2007年01月13日
Jクラブ総括2006~ジュビロ磐田編~
Jリーグ年間優勝回数3回、Jリーグ年間MVP選出4人。これまで数々の栄光を打ち立ててきたジュビロ磐田の歴史を踏まえると、2006年シーズンの5位という最終順位をどう評価して良いのか、判断に困るところである。 ジェフ千葉から村井、茶野を、ノアシェランからは現在日本代表不動の正GKである川口を補強し、優勝候補に挙げられながらもタイトル奪還に失敗した2005年のリベンジを期して臨んだ2006年だったが、ワールドカップ中断期間までの成績は暫定で11位。早々に優勝争いから脱落してしまった。 その原因として、戦術、システムの一貫性の無さがあったことは間違いないだろう。一貫して3バックだったシステムを浦和戦で突如4バックに変更(対浦和の戦術という側面もあったのだろうが)すると、その試合で惨敗。その後もチームは新しい方向性に順応することが出来なかった。そして、ジュビロ磐田の初タイトルをヘッドコーチとして支え、1年半以上に渡り磐田の指揮を執った山本監督はシーズン途中で辞任してしまった。 その後任としてチームの指揮を執ったのは、磐田でのプレー経験もあったブラジル人監督・アジウソンだった。7年ぶりに古巣へ帰ってきたアジウソンは、早速チームの改革に着手。山本監督時代はポストプレイや前線からの守備など様々な役回りをされていた前田に対し常に点の取れるポジションにいる事を要求すると、日本を代表するボランチである福西のポジションを攻撃的なポジションに上げ、さらに上田、犬塚、船谷といった若手を積極的に起用した。 就任当初は戦術がなかなか浸透せず、安定感に欠ける試合が多かったが、新潟に7-0と圧勝すると、これまで低迷していたチームの成績は右肩上がりに上昇し、川崎、ガンバ、浦和といった上位陣を次々と撃破し、終盤のJリーグの盛り上げに一役買う恰好となった。 後半の快進撃にアジウソン監督の手腕がもたらしたものは大きいが、それ以上に選手個々のパフォーマンスの高さが際立っていた。前田は27試合で15点とエースとして申し分の無い活躍を見せ、ガンバ戦のような試合終了間際の決勝ゴールなど付加価値の高いゴールも目立った。太田は9得点10アシストという素晴らしい成績を残しチームの攻撃の核としての不動の地位を築き、福西は抜群のポジショニングと嗅覚で攻撃的なポジションで新境地を切り開いた。そして前述の若手も期待に違わぬ実力を発揮し、アジウソンによって見出された上田はU-21代表にも選出されるまでに成長した。 このように個々にスポットを当ててみると上々のシーズンだった言えるが、試合運びの上手さ、試合の中でのフレキシブルさといった部分で考えるとまだまだと言わざるを得ない。前半から後半開始直後まで圧倒的に試合を支配し、2-0とリードしながらもPK戦で敗れた天皇杯での浦和戦がその典型である。また自分達のリズムを掴めば格上相手にも勝利を収めることが出来る反面、リズムを掴めないと格下相手にあっさり敗れてしまうこともあり、本当の意味での「強さ」が備わっているとは言い難い。 とはいえ、これらは過渡期を迎えるチームでは必然的に起こる現象である。川口、田中、福西といった経験豊富な選手がピッチ上で「生きる見本」になることで若手選手にもそのメンタリティーが身についていくことだろう。概言するに、2006年の5位という順位は、高評価を下しても良いのではないだろうか。
posted by 犬太 |22:47 |
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