2007年01月27日

森島寛晃~セレッソ大阪の歴史=森島寛晃の歴史。~

マリオ・ザガロという人物を知っているだろうか?選手としてはもちろんのこと、指導者としても名を馳せ、史上初となる選手・監督両方でのワールドカップ制覇を成し遂げた人物である(後にベッケンバウアーもこの記録を達成)。そんなザガロに「日本人でブラジルで通用するのは彼だけだ」とまで言わしめた日本人がいる。

あのザガロにそこまで言わしめた選手、その名を森島寛晃という。当時日本には前園真聖、中田英寿など後に海外クラブからオファーを受けるほどの選手がいたにもかかわらず、ザガロはブラジルで通用する日本人選手として森島の名前を挙げた。

ブラジルで通用すると言われた森島の魅力を改めて紐解いていくと、そのキーワードとして必ず浮かび上がってくるのが、無尽蔵とも形容される驚異的な運動量だろう。そしてその運動量を活かして前線を縦横無尽に駆け回り、2列目からの鋭い飛び出しでゴールを奪うという、いわゆるシャドーストライカーとしての役割を果たす。だが、その運動量が発揮される場面は攻撃のみにとどまらない。ピンチの時には自陣まで戻ってディフェンスをすることもあり、好守両面に渡ってチームを支えている。

当然そのような選手を歴代の代表監督が放っておく訳も無く、1998年、2002年の両ワールドカップのメンバーに選出された。そして2002年・日韓ワールドカップ時には自身のホームとも言える長居で行なわれたチュニジア戦で貴重な先制ゴールを決めて見せた。

上記の評価、経歴だけを見ると、森島のサッカー生活に1点の曇りもないように思える。だが、そんな森島がどうしても成し遂げられないことが1つある。それが、セレッソ大阪でのタイトル獲得である。当時まだ19歳だった我那覇和樹の活躍もあって土壇場で優勝を逃した2000年1stステージや、まだ記憶に新しい2005年のロスタイムでの悲劇など、あと一歩の所で優勝を逃している。そして皮肉にも2001年に続いて2006年も優勝争いを演じた翌年のシーズンでJ2降格という憂き目に遭った。

J2での戦いを余儀なくされた2007年のセレッソ大阪。やはりとでも言うべきか、西澤、大久保など多くの主力選手がセレッソに別れを告げ、他クラブで新しいシーズンを迎えることとなった。同時にそれは、彼らが背負ってきた背番号が空いたことを示し、その背番号の歴史に1つの終焉を迎えたことを意味していた。

そんな中にあって、今年もこの背番号だけは動くことが無かった。動こうという意思すらなかったその背番号の数字は「8」だった。その数字が森島以外の選手の手に渡るとき、それは森島が選手生活にピリオドを打つ時なのかもしれない。

posted by 犬太 |18:17 | Jリーグプレイヤーズコラム | コメント(2) | トラックバック(0)
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この記事に対するコメント一覧
Re:森島寛晃~セレッソ大阪の歴史=森島寛晃の歴史。~

現在のサッカーを取り巻く環境で、このような恋愛にも似た関係は珍しいですね。ぜひとも福田のように肩を叩かれるでもなく、その関係を成就させて欲しいものです。井原でさえ成し遂げられなかったことですから・・・

posted by モ-リー | 2007-01-27 21:14

Re:森島寛晃~セレッソ大阪の歴史=森島寛晃の歴史。~

モーリーさん>
クラブ数が増えた現在生涯1チームにとどまることは難しいですからね・・・森島には生涯セレッソで居続けてもらいたいですね。

posted by 犬太 | 2007-01-29 00:13

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