2007年02月28日

Jクラブ総括2006~浦和レッズ編~

12月2日、隙間なく埋め尽くされた埼玉スタジアム2002。そのバックスタンドに作られた人文字によるエンブレム。そのインパクトは2004年、初のステージ優勝がかかった駒場での対名古屋戦でのグラウンド一面を埋め尽くした紙吹雪のそれにも匹敵するものだった。

上記のエピソードに代表されるように、浦和に優勝をもたらした大きな要因の1つに、熱狂的なサポーターの声援があったことは言うまでもない。昨シーズンホームで無敗と圧倒的な強さを見せ、その声援はアウェーの地をも包み込んだ。「浦和と対戦するクラブはどこもアウェー」であるかのような状況を作り出した熱狂的なサポーターの功績は計り知れないものがあった。

思えば、昨シーズンの浦和に置かれた立場は非常に難しい立場だった。天皇杯を制し、ワシントン、小野、相馬、黒部といったタレントを補強。シーズン直前のゼロックス・スーパーカップではガンバに3-1と完勝し、ダントツの優勝候補に挙げられていた。

そういった周囲の期待やプレッシャーは、ギド・ブッフバルトに優勝という義務を与えた。優勝するためには、勝ち点をより多く積み上げる必要がある。そこで必要になってくるのが「点を取られないこと」だ。1試合平均0点台という鉄壁の守備の源は、リーグ最強の3バックだけでなく、個々の選手の高い守備意識に基づいたものだった。

その一方で、試合内容に対して「つまらない」という声もあったことも確かである。これに関しては戦術の1つであるので守備的=つまらない、攻撃的=面白いという価値観自体どうかと思うのだが、個々の能力への依存度が他チームに比べて高かったことは確実に言える。攻撃が手詰まりになった際に闘莉王を前線に上げ、ひたすらロングボールを入れることが多かったように、攻撃のバリエーションが豊富でなかったことも「つまらない」という声を後押ししてしまったのだろう。

だが、結果としてチームは優勝してしまった。攻撃での連動性という点では川崎やガンバに比べて劣っており、守備での連動性も清水の完成度と比較して決して高いとは言えなかったが、それでも頂点を極めてしまった。言い換えれば、チームとして完全に熟する前に優勝したということだ。今振り返ってみると、前評判通り頭1つ抜けていたのだろう。

そして闘莉王、ワシントンといった主力を欠いた天皇杯も返す刀で連覇を成し遂げた。ギド・ブッフバルトがチームに植えつけようとした「勝者のメンタリティー」は、ほぼ身に付いたと言ってもいいだろう。この天皇杯連覇を置き土産に、3年間チームの指揮を執ったブッフバルトはチームを去ることとなり、後任には浦和での監督経験を持つオジェックが任された。

2冠を達成したチームの指揮官を任されるプレッシャーは相当なものがあるはずだ。さらに今シーズンはクラブがプロジェクトチームを立ち上げるほど力を入れているACLが控えている。加えて代表選手を多く抱えるクラブであるだけに、代表に時間を取られることも予想され、例年以上に厳しいシーズンが待ち構えている。ゼロックス・スーパーカップでは仕上がり・連携の危うさを感じさせたが、開幕戦までにいかにしてそれを高めていくのだろうか。

さらに昨年世界のビッグクラブ「トップ10」入りを果たしたようにクラブ規模もどんどん大きくなっており、「ACLとの両立が出来ませんでした」という言い訳は絶対に許されない。「地域密着型」で大きくなっていった浦和が、今シーズンはJリーグでは王者として、ACLでは挑戦者としてどのような戦いぶりを見せてくれるのか。今シーズンも浦和が話題の中心となることは間違いないだろう。

posted by 犬太 |09:56 | Jクラブ総括2006 | コメント(3) | トラックバック(1)
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2007年02月27日

Jクラブ総括2006~川崎フロンターレ編~

「フロンターレ (Frontale)」はイタリア語で「正面の、前飾り」を意味し、常に最前線で挑戦し続けるフロンティアスピリッツ、正面から正々堂々と戦う姿勢を表現したものである(wikipedia参照)。

2006年のフロンターレは、この言葉にふさわしい快進撃を見せた。リーグ最多となるチーム総得点数84点を叩き出し、終わってみれば2位という素晴らしい成績でACLへの出場権を得ることとなった。

快進撃の要因として、前述の攻撃力があることはもはや言うまでもないだろう。ジュニーニョ&我那覇のツートップは計38点を叩き出し、ベストイレブンにも選出された中村&谷口の両ボランチは計23点を叩き出した。特に両ボランチの挙げたゴールは先制点や同点ゴール、決勝ゴールといった付加価値の高いゴールが多く、チームへの貢献度は計り知れないものがあった。

