2007年02月28日
緒戦の戦い方が非常に難しいことはワールドカップのグループリーグでも証明されている。そういった意味では勝ち点3という最低条件をクリアしたことは誉められるべきである。それは、相手が明らかな格下であっても、である。
それでも、反町監督の言うように「収穫は勝った事だけ」と言わざるを得ない。北京五輪出場権獲得へ向けて、期待よりも不安が募った1戦だった。
この日の日本のスタメンはアメリカ戦でボランチを務めた本田拓に代わって青山敏が入った以外に顔ぶれに変動はなく、怪我人を除くとこの布陣が現時点でのベストメンバーであることを示唆していた。特に水本、伊野波、青山で形成される3バックはここの所ずっと固定されており、現在の日本代表内で最も厳しい牙城と言えるだろう。
先週のアメリカ戦でビルドアップの意識の低さを指摘されたDF陣は、立ち上がりから縦への意識を持った意図のあるパスを何度も供給していた。立ち上がりにロングボールを多用したのはアメリカ戦と同じだが、今日は特に伊野波のフィードキックの精度が高く、サイドへ効果的なフィードを送っていた。
効果的なフィードを送ることが出来た要因の1つには香港代表のラインの高さがあった。しかもラインを高く設定している割にはプレスがほとんど効いておらず、日本の3バックが余裕を持った状態でボールを保持することができ、裏のスペースへフィードを送り、前線の3人がラインの裏を取る回数も次第に増えていった。
最初の得点も裏のスペースを取った形から生まれた。11分、カレンの左足でのスルーパスに平山がオフサイドラインギリギリで抜け出し、先制点を挙げた。平山は5分にも水野の浮き球でのスルーパスに同じような形で抜け出しており、新たにプレイスタイルの幅を広げる結果となった。
裏を突いた形はなおも続く。先制点から2分後の13分にはカレンが自陣から送られたスルーパスに抜け出し、ポスト直撃のシュートを放つ。22分にも水野から浮き球のスルーパスを受け惜しいシュートを放っていたように、攻撃に対する意識が高かった。また労を厭わないディフェンスも健在で、自陣まで戻ってボールを奪う場面も見られた。
裏を狙う一方で、逆に日本が裏を狙われピンチを招くシーンも度々あった。その傾向が顕著だったのが日本の左サイドで、本田圭の戻りが遅れたことでクロスを上げさせてしまっていた。この日の本田圭は得意のセットプレーもキック精度を欠き、好守の切り替えという点でも不満が残った。
後半に入ると、日本は李に代えて家長を投入し、練習でも試されていたFWのポジションで起用された。アメリカ戦でも途中出場ながらキレのあるドリブルで相手を翻弄しており、流れを変える役割として期待されての投入であると言える。家長は投入された直後に早速左サイドをドリブルで切り裂き、これで流れは日本に大きく傾くかに見えた。
だが、後半に入り香港は前半でも随所に披露していたフィジカルの強さ、球際の強さでその流れを断ち切った。攻撃自体にそれほどバリエーションはないもののボールに対する執着心がプレーに表れていて、57分の競り合いのシーンや58分のバックパスに対するプレスなど得点の匂いを感じさせる場面もあった。
それでも日本は66分、水野が個人技で持ち込み、最後はフリーの梶山が落ち着いてゴール右隅に流し込み、2点にリードを広げる。すると、疲れから運動量の落ちた香港に対しようやく連動性溢れるプレーが見られるようになり、83分には途中出場の増田がダメ押しとなる3点目を決め、試合に決着をつけた。
「今までの試合の中で1番監督が怒っていた」というのは試合後の梶山の弁だが、とにかく目に付いたのが、軽率なプレーの多さだった。あやうく失点しそうだった松井のプレーをはじめ、中盤で簡単にボールを失ったりファウルスローをしたりとミスのオンパレードだった。相手が香港だったので失点という形にはならなかったものの、最終ラウンドとなるとそうはいかない。この試合が教訓となってくれれば良いが、それが改善されないようだと、オリンピック4大会連続出場の道は拓かれないだろう。
posted by 犬太 |21:35 |
日本代表コラム |
コメント(5) |
トラックバック(2)
2007年02月28日
12月2日、隙間なく埋め尽くされた埼玉スタジアム2002。そのバックスタンドに作られた人文字によるエンブレム。そのインパクトは2004年、初のステージ優勝がかかった駒場での対名古屋戦でのグラウンド一面を埋め尽くした紙吹雪のそれにも匹敵するものだった。
