2008年01月20日

クローザー上原の功罪

開幕から1ヶ月故障離脱していた上原浩治に、これだけMVP票が集まるとは思ってもみなかった。
別項でセ・リーグMVPについて扱った際にも、上原への信望の厚さがうかがえるコメントが寄せられ、これはしっかり検証しておく必要があると感じさせられた次第である。
沢村賞を二度獲得した上原は、クローザーとしてどのような役割を果たしたのか。功罪含めて振り返ってみたい。

上原 浩治
登板数55 投球回数62 4勝3敗32セーブ ※WHIP0.84 奪三振率9.58 防御率1.74
※(被安打+四死球)÷投球回数
 1イニングあたりに許すランナー数の目安(07年セ・リーグ平均は1.46)
まずは、昨年の上原が残した成績である。
「登板数」「投球回数」「勝敗」「セーブ数」がチームへの貢献度を表す数字なら、「WHIP」「奪三振率」「防御率」は投手としての能力を示す指標である。

リリーフの仕事は、数字に表れにくい。だからこそ、リリーフピッチャーのMVP獲得には、「貢献度」と「能力」で完璧に近いものが要求され、その「実績」においても周囲を納得させるだけのものが必要になる。

比較対象として、同リーグ内屈指のクローザー二人の成績を用意する。
岩瀬 仁紀
登板数61 投球回数59 2勝4敗43セーブ WHIP1.05 奪三振率7.63 防御率2.44
藤川 球児
登板数71 投球回数83 5勝5敗46セーブ WHIP0.83 奪三振率12.47 防御率1.63
三者を比較してみると、開幕から出遅れた上原は、積み重ねの数字でやや劣る。逆に、統計数字では藤川と甲乙つけがたい成績を残した。
とはいえ、1年間チームに帯同した2人とでは価値が違う。上原をMVPとするには、「貢献度」の面から条件を満たしていないと言える。

また、個人成績には残らない貢献度を計るため、クローザー3人の点差別登板状況を比較してみた。当然、僅差の場面での登板が増えるほど、その価値は高まる。

            上原    岩瀬    藤川 
  1点リード      9     17     18
  2点 〃       8     11     20
  3点 〃      11     19     10
  4点 〃      12      5      7
  5点 〃       1      1      1
  6点 〃       1      3
  7点 〃       2
  10点 〃       1  
    同点時       10      5     13
  1点                      2  
    ビハインド 

  登板数       55     61     71

傾向は、明確に表れている。上原は、岩瀬や藤川ほどにタフな場面で投げていない。1、2点のリードより、3、4点のリードを守るケースが多かったのである。
内訳を見ると、終盤まで激しい優勝争いを繰り広げたドラゴンズ戦には、1点リードの場面で1試合、2点リードの場面で3試合投げただけだ。タイガース戦に至っては、ともに1試合ずつにしか過ぎない。
逆に、藤川は、ジャイアンツ戦1点リードの場面で8試合も投げている。

このような傾向が現れるのは、ジャイアンツのチーム構成に原因がある。
言うまでもなく、ジャイアンツは強力打線を抱え、大量得点を望めるチームだ。反面、効果的な足攻から局面を打開する、などという芸当にはほぼ縁がない。スコアが大味になるのは当然で、それだけクローザーの出番もまちまちになってしまう。1点をしぶとく勝ちにつなげるドラゴンズや、先攻逃げ切りのタイガースとは、まったく性質の異なったチームなのである。
破壊力抜群の打線が火を噴けば、相手チームは勝ちパターンのリリーフを送ることができない。力の劣る2番手以降のリリーフから、追加点をあげるのは容易である。そのような展開に持ち込めれば、大量得点が、アキレス腱となるブルペンを覆い隠す。攻撃は最大の防御なり、である。
実際、昨季のジャイアンツは、大味な展開に持ち込むほど勝率が上がった。5得点差以内の試合では60勝59敗だが、6得点差以上の試合には20勝4敗と圧倒的である。ゆえに、他球団ほどクローザーへの需要は高くならない。ジャイアンツのようなチームでは、絶対的なクローザーの確立が最優先事項とはならないのである。