さらに大きな要因が、選手層に厚みが増したことで怪我人や出場停止者が出てもチームバランスが大きく崩れなかったことである。ジュニーニョが怪我で一時戦列を離れた際には黒津がその穴を埋め、不動の3バックの一角である寺田が戦列を離れた際には佐原が川崎が誇るハイタワーの一角を務め上げた。警告の多かった両ウイングバック・森、マルコンが累積警告により出場停止となった際には西山、飛騨、井川といった若手が水を得た魚のような働き振りを見せ、欠場の影響をほとんど感じさせなかった。それによりチーム全体の競争意識も強くなり、収穫の多かった昨シーズンの中でも特に大きな収穫だったと言える。

ただ、そういった大きな収穫を差し引いても、チーム総失点数55失点というのはやはり頂けないものがある。この数字は10位以内に入ったクラブの中でワースト2位の数字であり、優勝した浦和の約2倍にあたる。特に終盤に差し掛かるにつれ失点数が増え続け、1試合で3点以上を取りながらも勝ち点3を得ることが出来なかった試合が4試合もあり、1度守備が崩れると歯止めが効かなくなるという弱点を露呈してしまった。

その辺りを十分に考慮したのか、オフシーズンはディフェンスの選手を積極的に補強した。その中でも最大の目玉は名古屋から獲得した川島だろう。先に行なわれた日本代表候補合宿にも選出されるなど実力を早くから評価されており、昨シーズン川崎のウィークポイントになっていたGKのレベルアップが期待できる選手である。さらに磐田時代に優勝の味を知っている経験豊富な河村や、複数のポジションをこなせる村上、落合、大橋を獲得。ACLや北京五輪予選との兼ね合いで主力の離脱や怪我人の恐れがあるだけに、早い段階で手を打ったことは評価出来る。
 
昨シーズンはチャレンジャーの立場であったがためにプレッシャーも少なかったが、今シーズンからはその立場に変化が生じ、プレッシャーも昨年の比ではないだろう。それに打ち勝つためにも昨年以上にチーム、そして個人のさらなるレベルアップが求められるところだ。チームのスタメンの顔ぶれがここ数年ほとんど替わっていないが、この牙城を崩す選手が現れるようにならないことには昨年以上の成績を残すことは困難になるだろう。特にキャンプから絶好調の黒津はジュニーニョ、我那覇の強力ツートップからスタメンを奪い取るぐらいの気概でいってもらいたい。さらに、個人的には昨年「オレンジデイズ」「修羅場3」といったインパクトの強い企画を打ち出したフロントの今シーズンの企画にも期待してみたいところだ。

posted by 犬太 |20:53 | Jクラブ総括2006 | コメント(0) | トラックバック(1)
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2007年02月22日

Jクラブ総括2006~ガンバ大阪編~

「-49」2006年を迎えるにあたって、ガンバが背負ったこの数字は何よりも大きかった。33得点を挙げ得点王に輝いたアラウージョと16点を挙げた大黒が揃って退団。チーム総得点の半分以上を叩き出した2人の穴は大きいかに思えた。

その穴を埋めるべく、昨年ガンバに加入してきたのが大分のエースストライカーだったマグノ・アウベスと神戸時代にゴールを量産し、代表入りを推す声も挙がった播戸だった。さらに兼ねてより懸念されていた右サイドには日本代表の右サイドでもある加地を、中盤には柏時代に西野監督の愛弟子だった明神をそれぞれ獲得。結果的にバランスの取れた効果的な補強を行なうことができた。

そして、シーズンが開幕。既にチームのベースとなる戦術は完成されていたので、後は新加入選手がどれくらいの期間でフィットするかに焦点が絞られていたが、その不安は杞憂に終わった。マグノ・アウベスはすぐにチームにフィットし、第2節の大阪ダービー・セレッソ戦でハットトリックを達成すると、その後もゴールを量産。終わってみればワシントンと並ぶ26得点を挙げ、得点王に輝いていた。

ワールドカップによる中断が明けると、今度は播戸が大爆発を起こした。試合に出れば点を決めるというまさに打ち出の小槌のような活躍を見せ、遂には日本代表に初選出された。そして代表戦でも頭に包帯を巻いた状態で2ゴール。播戸にとって最高のシーズンとなった。

そんな2人の活躍に引っ張られてチームは安定した成績を残し、浦和、川崎と共に3強を形成した。この時点で「-49」という数字は完全に消えていた。そして、それを打ち消していたのは前述の2人の活躍ももちろんだが、遠藤の存在だった。正確無比なパスで何度も好機を演出し、また試合中誰よりもボールを多く触ることで攻撃のリズムを作り、攻撃を組み立てていた。まさにチームの心臓と言える存在だった。

