴ってしまう場合。そしてトラップミスの3点に集約される。
ひとつはウエズレイと森島に合わせるロングボールを多用していくと、ショートパスのリズムに変えられない。ロングボールでセカンドボールを狙うやり方はリスクも大きい。何よりも運動量を要求されるし、後半の後半にへばってくる。
今年の大分は中盤でなかなか思うようなパスがつながらない。金崎もダイレクト、ワンタッチでつなぐ場合とドリブルの場合との判断が周辺と合わないケースが見受けられる。
そういった中でも前への意識が高く、「攻撃は最大の防御」通り、優位な時間帯が20分過ぎから始まった。そういった中での38分のゴールが流れから見れば自然だったかもしれない。
一方の柏は中盤でセカンドボールが拾えずに苦慮していた。後半開始から当然メンバーを入れ替えてきた。杉山→蔵川、ポポ→大津の二人は後半運動量豊かに走り回った。
後半になったが大分の運動量は落ちない。柏は26分に石川→北島に交代して、この交代を基点に激しく点を取りにくる。大分は防戦を強いられる。ここで大分は鈴木→清武に交代する。30分過ぎてから大分の足が止まりはじまる。
サイドのマークが緩くなり始めて、よいクロスが大分ゴール前へ入るようになった。失点シーンも二人のマークが居たが離れ過ぎてマークがマークでなくなっていた。36分、北島のヘディングで失点。さらに攻勢をかける柏。大分は41分に森島→東へ交代、引き分け狙いか?
44分に金崎→家長に交代?キープさせての引き分け狙い?、しかし45分にCKから失点する。逆転!残りはロスタイム。
昨年後半戦からシャムスカ監督の選手交代の采配は守備固めが多くなっている。しかし、攻めと攻撃は表裏一体、攻めて守らなければ勝利はない。カメナチオと言われてリーグ最小失点記録を生み出した昨年は攻めの采配も多かったが・・・・。
これで4月は勝ち星なしで終わった大分。勝つ試合の流れがつかめていない。特に後半30分を過ぎてからの時間帯はメンタルなのか、采配なのか、体力なのか、微妙な残り15分間の過ごし方に冷静かつ自信が求められている。
posted by kabosu |22:26 |
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2009年04月26日
大分のスポンサーである城島高原で結婚式をされたカップルが試合前に祝福された。まことに華やいだ雰囲気で幸せを祈る・・・と心で念じて・・試合が始まった。
立ち上がりの大分はかなりよくなっていた。チーム全員が「前へ」の意識が強くて、果敢に前から仕掛けていた。少なくとも山形戦や神戸戦よりも改善されていた。一人、二人が前へいくのではなくて、全員が意識を持っていた。
その後、東京のサイド攻撃にやや押し込まれたが、雑なシュートに助けられていた。そんな中での前半32分にエジミウソン選手に出た2枚目のイエロカード&レッドで試合が豹変した。
29分に異議でイエロー、32分に反スポーツ行為で2枚目・・あっという間の予測のつかないジャッジにスタンドは騒然とする。これで大分はゲームプランが崩れて守勢に廻らざるをえなくなる。
東京の攻めも、シュートの精度が低く、ことごとく防ぐGK西川の存在が大きく見えていた。後半になっても同じような状態が続いていた。
引き分けかと思われた後半ロスタイム3分の残り10秒でPKを取られた。これを梶山が決めた直後にタイムアップ。大分にとってはショックな敗戦だった。崩れこむ西川、仰向けに倒れて起き上がれないPKを与えた高橋・・・泣いていただろうか・・。
怒号は審判に向けられた。大ブーイングがスタジアムに響きわたった。しかし、これもサッカー、予測がつかない状態がおきるのもサッカーならではであるが・・イエローカードが6枚、レッド1枚(東京はイエロー1枚)を受けた大分サポータの気持ちは治まらない。
よく走り、良い位置で判断してジャッジを行うのも主審の大きな仕事であるならば、選手に気持ちよくサッカーをさせてあげるのも主審の大きな仕事のひとつである。興奮した選手を笑顔で包み込み、一言の言葉かけで選手は落ち着くものである。
選手を呼びつけて、あるいは選手の前に走って行って激しくカードを突き出す出し方は、上から目線での出し方で、見ていても気持ちの良い出し方ではない。反発を招くだけである。
高橋は与えたPK、それは東京の最後のGKから始まった。しかし、それは明らかなミスジャッジだった。東京の選手が蹴りだしたボールで大分にCKが与えられずはずだった。それを東京側のGKと判断した
