2008年01月16日
高田延彦の罪 別冊・プロレス昭和異人伝より
人気低迷し続けているプロレス業界。そんな今だからこそ、プロレスの本当の面白さを訴える『別冊・プロレス昭和異人伝』のようなブログは非常に大切。元々プロレスファンである私にでさえ、新たな気付きを与えてくれる。
以下、『別冊・プロレス昭和異人伝』の最近エントリー、「脱・プロレス村2/高田延彦の罪」より全文引用。
多くの暴露本が登場したプロレスというジャンルであるが、幸いなのは未だプロレスを運営する団体側のカミングアウトは無いという事だ。
プロレスがどこまでリアルで、どこまでフェイクなのか、どこまで打ち合わせしていて、どこまでアドリブなのか、全てが謎のままのジャンルであることに変わりはないのである。
元・当事者たちの告白は有れど、現役の当事者たちの告白は無い。
ならば私たちは実在するかどうかも確かでないプロレス隠語に振り回される必要も無いであろう。
暴露本に乗っかって多くのファンがプロレスという想像性の高いジャンルを楽しむ事を放棄してしまっているのである。
かつてプロレスがリアルでないにしても、痛みは本物だという事が、プロレスという競技の体裁を借りたショースポーツを提供するものの免罪符であった。
しかし前の記事で書いたように、最近は免罪符すら放棄してしまっている。
それほど罪が怖いのだろうか?
かつてのプロレスラーたちは、決してリアルとは思えない事を必死にリアルに見せかけ、生業としていた職人たちである。
自分たちの仕事への罪の意識も有っただろう。
それでも貫き通さなければいけないフェイクも有っただろう。
プロレスの見方がジャンルとしての大人になる時代までは、多かれ少なかれ、当事者であるプロレスラーたちに嘘をつく事の罪の意識も有ったかもしれない。
それでもプロレスラーたちは、自分たちのついた嘘を、墓場まで持っていってくれるものであった。
プロレスというマスコミ、ファン、プロレスラーたちが一致団結した共犯関係の世界の中で一人だけ罪の意識に負けてカミングアウトして許しを請うような男が、プロレスラー側であった事は私はショックであった。
ハッスルと高田についてである。
極論すればプロレスに嘘が無くなればプロレスではない。
バレバレの嘘を意地を持って突き通してきたのがプロレスというジャンルである。
嘘をつくという罪深さを背負ってこそプロレスのジャンルの重みは増えるのだ。
ファンのため、つまり、人の為についた嘘は、墓場まで持っていくのが男である。
それが人の為=偽の闘いを貫くプロレスラーたちの使命でもある。
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posted by k1suicide |21:53 |
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