上記のエピソードに代表されるように、浦和に優勝をもたらした大きな要因の1つに、熱狂的なサポーターの声援があったことは言うまでもない。昨シーズンホームで無敗と圧倒的な強さを見せ、その声援はアウェーの地をも包み込んだ。「浦和と対戦するクラブはどこもアウェー」であるかのような状況を作り出した熱狂的なサポーターの功績は計り知れないものがあった。
思えば、昨シーズンの浦和に置かれた立場は非常に難しい立場だった。天皇杯を制し、ワシントン、小野、相馬、黒部といったタレントを補強。シーズン直前のゼロックス・スーパーカップではガンバに3-1と完勝し、ダントツの優勝候補に挙げられていた。
そういった周囲の期待やプレッシャーは、ギド・ブッフバルトに優勝という義務を与えた。優勝するためには、勝ち点をより多く積み上げる必要がある。そこで必要になってくるのが「点を取られないこと」だ。1試合平均0点台という鉄壁の守備の源は、リーグ最強の3バックだけでなく、個々の選手の高い守備意識に基づいたものだった。
その一方で、試合内容に対して「つまらない」という声もあったことも確かである。これに関しては戦術の1つであるので守備的=つまらない、攻撃的=面白いという価値観自体どうかと思うのだが、個々の能力への依存度が他チームに比べて高かったことは確実に言える。攻撃が手詰まりになった際に闘莉王を前線に上げ、ひたすらロングボールを入れることが多かったように、攻撃のバリエーションが豊富でなかったことも「つまらない」という声を後押ししてしまったのだろう。
だが、結果としてチームは優勝してしまった。攻撃での連動性という点では川崎やガンバに比べて劣っており、守備での連動性も清水の完成度と比較して決して高いとは言えなかったが、それでも頂点を極めてしまった。言い換えれば、チームとして完全に熟する前に優勝したということだ。今振り返ってみると、前評判通り頭1つ抜けていたのだろう。
そして闘莉王、ワシントンといった主力を欠いた天皇杯も返す刀で連覇を成し遂げた。ギド・ブッフバルトがチームに植えつけようとした「勝者のメンタリティー」は、ほぼ身に付いたと言ってもいいだろう。この天皇杯連覇を置き土産に、3年間チームの指揮を執ったブッフバルトはチームを去ることとなり、後任には浦和での監督経験を持つオジェックが任された。
2冠を達成したチームの指揮官を任されるプレッシャーは相当なものがあるはずだ。さらに今シーズンはクラブがプロジェクトチームを立ち上げるほど力を入れているACLが控えている。加えて代表選手を多く抱えるクラブであるだけに、代表に時間を取られることも予想され、例年以上に厳しいシーズンが待ち構えている。ゼロックス・スーパーカップでは仕上がり・連携の危うさを感じさせたが、開幕戦までにいかにしてそれを高めていくのだろうか。
さらに昨年世界のビッグクラブ「トップ10」入りを果たしたようにクラブ規模もどんどん大きくなっており、「ACLとの両立が出来ませんでした」という言い訳は絶対に許されない。「地域密着型」で大きくなっていった浦和が、今シーズンはJリーグでは王者として、ACLでは挑戦者としてどのような戦いぶりを見せてくれるのか。今シーズンも浦和が話題の中心となることは間違いないだろう。
posted by 犬太 |09:56 |
Jクラブ総括2006 |
コメント(3) |
トラックバック(1)
2007年02月27日
「フロンターレ (Frontale)」はイタリア語で「正面の、前飾り」を意味し、常に最前線で挑戦し続けるフロンティアスピリッツ、正面から正々堂々と戦う姿勢を表現したものである(wikipedia参照)。
2006年のフロンターレは、この言葉にふさわしい快進撃を見せた。リーグ最多となるチーム総得点数84点を叩き出し、終わってみれば2位という素晴らしい成績でACLへの出場権を得ることとなった。
快進撃の要因として、前述の攻撃力があることはもはや言うまでもないだろう。ジュニーニョ&我那覇のツートップは計38点を叩き出し、ベストイレブンにも選出された中村&谷口の両ボランチは計23点を叩き出した。特に両ボランチの挙げたゴールは先制点や同点ゴール、決勝ゴールといった付加価値の高いゴールが多く、チームへの貢献度は計り知れないものがあった。
さらに大きな要因が、選手層に厚みが増したことで怪我人や出場停止者が出てもチームバランスが大きく崩れなかったことである。ジュニーニョが怪我で一時戦列を離れた際には黒津がその穴を埋め、不動の3バックの一角である寺田が戦列を離れた際には佐原が川崎が誇るハイタワーの一角を務め上げた。警告の多かった両ウイングバック・森、マルコンが累積警告により出場停止となった際には西山、飛騨、井川といった若手が水を得た魚のような働き振りを見せ、欠場の影響をほとんど感じさせなかった。それによりチーム全体の競争意識も強くなり、収穫の多かった昨シーズンの中でも特に大きな収穫だったと言える。