高山審判は大きなミスを犯した。そのGKから始まった流れで試合の勝敗が決まってしまった。
大分サポの怒りはPKではない。このCKをGKと判定したジャッジについて怒っているのである。
しかし試合後、大分の選手は切り替わっていた。それは過去の試合にはなかった大分の良さが試合の前半に見られたことである。これからゴールデンウィークにかけて連戦が続く。
結果を求めすぎずに、サッカーの質を求めていけば結果は付いてくる。自分たちのサッカーを忘れてはならないし、勇気を持って前へいくことが今の大分に必要なことであろう。
それにしても新婚さんに勝利をプレゼントしてあげたかった。お二人の未来を明るく送り出してあげたがったが、現状は違った結果で「現実」を見せ付けられた格好になった。
でも、ものは考えよう。どんな時にも笑顔を忘れずに、素直に真面目に努力していけば未来は拓けてくる。「お幸せに!」。
posted by kabosu |06:28 |
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2009年04月25日
「JFAグリーンプロジエクトin大分」と銘打っての講演会を聴講した。場所は大分市内のコンパルホール。主催は大分県サッカー協会。
演者はニール・スミスさん(ニュージーランド人)。NPO法人鳥取で芝生の普及活動に取り組んでおられる方だ。昨年、NHKの全国放送でも紹介されたことがあり、私も見た記憶がある。
一言でいうなれば、幼稚園、保育園、小学校、中学校などの校庭、その他の土のグランドを芝生化していきたい・・・ということである。そのための芝生の効用を力説して話しておられました。
「日本という国土は本当に緑が多い。山も川の土手も空き地も、でも例外は学校の校庭だ。なぜ校庭は土か?それは手間がかからずに管理が簡単だからだ。大人たちの都合である」・・・と。それから芝生化した幼稚園や小学校などの写真を見せて、そこで裸足で遊ぶ子供たちの生き生きとした表情を見せ続けた。
大分トリニータがJ2に参画した1999年、大分のゴール裏サポータ有志で様々な企画を行って活動した時があった。毎回ゲストを呼び、私が司会をして様々な話を聞くイベントである。以前あった「神田サッカーナイト」の大分版「大分サッカーナイト」である。
皇甫官、石崎監督、朴強化部顧問、サッカー協会副会長、TBSのサッカー番組で司会をしていた水沼氏・・・など等である。その中で当時、鳥栖スタジアムのグランドキーパをしていた沼田氏を呼んで芝生の話を聞く機会があった。今から10年前の話である。今回の内容はその時の話の内容とかなりダブル。
芝生の効用を日本人はまだ理解していないし、日本全土に広がっていない。芝生というと日本家庭の庭に植える芝生である観賞用の芝生(高麗芝)をイメージする人が多いのが実情である。特に大分県は校庭の芝生化が遅れている。
アメリカの大リーグ中継で映し出される野球場のきれいな芝生、内外野に敷き詰められた、あのきれいな芝生、そして圧巻はゴルフ場の芝生である。マスターズのあのきれいな緑。芝生の先進国はまぎれもなくアメリカである。日本の先進グランドである国立競技場の方々も皆アメリカに学んできたのである。
昔、15年ほど前になるが女子サッカーの監督をしていた頃、アメリカとスコットランドの女性が一員になったことがあった。土のグランドを見て、どこで練習するの?と・・目線は芝生を探していた(笑)。
今日、Jリーグ第7節で対戦するFC東京。以前は東京ガスという名前でJFLで大分とよく対戦していた。前日入りした東京ガスは「芝生のグランドを貸してください」と・・・・しかし当時、大分市営陸上競技場しか芝生がなかったが、そこは高校サッカー選手権と高校ラグビ-選手権の決勝しか貸し出せないルールであったために、ボツ。
東京ガスは平和市民公園のステージ前にある少しの芝生で黙認という形で練習したことがあった。
あれから10年以上歳月が経ち、大分では2002年にワールドカップ、昨年は国体があった。今、芝生のグランドは県内に30面近くある。驚くべき数字である。高校の大会などでも1回戦からすべて芝生グランドということもある。
1966年に開催されたイングランドW杯、その映画「ゴール」を始めて見たのが今から40年ほど昔で、1番驚いたのがウエンブレースタジアムのきれいな芝生だった。