それだけに、遠藤の離脱がチームにもたらした影響は「-49」がもたらしたそれに比べて間違いなく大きかった。遠藤がピッチから姿を消したことでパスセンスに長ける二川がボールのある所に以前にも増して顔を出していたが、遠藤不在以前に比べて当然のことながらマークが厳しくなり、本来のパフォーマンスが鳴りを潜めた。本来のパフォーマンスが鳴りを潜めたのはチームもまたしかりだった。その最もたるが第31節の千葉戦で、雨が降ったことでバウンドしたボールが伸び、それによってパスの精度を著しく欠いた。パス・サッカーが基調であるガンバ・スタイルからは程遠い内容だった。

ただ、付け加えなければならないのが、この試合で勝ち点3を得たのはガンバであるということだ。引き分ければ浦和の優勝が決まるという試合で終了間際に勝ち越し点を決めた第33節にも言えることだが、優勝を目前にした終盤で失速した一昨年に比べて、格段に勝負強くなっていた。本当に強いチームというのは自分のスタイルを封じ込められても狡猾に勝つことが出来る。最終戦で浦和に破れ、最終的には3位に終わったシーズンではあったが、ワンランク上のチームへの変貌に向けた片鱗を覗かせた実り多きシーズンだったと言えよう。

とはいえ、浦和との差は広がってしまったと言わざるを得ない。先ほど格段に勝負強くなってきたということを述べたが、それはあくまでガンバの中での話である。リーグ戦・天皇杯の2冠を勝ち取り、特にワシントン、闘莉王といった主力を欠いた天皇杯でベストメンバーを揃えたガンバ相手にワンチャンスをものにした浦和の勝負強さに現時点では及ばないだろう。そのためにも1試合でも多く勝ち、1つでも多くのタイトルを獲得することで「勝利のメンタリティー」を身につけていく必要がある。

さて、2006年は活発な補強を行なったガンバだったが、今シーズンは甲府からバレー、FC東京から中澤を、そしてユースから3選手を引き上げたのみにとどまった。その一方で宮本がザルツブルグへ移籍し、ディフェンスが手薄になってしまったことは否めない。チームは「超攻撃」というスローガンを掲げているが、ややもすると攻撃に対する比重がかかり過ぎ、好守のバランスが崩れてしまう恐れがある。攻撃と守備は表裏一体のものである。昨年ある程度改善された好守のバランスを維持しつつ、攻撃にさらに厚みを持たせる。西野監督の理想であろうそのサッカーが完成すれば、王座奪還も現実味を帯びてくるはずだ。

posted by 犬太 |20:59 | Jクラブ総括2006 | コメント(3) | トラックバック(0)
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2007年02月19日

Jクラブ総括2006~セレッソ大阪編~

桜は、再び散ってしまった。2006年、セレッソ大阪は優勝争いに絡んだ翌年にJ2に降格してしまった前回の教訓を活かしきれず、降格の憂き目に遭った。

「激変」とは、このことを言うのだろうか。2005年には40失点とリーグ3位の堅守を誇っていたチームが、2006年には70失点。実に30失点の上積みをしてしまった計算になる。開幕からの4試合すべてで3失点以上を喫し、特にガンバとの大阪ダービーではマグノ・アウベス、フェルナンジーニョにそれぞれハットトリックを決められるという失態を犯した。この時点で、今シーズンの結果がほぼ見えたといっても過言ではなかった。

そうは言っても、クラブをJ1に残留されるためには何か大きな変化を与えなければならない。そしてその役割はフロントが担う。フロントは小林監督を解任し、後任として育成アドバイザーを務めていた塚田監督を指名した。

体裁上ではあるが、クラブ内におけるハード面での改革は行なった。次なる改革は、ソフト面である。塚田監督はタレント揃いの攻撃陣を活かすべく攻撃的な布陣を敷き、点を取られても取り返すサッカーを標榜した。言い換えれば、カウンターをベースにした2005年のサッカーから180度転換したということだ。この急な指針の変更はいわば賭けに近いものだった。鬼が出るか蛇が出るか──その結果については、もはや言うまでもないだろう。

舵取りが方向を誤れば、おのずと船は沈んでいく運命にある。昨シーズンのセレッソは、フロント、現場の一体感がまるで感じられなかった。そういった意味では、選手はフロント、現場による「犠牲者」なのかもしれない。2005年にベストイレブンに選出され、2006年はキャプテンとしてクラブを引っ張った古橋はポジション変更に戸惑いながらも責務を果たすべく奮闘し、最終戦では残留の望みをつなぐ見事なゴールを挙げた。同じく2005年にベストイレブンに選出されたGK吉田も完全に崩壊した守備陣の中にあって数々のファインセーブを見せ、孤立無援の状況下で孤軍奮闘していた。また、途中加入の名波は精神的支柱としての役割も果たし、勝利のメンタリティーを植えつけるべくその左足でタクトを振るった。