00年以降の、シーズン勝率1位チームで例を挙げてみよう。
ジャイアンツは00年、開幕からクローザーの槙原が背信の投球を続け、代わった桑田も結果を残せない。それを受け、セットアッパーの岡島を配置転換することとなったが、防御率3.11で7Sを挙げただけである。02年には、河原がクローザーに定着した。2.70の防御率と河原自身は安定していたが、リーグ4位の28セーブという数字が、セーブ機会の少なさを物語っている。
01年、バファローズが優勝を果たすが、チーム防御率はリーグ最下位。クローザーの大塚もご多分に漏れず、26セーブで4.02の防御率である。
ホークスは03年、日本一に輝いたが、スクルメタが11セーブ、篠原が10セーブであり、年間を通して信頼の置けるクローザーはいなかった。2年連続シーズン勝率1位を果たした翌年は、新人王に輝いた三瀬が28セーブを記録するも、防御率は3.06である。さらに、その翌年のホークスは馬原がクローザーに定着するが、防御率は3.08で22セーブを挙げたに過ぎない。
彼らのほとんどが良い投手であっても、「磐石」とするには疑問が残る投手であった。
絶対的なクローザーの不在は、先発力と得点力で補うことができると過去が証明している。01年のバファローズは例外にしても、先に挙げたほかのチームは、スタートに豪華な投手を揃えた。そして、05年のホークスを除く全てのチームが、リーグトップの得点を挙げている。


では、上原以外で、今季、試合の締めくくりを任せられたのは誰か。答えは、リリーフ陣の中で、上原に次ぐ成績を収めた豊田である。
上原は、1点リードの場面で9試合、2点リードで8試合、3点リードで11試合に登板した。上原の防御率は1.74であるから、1点リードの9試合中1.7試合でセーブに失敗するという計算が成り立つ。
対する豊田の防御率は3.38だ。上原と同様に仮定すると、豊田は1点リードの試合で3.4試合、2点リードの試合で1.5試合、3点リードの試合で1.3試合に追いつかれることになる。
2人の成績を比較すると、クローザー上原は勝ち試合を1.7試合壊し、同じ状況で豊田は6.2試合を壊すことになる。上原ではなく、豊田にしんがりを任せていれば、ジャイアンツは差し引き4.5の勝ち星を失っていただろう。
つまり、ジャイアンツはたかだか4つや5つの勝ちを守るために、上原のクローザーに執着したのである。4つや5つと簡単に言えるのは、上原の先発復帰に伴う波及効果が、それを補って余りあるほど大きなものだからだ。4つや5つの負けを受け入れることで、それを上回る勝ち星を得ることができたはずなのである。
ここからは、そのことについて触れるとともに、クローザー上原の存在がチームにもたらした悪影響について述べておきたい。


怪我から復帰した上原は、シーズン終盤まで1人元気だった。あの様子では、先発としても好成績が期待できたはずだ。昨シーズン同様、アテネ五輪で1ヶ月離脱した04シーズンの成績が参考になる。22試合に登板して13勝5敗、防御率2.60は出来すぎかもしれないが、不可能な数字ではないだろう。
だが、上原の復帰当初は、ローテーションがしっかり守られていた。上原の体調も考慮し、手薄だったブルペンに迎え入れたのは正解だったかもしれない。しかし、「今年は抑え一本で」と決めたのが失敗だった。金刃はルーキーで、木佐貫は故障明けの選手である。最悪の事態を想定して、後半からの先発起用も考えておくべきだった。
問題は、今季ジャイアンツをリードした両左腕、高橋と内海にもあった。原監督は、第1次政権時から「エースはシーズン終盤、中5日や4日で投げれなければならない」と口にしている。ドラゴンズとタイガースの猛追に遭い、迎えた9月。高橋は中4日で2試合、中5日と6日で1試合ずつに先発し、リリーフとしても1試合に登板と、フル回転する。だが、先発したドラゴンズ戦2試合とタイガース戦1試合では、どれも5イニング以内での降板となった。
内海も、中5日中心の登板からくる疲労によって、シーズン序盤ほどの勢いがなくなっていた。迎えたクライマックスシリーズ第2ステージ。内海は初戦のマウンドを任されるが、4回を投げて早々にマウンドを降りる。
彼らにエースを求めるのは無理だったのだ。
「クローザー上原につなぐ」という意識は、先発やブルペン全体にモチベーションを与えていたかもしれない。しかし、ジャイアンツ投手陣は終盤、気持ちどうこうの問題以前に、体力がなかったのである。上原が長いイニングを投げていれば、チームは楽になった。大量得点差での登板も目立ったのが、クローザー上原であるが、勝ちを勝ちにつなぐことしかできないポジションの特性にはやきもきしたはずだ。
中4日は全て上原が引き受け、高橋が中5日中心に。内海は中6日で、という状況が確立されていれば、ジャイアンツは後半も優位に戦えただろう。他球団には、川上や黒田、三浦など、力あるエースがいるが、2番手以降は実力でかなり劣る。ジャイアンツは、高橋から内海、木佐貫までは、そう見劣りしない。
先発に余裕が生まれれば、当然好投が増える。先発の好投は、長いイニングの消化を呼び、リリーフ陣の登板機会と負担が減少を呼び込む。それがリリーフの好投につながる、という好循環が生まれていただろう。西村などは、9月の防御率が5.65と、限界に達していた。
こちらも、あくまで仮想の域を出ないが、クライマックスシリーズにも同様のことが言えるかもしれない。初戦、落合竜の奇襲に対応できなかったジャイアンツだが、それでも2点を取っている。上原には十分な援護だったのではないか。そして、高橋に2戦目のマウンドを託せば、歴史は変わっていたかもしれない。ジャイアンツはこの試合、川上から4点を奪っている。