「サッカーやクリケット、ラグビーはなぜ芝生でするの?」その疑問をロンドン大学の先生でミルウオールズの熱いサポータでもある知人に聞いたら「相撲はなぜ土俵でするの?」「あなたの質問はそのことを聞いているのですよ!」と言われた(笑)。
posted by kabosu |05:42 |
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2009年04月14日
大分の胸にはスポンサー名がない状態が続いている。
本来なら「MARUHAN」マルハン:ホール(パチンコ)業界の名前が入るはずだが、Jリーグで認められておらず、無い状態が続いている。
Jリーグではホール業界を含めて神社仏閣、葬儀社なども禁止していると聞いている。
イタリアセリアAのビッグクラブである世界的なクラブ、ACミランの胸スポンサー名をご存知だろうか?b-WINとかいている。スペインリーグのレアルマドリードの胸にもb-WINと書いている。同じくスペインリーグのセビージャFCの胸スポンサーは888.comと書いている。プレミアリーグのトットナム・ホットスパーの胸スポンサーにはMansionと書いている。すべてカジノである。
Jリーグでは設立当初からこういった規制をかけ続けている。当初はスポンサーになることも全面的に禁止だったが、今はスポンサーや看板広告は認可されているが、ホール業界などに対して胸は相変わらず許可していない。
海外ではアルコールやカジノには規制をかけてはいないのに、何ゆえ日本のJリーグは認可しないのか?アルコールは昨年の秋にやっと胸スポンサーの許可がおりた。リバプールの胸にはかなり前からビール会社名があるのにね。
それにしてもJリーグが許可しない理由に、よく聞くのは「イメージが悪い」というらしい。ではイメージとは何か?どういうイメージなのかと掘り下げていくと漠然としていてこれも解がない。売上高1兆8千億(平成19年度)、税金もしっかりと納めてなんら疚しいことはしていないマルハンがホール業界という理由のみで外されている。これは職業差別ではないのだろうか?裁判に訴えればどうなるのだろうか?
大分もマルハンを胸スポンサーにと望んでいる。マルハンも胸スポンサーにと望んでいる。でもJリーグは認可しない。でも海外では上記の通りである。
不景気でJ1~J2の36クラブが厳しい状況に置かれている昨今、こんな規制はどこに意味があるのだろうか。もし何らかのリスクがあるならばそれはクラブに押し付けるべきであろう。Jリーグでの規制・統制はまるで日本のお役所、霞ヶ関を見ているようにも思える。
posted by kabosu |22:14 |
Jリーグ |
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2009年04月12日
暖かい春の日差しが差し込む九石ドーム、まさに春爛漫のこの時期の試合は気持ちを和やかにさせる。しかし、ピッチ上で繰り広げた試合は苦悩の大分だった。
怪我人、カード選手が毎試合出ている大分。この試合は森重が見方選手と衝突して意識不明、救急車で病院へ。上本選手が1発レッドで山形にPKを与える。
このように負傷者が毎試合出ている状態、そしてカードを毎試合もらっているような状態はどこかにその原因が潜んでいる。その根本はやはり毎日のトレーニングであろう。
試合内容を振り返ると大分らしい躍動感溢れる走りが影を潜めている。フィジカルコンディションが明らかに墜ちている。その原因はどこにあるのか?今年は昨年のナビスコ優勝でアメリカで行われたパンパシフィック大会に出場した。シーズン前にああいう大会に出場して試合経験という意味では大きなものを得たかもしれない。しかし、コンディション的にはどうだったのであろうか?
特に大分の心臓部であるボランチの運動量が落ちている。ピッチ全体を縦横無尽に走り回るエジミウソンの動きも精彩がない。体調的にどうなのかはわからないが、チーム全員が不安で、自信のない動きで試合に挑んでいるのではないだろうか。
原因をひとつではないだろう。いくつか要因はあるのだろうが、その要因を見つけ出して、日々のトレーニングでひとつひとつ丁寧に潰していきながら試合を重ねながら復活していくしかない。焦らずに、しっかりとやることである。
夕刻から某記者さんやパーソナリティとの飲み会・・・とても楽しかったが・・負け試合の放送はやはり少しヘコム。
エネルギッシュに走り回り、粘りのある強い大分をまた見たい!
