かぼすシュートの蹴球アラカルト

スポーツ史の大切さを思う

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大分県が生んだオリンピックのメダリストは以前、このブログでも述べました。
よくよく調べてみると8名います。
1、谷川(水泳) 2、岩崎(水泳) 3、山脇(体操) 4、高柳(女子バレー) 5、伊達(レスリング)
6、安藤(野球) 7、若林(野球) 8、蔵本(柔道)
今は、大分スポーツ学会の広報誌作成で、谷川禎一郎(昭和27年ヘルシンキオリンピック 競泳800mリレー銀メダル)のことを調べています。
谷川さんは大分県佐伯市佐伯鶴城高校の出身、その後日大に進み大学生の時に、オリンピックに出場しています。
昭和24年、25年と全国高校水泳大会で2連覇しています。
昭和24年といえば戦後、日本がまだ貧しい頃、調べていると佐伯市の田舎の食糧事情を匂わせる文章に出会いました。
昼休みに弁当を持参している生徒は稀にしかいない。大概の生徒は自宅に走って帰る、そして、雑炊などを胃袋にかきこみ、空腹感はいつもあったそうです。授業の後でプールで10km~15km、泳ぐ。プールの横に芋畑を作り、その芋を焼いて食べていたそうである。
そういえば、戦後「富士山(フジヤマ)の飛び魚」と言われたJOCの古橋広之進さんも、日大のプールの横に芋畑があり、IOCの岡野俊一郎さんに「何を食べていたの?」と聞かれて、「芋」と答えていたそうです。
戦後、佐伯市は大分県の南に位置し、人口が当時4~5万人の小さな城下町でした。その佐伯の佐伯鶴城高校が、戦後の昭和20年から全国高校水泳大会で5回、西日本高校水泳大会(末広杯)で12回、九州高校水泳で7回の優勝数えているのは驚きです。
オリンピック選手を10人近く輩出し、メダリストも2人、今は平泳ぎで世界新を出した早稲田の渡辺一平選手が有名ですね。
何故に佐伯市からこのような水泳のアスリートを輩出したのか?
そこには、当然のことながら情熱を注いだ指導者がおります。戦前は横川先生、戦後は岡田正一先生です。
岡田先生は、戦前に旧制佐伯中学から国学院大学を出た後、愛知の学校で働き、その時にある有名選手も指導します。「前畑、ガンバレ」で有名なあの前畑選手も戦前に少し指導していたそうです。
そして戦後、佐伯中学に赴任してからすぐに水泳部を復活させます、昭和21年関西の宝塚プールであった全国高校水泳水泳大会に参加します。・・・しかし、食うものがない。校長先生と二人で農業の生徒の家を夜な夜な歩き、米をかき集めてきたそうです。そして米俵2俵分の米を分散して持参し、準優勝した話がありました。
岡田さんは、また船や汽車の時刻表の都合で早く帰宅する生徒のために、自宅を下宿にして開放し、近くに生徒と一緒に水田を開墾してお米作りにも精を出したそうです。

そして、小学校・中学校の水泳大会や、遠泳大会を見学に行き、素質のある子供には水泳の指導を行い、佐伯鶴城高校に来て泳がないか・・・と、誘ったそうです。
戦後、天を抜けるような情熱で、水泳に没頭して、日本の水泳界をリードしました。
しかしながら、この岡田正一さんのことを書いた記録史などが見つからない。県立図書館などで調べても、学校も百周年記念誌や水泳の試合記録などはあるが、人間:岡田正一を書いた記録がないのは、残念なことだ。
今でこそ、自宅に生徒を済ませて、部活に熱中させるというのは、当たり前によく聞く話であるが、戦後まもなくの貧しくて、食糧事情にも乏しい時代に、それを始めた先駆者でもある。
そして、小・中・高と、一貫指導の大切さに気付き、そのような指導方針を根付かせていかれた方がいたのも、驚きです。
現在、日本水泳連盟の会長である青木剛さんも、この岡田さんから指導を受けた一人です。
戦前、戦中、戦後と、日本水泳を牽引してきた田畑政治さん、古橋広之進さんなど、各競技で身を粉にして支えてきた方々の記録を残す大事さを、改めて感じています。

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「水と緑と青い空」、大分の自然を愛し、大分トリニータを愛し、サッカーを愛してやまない「お爺さん」です。

一方ではサッカーの歴史にも興味を示し、スポーツ社会学やスポーツ産業学にも好奇心旺盛な一面があり、地方をスポーツで笑顔にしたいと思っております。スポーツ社会学研究会(サロン2002)の会員でもあります。

2014年3月末で定年退職、30数年間勤務した民間企業・17年間勤務した教職、合計47年間の仕事生活に別れを告げました。

今は毎日自由な空間に浸り、何とも言えない空気の匂いを嗅ぎ、土いじりをしたり、快速自転車に乗って近隣の街を訪れています。

でも、サッカーとは離れられずに,大分トリニータボランティアと高専サッカー部の指導(外部コーチ)は継続しています。

時折、地方でサッカーTV・ラジオ解説、そしてFMラジオに出てfootballを語っています。

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