だが、その日はやって来た。12月2日、雨が降りしきる長居公園第2競技場。川崎に1-3で敗れ、アビスパ福岡が引き分けた。その瞬間、セレッソのJ2降格が決まった。試合終了後、キャプテンの古橋以下セレッソの選手が横に列を成し、サポーターにJ2降格の謝罪をした。もちろん塚田監督の姿もそこにはあった。だが、最も責任を取るべきフロント陣の姿はそこにはなかった。昨シーズンのセレッソを象徴していたシーンだった。

posted by 犬太 |21:38 | Jクラブ総括2006 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2007年02月13日

Jクラブ総括2006~鹿島アントラーズ編~

今シーズンの鹿島はすこぶる評判が良い。サッカー誌を見ても軒並み高評価を受けているし、既に日本で実績を残しているマルキーニョスをはじめ、クラブワールドカップ優勝経験者のファボン、ダニーロと新外国人選手の質も例年を遥かに凌ぐ。

加えて、鹿島におけるいわゆる「第3世代」野沢、田代、増田、内田といった若手の成長も著しい。小笠原が去った穴を感じさせないパフォーマンスを見せた野沢は終盤での活躍がオシムの御眼鏡にかなってA代表に初召集され、増田、内田は先日発表されたU-22日本代表に揃って選出された。岩政、新井場も代表にこそ縁は無いもののJリーグでトップクラスの実力を誇っており、陣容に関して大きな不安点というものは見当たらない。なるほど、評判が良いのも頷ける。

しかし、クラブが変革を迎えるその過程において、3冠達成時に鹿島が持っていたある大きなものを失ってしまった。それは、ジュビロ磐田が黄金期に持っていた絶対的な強さとはまた違う、「憎たらしい程の勝負強さ」──

例えば、昨年のナビスコカップ決勝。確かにジェフ千葉が見せたジェフ・スタイルの完成形とも言えるサッカーは素晴らしかった。しかし、浦和の初タイトルの野望を打ち砕いた4年前の国立での姿とは打って変わって、あまりにも鹿島は無抵抗だった。そして、ホームで迎えた「レッド・ダービー」対浦和レッズ戦。2点のリードを奪いながらも後半終了間際に追いつかれ、勝ち点3を逃した。さらには、同じくホームで迎えた対川崎フロンターレ戦。1度は逆転したものの逆転され返され、ホームで4点を奪われた。いずれも、常勝軍団として君臨していた時代からは考えられない出来事だ。

だが、その一方で「さすが鹿島」と思える試合が数試合あったこともまた事実だ。アウェーの磐田戦、87分に勝ち越しゴールを奪われた直後に深井が見せた執念の同点ゴールや、ナビスコカップ準決勝で決勝進出へ大きく前進した柳沢の貴重なアウェーゴールなどには、ここぞという場面での鹿島の勝負強さが垣間見えた。

話を冒頭に戻すが、戦力値だけを見れば鹿島が今シーズン中に10冠を達成してもおかしくないだけのポテンシャルを秘めていることは間違いない。トニーニョ・セレーゾが中田浩、小笠原ら「第2世代」に植えつけた憎たらしい程の勝負強さを、オリベイラは野沢、田代、増田、内田ら「第3世代」に植えつけることが出来るだろうか。僅か1年の在籍にとどまったが、アウトゥオリは内田の才能を発掘し、野沢をチームの軸にまで成長させた。アウトゥオリが蒔いた種によって下地は出来た。その種を実りあるものにするために、鹿島には「原点回帰」が求められるだろう。それは、言うまでも無く「憎たらしい程の勝負強さ」への原点回帰だ。

posted by 犬太 |22:05 | Jクラブ総括2006 | コメント(5) | トラックバック(0)
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2007年02月12日

Jクラブ総括2006~アビスパ福岡編~

「経営陣・フロントはゼロ査定」2006年のアビスパ福岡を一言で表すとしすれば、天皇杯でサポーターが掲げた横断幕に書かれたこの言葉が最もしっくりくるのではないか。

フロントの問題点として第一に挙げられるのが、J1で戦う上での見通しの甘さだ。これは京都にも言えることだが、特に福岡は攻撃陣の層の薄さ、ストライカーの不在が囁かれていたにもかかわらず、シーズン前にこれといった補強を行なわなかった。それが計画性に基づいたものならまだしも、シーズン中にグラウシオをあっさり解雇し、終盤に至ってはFWが本職ではない布部、城後らをFWで起用していた。さすがにこれではJ1を勝ち抜くことはできない。

監督交代もまた早いものだった。監督交代の是非については問わないものとして、結果的には代わった川勝監督もチームを立て直すことが出来なかった。守備を主体に置いていた松田監督から攻撃を主体に置いた川勝監督に代わったことでチームのバランスが崩れ、得点こそ交代以前に比べて増加傾向を示したものの、それに連れてJ1でも一定の成果を見せていた守備が破綻をきたす場面も増え、とうとう攻撃と守備がWIN-WINの関係になることは無かった。

