2009年09月30日
まず最初に述べておきます。
私は中村俊輔選手を批判はしますが、否定はしません。
理由は以下に述べているので、ここでは割愛します。
ちなみに、今回のエントリーは前回書こうかな~と言っていたものとは、違う内容になっております。
その点、ご容赦下さい。
前回の続きというか、補足という感じです。
さて、前回のエントリーにおいて、中村俊輔選手に「情緒も哲学も無い」と捉えられてもおかしくない書き方をしてしまいました。
これは、私の本意ではありません。
彼には彼の情緒や哲学がある。
本田圭佑選手との比較、と書いたのですが、これはこの情緒や哲学の違いについて考えてみられると面白いのでは?という意味で書いたものです。
「情緒」を私の捉え方で言うならば、それは、「美意識」
私が批判的なのは、中村俊輔選手の美意識に対して疑問をもっているからです。
?失敗って何だろう?
中村俊輔選手のコメントをトータルして考えて見ると、そこには失敗を拒絶するという意識を感じます。
当然、誰もが失敗を嫌がります。
しかし彼のコメントからは、特にそれが感じられてならないのです。
中村俊輔選手は非常にクリエイティブな感性をもっています。
芸術家肌の人間でしょう。
ですから、芸術を例に考えてみたいと思います。
中村俊輔選手の描く絵は、線一本から色彩すべてに至るまで、始めから終わりまで一切の間違いの無い完璧なものを目指しています。
些細な失敗をも許さない、プライドと誇りがあります。
ですがどうでしょう?
人間が作業している以上、些細な失敗も無いというのは不可能ではないでしょうか?
最初から失敗を許さずに取り組んでいる。
書いては消し、書いては消しを繰り返し、いつまでも作業にスピード感が出てこない。
些細な失敗も無い絵を目指しているのですから、途中にミスがあってもしそれに気づかずに進めてしまえば、本人は完璧のつもりでも最後は思い通りの結果にならない。
比較として本田圭佑選手を。
彼は失敗を恐れません。
結果として素晴らしい絵になればいい、という考えで描き始めます。
途中で線が曲がろうとも、色を間違えようとも、最終的に素晴らしいものなればいいんだと考え、失敗をも巻き込んで一つの作品にしようとします。
この考えでは、失敗は破綻ではないんです。
新しいアイデアを生み出すチャンスなんです。
中村俊輔選手の美意識は最高の極論
正しいポジショニングで正確にボールを運べば、パス回しだけでゴールを陥れられる。
これって、正論だけど極論。
中村俊輔選手の美意識の根源って、これじゃないかと思っています。
そのための理論武装はたぶん、完璧にできている。
じゃあなんで、それが実行できないか。
それは、サッカーがミスとイレギュラーが付きまとうスポーツだからではないでしょうか?
いくら中村俊輔選手の理論が素晴らしかろうと、相手があり相手すらも完璧でなければ実効できないような考えでは、越えられない壁しか待っていないと思います。
失敗の生み出すファンタジー
もう一度さっきの疑問に戻ります。
失敗ってなんでしょうか?
サッカーにおいて失敗とは、創造の根源だと思います。
だってそうじゃいですか。
完璧なポジショニング、完璧なパス回しがあるならば、ドリブルやミドルシュートなど必要ないんですから。
状況が打開出来ないという失敗から、ドリブルやミドルシュートといったクリエイティブなプレーが生まれてきます。
観客にとっても、選手にとっても、歓喜のおこるプレーの前には失敗がある。
失敗なきプレーには無味乾燥しかないのではないでしょうか?
余談ですが・・・ファンタジスタと普通の選手の違いは?と聞かれたら、言葉に1文字あるかないかだ、と答えます。
普通の選手が「どうしよう」と考える場面を、ファンタジスタは「どうかしよう」と考える。
行き詰った失敗の場面で、打開しようとする意志とアイデアが即座に浮かぶ・・・それがファンタジスタという存在ではないかと思います。
失敗を味方にできる選手こそが、サッカーをクリエイティブにしていける。
失敗の品格・・・そこに、これからの日本サッカー発展の要素が眠っているのではないか、と思っています。
さて今回は失敗について考えてきました。
何をもって失敗とするか、失敗の中でも許せる失敗と許せない失敗があるのではないか、と細かく考えれば「失敗の定義」だけでも軽く1エントリーかけそうですね。
でもそれはめんどい・・・ではなく、時間の都合と管理人の気持ちの問題上、やりません(笑
気が向いたらやるかもしれないけど(笑
前回、中村俊輔選手のことを取り上げたので引き続き今回も取り上げてみました。
私が中村俊輔選手を批判している理由を、わかっていただけたかと思います。
この考えが正しいと、私は思っています。
でもそれがずっと正しいとは思っていません。
もし中村俊輔選手が自身の考える美意識を実行に移せる境地まで辿り着いたら?
