2007年01月23日
Jクラブ総括2006~アルビレックス新潟編~
「保守と革新」2006年、新潟はこの2つの間で板ばさみに遭った。 新潟の「保守」それはJ1昇格元年から2005年に至るまで、反町監督が完成させたカウンターをベースにしたリアクションサッカーだ。リスクを犯して攻めるより、守備を固めてブラジル人3トップで手数をかけずに点を奪う。この戦術に対する是非はあるだろうが、J1に昇格して僅か2年、毎年降格の可能性がチラつくクラブであるだけに、J1に定着することを念頭に置き、そこから導き出した答えが前述のスタイルだったのだろう。その結果が、2年連続でのJ1残留という形となった。 J1で戦っていく為の術は身につけた。だが、それはあくまで「残留」という最低限の、厳しい言い方をすれば低い目標での術である。では、もうワンランク上のチームを作るためにはどうすればいいだろうか。 そこで導き出した答えが「革新」、つまり従来のリアクションサッカーから脱し、自らが主体となって攻撃を仕掛けるアクションサッカーへの転身である。そしてその「改革者」として以前モンテディオ山形でポゼッションサッカーを築いた鈴木淳を招聘した。鈴木は新潟の良い部分=鋭いカウンターという武器を保持しながら少しずつつなぎに対する意識付けをしていくことを試み、クラブをさらなる高みへ持っていこうとした。 その結果は、14位だった。2005年シーズンよりも2つ順位を落とした恰好となってしまった。 順位を落とした要因としては、守備の崩壊が挙げられるだろう。失点数65はFC東京と並んでJ1ワースト3位タイ。川崎戦での6失点、磐田戦での7失点に代表されるように1度守備が崩れると立て直すことが出来ず、立て続けに得点を許す場面が目立った。 ただ、失点数の増加にはもう1つの要因がある。ポゼッションサッカーを志向する上で必要不可欠な中盤でのつなぎの部分でボールを失うことが多く、そこからカウンターを食らい、得点されてしまっていたことだ。つまり、新しいスタイルへと変貌を遂げようとしたことが皮肉にも失点数の増加という形となってしまったた訳だ。 では、2006年は新潟にとって何の進歩もなく、順位が示すように後退した年だったのだろうか。 その答えは、個々にスポットを当てると読み解けてくる。2005年までの新潟は、ブラジル人の得点力に頼りがちだったが、2006年から右サイドで起用されるようになった鈴木慎は前シーズンの倍以上となる9得点を挙げ、柏レイソルから移籍してきたFW矢野は移籍1年目からレギュラーに定着し6得点を挙げた。北野、千葉、中野、田中亜といった若手もそれぞれ時期は違えどレギュラーに定着するまでに至り、個々の能力の底上げという観点で見ると、大きな成長を実感したシーズンだったと言える。 そしてオフシーズンに突入すると、12人に戦力外通告を出すという行動に出たことで一抹の不安を感じさせたが、人材不足だった前線、サイド、ボランチに深井、ディビットソン純マーカス、坂本といった実力者をピンポイントで補強し、さらには怪我人が相次いだCBの層を厚くすべく千代反田を獲得。オフシーズンに行なうべき動きとしては理想的だったと言えよう。 2006年、新潟は「革新」に乗り出し、その結果として前年よりも順位を落とした。しかし、この革新を1年で判断するのは早計だろう。痛み無き改革は存在しない。2006年シーズンに新潟が味わった痛みをどのような形で2007年シーズンに還元できるのか、新潟の挑戦はまだ始まったばかりだ。
posted by 犬太 |21:01 |
Jクラブ総括2006 |
コメント(4) |
トラックバック(0)