上原のクローザー起用は、ジャイアンツの打線にも影響を与えた。クローザー上原の固定が、チームの動脈硬化を引き起こしたのである。
繰り返すが、ジャイアンツは点が点を呼ぶ循環で勝つチームなのだ。他球団ほどに、僅差の試合に対して過敏になる必要はない。そうであるにもかかわらず、後ろが安定してしまったことで「1点を取ろう」の意識が過剰なまでに作用し、よそ行きの野球が始まったのである。
ジャイアンツは、中軸に怪我人や不振者が出ると、先頭の高橋を3番で起用した。得点圏打率の高さを見込んでのことだろう。だが、ここだけは代えてはならなかった。
代わってトップを務めたのは静かなる巧打者谷だったが、そこから打線は迫力を失うのである。つなぎ役には木村が入り、悪循環に拍車が掛かった。木村は、強力打線の中で、下位を打つ分には良いアクセントになっていたが、上位を打てば事実上の穴でしかなかった。
爆弾も、導火線なしには爆発しない。高橋を生かすはずだった打順は、得点圏自体が減り、流れを失う。「侵略すること火の如し」を絵に描いたような打線は、すっかり鳴りを潜めた。

高橋をトップに据える打線のように、ジャイアンツの野球は大味である。クライマックスシリーズ初戦敗退を受けて、「細かい野球ができない」とする声は多かった。たが、そんなことはする必要がない。根拠は、前回出場した日本シリーズにある。
ジャイアンツは、その圧倒的なタレントでもって、「緻密な野球」の代名詞のようなライオンズをスウィープした。00年も同様である。「緻密な野球」の重要性は、それを標榜するチームにとっての論理にしか過ぎない。
肉を切らせて骨を断つ覚悟がなかったのは、ジャイアンツ首脳陣であるが、クローザー上原の存在は追い風にはならなかった。


上原の1番の武器は、何と言ってもリズムとテンポの良さだ。
その上原を、イチローは「世界のどのチームを相手にしても、自分のペースでピッチングができる」と評する。
リズムがいいから、上原は乱れない。テンポがいいから、相手の攻撃がすぐに終わる。上原が作ったテンポは打線に移り、そこから流れが生まれるのだ。
クローザーのポジションでは、持ち味が半減した。
生粋のスターターは今、まっさらなマウンドに飢えている。


posted by AKIRA |07:26 | プロ野球 | コメント(31) | トラックバック(0)
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2008年01月14日

「行ってきました国技館!!」 大相撲一月場所初日

「マリンスタジアムもこんな感じだよね」

後ろに並ぶ二人組みの会話に、思わず相づちを打ちたくなるような強風&寒空の下。待つこと実に90分。
ようやく手に入れた当日自由席のチケット片手に、大相撲の総本山・両国国技館に乗り込みました。

大いに盛り上がった大相撲一月場所初日。
ここからは、相撲観戦初となる相撲ド素人の私が、現地で見て感じたものをレポートさせていただきます。


入場してすぐ、無料配布の資料を一通り取り終えると、先に見える扉の向こう側から淡い黄金色の光が…。
しかし、そこは自由席購入者の立場。扉の向こうをくぐり抜けたい好奇心を抑え、二階自由席へと直行します。
すると、「正」の中央側席はきっちり押さえられており、仕方なく「向」の席での観戦を選択します。
反対側のエリアに向かう中で二階席を見回していると、その厳かな雰囲気にやんわり感動。
目を引いたのは、何と言っても吊り屋根です。パンフレットを開けば「重さ6t」と記されており、その大きさとともに二度びっくりさせられました。

開場直後は客もまばら


席を確保した後、一階に下りてみます。
すると、前相撲がすでに終わり、序の口の取組が始まっていました。
指定席にもかかわらず、既に土俵に視線を送るお客さんがちらほら。まなざしは真剣そのもので、ピーンと張り詰めた心地よい雰囲気が出来上がっていました。
力士は小柄な選手ばかりでしたが、目の前で観ていると、さすがに迫力が違います。
入場時の力士は皆、気合十分なようで、土俵を去る時の姿にはスポーツ選手特有の闘志を感じました。