その時は、私が時代遅れの愚物に成り下がり、彼が日本サッカーの新時代の扉を開いた始祖となるでしょう。
ですから、中村俊輔選手には自身の美意識を追及して欲しいと思っています。
もう年も年ですから、引退まで自身の信念を曲げずにやり切ってもらいたいと思います。
難しい命題であり無理だろうな~という諦めの感情もありますが、もしかしたら?というワクワク感もあります。
・・・まずは、エスパニョールで結果を出さないことには、何にもなりませんが。
本田圭佑選手同様、日本では数少ない明確な美意識の持ち主である中村俊輔選手。
私なんぞの批判など、吹き飛ばす境地を見つけてもらいたいですね。
次回・・・かその次くらいには、本題に入りたいなぁ~と思ってます。
書いていると新しいことが思いついて脱線するのは、悪い癖ですね・・・。
posted by ittyo1 |20:59 |
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2009年09月29日
『組織的ないいチーム』
という言葉を日本はよくされます。
ですが、これは本当なのでしょうか?
私は言葉としては正しいと思いますが、本質としては違うのかな?と思うようになりました。
いくつかきっかけがあるのですが・・・第一弾はそのきっかけの一つから『組織と個』について考えてみます。
そのきっかけとは、ミリオンセラーにもなりブームをも引き起こした名著、「国家の品格」です。
「国家の品格」
を読まれましたでしょうか?
真に恥ずかしながら、管理人は今頃読んでおります。
この本の中から気になったキーワードが、
『論理』と『情緒』
という2つです。
なんだか、サッカーにも深く関わるようなキーワードだな~と思います。
『論理』
ざっくりと言ってしまえば、「国家の品格」では「論理の限界」を訴えています。
それが正しいかどうか・内容的に正しいか、は読まれた方それぞれだとは思いますが、この言葉を読んで私はある選手の名前がパッと浮かんできました。
それは、中村俊輔選手です。
彼の発言はじっくり聞いていると、常に正しいことに聞こえます。
論理的に筋が通っている。
いかにチームとして戦うか。
その考えは惚れ惚れするくらいに正しいです。
でも彼の発言からは人としての生臭さを感じません。
エゴ、執念、渇望。
どこかクールでスマートで遥か天空から見ているかのような客観的な視点・考え方をしているな、と思えてしまいます。
「国家の品格」では論理の危険性の一つとして、前提が違えばいくら論理的に正しかろうと結論は破綻の方向にしか進まないという表現がされています。
中村俊輔選手の前提条件は何でしょうか?
いいプレーをする、チームとして良く戦う。
彼の発言を見直してみると、こういったものが根底にあるのではないでしょうか?
だから、いくら彼の発言が論理的に正しくとも、それが相手の脅威となるプレーに繋がらないのではないかと思います。
本田圭佑選手の思考との対比として考えてみれば、ご理解いただけると思いますし、面白いのではないでしょうか?
誤解しないで下さい。
私は彼の実力を非常に認めています。
でも、他のエントリーでも書きましたが否定的なんです。
それは彼の実力ではなく思考に関して。
その否定していた思考の部分の理由が上記のものです。
それともう一点、誤解しないで下さい。
「だから中村俊輔選手は駄目だ」
と言いたいんじゃないんです。
戦術や選手起用といった枝葉の論理をする前に、本質は何なのか?を考えなければ、いつまでも内容も結果も伴わないサッカーで堂々巡りをしてしまうのではないか、と思っているのです。
本質は、「どういうサッカーがしたい・見たい」をより純化させた考えです。
フットボール哲学だと思っています。
・・・私自身もまだ明確なものはありませんが、そこってオシムさんにも言われていた部分ですよね。
『情緒』
「国家の品格」の著者は、法に触れなければ何をやってもいいというマネーゲームの状況について、非常に嘆いていました。
このこと自体には現代っ子の私としては、「多少はいいんじゃなの?」と思ってしまった部分ではあるのですが、これをサッカーに当てはめて考えてみると、非常に暗く憂いた気持ちになってきます。
何故、Jリーグのクラブの多くは似たような戦い方ばかりをするのか?
例えば、右サイドのペナ手前でSHの選手が前を向いてボールを持ったとしましょう。
その次の展開は予想できないでしょうか?
味方のSBの上がりを待って、そこを使おうとする。
そんな場面、いくつのチームでいくつご覧になったか。
・・・考えるのもめんどくさいですよね。
「何を美しいと考え、何を素晴らしいと考えるか」
この情緒が選手の中でもっと育たない限り、いつまでも機械的な決まりきったサインプレーサッカーになってしまうのではないでしょうか。
サインプレーサッカーは組織的でまとまっているように見えます。
でもそれで勝てるのか?