ただ、そういった大きな収穫を差し引いても、チーム総失点数55失点というのはやはり頂けないものがある。この数字は10位以内に入ったクラブの中でワースト2位の数字であり、優勝した浦和の約2倍にあたる。特に終盤に差し掛かるにつれ失点数が増え続け、1試合で3点以上を取りながらも勝ち点3を得ることが出来なかった試合が4試合もあり、1度守備が崩れると歯止めが効かなくなるという弱点を露呈してしまった。
その辺りを十分に考慮したのか、オフシーズンはディフェンスの選手を積極的に補強した。その中でも最大の目玉は名古屋から獲得した川島だろう。先に行なわれた日本代表候補合宿にも選出されるなど実力を早くから評価されており、昨シーズン川崎のウィークポイントになっていたGKのレベルアップが期待できる選手である。さらに磐田時代に優勝の味を知っている経験豊富な河村や、複数のポジションをこなせる村上、落合、大橋を獲得。ACLや北京五輪予選との兼ね合いで主力の離脱や怪我人の恐れがあるだけに、早い段階で手を打ったことは評価出来る。
昨シーズンはチャレンジャーの立場であったがためにプレッシャーも少なかったが、今シーズンからはその立場に変化が生じ、プレッシャーも昨年の比ではないだろう。それに打ち勝つためにも昨年以上にチーム、そして個人のさらなるレベルアップが求められるところだ。チームのスタメンの顔ぶれがここ数年ほとんど替わっていないが、この牙城を崩す選手が現れるようにならないことには昨年以上の成績を残すことは困難になるだろう。特にキャンプから絶好調の黒津はジュニーニョ、我那覇の強力ツートップからスタメンを奪い取るぐらいの気概でいってもらいたい。さらに、個人的には昨年「オレンジデイズ」「修羅場3」といったインパクトの強い企画を打ち出したフロントの今シーズンの企画にも期待してみたいところだ。
posted by 犬太 |20:53 |
Jクラブ総括2006 |
コメント(0) |
トラックバック(1)
2007年02月25日
外国人ジョッキー初となるダービージョッキーに輝いたミルコ・デムーロの目には、光るものがあった。それは、自身をダービージョッキーへと導いてくれたネオユニヴァースへ向けたものであり、自身にネオユニヴァースという馬への騎乗機会を与え、全幅の信頼を置いてくれた瀬戸口調教師へ向けたものでもだった。
歓喜のダービーから、4年が経った。その間、ネオユニヴァースは屈腱炎を患ったことで、引退を余儀なくされた。そして、2007年2月25日を持って瀬戸口調教師は定年退職の為、第一線を退くこととなった。この日の瀬戸口厩舎の管理馬のほとんどの手綱を取ったのは、瀬戸口調教師をダービー・トレーナーへと導いたデムーロだった。
この日3鞍用意されていた瀬戸口厩舎&デムーロのラスト・ラン。その先陣を切ったレットバトラーは、直線粘るサウスディーダを上がり3ハロン33.7という驚異的な末脚で差し切り、勝利をプレゼントした。ちなみにレットバトラーの全兄はデムーロが手綱を取り皐月賞を制したダイワメジャー。何か強い縁を感じたのは私だけだろうか。
昨年は引退を表明し重賞ラスト騎乗となった松永幹夫が乾坤一擲の騎乗で劇的な勝利を飾った阪急杯。瀬戸口厩舎が送り出した最後の重賞出走馬・イースターの手綱を取ったデムーロは、ここで痛恨の出遅れ。スズカフェニックスに次ぐ上がり2位の末脚で直線よく差を詰めたが、9着まで。瀬戸口厩舎最後となった重賞を最も良い形で飾ることは出来なかった。
だが、最後にハッピーエンドが待っていた。32年間の調教師生活の最後を飾った馬は、エイシンボストン。鞍上にはもちろん、デムーロ。内々でレースを進めると、直線で先頭を捉えにかかる。100m・・50m・・20m・・ゴールが近づくにつれ、先頭との差が少しずつ詰まっていく。「イタリアのダービーを勝つより日本のダービーを勝つほうが嬉しい」とまで言い切ったデムーロの夢の確かな手助けをした瀬戸口調教師へ送る最高の騎乗──鬼神のごとき追いっぷりで猛然と差を詰め、ゴール直前、ついに差し切った。何かが憑依したとしか思えないその騎乗ぶりは、瀬戸口調教師にこれ以上ない最高の花道を作ることとなった。
posted by 犬太 |21:00 |
競馬コラム |
コメント(0) |
トラックバック(1)
2007年02月24日
昨シーズン1度も浦和に勝つことが出来なかったガンバが浦和に勝利した、という結果についてさほど大きな驚きはない。指揮官の交代と欧州遠征、代表選手の大量選出、主力の故障というマイナス要因の多い浦和に対し、大きな怪我人も無く、「10%の上積み」というテーマの下、理想的なキャンプを行なったガンバ。現時点の仕上がりでは明らかにガンバに分があるからだ。