その序の口なのですが、印象に残った力士がいるので紹介させていただきます。
四股名は「鎌刈」。体格は中肉中背といったところで、序の口の中でもさほど大きくない力士なのですが、何せ体が柔らかい。四股を踏む際、文字通り頭上にまで足を振り上げるのです。その姿はまるで、伝説の投手・沢村栄治のようでした。
また、この力士、一度頭上まで高く上げた足を「ピタッ」と静止させるものですから、これまた伝説の打者・王貞治を彷彿とさせられたのです。

そんなことで、すっかり鎌刈を気に入ってしまった私は、彼を応援していました。
すると鎌刈は、自分より二回りほど大きな相手に勝ってしまったのです。
「小さな力士が大きな力士を負かす」
鎌刈には、相撲の醍醐味を一つ教わりました。


昼飯時には、1日2回ちゃんこを堪能しに行きました。
この日屋台に並んだのは、何と300人!!!!!!
この寒さに、ちゃんこ人気が高騰した模様。
「いつもこんなに並ばないよな~」の声も聞こえる中、1時間待たされました……。
しかし、待ったかいあり。
寒さがスパイスとなり、とてもおいしくいただくことができました♪ 
その美味さたるや、またちゃんこだけでも食べに来たいと思えたほどです。これで200円は安い。

ちゃんこと、一日57500本焼くやきとり


館内に戻ると、お客さんの数が増え、にぎやかになっていました。
十両力士の土俵入り時には、席の半分は埋まっていたでしょうか。
外人さんの姿がちらほら見られ、熱心にカメラで撮影しています。そのような姿を見ると、やはり日本人としては嬉しいもの。日本の国技が、とても誇らしく思えました。


十両の取組が終わると、いよいよ幕内力士が土俵に上がります。
無料配布のパンフレットに目をやると、私と同じ84年生まれの三役力士が多く紹介されていることに気付きました。大関昇進が見えてきた関脇安馬、九州場所で初の勝ち越しを決めた琴奨菊、エストニアの怪物把瑠都。前頭では、豊響市原が同い年となります。
彼らに注目して観ていたのですが、勝ったのは市原だけ…。残念。

他の注目力士は、私でも知っている高見盛琴欧州千代大海出島魁皇といった面々。
以前、魁皇が昨年九州場所で「引退を考えていた」という記事をスポーツ雑誌で読んでいたので、彼への声援にはじ~んとさせられました。人気者高見盛をも凌ぐものだったと思います。

それにしても、三役ともなれば実力雰囲気も違いますね。
勝った力士がズンズンと肩をいからせ仕切り線まで戻るさまは、まさに威風堂々といったところ。かっこよかったです。


さて、ここで話を冒頭にまでさかのぼらせたいのですが、本日は大入満員。
昨日の販売終了時刻には、前売り券のほとんどが売り切れ。当日の入場券は自由席350含め、たったの392枚。500枚を割ったのは、99年の初場所以来9年ぶりだそうです。
また、懸賞本数も、昨年夏場所108本を上回る史上最多119本と、本日の取組に対する注目の高さがうかがえます。

満員御礼


それだけの注目を集めたのは、もちろんこの人朝青龍太刀持ち、露払いを従え、3場所ぶりの土俵に上がります。
大歓声と、いくばくかの叱咤激励が入り乱れる中、豪快に四股を踏む朝青龍「よいしょ~!」の掛け声。
今日一番の期待を背負い、お騒がせ横綱が立ち合います。

やっぱり彼は、強かった。
琴奨菊に巻き替えを許し、不利な状況に陥ったものの、我慢して体勢を立て直すや、後はあの通り豪快な上手投げ

思わずスタンディングオベーションってなもんです。

いや~、いいもん観た~
やっぱり凄いんですね、横綱って。
お見事!!