・・・みなさんはどう思いますか?
情緒は判断の基準の一つになります。
知識があってもそれだけでは、機械となんら変わりない。
機械から優れた選手に生まれ変わるには、知識を従える情緒であったり哲学であったりが必要になると思います。
・・・本当に仕掛けることが美しい、ゴールを決めることが素晴らしい、決定的な仕事をすることが生きがいである、という心の持ち主がJリーグに増えてきたら、どれだけドリブルやシュートや責任感あるプレーが生まれるか。
そんなこと、思いませんか?
第一弾はこれで終わりです。
・・・予想以上に長くなってしまった!!
何かと時間も気力も無い中なので、第二弾・・・というか更新自体いつ出来るかわかりませんが、次回は、foot!とサッカー批評という雑誌からヒントを得た考えを書きたいと思います。
そもそも、このサッカー批評のペトロビッチ監督のインタビューがテーマの設定理由なので、次回が本当に書きたかったことになります。
ご意見いただければ幸いです。
posted by ittyo1 |20:30 |
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2009年09月14日
いや~、最近は見たいブログも見れず、書きたい記事も書けずの状況が続いている管理人でございます。
久々のエントリーも手短に行きます。
内容の確認も文章の確認もあまりできていないので、修正点等がありましたらご指摘下さい(謝
今さらながら、みなさんは日本代表対ガーナ代表の親善試合をどうお感じにになりましたでしょうか?
私は、岡崎選手と中村憲剛選手の「続けること」が非常に強く印象に残りました。
少し前に、
『ヨンセン選手にあって、日本選手にないもの』
という記事を書きました。
内容は、
「相手の脅威となるプレーを成否関わらずやり続けているヨンセン選手の持続性・継続性こそが優れたチームプレーの一つである」
みたいな感じです。
岡崎選手と中村憲剛選手は裏への抜け出しを成否関わらずやり続けていました。
試合後、岡崎選手はキツかったと洩らしていましたが、キツかったのは相手も同じだったのではないでしょうか?
ガーナ代表の後半の失速。
コンディションやらモチベーションやら言われています。
当然、そういった面も大きいでしょう。
ですが、最終ラインの足を止め、全体を押し下げるプレーをした両者の「続けること」をもっと評価しても良いのではないでしょうか?
成功したプレーを評価するのはもちろんです。
ですが、90分通してやり続けて見えにくい結果を残したプレーに対しても評価してあげたいなと思います。
・・・ローキックは地味ながら大事、ボディーブローも地味ながら大事、裏への持続的・継続的な飛び出しも地味ながら大事、といった感じでしょうか。
彼らの攻撃的なランニングの持続性・継続性が、W杯本番で相手の足を止めるローキックになるかもしれない・・・。
自分たちの体力ばかりを消費するハイプレスから、相手の体力も消費する継続的・持続的な飛び出しへ。
「走り」の転換がこの試合には含まれていたのかもしれませんね。
posted by ittyo1 |22:41 |
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2009年09月09日
一つを選べば、もう一つは選べない
それでも二つを選べば、後で三つを失う
哲学に目覚めた管理人でございます。
日本代表でもJリーグでも多くの機会に叫ばれている合言葉。
それが、
「数的優位」
私もこの言葉が大好きです。
数的優位は絶対に大切。
欠けてはならない考えです。
でもちょっと待って下さい。
日本代表やJリーグの試合を見ていて、本当に数的優位を作れているのでしょうか?
サイドや中盤では作れているかもしれません。
ですが、「本当に大事な場面では作れていないことが非常に多い」と感じます。
ここで最初の哲学が出てきます。
中盤やサイドで数的優位を作るという一つを取れば、エリア内での数的優位は作れない。
すべての場面で数的優位を作ろうとすれば、最後まで確実に持たない。
だから、どこかで数的不利を自ら選択・実行しなければいけないのではないでしょうか?
