かぼすシュートの蹴球アラカルト

日本水泳の礎を築いたひとり岡田正一

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図書館で色々と調べている内に、まとめてみたくなったので、初めて水泳の指導者について書いて見る。
時代は、戦前から戦後について、大分県の南にある佐伯市。

旧制佐伯中学~今の佐伯鶴城(かくじょう)高校の水泳部を指導した、岡田正一についてである。
今年のブラジル・リオオリンピックにも200m平泳ぎに渡辺一平選手(佐伯鶴城高校~早稲田大学)が出場する。

1932年のロスアンゼルス・オリンピック、そして1936年のベルリン・オリンピックで、日本の水泳陣が強烈な印象を植え付けた。

ロス大会では、競泳6種目の内5種目で金メダル。ベルリンでは前畑秀子が女子200m平泳ぎ、男子でも葉室選手、寺田選手と800mリレーで優勝。日本が獲得した6個の金メダルの内、4個が水泳陣の活躍によるものだった。

その後、古橋・橋詰の時代を経て、日本水泳界は下降線の一途を辿る。
その弱体化した日本水泳界の再建に取り組み、昭和45年故人となった岡田正一(58歳)についてである。

岡田は旧制佐伯中学出身、水泳を始めたのは中学4年生の時であったが、5年生の時には副主将に選ばれる。しかしながら、選手としては目立った活躍はしていない。

岡田は昭和5年に佐伯中学を卒業して、國學院大學に進学して昭和10年に卒業。その後名古屋の現中京女子短期大学に2年間勤める。その後大分県の国東高等女学校(今の国東高校)を経て、昭和19年戦時中に、母校の佐伯中学に帰っている。

中学~大学時代を通じて華々しい活躍はないが、後輩の指導は実に上手かった話が伝えられている。
名古屋時代の頃、よくプールに来た前畑秀子(当時は学生)に折にふれてはコーチしたそうだ。その前畑が1年後のベルリンオリンピックで金メダル、世界の前畑になった。それ以来、「選手つくりのとりこになった・・・」と、岡田は述懐している。

戦時中、岡田も兵役に付き、南支・北満州を転戦、6年間の長いブランクの後に母校に戻ってくる。無気力になった生徒達に活を入れる為に、水泳部を復活させる。 7人が入部したが、食べるものがない。隙っ腹で泳いだそうである。

岡田はわずかに水田を持っていたので、生徒達と一緒に米を作り自給自足した。そして、戦後初の全国中等水泳大会(兵庫県宝塚プール)で、佐伯中学は総合3位を獲得する。

岡田はその頃から選手を自宅に泊まらせて私生活を共にした。最初は「船や汽車の通学の選手のためにやったのであるが、血の通う指導ができ、効果が大きかった」ことから、亡くなる直前の昭和45年まで続けられていたそうである。


佐伯市内の小学生の水泳大会を見てはめぼしい選手をチェックして、中学生になれば「一度、うちのプールに来なさい」と声をかけては指導して、高校入学すると本格的に水泳に没頭させる。いうなれば、一貫指導の考え方をこの頃から実践していたのが岡田監督である。

物資が貧しく、交通手段もままならない時代に、これだけのことをやるのは多くの労苦があったことであろう。

サッカーの国見高校の小峯先生がやる一昔前に、これだけのことをやっていたのは驚きである。
トレーニング方法は、どうしたのであろうか?

書籍購入もままならない時代・・・おそらく、自分たちで考えて、考えて、知恵を絞ってあみだしていたのであろう。
これは今の時代にはないものである。自らトレーニング方法を編み出す知恵。自ら考えるレースの駆け引き、自ら考えるコンディション調整・・・・。

今の時代、この知恵を出す訓練が欠けているように思う。サッカー監督とて、同じである。
様々な局面で、無から有を生み出す、0を1にできる能力(1をN数積むのは容易い)。

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「水と緑と青い空」、大分の自然を愛し、大分トリニータを愛し、サッカーを愛してやまない「お爺さん」です。

一方ではサッカーの歴史にも興味を示し、スポーツ社会学やスポーツ産業学にも好奇心旺盛な一面があり、地方をスポーツで笑顔にしたいと思っております。スポーツ社会学研究会(サロン2002)の会員でもあります。

2014年3月末で定年退職、30数年間勤務した民間企業・17年間勤務した教職、合計47年間の仕事生活に別れを告げました。

今は毎日自由な空間に浸り、何とも言えない空気の匂いを嗅ぎ、土いじりをしたり、快速自転車に乗って近隣の街を訪れています。

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