塩をまく横綱朝青龍


締めは、こちらも横綱白鵬。
話題は朝青龍に持っていかれましたが、白鵬の一番も見事でした。
わずか3秒で、出島に土をつける貫禄勝ち。
決まり手は、朝青龍同様上手投げ。
後から知ったのですが、「同じ上手投げで勝ちたいという気持ちはありました」とのこと。
朝青龍不在の大相撲を支えてきたプライドが見え隠れしています。


役者の揃った大相撲のこれからが、とても楽しみになってきました。
昨年は、良くない話題ばかりが報じられた大相撲。それだけ注目は大きくなります。だからこそ、良い話題を提供できる角界であれば、今度はそれが大きく取り上げられるというものでしょう。
大相撲の権威回復に向け、まずは上々のスタートを切ったと言えるのではないでしょうか。

私自身、中継のチェックはもちろん、今度は一階席からじっくり観戦してみたいと思います。
できれば、ちゃんこが一番おいしいこの季節に…。


posted by AKIRA |10:17 | 観戦記 | コメント(0) | トラックバック(1)
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2008年01月08日

蘇った天才 -高橋 由伸-

「センサーがついている」
高橋由伸のバッティングをそう評したのは、監督として4年間、そのバッティングを見守り続けた長嶋茂雄である。

東京六大学リーグの本塁打記録を塗り替え、鳴り物入りで入団した高橋は、活躍の舞台をプロに移しても格別の打撃センスを発揮する。
2年目には、故障離脱するまでに三冠王を狙える位置につけ、一度当たりだしたら止まらないそのバットに多くのファンが夢を見た。
プロ入りわずかの期間で、高橋の有り余る才能には「三冠王」や「トリプルスリー」の期待がかけられるようになる。

順風満帆に進むかと思われたプロ野球生活。だが、高橋はプロで初めて壁を実感することになる。
幼少より能力がずば抜け、大学でも「野球で悩むことがなかった」と言う高橋のバッティングは奔放そのものだった。プロ入り後も、清原和博や松井秀喜といった兄貴分の恩恵に預かり、自由なバッティングを貫く。
しかし、松井はチームを去り、清原は故障を抱える。生え抜きで、主軸を打つ高橋への負担はとたんに増した。より確実にランナーを還さなければならない立場から、迷いが生じたのである。「バッターは、あれこれ考え過ぎない方が結果が出たりするもの」とは工藤公康の弁であるが、身体の感覚によることが多い高橋のバッティングにとって、この言葉は重みを増す。

また、怪我にも悩まされ続けた。高橋は、守ってもプロ入り後6年連続でゴールデングラブ賞を獲得するが、皮肉にもその懸命なプレーが故障につながっていく。故障は成績とパフォーマンスの停滞を招き、00年、01年の全試合出場を最後に、高橋は毎年チームを離脱する選手になる。
責任感が持ち前の積極性に水を注し、怪我は高橋から自由を奪った。

それでもそれなりの成績を残してしまえるところが、高橋の「天才」たるゆえんなのではあるが、周囲はそれで満足しない。
輝きは、次第に薄れていく。

高橋のプロ野球人生は、周りからの期待と現実の間に生じたギャップとの戦いである。
入団当時の高橋は三男坊的な存在であった。長男が清原ならば、次男は松井である。
高橋は二人の影を追い続けた。正確には、追い続けさせられたのである。
兄弟で最も才能に恵まれた高橋は、常に「もっとできるだろう」の視線にさらされた。

迷宮に入り込んだ高橋は、本気で野球に取り組む。試行錯誤は続き、シーズン中であっても、バッティングフォームのマイナーチェンジを何度も試みた。
「どれか一つで1番になるより、全てで2番がいい」
自らのプレーの理想をこう語った高橋は、その理由を「自分を見失わないと思うから」と話した。自分が清原や松井とは違うことを知っていたのだ。しかし、周囲は要求する。
数年前、開幕前に「今年は何かタイトルが欲しい」と語ったことがあった。周りを納得させるには、それしかないと思ったのではないか。

プロ入り10年目を迎えた07シーズン、高橋は復調する。
開幕前には、これまでとは違う「トップバッター」の役割を任されることに戸惑いを覚えた。だが、原監督の「打撃は変えなくていい」の一言をきっかけに、本来の自分の姿を取り戻す。新しいポジションへの配置転換に、余計なことは考えず、来た球に集中することができた。

積極的なスイングは、電光石火の速さでスコアボードに「1」の数字をともし続け、初回先頭打者本塁打記録を更新する。初球打ちの年間打率は.441で11本塁打を叩き出した。カウント2-3からの四球も36個と、半数以上をこのカウントから稼ぎ、しっかり選球できていたことがうかがえる。

タイトル獲得こそならなかったが、以前語った理想のように、ほぼ全ての打撃成績でリーグ上位をマークした。
それは、かつての高橋に期待された姿ではなかったのかもしれない。だが、高橋は高橋なりの方法で自らの存在感を示した。
天才は、蘇ったのである。


●参考資料→Sports Graphic Number 571

posted by AKIRA |07:11 | プロ野球選手 | コメント(13) | トラックバック(0)
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2008年01月06日

2007年セ・リーグ真のMVPは誰だ!?