そんな中でも残留争いにギリギリのところで踏みとどまり、入れ替え戦まで持っていくことが出来たのは、選手の力によるものが大きい。とりわけ終盤での布部、久藤といったベテラン勢の活躍はチームを勇気づけ、城後、田中といった若手選手の成長をも促す恰好となった。若手で言えばワールドユースにも出場し、U-21日本代表にも選出された中村は既にクラブの看板と呼べる存在にまで成長し、中村の怪我による不在が皮肉にも中村の存在価値の高さを改めて証明することとなってしまった。

結局入れ替え戦でヴィッセル神戸に破れ、J1で過ごした時間はたった1年という短い時間になってしまった。たが、その入れ替え戦で見せた「魂」は紛れも無く本物だった。古賀は幾度と無く高精度のクロスを供給し続け、久藤は顔面にボールを受け脳震盪を起こしたものの後半いの一番にピッチに姿を現し、既にチームを去ることが決まっていた吉村、薮田は最後の義務としてチームをJ1に残すために全身全霊を尽くした。なぜその戦いぶりがシーズン中に出来なかったのか──彼らの戦いぶりに目を見張るとともに、そんな疑問も浮かんでしまった。

再びJ2での戦いを余儀なくされた2007年、フロントは監督に以前横浜FCの指揮を執っていたリトバルスキーを招聘した。そして懸念された主力選手の移籍だったが水谷、千代反田、ホベルトが他クラブに活躍の場を求めていった。とはいえ、得点力不足を解消するためにリンコン、ハファエルといったブラジル人FWを獲得し、オフシーズンの補強に関しては及第点といったところか。だが依然としてチームの絶対的な柱であったホベルトの穴は埋まっておらず、決して安泰とは言えない。また、不安視される点としてユース、新卒選手を1人も獲っておらず、いまだにチームのビジョンが明確になっていないのが気がかりである。

率直に言って、1年でJ1に上がることは極めて困難な作業だと言える。なるべく短い期間で成果を出すためにも、まずは明確なコンセプトを持った経営を行うことが求められる。既に降格組では京都が若手育成のための外的環境を整えているが、福岡にはそういった側面があまり見えてこない。クラブを強化するための指針の設定が後手を踏むようだと、再び長く暗いトンネルに突入することすら考えられる。それを回避するためにも、経営陣・フロントの早急な改革が必要である。2度と「経営陣・フロントはゼロ査定」と揶揄されないためにも・・・

posted by 犬太 |11:10 | Jクラブ総括2006 | コメント(2) | トラックバック(0)
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2007年02月05日

Jクラブ総括2006~清水エスパルス編~

日韓共催ワールドカップに沸いた2002年、それは清水にとって暗黒時代への突入を告げる年でもあった。森岡、三都主、市川、戸田といったワールドカップ組を擁しながらもワールドカップ終了後の2ndステージを12位という不本意な成績で終えると、その後のシーズンでも2桁順位を抜け出せずじまい。クラブ生え抜きの監督・長谷川健太を招聘し立て直しを図った2005年も一向に成績は改善されず、あわや降格かという屈辱を味わった。

その一方で、長谷川監督に率いられた清水は、若手を積極的に起用することで成績と反比例するように着実な成長を遂げていった。それが顕著に出たのがその年に行なわれた天皇杯で、青山、枝村、兵働などの若い力が台頭し、準優勝という好成績を残した。暗黒時代の中に僅かな光が差し込んだ。

そして2006年、清水は3年にも及んだ暗黒時代からとうとう脱出した。シーズンを通じて安定した成績を残し、シーズン前に掲げていたトリプル5(5位以内・勝ち点50以上・50得点以上)のすべてを達成した。

その原動力が、浦和に次いでリーグ2位の失点数の少なさにあることは明白だろう。GK西部、山西、高木、青山、市川の5人を不動のスタメンとし、青山が怪我で戦列を離れていた時期には森岡、斉藤といったベテランがしっかりとその穴を埋め、ディフェンス陣に大きな破綻をきたすことが無かった。さらに見逃せないのが前線、中盤のディフェンスの意識の高さで、前線2人が前から積極的にディフェンスを行い、中盤4人がフラットなラインを形成することで相手を網にかける熟練された組織的なディフェンスを披露した。