posted by kabosu |06:04 |
大分トリニータ |
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2009年04月08日
桜は散り始めたが、今年は梅も鮮やかだった。
日曜日、大分市の高尾山公園での花見に参加した。主催は大分トリニータのボランティアの皆さん方だ。恒例行事として始めてからもう5~6年になる。少ない時は10人程度だったが、今年は70名を越えた。
そして参加者はボランティアの皆さん方のみではない。昨日、埼玉で行われた浦和戦に行かれたクラブのフロントの方々、いつもお世話になる九石ドームの方々、試合を担当されるMCの方、・・・様々な方々が集まるようになった。
大分トリニータのボランティア登録は2百名を超えている。そして、試合への参加者は平均すると百名を超えている。この数字は他のJリーグクラブのボランティアと比較しても驚くべき数字である。
↓今年のボランティアの総会の風景。
歴史はクラブがJFLに参入した1996年から始まった。今年で14年目を迎える。しっかりと根を降ろしてしてきた感はある。九石ドームで行われる大分トリニータ戦、そして時々行われる日本代表戦での運営はこのボランティアの方々抜きには考えられないようになっている。
試合会場のビラ配布、チケットのもぎり、誘導・案内、報道や来賓の受付、環境・清掃、試合会場の設営、サテライトやユースの試合のボールboy&gial、等など、多くの仕事に関わっている。2万人~3万人ものお客さんが集まる試合運営は多くの方々の協力がなければ難しい。
そしてボランティア自体の運営も自主運営している。月1回の月例会議、ボランティア登録者の管理、連絡等は自分たちで行い、様々な対応についてもクラブと連絡をとりながら行っている。
ボランティアは大分のみではない。J1、J2の各クラブに規模の大小はあるが、ほとんど存在している。そして各Jクラブのボランティアを結ぶネットワークも自主運営されている。こういった方々が一同に集まって話し合う全国ホームタウンサミットも自主運営、Jリーグオールスター戦についても希望者が集まって運営ボランティアに参加している。今年は皆で韓国で行われる試合にボランティアで行こうと張り切っている。
Jクラブが街に存在するからこそ、広がる人的ネットワーク。これが社会を間違いなく形作っているのだ。貴方の言葉が、貴方の行動が社会を作る。そして笑顔が生まれているということはとても嬉しいことである。
posted by kabosu |04:03 |
Jリーグ |
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2009年04月04日
大分市内のパブリックビューイングで観戦した。今期の浦和を見るのは初めてだった。
攻守の切り替えがものすごく早くなっている。大分は攻めのスイッチを入れようとするパスをことごとく潰された。大分は主力が怪我で前半はしっかりと守ろうという姿勢がアリアリだった。両サイドも引いて、引き過ぎの感があった。Pエリアの前でサイドチェンジをかけられ、浦和DFの両サイドが上がってきたら、とたんにピンチの連続であった。
引いてもよいが引きすぎて相手にプレッシャーをかけれずにいると、相手に思うようにやられてしまう。もう少し中盤で圧力をかけないと、いずれ失点してしまう。
ホベルトがいなかったのがやはり大きかった。彼はPの前のバイタルではしっかりとプレッシャーをかけれる選手であるが・・・痛かった。
大分は昨年の良い時の状態になれていない。走る量も少ないし、パスコースへの顔の出し方も少ない。もう少し、時間がかかりそうだ。
今期の新戦力である18歳の住田、東が出場した。東はシュートを打ってきた。これからに期待する・・・見せて欲しい!