07年シーズンのセ・リーグMVPには、ジャイアンツの小笠原道大が選出された。小笠原は、昨年のファイターズでの受賞に続き2年連続での選出となり、両リーグでのMVP受賞は江夏豊以来2人目である。

打率.313(4) 95得点(2) 31本塁打(6) 88打点(9) 長打率.539(4) 出塁率.363(11)( ) はリーグ内順位
以上が、07シーズンに小笠原が残した主な打撃成績である。
素晴らしい数字であることに違いはないが、「最も優れた選手」とするには物足りない数字ではないだろうか。

打率.313(4) 77得点(3) 32本塁打(1) 100打点(1) 長打率.573(1) 出塁率.397(3)
これは、小笠原が初のMVPを受賞した06年に残した成績である。
06年と07年。数字だけを単純比較してしまえば、そう違いのない数字であると言える。だが、同じような数字でも、リーグ内における順位に大きな違いが表れている。出塁率を下げながら得点が増えたのは、ジャイアンツの中軸が強力であったからに他ならない。怪我の影響も含め、ジャイアンツ移籍1年目の小笠原は総合的に成績を落としたと言っていいだろう。

打率.324(.360) 89(126)得点 29(37)本塁打 88.5(102)打点 長打率.570(.649) 出塁率.409(.473)( ) はキャリアハイ
比較対象として、小笠原が初めて規定打席に達した99年から06年まで8年間の平均成績を算出してみた。
小笠原が活躍した頃のパ・リーグが極端な打高投低にあったとはいえ、これだけのアベレージはやはり立派である。積み上げてきた数字が立派であるために、今シーズンの成績が見劣りしてしまう。

松井 秀喜(00年)
打率.316(3) 116得点(1) 42本塁打(1) 108打点(1) 長打率.654(1) 出塁率.438(1)
ロベルト・ペタジーニ(01年)
打率.322(3) 93得点(4) 39本塁打(1) 127打点(1) 長打率.633(1) 出塁率.466(1)
松井 秀喜(02年)
打率.334(2) 112得点(1) 50本塁打(1) 107打点(1) 長打率.692(1) 出塁率.461(1)
金本 知憲(05年)
打率.327(3) 120得点(1) 40本塁打(2) 125打点(2) 長打率.615(1) 出塁率.429(2)
福留 孝介(06年)
打率.351(1) 117得点(1) 31本塁打(6) 104打点(5) 長打率.653(1) 出塁率.438(1)
00年以降、野手としてセ・リーグでMVPを獲得した選手を掲載した。
日本のプロ野球では、「最も優れた選手」ではなく「最も貢献した選手」にMVP票が多く集まる傾向にある。「最も貢献した選手」ではなく、「最も優れた選手」にMVPを与えると定めているのに、だ。よって、優勝チームの選手から選出される傾向にある。
同様に、個々の数字にも傾向は表れている。、チームへの貢献度を表す「打点」「得点」と、打者としての実力の指標を示す「長打率」「出塁率」で、軒並み高い数字を残していることだ。
面白いのはこの5人が、05年金本の出塁率を除いた全ての「長打率」「出塁率」の部門でトップに立っているということである。00年代序盤は、現在ほど「長打率」や「出塁率」の重要性が浸透していたわけではなく、MVPを選出される際に考慮されていたとは考えにくい。このことから、チーム数の少ない国内のプロ野球では、「最も優れた選手」と「最も貢献した選手」は、密接な関係にあると言える。
上記の5人は、いずれも優勝したチームからの選出であり、「最も優れた選手」でありながら「最も貢献した選手」でもあったように思える。MVP受賞の栄誉に預かるのも当然のことだろう。
このように考えると、小笠原の07シーズンMVP受賞に不当なものを感じざるを得ない。


では、07シーズンセ・リーグMVPにふさわしかったのは誰なのか。
最も条件を満たしていたのは、ジャイアンツの高橋由伸であったと思う。

ただ単に「最も優れた選手」を問うのであれば、スワローズの青木宣親やアレックス・ラミレスあたりが対抗馬として挙げられる。特に青木は守備・走塁面での貢献も大きく、「最も優れた選手」の最有力候補だ。しかし、所属チームの成績を考えた時、彼らの名前は早々とリストから姿を消すことになる。
よって、07年の高橋が小笠原よりも優れた選手であり、貢献を果たした選手であると証明することができれば、それが「高橋こそ真のMVP」の証明になるように思う。
ここからは、高橋をMVPに推す理由を述べてみたい。