ただ、それを差し引いても4-0というスコアに関しては、驚きを隠せない。
まずは両チームのスタメンだが、オジェック新体制を迎えて布陣の変化があるかどうかに注目が集まった浦和だったが、ブッフバルト時代の3-4-2-1の布陣を踏襲していた。大きな変化と言えば、怪我の相馬に代わって小野がトルシエ政権の日本代表以来となる左サイドに入ったこと、新加入の阿部が同じく怪我の長谷部のポジションであるボランチに入り鈴木とドイスボランチを形成したことぐらいで、レギュラーの代わりにスタメンに起用された選手にしても、昨シーズンからの変化はなかった。
対するガンバは昨シーズンにオプションの1つとして使っていた4バックを今シーズンからはガンバの基本布陣とし、この日の左サイドには昨シーズンほとんど出場機会のなかった安田がスタメンに抜擢されていた。中盤から前線にかけては昨シーズンと同じ顔ぶれで、注目されたバレーはベンチスタートとなった。
強い風が吹き付ける中、2007年の日本サッカーの幕開けを告げるホイッスルが吹かれた。
立ち上がりは、両チームとも左サイドからの攻撃が目に付いた。浦和は左サイドに入った小野を起点に攻撃を組み立て、ガンバは安田が積極的なオーバーラップを見せ、5分には平川との競り合いに勝ち、フリーでシュートを放ったがこれは大きくふかしてしまった。
序盤こそ互角に見えた両チームだったが、徐々にガンバが試合の主導権を握っていった。そして31分、前線へのくさびのボールを山口がカットし、遠藤へパス。山口はそのまま右サイドのスペースへ走りこみ、攻撃の数的優位を作る。ボールを受けた遠藤は左のスペースへフリーランをしていた二川へピンポイントのパスを送り、二川は右足へ持ち替えてシュート。1度は山岸に弾かれたが、こぼれ球をマグノ・アウベスが押し込んだ。ボールを奪った後もフリーランを止めなかった山口、ボールを奪った瞬間に裏のスペースへのフリーランを開始した二川と、好守の切り替えの速さが光った先制点だった。
ガンバの攻撃の勢いはとどまることを知らない。42分にはボールを持った二川がそのままドリブルで持ち込み、豪快なミドルを叩き込んだ。序盤には橋本が遠目の位置から惜しいシュートを放っていたように、シュートの対する意識の高さが目立ち、前半だけで10本以上のシュートを記録していた。
ハーフタイムを挟んでも、試合の主導権が動くことは無かった。遠藤、二川という高いスキルを持つ2人が自由にプレーする時間が多くなり、そこから数多くのチャンスが生まれた。また2人がボールを持つことで自然とボールをポゼッションする時間も多くなり、橋本、安田ら2列目、3列目からの攻撃参加が多く見られるようになった。
67分の得点はまさにその形から生まれた。バイタルエリアで二川がタメを作り、飛び出した橋本へスルーパス。橋本のシュートのこぼれ球をマグノ・アウベスが難しい角度だったが落ち着いて決めた。二川の個人技もそうだが、橋本の飛び出しのタイミングの良さが際立っていた。
個人技で言えば、85分のゴールには遠藤の卓越した技術が集約されていた。3点目の二川と同じような位置から無駄の無いボールタッチでディフェンスを振り切り、中央のバレーへピンポイントクロス。バレーのトラップが大きくなってしまったが、これを山岸が弾いてしまい、最後はまたしてもマグノ・アウベスが決め、ゼロックス・スーパーカップ史上初となるハットトリックを達成した。
こうしてガンバの挙げた4得点の内訳を解いていったが、すべてのゴールに必然性があった。カウンター時における「守」から「攻」への切り替えの速さ、2列目、3列目からの飛び出し、こぼれ球に対する反応の速さと的確なポジショニング・・・ガンバにとって文句のつけようのないゲームだったと言える。
ガンバのゴールに必然性があったということは、浦和の失点にも必然性があったということだ。1点目のシーンではボールを奪われた後の守備への切り替えが遅れ、2点目のシーンでは誰がボールホルダーに対してチェックに行くかという連携の部分でのミスがあり、3点目のシーンでは橋本の飛び出しに対して誰も反応出来ず、パスを出した二川に対してもバイタルエリアで自由にさせてしまっていた。4点目にしても同じで、ガンバのキーマン・遠藤をバイタルエリアまで侵入させてしまっていた。二川、遠藤のマークにはポジション的に考えて山田、ポンテ、阿部、ポンテのいずれかがつくはずだが、前2人と後ろ2人との距離が空いてしまい、役割が分断されてしまっていたような印象を受けた。