熟練されたその組織力は、攻撃においても大いに力を発揮した。兵働、藤本のレフティーコンビがサイドでタメを作り、山西、市川がそれを追い越していく。常にサイドで数的優位を作ることでサイド攻撃に厚みを持たせ、チョ・ジェジン、マルキーニョス、枝村、兵働、藤本らがゴールに絡んでいった。また組織にこだわり過ぎると攻撃に融通が利かなくなるケースもまま発生しまうが、マルキーニョスが持ちすぎとも思えるほど自ら積極的に仕掛けていくことで攻撃にアクセントが生まれ、状況に応じたフレキシブルな攻撃を可能にした。

個々の選手の成長ぶりも見逃せない。青山は年代別代表を飛び越えA代表にも招集され、枝村も攻撃型ボランチとして9得点を挙げる活躍を見せ、全試合出場を果たした。2年目の兵働は終盤病気で戦列を離れてしまったものの横浜F.マリノス戦での試合終了間際での決勝ゴールなど要所要所で重要な役割を果たし、1年目からレギュラーの座を手にした藤本は横浜F・マリノス戦で見せた圧巻のロングシュート&FK、川崎戦でのハットトリックなど終盤に強烈なインパクトを残し、新人王の座をも手にした。同じく1年目の矢島もガンバ戦でシジクレイとのボディコンタクトに競り勝ち、シジクレイをぶっちぎってゴールを挙げるというこれまた強烈なインパクトを残した。

ただ、個々の成長の影、特にU-21代表にも選出された枝村の活躍の影には伊東の存在があったことは言うまでもない。ややもすると前掛かりになってしまい、ピンチを招く可能性のある枝村のスペースを卓越した危機察知能力で埋め、ピンチを事前に防ぐだけでなく、若手がひしめく中盤にあって精神的支柱としての役割も果たした。また全試合にスタメン出場しており、長谷川監督も「あれだけ潰しているのにイエローの枚数が少ないのはすごい」と語るように絶大な信頼を寄せ、清水にとって絶対に欠かせない1つのピースになっている。

絶対に欠かせないピースと言えば、サポーターの存在が挙げられる。浦和のホームでの強さは既に知るところだが、清水もサンバ隊が織り成す楽器と「オーレ、オーレ、オレオレ!」というどこか懐かしさを感じさせるチャントを背に受け、ホーム10連勝&8試合連続完封の戦績が示すようにホームで圧倒的な強さを誇っている。

さて、2007年シーズンに目を向けてみると、マルキーニョスが契約が折り合わずに退団し、森岡、斉藤といったベテラン勢も出場機会を求め、移籍を決断した。しかしその一方でガンバで昨シーズン不遇を味わったフェルナンジーニョを獲得すると、セレッソからは2年越しのラブコールが実り、西澤を獲得。さらに手薄なサイドにはFC東京から戸田を、京都から児玉を獲得することで層を厚くした。兵働、藤本と2年連続で「当たり」を引いている大卒は駒沢大学から即戦力の呼び声の高い原、廣井を獲得し、十分に満足のいく補強を行なった。

戦力的に見ても、どれかしらのタイトルを狙える力は十分に備わっている。昨シーズンの快進撃をフロックにしてしまわないためにも、タイトル獲得という確かな形を残してもらいたいものである。それこそが、新たな黄金時代形成への第一歩となるだろう。

posted by 犬太 |22:33 | Jクラブ総括2006 | コメント(5) | トラックバック(0)
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2007年01月30日

Jクラブ総括2006~京都パープルサンガ(京都サンガF.C.)編~

確かにJ2ではぶっちぎりの戦績で優勝した。前年度の川崎フロンターレが同じようにJ2をぶっちぎりで優勝し、ほぼ現有勢力の状態でJ1の舞台に挑み8位という好成績を残したことも良い物差しになっていた。

だが、すべては最下位というシーズン終了時の結果が物語っていた。J2で圧倒的な破壊力を見せていた攻撃力は鳴りを潜め、得点数はJ1ワースト2位。J2最小失点が示すように堅守を誇った守備は崩壊し、失点数74はワースト1位。結局のところ、J1では自分達のサッカーが通用しなかった。

そもそも、自分達のサッカーが出来たかという時点でまず疑わしい。組織的なサイドアタックで相手の守備を崩していく攻撃スタイルはいつしかパウリーニョ頼みとなり、J2最小失点という自信を持って臨んだ守備は完全に崩壊し、浦和、川崎、ガンバといった上位陣にとっては恰好の得失点差稼ぎのクラブになってしまった。

1年でJ2降格の辛酸を舐めた原因はこれだけにとどまらない。結果論ではあるが、開幕時に京都と同じように不振に喘いでいた広島、磐田は監督交代という手段を講じ、その後戦績を上昇させた。一方京都は監督交代という手段をせず、1シーズンすべてを委ねようという柱谷監督への信頼を示したかのように思えたが、残り9節を残した時点で柱谷監督を解任。当然ながらこの監督交代劇には疑問が残り、新たに監督に就任した美濃部監督も守備面ではある程度の成果を残したものの、たった2ヶ月という短い期間ではチームに劇的な変化を与えることが出来ず、柱谷、美濃部両氏にとって気の毒な結果となった。