打率.308(6) 76得点(11) 35本塁打(2) 88打点(9) 長打率.579(1) 出塁率.404(3)
まずは07シーズンの高橋の成績を振り返り、過去の受賞者との比較を行う。すると、小笠原同様、数字の面ではいまひとつ物足りなさを感じる。しかし、07年の高橋は主にトップバッターを務めた。クリーンナップとして受賞した5人との単純比較はできない。
打率や打点が少なくなるのはトップバッターであれば当然で、このポジションとしては十分である。トップバッターとして重要な得点数がリーグで11位となっているが、上位にひしめくのは、これも中軸を任されるような選手が多い。高橋に不利な見方をするなら、快足の持ち主であればもう少し数が増えていただろうか。
「本塁打」「長打率」「出塁率」の項目からは、高橋がリーグ有数の攻撃的なバッターであることがうかがえる。本塁打数はトップのベイスターズ・村田と1本差。出塁率こそリーグ3位だが、これもトップバッターとしての役割を担っていたためであり、OPS(長打率+出塁率)はリーグで1位。クリーンナップを任されていれば、10割超えも望めたはずである。
また、高橋は外野手としてリーグ3位の7補殺を記録し、1失策でゴールデングラブ賞に選ばれている。小笠原は三塁手として、野生的な打球反応で幾度もジャイアンツ投手陣を助けたが、この部門で高橋を大きくリードするほどに貢献できたわけではない。
以上を理由に、ジャイアンツ内で「最も優れた選手」は、小笠原でなく高橋であったと言い切ることができる。

それでは、高橋の果たした貢献とはどのようなものであったのか。
表立った数字には表れにくい要素を考えてみる。

1)強打のトップバッターがもたらすメリット
高橋は、従来のトップバッターとはイメージの違う、「強打のトップバッター」として新ポジションに据えられた。オープン戦で、原監督が先頭打者としての起用を明言すると、早速「由伸だと足が使えない」「早打ちの由伸で大丈夫か」の声が上がった。

確かに高橋は足が使えない。本人曰く「なぜか速く見られるが、松井さん(ニューヨーク・ヤンキース)より遅い」とのこと。プロ10年間での通算盗塁数は22にしか過ぎず、失敗も22で成功率は5割である。本人の意思だかサインかはわからないが、07年の成功1に対して失敗5は印象を悪くしただろう。
だが、トップバッターに求められものは、1にも2にも「出塁」である。足が使えるに越したことはない。一つでも先の塁に進むことも、相手バッテリーに無形のプレッシャーを与えることも、ゲームを有利に進めるための武器である。しかし、それはあくまで「出塁」という前提から派生したオプションに過ぎない。
特に、ジャイアンツのようなチーム構成であれば、足攻の需要は減る。あれだけ強力な中軸が後に控えているのだ。「待て」のサインが、強力打線の抑制となって働いてしまうリスクの方が大きい。この打線に塁上からの援護は必要なかった。トップバッターはただ、ベースに蓋をしておけばよかったのである。
ちなみに、トップバッターとして4割を超える出塁率を維持したのは、ここ10年間で、98、99年の緒方孝市(カープ)と07年の青木宣親、高橋由伸のみだ。

「早打ち」についても賛否両論はいろいろとある。反対派の意見としては、「トップバッターはなるべく多くの球数を投げさせ、相手投手を消耗させなければならない。そして、球筋を味方に伝達しなければならない」といったところだ。
しかし、継投全盛のこの時代、待球は以前ほど意味を成さない。確かに、積極的な高橋が初球を打ち損じ、淡白な攻撃につながる可能性もある。それでも見逃せないのは、多くのOBが口をそろえて「1番高橋は怖い」と語る点だろう。
最初に対峙する打者が振ってこないと分かっていれば、投手は好きな球を投げ、自分のペースで試合に入っていくことができる。逆に、高橋のような打者が相手ではそうもいかない。初球から振ってくる、かつ長打のある打者に対して、バッテリーは余裕を持てないのである。相手バッテリーに過度の警戒心と慎重さを与えることができれば、試合開始から一気にイニチアシブを奪えるという寸法だ。
今季、巨人が初回に得点した試合は31勝14敗で勝率.689と、大きく勝ち越している。出塁するだけでなく、相手バッテリーに与える影響。ここには、数字に表れない価値が付随している。