さらに浦和にとって大きな問題だったのが、好守の切り替えやプレーの切り替えなどの「スイッチ」がこの日は存在していなかったことだった。前述の失点もそうだが、象徴的な場面として、スローイン時に副審の判定に異議を唱え、その間に右サイドの裏のスペースを取られて決定機を作られていたことがあった。率直に言って、2冠を達成したクラブにあるまじき行為だった。
逆にガンバは「10%の上積み」にとどまらない異色の出来だった。攻撃における連動性然り、セカンドボールを拾う意識然り、ファーストディフェンダーの速い寄せ然り、好守の切り替えの速さ然り・・・「予想以上に良いゲームが出来たと思う」という西野監督の言葉に偽りは無いだろう。
この試合で今シーズンの行方を占うことはあまりにも早計だ。とはいえ、この4-0というスコアはガンバに大きな自信をもたらしたことだろう。一方の浦和は戦術が完全に浸透するまでもう少し時間がかかりそうだ。怪我人のコンディションも気になるところで、開幕までの1週間でどれだけ立て直すことが出来るか、そこに焦点が絞られてくる。仮に欧州遠征、そしてこの試合での大敗がシーズンまで尾を引くようだと、今年のJリーグは例年にも増してより一層混沌模様を呈してくるだろう。
posted by 犬太 |15:42 |
Jリーグマッチコラム |
コメント(14) |
トラックバック(1)
2007年02月22日
「-49」2006年を迎えるにあたって、ガンバが背負ったこの数字は何よりも大きかった。33得点を挙げ得点王に輝いたアラウージョと16点を挙げた大黒が揃って退団。チーム総得点の半分以上を叩き出した2人の穴は大きいかに思えた。
その穴を埋めるべく、昨年ガンバに加入してきたのが大分のエースストライカーだったマグノ・アウベスと神戸時代にゴールを量産し、代表入りを推す声も挙がった播戸だった。さらに兼ねてより懸念されていた右サイドには日本代表の右サイドでもある加地を、中盤には柏時代に西野監督の愛弟子だった明神をそれぞれ獲得。結果的にバランスの取れた効果的な補強を行なうことができた。
そして、シーズンが開幕。既にチームのベースとなる戦術は完成されていたので、後は新加入選手がどれくらいの期間でフィットするかに焦点が絞られていたが、その不安は杞憂に終わった。マグノ・アウベスはすぐにチームにフィットし、第2節の大阪ダービー・セレッソ戦でハットトリックを達成すると、その後もゴールを量産。終わってみればワシントンと並ぶ26得点を挙げ、得点王に輝いていた。
ワールドカップによる中断が明けると、今度は播戸が大爆発を起こした。試合に出れば点を決めるというまさに打ち出の小槌のような活躍を見せ、遂には日本代表に初選出された。そして代表戦でも頭に包帯を巻いた状態で2ゴール。播戸にとって最高のシーズンとなった。
そんな2人の活躍に引っ張られてチームは安定した成績を残し、浦和、川崎と共に3強を形成した。この時点で「-49」という数字は完全に消えていた。そして、それを打ち消していたのは前述の2人の活躍ももちろんだが、遠藤の存在だった。正確無比なパスで何度も好機を演出し、また試合中誰よりもボールを多く触ることで攻撃のリズムを作り、攻撃を組み立てていた。まさにチームの心臓と言える存在だった。
それだけに、遠藤の離脱がチームにもたらした影響は「-49」がもたらしたそれに比べて間違いなく大きかった。遠藤がピッチから姿を消したことでパスセンスに長ける二川がボールのある所に以前にも増して顔を出していたが、遠藤不在以前に比べて当然のことながらマークが厳しくなり、本来のパフォーマンスが鳴りを潜めた。本来のパフォーマンスが鳴りを潜めたのはチームもまたしかりだった。その最もたるが第31節の千葉戦で、雨が降ったことでバウンドしたボールが伸び、それによってパスの精度を著しく欠いた。パス・サッカーが基調であるガンバ・スタイルからは程遠い内容だった。
ただ、付け加えなければならないのが、この試合で勝ち点3を得たのはガンバであるということだ。引き分ければ浦和の優勝が決まるという試合で終了間際に勝ち越し点を決めた第33節にも言えることだが、優勝を目前にした終盤で失速した一昨年に比べて、格段に勝負強くなっていた。本当に強いチームというのは自分のスタイルを封じ込められても狡猾に勝つことが出来る。最終戦で浦和に破れ、最終的には3位に終わったシーズンではあったが、ワンランク上のチームへの変貌に向けた片鱗を覗かせた実り多きシーズンだったと言えよう。
