2007年11月20日

最強育成選手の充実 -中村 紀洋-

「ドラゴンズさんに感謝しています。本当にありがとうございました」

日本シリーズMVPを獲得した中日ドラゴンズの中村紀洋は、ヒーローインタビューで感謝の気持ちを言葉にし、感極まった。両ほおを伝う涙には、様々な思いが込められていたに違いない。


00年、中村は自身初となる本塁打と打点のタイトルを獲得する。同年にはシドニー五輪に出場。長らく優勝争いとは縁のないチームでプレーしてきた中村は、「野球って勝つためにするもんやったなあ」と、勝つことの重要性を感じ、それを所属チームに注入。翌年、「何かが起こる」と口癖のように言い続け、三冠王すら狙える勢いで打ち続けた。MVPや本塁打のタイトルこそ相棒のタフィ・ローズに譲ったが、前年に引き続き打点王を獲得。バファローズにとっての悲願である日本一こそ達成ならずも、チームを12年ぶりのリーグ優勝に導く。

豪快なスイングのみならず、守ってはゴールデングラブ賞の常連であり強肩。個性的な風貌もあって、「ノリダー」や「浪速のマグワイア」として親しまれ、その人気は大阪のみならず、全国区となる。
そんな「ノリ・ブランド」の凋落は、いつ頃からだっただろうか。


02年、中村はフリー・エージェントの権利を取得。「中村紀洋というブランドを、近鉄で終わらせていいのか」と悩んだ末に権利を宣言する。キャリアのピーク真っ只中にあった中村には、国内外から好条件でのオファーが殺到した。一時は、ニューヨーク・メッツとの契約に合意したと報じられるも、米メディアに先行して報道されたことに不満を持った中村は、当時の梨田昌孝監督に慰留され、バファローズ残留を決意する。
「義」を重んじる中村らしいとも言える一連の騒動ではあったが、一部では「中村は勝手だ」との声も挙がった。

心機一転、新たな気持ちでバファローズ初の日本一を目指したが、04年には球団自体の存続が危ぶまれる状況に直面する。バファローズとブルーウェーブの合併構想が、現実味を帯びてきたのだ。フロント主導の唐突な話に、プロ野球選手会は猛反発。合併反対の署名活動には、炎天下、ユニフォーム姿で参加する中村の姿もあった。
所属球団の吸収合併が決まり、同シーズンオフにはポスティング制度によるメジャーリーグ球団への移籍を希望する。ロサンゼルス・ドジャースとのマイナー契約を結んだ中村だったが、結果は残せどメジャーからは声がかからない。結果を出していないプロスペクトが、優先的にメジャー昇格を果たす日々に「アメリカは実力勝負の世界じゃなかったのか」とさえ感じた。

05年、中村は一年間の米球界挑戦を経て、合併球団の監督に就任した仰木監督の懇願に応える形で日本球界復帰を果たす。仰木彬は、中村のバファローズ入団時の指揮官である。元々、行き場を失ったと感じての米球界挑戦なのだから、しかるべき人物に必要とされれば、意気に感じるのも当然であった。
下位低迷にあえぐ球団の目玉として期待された中村だったが、復帰1年目は故障に泣かされ続けた。オフの契約交渉の席では、公傷についての意見の食い違いから球団と対立する。

「野球選手は100%のプレーを見てほしいわけですよね。怪我を恐れてプレーするのはファンに対して失礼でしょ。だったら球団にも選手が全力を出しきれる環境を保証してほしいんですよ」

これもまた中村らしい言葉ではあるが、メディアが率先して報道したのは中村の「真意」ではなく、中村が球団の提示した金額をのまなかったという「事実」だった。


悪者のレッテルを貼られながら、中村はバファローズを退団する。
キャンプのシーズンを迎えても、自由契約の身となった中村は、国内球団のオファーを待ち続けながら一人黙々と自主トレーニングに励む。当時の心境を「ほとんどあきらめていた」と話す中村だったが、捨てる神あれば拾う神あり。「野球がしたいんだろ?」との落合監督の鶴の一声から、ドラゴンズの入団テストを受けることになる。
結果、二軍の試合にのみ出場が可能な育成選手として、年俸400万円で契約。一月後には支配下選手契約を結び、開幕スタメンの座を勝ち取った。その開幕戦では同点に追いつくタイムリーを放ち、存在感を見せつける。
福留の故障離脱以降は3番も任され、「(4番の)ウッズにつなぐことしか考えていない」と、かつて「全打席ホームランを狙っている」とまで言ってのけたホームランバッターとは、まるで別人である。元々、右打ちはうまく、今年は一塁ベースにランナーを置いたときの打率は.328。特筆すべきは、同条件134打数で16三振しかしていない点ではないか。そつのない走塁を掲げるドラゴンズ野球の中で、中村の右打ちは大いに生きた。

一年前には地獄を見た男が、チームを変えて日本一に輝き、充実のシーズンを送った。しかし、満身創痍であることに変わりはない。100メートルほど歩くにも「しゃがんで休まないと無理」なのだそうだ。加えて、選手名鑑に顔も名前も載っていない選手では、他球団のノーマークも否めない。衰えばかりが目立つその体で、来季も今シーズン同様の貢献を果たせるだろうか。

posted by AKIRA |05:07 | プロ野球選手 | コメント(3) | トラックバック(0)
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この記事に対するコメント一覧
最強育成選手の充実 -中村紀洋-

>「中村紀洋というブランドを、近鉄で終わらせていいのか」
これがすべてを物語る。
米国でA-RODが「AーRODというブランドを○○で終わらせていいのか」なんて発言したら鼻持ちならん奴、と思われるだろう。
それをあのデブは謙譲の国ニホンでした。嫌われるのは当然。

posted by 悪妻の影響か | 2007-11-20 15:00

最強育成選手の充実 -中村紀洋-

オリックスの提示額はいかなる理由があろうと選手本人の同意がない限り認められない限界以上のダウン提示だったわけで、オリックス退団の経緯はオリックスに非がある。みんなそこをもっと知るべき。

posted by | 2007-11-20 17:31

最強育成選手の充実 -中村 紀洋-

人生 色々 自分をアピールする年齢も必要て゜あり、<紀ちゃん>が味わった経験は自分を
冷静に見つめ直し頑張った結果であり誰も批判、嘲笑 できる事では無いと思う。
熱狂的な関西に住むドラキチファンで、昨年甲子園球場で川上から練習ボールを必死になって拾いに行きゲットしましたが、川上がメジャーに挑戦するとか、福留がメジャーに去って行った。とかファンにとっては情け無い限りであるが、和田が入った事は岐阜の同県人として今年は楽しみです。このメールを御覧になった方は是非ともメールを<紀ちゃん><川上><和田><中日球団及び落合監督>に転送して下さい。
今年も甲子園球場で殆ど阪神ファンに囲まれ乍、
絶叫しながら応援する60歳のファンより。
                  かしこ。

posted by naonezmi | 2008-02-11 15:48

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