昨シーズン、京都は監督に補強の全権を与えていたが、結局のところ、監督交代という手段に講じなかったことや現場に全権を委ねたことも含めてフロントにJ2降格の責任の一端があったことは間違いない。これは福岡、セレッソにも言えることだが、フロントに問題のあるクラブはコンスタントに良い結果を残せていない。そういった意味では、J1最下位はともかく、降格については至極全うであったと言えるだろう。

かくして3度目のJ2降格を味わってしまった訳だが、今後京都に求められることとして、地元との密着がある。昨シーズン大躍進を遂げた川崎にしても降格候補筆頭と言われながらもJ1残留を果たした甲府にしても地元との密着を深め、ホームでの圧倒的なサポートを得ることによって着実に勝ち点を稼いでいった。さらに付け足すと、前述の2クラブのフロントがしっかりしていることは言うまでもないだろう。

そして当然のことながらフロントの改革も求められる訳だが、これについては既に改革が始まっているようだ。加藤久氏を幹部として迎え入れることに始まり、現場の全権を監督に一任したことで失敗してしまった昨季の反省から、フロント各間で連携を図り、補強、育成といった重要な事柄を1人の人物に一任しない合議制を採用。クラブとしても、パウリーニョ、アンドレ、斉藤といった主力を残留させ、森岡、秋田、倉貫といった計算のできる選手を獲得した。

大量の主力が流出し、1からのクラブ作りを余儀なくされたセレッソに比べると京都を取り巻く環境はまだ恵まれていると言える。1年でのJ1復帰も決して不可能なことではないだろう。しかし、ただJ1に上がるだけでは何も意味も無い。揺るぎないコンセプトに基づいた補強や選手育成を推し進めない限り、同じ過ちを繰り返してしまうだろう。幸いにしてというか、京都にはスカラーアスリートプロジェクト制度や昨年11月に完成したばかりの寮など、選手を育てる環境面においては申し分無い物を持っている。今後は充実していくハード面の中からどれだけ優秀な人材が育ってくるか、J1に定着できるクラブになるためにはそこが重要になってくるだろう。

posted by 犬太 |21:21 | Jクラブ総括2006 | コメント(0) | トラックバック(0)
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2007年01月23日

Jクラブ総括2006~アルビレックス新潟編~

「保守と革新」2006年、新潟はこの2つの間で板ばさみに遭った。

新潟の「保守」それはJ1昇格元年から2005年に至るまで、反町監督が完成させたカウンターをベースにしたリアクションサッカーだ。リスクを犯して攻めるより、守備を固めてブラジル人3トップで手数をかけずに点を奪う。この戦術に対する是非はあるだろうが、J1に昇格して僅か2年、毎年降格の可能性がチラつくクラブであるだけに、J1に定着することを念頭に置き、そこから導き出した答えが前述のスタイルだったのだろう。その結果が、2年連続でのJ1残留という形となった。

J1で戦っていく為の術は身につけた。だが、それはあくまで「残留」という最低限の、厳しい言い方をすれば低い目標での術である。では、もうワンランク上のチームを作るためにはどうすればいいだろうか。

そこで導き出した答えが「革新」、つまり従来のリアクションサッカーから脱し、自らが主体となって攻撃を仕掛けるアクションサッカーへの転身である。そしてその「改革者」として以前モンテディオ山形でポゼッションサッカーを築いた鈴木淳を招聘した。鈴木は新潟の良い部分=鋭いカウンターという武器を保持しながら少しずつつなぎに対する意識付けをしていくことを試み、クラブをさらなる高みへ持っていこうとした。

その結果は、14位だった。2005年シーズンよりも2つ順位を落とした恰好となってしまった。

順位を落とした要因としては、守備の崩壊が挙げられるだろう。失点数65はFC東京と並んでJ1ワースト3位タイ。川崎戦での6失点、磐田戦での7失点に代表されるように1度守備が崩れると立て直すことが出来ず、立て続けに得点を許す場面が目立った。

ただ、失点数の増加にはもう1つの要因がある。ポゼッションサッカーを志向する上で必要不可欠な中盤でのつなぎの部分でボールを失うことが多く、そこからカウンターを食らい、得点されてしまっていたことだ。つまり、新しいスタイルへと変貌を遂げようとしたことが皮肉にも失点数の増加という形となってしまったた訳だ。