とはいえ、浦和との差は広がってしまったと言わざるを得ない。先ほど格段に勝負強くなってきたということを述べたが、それはあくまでガンバの中での話である。リーグ戦・天皇杯の2冠を勝ち取り、特にワシントン、闘莉王といった主力を欠いた天皇杯でベストメンバーを揃えたガンバ相手にワンチャンスをものにした浦和の勝負強さに現時点では及ばないだろう。そのためにも1試合でも多く勝ち、1つでも多くのタイトルを獲得することで「勝利のメンタリティー」を身につけていく必要がある。
さて、2006年は活発な補強を行なったガンバだったが、今シーズンは甲府からバレー、FC東京から中澤を、そしてユースから3選手を引き上げたのみにとどまった。その一方で宮本がザルツブルグへ移籍し、ディフェンスが手薄になってしまったことは否めない。チームは「超攻撃」というスローガンを掲げているが、ややもすると攻撃に対する比重がかかり過ぎ、好守のバランスが崩れてしまう恐れがある。攻撃と守備は表裏一体のものである。昨年ある程度改善された好守のバランスを維持しつつ、攻撃にさらに厚みを持たせる。西野監督の理想であろうそのサッカーが完成すれば、王座奪還も現実味を帯びてくるはずだ。
posted by 犬太 |20:59 |
Jクラブ総括2006 |
コメント(3) |
トラックバック(0)
2007年02月21日
いよいよ、北京五輪の予選が来週から始まる。「マイアミの奇跡」を起こしたアトランタ、「日本史上最強」の呼び声も高かったシドニー、「谷間の世代」と揶揄されながらも厳しい予選を勝ち抜いたアテネ。今大会はホーム&アウェー方式が採用されるということで、その戦いが寄り一層厳しくなることは言うまでもない。この試合の注目度は決して高いとは言えなかったが、来週から始まる北京五輪予選に向けてチームの仕上がり具合を試す重要な試合である。
「多くの課題が出るように期待している」と試合前に反町監督は語っていた。対戦相手であるU-22アメリカ代表は主力を欠いた布陣ではあるが、日本にとって格上の相手と言えるだろう。果たして、本番を1週間後に控えたこの試合で、どんな課題が出てくるのか──
日本のスタメンを確認すると、布陣は3-4-3若しくは3-6-1といったところか。3バックは伊野波を中央に置き、右に青山直、左に水本。中盤は本田が守備的なボランチに位置し同じくボランチに入った梶山がゲームメイクを担当。試合を決めることが出来る左足を持つ本田が左サイド、縦への突破と正確なクロスが武器の水野が右サイドに位置し、前線は平山がターゲットとなり、カレン、李が2シャドーに入ることでトライアングルを形成していた。
序盤からペースを握ったのは日本だった。いきなり平山が挨拶代わりのシュートを見舞うと、今度は梶山からの絶妙なスルーパスを受け、ダイレクトで合わせる。さらにはその梶山がミドルレンジでの切り替えしから右足での強烈なシュートを放つ。いずれもゴールにこそならなかったものの、確実にゴールの匂いは漂っていた。
ディフェンスにおいても、アメリカのコンディション不足もあり、それほど大きな破綻をきたすことはなかった。アメリカの選手がボールを持った時のプレスがしっかり効いていて、特にカレンの前線からの献身的な守備が光った。
ただ、その一方で攻撃時のビルドアップの遅さが目に付いた。3バックの3人が自陣でボールを回しているだけという場面が目立ち、オシムのいう「各駅停車」の状態になっていた。これが、反町監督が期待していた「課題」なのだろうか。
後半に入ると、課題は湧き水のように溢れ出してきた。前半はあまり当たりにいっていなかったアメリカだったが、後半に入るとフィジカル・コンタクトでの強さを発揮し、球際での攻防をほとんどものにしていた。そして後半から投入されたジッゾが右サイドを再三切り裂き、本田のポジションを自然と押し下げていた。それにつられるように前からのプレスが効いていた前半とは全く異なり、チーム全体のベクトルが後方になってしまっていた。
こうなってくると、当然好守の切り替えには時間を要する。前半はセットプレーを蹴った後の水野に対して「晃樹戻れ!」という声が飛んだように好守の切り替えが徹底されていたが、後半は運動量が落ちたことも相まって好守の切り替えが徐々に遅れ出していた。
課題はこれだけにとどまらない。家長が投入された後は攻撃のリズムが出始めたが、それ以前は前半こそ効果的だったロングボールが後半は通用しなくなり、また前線と中盤の距離が開いてしまったことで前線3人が孤立してしまう場面が多かった。解説の金田さんがおっしゃっていたように、「4人目」が出てこなかったことで、攻撃に厚みを全く感じなかった。
結局、試合はスコアレスドローで終了した。ある意味、反町監督の意図通りと言える試合だった。「DFの部分でたくさん課題が生まれた」という試合後のコメントがそれを物語っている。
