2007年02月19日
Jクラブ総括2006~セレッソ大阪編~
桜は、再び散ってしまった。2006年、セレッソ大阪は優勝争いに絡んだ翌年にJ2に降格してしまった前回の教訓を活かしきれず、降格の憂き目に遭った。 「激変」とは、このことを言うのだろうか。2005年には40失点とリーグ3位の堅守を誇っていたチームが、2006年には70失点。実に30失点の上積みをしてしまった計算になる。開幕からの4試合すべてで3失点以上を喫し、特にガンバとの大阪ダービーではマグノ・アウベス、フェルナンジーニョにそれぞれハットトリックを決められるという失態を犯した。この時点で、今シーズンの結果がほぼ見えたといっても過言ではなかった。 そうは言っても、クラブをJ1に残留されるためには何か大きな変化を与えなければならない。そしてその役割はフロントが担う。フロントは小林監督を解任し、後任として育成アドバイザーを務めていた塚田監督を指名した。 体裁上ではあるが、クラブ内におけるハード面での改革は行なった。次なる改革は、ソフト面である。塚田監督はタレント揃いの攻撃陣を活かすべく攻撃的な布陣を敷き、点を取られても取り返すサッカーを標榜した。言い換えれば、カウンターをベースにした2005年のサッカーから180度転換したということだ。この急な指針の変更はいわば賭けに近いものだった。鬼が出るか蛇が出るか──その結果については、もはや言うまでもないだろう。 舵取りが方向を誤れば、おのずと船は沈んでいく運命にある。昨シーズンのセレッソは、フロント、現場の一体感がまるで感じられなかった。そういった意味では、選手はフロント、現場による「犠牲者」なのかもしれない。2005年にベストイレブンに選出され、2006年はキャプテンとしてクラブを引っ張った古橋はポジション変更に戸惑いながらも責務を果たすべく奮闘し、最終戦では残留の望みをつなぐ見事なゴールを挙げた。同じく2005年にベストイレブンに選出されたGK吉田も完全に崩壊した守備陣の中にあって数々のファインセーブを見せ、孤立無援の状況下で孤軍奮闘していた。また、途中加入の名波は精神的支柱としての役割も果たし、勝利のメンタリティーを植えつけるべくその左足でタクトを振るった。 だが、その日はやって来た。12月2日、雨が降りしきる長居公園第2競技場。川崎に1-3で敗れ、アビスパ福岡が引き分けた。その瞬間、セレッソのJ2降格が決まった。試合終了後、キャプテンの古橋以下セレッソの選手が横に列を成し、サポーターにJ2降格の謝罪をした。もちろん塚田監督の姿もそこにはあった。だが、最も責任を取るべきフロント陣の姿はそこにはなかった。昨シーズンのセレッソを象徴していたシーンだった。
posted by 犬太 |21:38 |
Jクラブ総括2006 |
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この記事に対するコメント一覧
Re:Jクラブ総括2006~セレッソ大阪編~
降格した責任の大半がフロントとういうのもいかがなものかと。
結局、ピッチでサッカーをするのは選手だけ。
確かに2005年に優勝争いはしたが、負けないサッカーをして
いた貯金が運良く大幅なプラスになっただけで、勝ちきるため
のサッカーをしていたわけではない。
しかし、フロントは大きく勘違いして縁の下で奮闘していた布部、
久藤を結果的には残留争いのアビスパに放出。またファビー
ニョの穴も埋まらず。
とはいえ、選手にしても優勝争いをした満足感からの慢心は
無かったろうか?
posted by たあ | 2007-02-20 09:26
Re:Jクラブ総括2006~セレッソ大阪編~
たあさん>
確かに最終的には選手が責任を背負いますね。今回の記事はちょっとフロントに責任を言及しすぎたのかもしれません。
ただ、個人的ではありますが選手がサポーターに謝りに行ってるのにフロントが謝りに行かなかったことが疑問だったもので・・・。同じく降格した京都は社長が大ブーイングを浴びせられながらも謝りに行ったわけですし。
posted by 犬太 | 2007-02-20 20:56


