2010年03月13日

大分と岐阜との関係

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大分の練習場から見る由布山、鶴見山。 明日、大分は岐阜と対戦する。初めての対戦である。 大分と岐阜との人脈を探ってみたい。 岐阜の浮気コーチが2002年、大分がJ1昇格した時の大分の主将だった。 大分の梅田選手は岐阜工業出身、JFL西濃運輸でプレーしていたが1999年、大分に来た。そして1昨年、再び岐阜へ、そして今年またまた大分でプレー。 岐阜がJFLに昇格したのは、大分で開催された地域リーグ決勝大会である。森山選手も元気で出場していた。 この大会は悲喜こもごもで、試合後の負けた選手の姿は辛かった。 そして岐阜の社長の今西和男氏。この方は東京教育大学~東洋工業~サンフレッチェ広島と渡り歩いた日本サッカーの生字引でもある。 1994年に大分を作る時は、1993年から自腹で何度、何度も大分に来てくれて、初代文監督、選手選考、選手派遣、クラブの運営などなど、多くの面で大分トリニティ設立に尽力してくれた。 さらにできたばかりの県リーグ参加の大分トリニティに胸を貸してくれたのが、当時Jリーグで優勝した広島だった。別府キャンプ中、風間や高木などベストメンバーで試合をしてくれた。 さらに大分での2002年W杯招致についても、海外人脈などをつかって手助けしてくれた。あのオフトも大分の招致アドバイザーだった。 広島ではGM、でも広島がJリーグに参画するウンヌンで、この方の力は大きかった。いなければ、広島のJリーグ参加はまちがいなくなかった。 日本サッカー協会では強化委員会副委員長として、日本代表の遠征や試合はすべて帯同した。 その方が、岐阜の社長で大分と対戦する。1993年、あの当時、こういうことが起きようとは・・・・人生、縁は奇なものである。 大分を作る時には、多くの方々が、実にたくさんの方々が協力・尽力してくれたのである。大分県サッカー協会もそうである。多くの方々がボランティアで支えて、それは今も続いている。 その土台があって、今の大分があるのである。 今西社長も、大分との対戦は特別な思いがあるはずである。


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posted by kabosu |06:20 | 大分トリニータ | コメント(0) | トラックバック(0)
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