だが、その一方で「非常に手応えを感じたゲームだった」と語っているように、収穫も大きかったようだ。注目された平山は昨年と比べると動きにキレが増し、梶山、水野は個対個の対決において随所に輝きを放った。個人で圧倒されていたチーム立ち上げ時の対中国戦に比べると、大きな成長と言える。
とはいえ、ホームで戦っている以上、例えどんな試合であっても勝ちが求められる。そういった意味でも平山に訪れた2つの決定機は決めなければいけなかった。ホームで勝ち点3を獲れないことは大きな痛手になる。もう「惜しいシュート」なんて言葉はいらない。決められる時に決めておかなければ、そのツケは後々必ず回って来るはずだ。
posted by 犬太 |21:04 |
日本代表コラム |
コメント(6) |
トラックバック(1)
2007年02月19日
桜は、再び散ってしまった。2006年、セレッソ大阪は優勝争いに絡んだ翌年にJ2に降格してしまった前回の教訓を活かしきれず、降格の憂き目に遭った。
「激変」とは、このことを言うのだろうか。2005年には40失点とリーグ3位の堅守を誇っていたチームが、2006年には70失点。実に30失点の上積みをしてしまった計算になる。開幕からの4試合すべてで3失点以上を喫し、特にガンバとの大阪ダービーではマグノ・アウベス、フェルナンジーニョにそれぞれハットトリックを決められるという失態を犯した。この時点で、今シーズンの結果がほぼ見えたといっても過言ではなかった。
そうは言っても、クラブをJ1に残留されるためには何か大きな変化を与えなければならない。そしてその役割はフロントが担う。フロントは小林監督を解任し、後任として育成アドバイザーを務めていた塚田監督を指名した。
体裁上ではあるが、クラブ内におけるハード面での改革は行なった。次なる改革は、ソフト面である。塚田監督はタレント揃いの攻撃陣を活かすべく攻撃的な布陣を敷き、点を取られても取り返すサッカーを標榜した。言い換えれば、カウンターをベースにした2005年のサッカーから180度転換したということだ。この急な指針の変更はいわば賭けに近いものだった。鬼が出るか蛇が出るか──その結果については、もはや言うまでもないだろう。
舵取りが方向を誤れば、おのずと船は沈んでいく運命にある。昨シーズンのセレッソは、フロント、現場の一体感がまるで感じられなかった。そういった意味では、選手はフロント、現場による「犠牲者」なのかもしれない。2005年にベストイレブンに選出され、2006年はキャプテンとしてクラブを引っ張った古橋はポジション変更に戸惑いながらも責務を果たすべく奮闘し、最終戦では残留の望みをつなぐ見事なゴールを挙げた。同じく2005年にベストイレブンに選出されたGK吉田も完全に崩壊した守備陣の中にあって数々のファインセーブを見せ、孤立無援の状況下で孤軍奮闘していた。また、途中加入の名波は精神的支柱としての役割も果たし、勝利のメンタリティーを植えつけるべくその左足でタクトを振るった。
だが、その日はやって来た。12月2日、雨が降りしきる長居公園第2競技場。川崎に1-3で敗れ、アビスパ福岡が引き分けた。その瞬間、セレッソのJ2降格が決まった。試合終了後、キャプテンの古橋以下セレッソの選手が横に列を成し、サポーターにJ2降格の謝罪をした。もちろん塚田監督の姿もそこにはあった。だが、最も責任を取るべきフロント陣の姿はそこにはなかった。昨シーズンのセレッソを象徴していたシーンだった。
posted by 犬太 |21:38 |
Jクラブ総括2006 |
コメント(2) |
トラックバック(0)
2007年02月18日
カネヒキリはどこへ行った。アロンダイトはどこへ行った。昨年の中央ダートG1を制した2頭は、フェブラリーSの馬柱から姿を消していた。カネヒキリは、屈腱炎を発症。引退という方法もあったが現役続行の道を選び、来たるべき復帰の日に向けて懸命なリハビリが行なわれている。後者は今年2月1日に前脚の球節部分の手術を受け、こちらも秋競馬での復帰を目指し、春シーズンを休養に当てている。
かくして、ダート中央G1勝ち馬不在で行なわれた今年のフェブラリーS。とはいえ、メンバーのレベルが決して低い訳ではない。昨年交流G13勝のブルーコンコルド、フェブラリーS2年連続2着からの雪辱に燃えるシーキングザダイヤ、さらには東西の前哨戦を制した上がり馬・ビッググラス、メイショウトウコン。新時代の息吹が東京競馬場に吹き抜けるのか、古豪がまだ早いと言わんばかりにそれを阻むのか──
