2007年01月22日

河合竜二~トライアウト組の星、今なお発展途上。~

サッカー選手に限らず、スポーツの世界の選手入れ替えのサイクルは速い。Jリーグでの出場機会を得ることが出来なければ高卒なら3~4年、大卒なら1~2年で解雇通告を受け、路頭に迷うこととなる。それはベテラン選手もまた然りである。給料と成長度合いのバランスを考えると、1人で新人選手3人分の年俸を抱えている選手よりも成長の可能性を見込んで新人選手を獲得し、ベテラン選手を切ることはある種仕方のないことである。

Jリーグでは、年間100人を優に超える選手がプロサッカー選手としての職を失う。トライアウトで各クラブの御眼鏡に叶う選手はそう多くはなく、半分以上がサッカー界から足を洗い、セカンドキャリアを歩んで行くこととなる。

その中でJリーグ初となるトライアウトを受け、後に「トライアウトの星」とまで呼ばれた選手がいる。その選手の名を、河合竜二という。

高校時代に高校総体準優勝を果たすなど順風満帆なキャリアを歩み、1997年、浦和レッズに入団した。入団以降3年間試合に出ることが出来ずにいたがクラブがJ2に降格した2000年、ついにJ初出場を果たし、その年は13試合に出場した。年齢的にもまだ若かったこともあり、今後さらに出場機会を延ばしていくものと思われた。

だが、現実は辛いものだった。2001年は僅か1試合の出場に終わり、ワールドカップイヤーの2002には1試合も出場することが出来ずにシーズンを終えた。程なくして、クラブは河合に「ゼロ円提示」を突きつけた。すなわちそれは、解雇を意味していた。

これで河合のプロサッカー選手としてのキャリアは潰えたに思えた。だが、この年から行なわれることとなった「合同トライアウト」が、河合のプロサッカー選手としてのキャリアを引き伸ばした。トライアウトを経て横浜F.マリノスとの契約を勝ち取ると、チームのディフェンスの要・松田の体調不良などもあり、入団した年の2ndステージから出場機会を得るようになり、松田不在の影響を全く感じさせないパフォーマンスを見せ、マリノス完全優勝の立役者となった。

河合のプロ生活最大のハイライトとなったのは、2004年シーズンだろう。出場試合こそ前年を下回ったものの、ACLやJリーグ・チャンピオンシップなど重要な局面で貴重なゴールを叩き込み、2年連続となるJリーグ制覇に大きく貢献した。特に古巣・浦和を相手にしたチャンピオンシップでは2試合にフル出場し、彼の存在を大きく知らしめた。

そして2006年、センターバックからボランチへコンバートされ、自己最多となる25試合に出場した。特に水沼監督就任以降、中盤で体を張ったディフェンスが出来るボランチとして重宝された。センターバックからボランチまで高水準でこなせるようになったことで、今後河合の存在価値が落ちることはないだろう。28歳となった今もなお、河合は進化を続けている。

1度は失いかけたプロサッカー選手という職業。だが、彼は諦めなかった。もちろんそれはトライアウトを経て今もなお現役を続ける選手全員にも言えることだ。その諦めない姿勢は、現在の河合のプレーにもきっと活きているはずだ。

posted by 犬太 |01:21 | Jリーグプレイヤーズコラム | コメント(4) | トラックバック(0)
みんトピに投稿 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加