2008年01月08日
蘇った天才 -高橋 由伸-
「センサーがついている」 高橋由伸のバッティングをそう評したのは、監督として4年間、そのバッティングを見守り続けた長嶋茂雄である。 東京六大学リーグの本塁打記録を塗り替え、鳴り物入りで入団した高橋は、活躍の舞台をプロに移しても格別の打撃センスを発揮する。 2年目には、故障離脱するまでに三冠王を狙える位置につけ、一度当たりだしたら止まらないそのバットに多くのファンが夢を見た。 プロ入りわずかの期間で、高橋の有り余る才能には「三冠王」や「トリプルスリー」の期待がかけられるようになる。 順風満帆に進むかと思われたプロ野球生活。だが、高橋はプロで初めて壁を実感することになる。 幼少より能力がずば抜け、大学でも「野球で悩むことがなかった」と言う高橋のバッティングは奔放そのものだった。プロ入り後も、清原和博や松井秀喜といった兄貴分の恩恵に預かり、自由なバッティングを貫く。 しかし、松井はチームを去り、清原は故障を抱える。生え抜きで、主軸を打つ高橋への負担はとたんに増した。より確実にランナーを還さなければならない立場から、迷いが生じたのである。「バッターは、あれこれ考え過ぎない方が結果が出たりするもの」とは工藤公康の弁であるが、身体の感覚によることが多い高橋のバッティングにとって、この言葉は重みを増す。 また、怪我にも悩まされ続けた。高橋は、守ってもプロ入り後6年連続でゴールデングラブ賞を獲得するが、皮肉にもその懸命なプレーが故障につながっていく。故障は成績とパフォーマンスの停滞を招き、00年、01年の全試合出場を最後に、高橋は毎年チームを離脱する選手になる。 責任感が持ち前の積極性に水を注し、怪我は高橋から自由を奪った。 それでもそれなりの成績を残してしまえるところが、高橋の「天才」たるゆえんなのではあるが、周囲はそれで満足しない。 輝きは、次第に薄れていく。 高橋のプロ野球人生は、周りからの期待と現実の間に生じたギャップとの戦いである。 入団当時の高橋は三男坊的な存在であった。長男が清原ならば、次男は松井である。 高橋は二人の影を追い続けた。正確には、追い続けさせられたのである。 兄弟で最も才能に恵まれた高橋は、常に「もっとできるだろう」の視線にさらされた。 迷宮に入り込んだ高橋は、本気で野球に取り組む。試行錯誤は続き、シーズン中であっても、バッティングフォームのマイナーチェンジを何度も試みた。 「どれか一つで1番になるより、全てで2番がいい」 自らのプレーの理想をこう語った高橋は、その理由を「自分を見失わないと思うから」と話した。自分が清原や松井とは違うことを知っていたのだ。しかし、周囲は要求する。 数年前、開幕前に「今年は何かタイトルが欲しい」と語ったことがあった。周りを納得させるには、それしかないと思ったのではないか。 プロ入り10年目を迎えた07シーズン、高橋は復調する。 開幕前には、これまでとは違う「トップバッター」の役割を任されることに戸惑いを覚えた。だが、原監督の「打撃は変えなくていい」の一言をきっかけに、本来の自分の姿を取り戻す。新しいポジションへの配置転換に、余計なことは考えず、来た球に集中することができた。 積極的なスイングは、電光石火の速さでスコアボードに「1」の数字をともし続け、初回先頭打者本塁打記録を更新する。初球打ちの年間打率は.441で11本塁打を叩き出した。カウント2-3からの四球も36個と、半数以上をこのカウントから稼ぎ、しっかり選球できていたことがうかがえる。 タイトル獲得こそならなかったが、以前語った理想のように、ほぼ全ての打撃成績でリーグ上位の数字をマークした。 それは、かつての高橋に期待された姿ではなかったのかもしれない。だが、高橋は高橋なりの方法で自らの存在感を示した。 天才は、蘇ったのである。 ●参考資料→Sports Graphic Number 571
posted by AKIRA |07:11 |
プロ野球選手 |
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