東京競馬場に今年初となるファンファーレが鳴り響き、ゲートが開かれる。トーセンシャナオー、ダイワバンディッドといった伏兵陣がレースを引っ張り、淀みない流れを形成する。ハナを切りたかったアジュディミツオーはスタートの芝の部分で置いて行かれてしまい、押して押してようやく好位に取り付く。人気勢ではサンライズバッカス、シーキングザダイヤがほぼ同じような位置を取り、ブルーコンコルドはサンライズバッカスの後ろでじっくりと脚を溜めていた。
スタンドの歓声が一層大きくなった。直線に入ると抜群の手応えでレースを進めたメイショウバトラー、シーキングザベストが一足早く抜け出す。2頭に跨るジョッキー・ペリエ、福永は共にフェブラリーSでの勝利経験を持つ。経験が人を強気にさせるのか。先頭に立たない限り絶対に勝利の栄光に預かることは出来ない。間違いなく2人は勝ちにいった。
だが、フェブラリーSを制したジョッキーは彼らにとどまらなかった。今年に入って絶好調のアンカツこと安藤勝己。アドマイヤドンでフェブラリーSを制した経験を持つ彼は、ツルマルボーイで安田記念を、キングカメハメハでNHKマイルカップを制した経験も持つ東京1600mの鬼だった。
東京1600mの鬼が見せた鮮やかな手綱捌き。その手綱裁きは自然と馬を動かした。いや、この日に限っては馬が騎手を動かしたのかもしれない。そう見違えるほどの強烈な脚。外に進路を取り、道が拓けたサンライズバッカスにとって、先に抜け出したフェブラリーS勝利経験を持つ2人のジョッキーも、後方から差し切りを狙う1、2番人気の馬も、問題ではなかった。ブルーコンコルドが猛然と追い込むも時既に遅し。皐月賞の裏開催で未勝利を勝ち上がったサンライズバッカスが遂にG1の勲章を手にした。
遡って1年前、サンライズバッカスはまさにどん底だった。同じ舞台で行なわれた武蔵野Sでカネヒキリに黒星をつけさせたその姿はなく、勝ったカネヒキリから1.7秒離された12着に終わった。あれから1年、同じ舞台で馬場差はあれど勝ち時計でカネヒキリを0.1秒上回った。
しかし、この計算はあくまで試算に過ぎない。その試算が本物であるか否か、そのためには好敵手・カネヒキリと再び合間見えることが臨まれる。「カネヒキリはどこへ行った」もしかしたらサンライズバッカスは、1年前に自身より1.7秒早くゴールしたカネヒキリの姿を追い求めていたのかもしれない。
posted by 犬太 |20:48 |
競馬コラム |
コメント(0) |
トラックバック(1)
2007年02月14日
「870万」これが、当歳時にフサイチコンコルド産駒のバランスオブゲームに対して下された評価額だ。サンデーサイレンスの仔にしては安かったと言われるディープインパクトですら、その評価額は7000万。バランスの約8倍の額である。競走馬が値段ではないということは後の活躍が雄弁に物語っているが、当時の評価は決して高いものではなかった。
「ダービースタリオン」バランスの馬主は、競馬ファンの拡大に貢献したと言われるゲーム・ダービースタリオンの開発者、薗部博之だ。母校・早稲田大学をモチーフにした勝負服から、馴染みのあるファンも多かったのではないか。
「ちょうど向こう正面の内ラチにカラスがいて、それに物見してペースが落ち着いた」バランスを語る上で欠かせないのが、このエピソードだろう。競馬界の概念を覆した「カラス」による折り合い。馬7、人3というのが競馬界の定説だが、まさかカラスがその割合を壊すことになろうとは、誰が想像しただろうか。
「田中勝春」2005年に交流G1を勝つまで、G1競走125連敗。彼もまた、G1という舞台で脇役に甘んじていた。似たような境遇を経た1頭の馬と1人の騎手は、いつしかかけがえのないパートナーになっていた。真夏の新潟に始まり、中山、東京、京都、阪神、中京、札幌。バランスオブゲームと田中勝春は全国を行脚し続けた。「そこにレースがあるからさ」G1のない競馬場に何度も参戦したバランスの姿は、登山家であるジョージ・マロリーが発した台詞にも似ていた。
「左前浅屈腱不全断裂発症、競走能力喪失」バランスはこの時まで1度たりとも故障したことがない。休み明けを叩き台、という発想はバランスにはない。休み明けからエンジン全開の全力疾走。そんな馬から競走能力を奪ったところで何が残る?私はこのニュースを聞いた時多大なるショックを受けた。
「2006年10月26日」競馬界からまた1頭、名優が去った日だ。「とても長い競走生活で本当にこの馬には感謝しています」バランスの引退を受けて宗像調教師が発したコメント、それはファンの声そのものだった。
posted by 犬太 |20:59 |
競馬コラム |
コメント(5) |
トラックバック(1)