2)打線の潤滑油としての働き
強力ジャイアンツ打線にあって、高橋の出塁は潤滑油のような役目を果たした。
まずは、高橋の後を打つことの多かった、移籍1年目の谷佳知について触れてみたい。この谷の復活にも、高橋の出塁が大きく影響しているのではないか。高橋が出塁し、後ろには強打者がずらりと並ぶ。ならば、谷は「最悪進塁打でいい」と、楽な気持ちで打席に入ることができたはずだ。ここ数年は、怪我の影響から不本意なシーズンが続いていたが、元々は最多安打を獲得するなどバットコントロールに定評のある巧打者である。その谷にとって、来た球をボールに当てることなど造作もない。三振48と、1打席あたりの三振率0.08は、ともにカープの前田に次ぐリーグ2位である。湿っていた巧打者のバットは、潤滑油を注ぐことで再び輝きを取り戻した。
二人の優れたテーブルセットは、チームに流れを呼び込んだ。07年、得点圏打率トップ10には、ジャイアンツの選手が5人を占める。1位、2位は、高橋と谷の.409、.379であるが、中軸を任された二岡、小笠原、阿部がそれぞれ.370、.324、.319と、シーズン打率を上回る数字を残した。李や清水も同様である。
先頭打者本塁打の記録を更新するなど、核弾頭としての高橋にばかり注目が集まったが、同時に周囲を高める役割も果たしていたのだ。

3)代えの利かない存在
得点力不足に泣いた打線にあって、テーブルセッターの確立こそが、昨年のジャイアンツに課された命題であった。07シーズン、弱点は解消され、06年にはちぐはぐだった打線が効果的に得点を積み重ねる。途中、怪我人や不振者も出たが、強打者揃いの中軸は、調子の良い者を入れ替え、やりくりすることによって事なきを得た。
だが、「1番・高橋由伸」の存在だけは代えが利かなかったのである。高橋は、17試合でスタメンを外れ、怪我人の穴埋めに9試合で3番を打った。その間26試合のジャイアンツの成績は13勝13敗で、平均得点は4.8から4.1にまで減少する。仮に、平均4.1得点を144試合で換算すると590得点にしかならず、リーグで3位の得点力に成り下がってしまう。もちろん、この数字でジャイアンツの優勝はなかっただろう。

4)存在感
チームへの「貢献度」を論じるのであれば、小笠原の野球に対する真摯な取り組みを挙げずにはいられない。小笠原の姿勢がチームにもたらすものは大きいという考えだ。
実際その通りなのだろう。だが、かつての金本知憲や小久保裕紀がそうであったように、移籍1年目の選手は周りのプレーに対してとやかく言うことができないものだ。ジャイアンツで率先してそれをするのは主将の阿部であり、小笠原は背中でチームを引っ張ったに過ぎない。
では、高橋にはそれがないのかと言えば、答えは断じてノーである。高橋を知っている者は、必ずと言ってもいいほど、彼の練習に対する勤勉さと熱い気持ちについて語る。人柄の良さも有名で、大学の後輩佐藤友亮は、「高橋さんがいなければ、何人も部活を辞めていた」と語る。高橋のチームに与える影響が、小笠原のそれに劣るとは思えない。
11の試合欠場も、06年に福留孝介が16試合に欠場しながらMVPを獲得したことを考えれば、さしたる問題ではないはずだ。

これらを総合して、満身創痍の小笠原ではなく、高橋由伸が「最も貢献した選手」であったと考える。


怪我をおしながら、あれだけ安定感あるプレーを見せた小笠原は称賛に値する。しかし、MVPともなれば話は別である。小笠原の安定感ではなく、高橋の爆発力こそがセ・リーグを制したジャイアンツの象徴であった。
観客の反応は素直なもので、東京ドームで試合を観戦すると、高橋の登場にひときわ大きな歓声が沸く。アウェイであっても敵味方関係なく、その場の人間全てが、ハラハラドキドキしながら高橋の初打席を見守るのだ。ファンは本能的に察知している。高橋なら何かやってくれる、と。
原や松井のようにタイトルを獲得したわけではない。中畑や清原のようなキャラクターを持ち合わせているわけでもない。だが、高橋は高橋なりの方法で存在感を示した。
もはや、「4番が打てばチームは勝てる。打てなければ勝てない」という時代ではない。高橋がいて、二岡がいて、阿部がいる。これが、今のジャイアンツの姿なのだ。その中でも、今シーズンの高橋が占めるウエートは、誰よりも大きかったように見える。
実際の投票では、開幕から1ヶ月以上登板のなかった上原に次ぐ3位で、その価値が正しく評価されることはなかった。しかし、優勝を果たしたチーム内で、「最も貢献した選手」であり「最も優れた選手」であったのは紛れもなく高橋由伸だ。「最も価値のある選手」が、個人としては最大の名誉を逃したことを残念に思う。

posted by AKIRA |09:09 | プロ野球 | コメント(17) | トラックバック(0)
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