では、2006年は新潟にとって何の進歩もなく、順位が示すように後退した年だったのだろうか。

その答えは、個々にスポットを当てると読み解けてくる。2005年までの新潟は、ブラジル人の得点力に頼りがちだったが、2006年から右サイドで起用されるようになった鈴木慎は前シーズンの倍以上となる9得点を挙げ、柏レイソルから移籍してきたFW矢野は移籍1年目からレギュラーに定着し6得点を挙げた。北野、千葉、中野、田中亜といった若手もそれぞれ時期は違えどレギュラーに定着するまでに至り、個々の能力の底上げという観点で見ると、大きな成長を実感したシーズンだったと言える。

そしてオフシーズンに突入すると、12人に戦力外通告を出すという行動に出たことで一抹の不安を感じさせたが、人材不足だった前線、サイド、ボランチに深井、ディビットソン純マーカス、坂本といった実力者をピンポイントで補強し、さらには怪我人が相次いだCBの層を厚くすべく千代反田を獲得。オフシーズンに行なうべき動きとしては理想的だったと言えよう。

2006年、新潟は「革新」に乗り出し、その結果として前年よりも順位を落とした。しかし、この革新を1年で判断するのは早計だろう。痛み無き改革は存在しない。2006年シーズンに新潟が味わった痛みをどのような形で2007年シーズンに還元できるのか、新潟の挑戦はまだ始まったばかりだ。

posted by 犬太 |21:01 | Jクラブ総括2006 | コメント(4) | トラックバック(0)
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2007年01月13日

Jクラブ総括2006~ジュビロ磐田編~

Jリーグ年間優勝回数3回、Jリーグ年間MVP選出4人。これまで数々の栄光を打ち立ててきたジュビロ磐田の歴史を踏まえると、2006年シーズンの5位という最終順位をどう評価して良いのか、判断に困るところである。

ジェフ千葉から村井、茶野を、ノアシェランからは現在日本代表不動の正GKである川口を補強し、優勝候補に挙げられながらもタイトル奪還に失敗した2005年のリベンジを期して臨んだ2006年だったが、ワールドカップ中断期間までの成績は暫定で11位。早々に優勝争いから脱落してしまった。

その原因として、戦術、システムの一貫性の無さがあったことは間違いないだろう。一貫して3バックだったシステムを浦和戦で突如4バックに変更(対浦和の戦術という側面もあったのだろうが)すると、その試合で惨敗。その後もチームは新しい方向性に順応することが出来なかった。そして、ジュビロ磐田の初タイトルをヘッドコーチとして支え、1年半以上に渡り磐田の指揮を執った山本監督はシーズン途中で辞任してしまった。

その後任としてチームの指揮を執ったのは、磐田でのプレー経験もあったブラジル人監督・アジウソンだった。7年ぶりに古巣へ帰ってきたアジウソンは、早速チームの改革に着手。山本監督時代はポストプレイや前線からの守備など様々な役回りをされていた前田に対し常に点の取れるポジションにいる事を要求すると、日本を代表するボランチである福西のポジションを攻撃的なポジションに上げ、さらに上田、犬塚、船谷といった若手を積極的に起用した。

就任当初は戦術がなかなか浸透せず、安定感に欠ける試合が多かったが、新潟に7-0と圧勝すると、これまで低迷していたチームの成績は右肩上がりに上昇し、川崎、ガンバ、浦和といった上位陣を次々と撃破し、終盤のJリーグの盛り上げに一役買う恰好となった。

後半の快進撃にアジウソン監督の手腕がもたらしたものは大きいが、それ以上に選手個々のパフォーマンスの高さが際立っていた。前田は27試合で15点とエースとして申し分の無い活躍を見せ、ガンバ戦のような試合終了間際の決勝ゴールなど付加価値の高いゴールも目立った。太田は9得点10アシストという素晴らしい成績を残しチームの攻撃の核としての不動の地位を築き、福西は抜群のポジショニングと嗅覚で攻撃的なポジションで新境地を切り開いた。そして前述の若手も期待に違わぬ実力を発揮し、アジウソンによって見出された上田はU-21代表にも選出されるまでに成長した。

このように個々にスポットを当ててみると上々のシーズンだった言えるが、試合運びの上手さ、試合の中でのフレキシブルさといった部分で考えるとまだまだと言わざるを得ない。前半から後半開始直後まで圧倒的に試合を支配し、2-0とリードしながらもPK戦で敗れた天皇杯での浦和戦がその典型である。また自分達のリズムを掴めば格上相手にも勝利を収めることが出来る反面、リズムを掴めないと格下相手にあっさり敗れてしまうこともあり、本当の意味での「強さ」が備わっているとは言い難い。

とはいえ、これらは過渡期を迎えるチームでは必然的に起こる現象である。川口、田中、福西といった経験豊富な選手がピッチ上で「生きる見本」になることで若手選手にもそのメンタリティーが身についていくことだろう。概言するに、2006年の5位という順位は、高評価を下しても良いのではないだろうか。

posted by 犬太 |22:47 | Jクラブ総括2006 | コメント(0) | トラックバック(0)
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