浦和はサントスが左DFに入り、攻撃の基点になっていた。ただ攻めでは手数をかけすぎていて、無駄に時間を費やしているシーンも見られた。相手のラインが浅い時にはもっとシンプルい狙っていいだろう。
大分は得点を狙えるシーンが出てこない。これで3試合無失点、ウ~ン、もっと両サイドが上がってこないと厳しい。少し、引きすぎている。ポジションチェンジも少ないし、高橋は持ち味のダイナミックさが影を潜めている。もっと前に、もっと前にの気持ちが出ていない。
やはりもう少し暖かくならないとエンジンがかからないか?・・・毎年のことだが・・・。
昨年と比較すると浦和は良くなってきている。やろうとするサッカーが明確に見えてきている。熟成すればまだまだ強くなるだろう。
posted by kabosu |20:23 |
大分トリニータ |
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2009年04月04日
同世代のサッカーを愛してやまない大阪のフットボーラが昨日逝った。
広島県似島。広島市の前に浮かぶ島である。戦前、ここにはドイツ人の収容所があった。そのドイツ人がいつもやっていたサッカー、その流れを引き継いだのが似島中学の先生だった。そして多くのサッカー好きの少年を育てていった。
サッカーをやることが珍しかったあの時代。1964年の東京オリンピックの後、1965年に日本のスポーツ界の先人を切って、日本サッカーリーグが開幕した。大阪の彼もその中でプレーしていた。きっと、夢中でサッカーに打ち込んでいたのであろう。
釜本、杉山、宮本輝、渡辺らのメキシコ五輪銅メダル組の全盛の時代だった。彼は今年の高校選手権で初優勝した広島皆実高校の出身、その後関東の大学でプレーした後、日本リーグで活躍していた。
磐田や横浜Mの監督をやった桑原、八幡製鐵で日本代表を続けた崎谷、古河電工の木村、早稲田の松永、滝川第二の監督だった黒田氏、国見の小峯氏・・・団塊の世代と言われるこの世代でサッカーに打ち込んだ方々は多い。質より量で上昇志向を極めた世代だった。
彼はその後、セルジオ越後氏とタックを組んで、全国を行脚した。日本全国の少年たちに与えた功績は計り知れないほど大きい。
そんな彼を知ったのは1昨年のあるサイトだった。そしてその秋、大阪で行われた「竹腰重丸を語る会」で始めて会った。彼は私の隣に座った。自己紹介の時「××です。サッカーやってました(笑)」はにかむ彼の姿は可愛いかった。
手術をしていたのは知っていた。二次会で梅田のスポーツバーに行って彼と初めて話した・・・そこには世界が40年前の日本のサッカーにさかのぼった空間があった。あの試合は・・どこで見た、あの選手と対戦したのは・・・。
彼はブログで少年たちの指導のことをいつも書いていた。子供が語る瞳の純真さに、サッカーを通じて語りかけていた・・・ように思える。
食を愛し、サッカーを愛し、家族を愛し、その彼が昨日逝った。
同世代の人間としてサッカーを共に愛してきた人間として、心からご冥福をお祈りいたします。
posted by kabosu |06:19 |
日本のサッカー |
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2009年04月02日
以前から、ず~っと、ず~っと、頭の中から離れない思いがある。
自分自身、よい知恵が浮かばないが、いつも思うことがある。
我が町、大分県でも過去幾多の日本一を収めてきた高校がたくさんある。現在は今春、春高バレ-で2連覇した東九州龍谷高校女子バレ-部。数十年前に花園で優勝した舞鶴高校ラグビ-部、甲子園で春・夏優勝した津久見高校。戦後は水泳で多くのオリンピック選手を輩出した佐伯鶴城高校・・などなど。
当然、その時代は熱狂した。地元紙も全国紙も多くのメディアは賞賛し、祭り上げられた。「地元の誇りだ」「我々に勇気を与えた」「ありがとう××高校!」・・・賛美と褒め言葉が舞い散る中で・・笑顔で県も市も教育委員会も喜んだものだ。
でも、今その時の何が残っているんだろう。何が後世に残されているのだろうか?佐伯鶴城高校に行けば当時の記念碑が残されているだけである。津久見高校や舞鶴高校に行っても同じである。
あの時の選手、あの時の学校関係者、あの時の保護者、あの時のOBの皆さん方には、鮮明な記憶として脳裏に刻まれているかもしれない。でも一般市民にとっては一時の笑顔であり一時の快楽であった・・・時が過ぎ、30年・・50年と過ぎていけば風化して忘れ去られてしまう。
その街に何が残っているのだろうか?スポ-ツって、学校スポ-ツの感動って、そんなにも切なく一時の思いで消え去られていくものだろうか?後50年経てば、何年何月優勝・・の活字のみが残り、すべて消えていくような気がします。
いやいや、我々が後世に残すべき術(すべ)をしらないだけのことかもしれません。あるいは、それぞれの関係者が記録として思いを残し、図書館などに置いている学校があるかもしれません。
でもスポ-ツの記憶を後世に残す思いで、記録を媒体として残している方々は少ないように思います。
街の図書館に行けば、その街のスポ-ツの歴史がすべて覗ける・・・そんな思いも、スポ-ツに関わっている方々には必要なのだろうと思います。そして、その歴史を、現在の選手も皆さん方に伝えるという行動も指導者の皆さん方には必要なのだと思います。
「今日は、明日になれば歴史になる」歴史はしっかりと語り継がれていくものなのでしょう。
posted by kabosu |09:44 |
日本スポーツ |
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