チャンスメイクに数的優位を使いきり、エリア内という一番大切な部分で数的不利を作ることを良しとすべきではない。
すべてを手に入れようとして最後に崩壊して三点失う愚も犯してはいけない。
以上の点から考えて、サイドでの数的不利、もしくは、一対一でチャレンジすることを提案します。
「日本人は個で勝てないから数的優位を作る」
のであれば、一番勝利の難しいエリア内でそれを実践すべき。
可能性は低かろうとも、チャンスメイクの場面では「個」に頼らざるを得ないと思います。
考えるべき問題点は二つ。
①数的不利のススメと言えど、無策で勝負させるわけには行きません。
誰に、どのような状態で、勝負させるのか。
例えば、内田選手をスピードに乗った状態で勝負させるなど、僅かなりとも確率を上げる工夫ができるはずです。
②守備ラインをどこに敷くか。
高すぎればハイプレスサッカーをしている普段と何ら変わりがなくなる。
低すぎれば、ただでさえ奪われる回数が多い数的不利のススメが、波状攻撃されることのススメになってしまう。
守備ラインの高さとどの距離感で敷くかは非常に大切な問題になってきます。
今回はこの辺でさらっと終わります。
議論のためのテーマ設定エントリーという意図があるのと、私自身、実行のための具体策を考えきれていないので。
ご意見があれば、何か残していただければ幸いです。
「数的優位を作るペース配分を考えれば、わざわざ数的不利を作る必要はないじゃん!」
など、何でも結構です。
補足を少し
今回のテーマでは守備での「数的不利のススメ」ではありませんでした。
ですが頂いたコメントを見ていると、
「それもアリかな?」
と心境が少し変化しました。
何も、無理やり守備で数的不利を作れ!と言っているわけではありません。
試合の中でどうしても数的不利で攻められる場面というのができてしまいます。
その際に、戻りたい気持ちをグッと抑えて、ボールを奪えた瞬間に攻撃の数的優位を作ることのできる中盤の選手が何人かいればな~と思うわけです。
今回の内容で一番当てはまるであろう状況。
それは、「高い位置でボールを奪った」場面。
ボールを高い位置で奪った瞬間、今までは、
①素早くボールを運ぶが、その点に人数を使いすぎてしまい、エリア内には1人か2人しかおらず、チャンスっぽく見えるが実はあまりチャンスではない。
②全体の押し上げを待つ間に相手が戻り、結果としてボールを周りで回すだけで終わってしまう。
の2パターンが主だったと思います。
それを、奪った瞬間、ボール運ぶ人数もチャンスメイクする人数も今までよりも人をかけないで、エリア内に入る人数を増やすという考えにシフトする。
ショートカウンターで仕掛ける人数は変わっていません。
その配分を変えただけです。
まあ、簡単にいってしまえば、私が言いたかったことはこんな感じです。
posted by ittyo1 |01:10 |
日本代表 |
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2009年09月07日
少し前に、宇佐美選手についてのコラムがスポナビでありました。
才能については認められてはいながらも、「手を抜くプレー」を覚えてしまっていると。
こうした記事を見ていてふと思ったのが、
才能を伸ばすための方策はどれくらい日本のサッカー文化に蓄積されているのだろう?
ということです。
今の日本で、宇佐美選手に本気で、
「手を抜いたら駄目になるぞ!!」
と伝えられる方が何人いるのか?
「世界で戦うためにはそれじゃ駄目なんだ!!」
と己の経験から語れる方が何人いるのか?
・・・こう考えると、日本サッカーはあまりにも文化の成熟が足らないことを痛感させられます。
サッカー文化が成熟している海外では、きっと、日本では考えられないくらい多くの才能が費えてきたのでしょう。
そしてその費えた才能たちが、次世代の才能が費えないように支えてきたのでしょう。
宇佐美選手という才能を支える、輝けなかった才能が日本には十分に控えているのでしょうか。
宇佐美選手だけの話ではありませんよね。
浦和レッズの原口選手、山田選手、ジュビロの松浦選手、山本選手などなど。
煌く才能は至る所にあります。
これらの煌く才能が、次世代の才能を育てる踏み台とならないことを・・・願ってやみません。
posted by ittyo1 |22:15 |
Jリーグ |
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2009年09月07日
今回は、オランダ戦における本田圭佑選手のプレーについてです。
コメントに関しては以前のエントリーでやったので、取り上げません。
純粋にプレーに関してです。
本田圭佑選手のプレーに批判が続出しています。
そういう私も、今回は批判的な立場を取らざるをえません。
何が駄目だったのか?
走らない?守備をしない?
・・・いえいえ、そんなことは初めから求めていなかったはずです。
求めていなかったものを、「できないじゃないか!」と批判するのはちょっとお門違いかなと思います。
本田圭佑選手に求められていたもの。
それは、
「恐怖を与える」
ではなかったでしょうか?
恐怖の与え方として、彼のプレーから考えるには2つ。
シュートとドリブル。
シュートを打たない、ドリブルで突破できない、という本田圭佑選手では意味がありません。
彼自身、そういう覚悟とスタンスで戦っているのですから。
もし本田圭佑選手が相手に恐怖を与えていたとしたら。
とりあえず、マークを二人引き付けられていたでしょうから、守備でサボってもお釣りがきます。
むしろ、高い位置で居座ってもらっている方が、相手の上がりを押さえてくれます。
そして、空いたスペースを他の選手が使えばチャンスも広がっていたでしょう。
遠藤選手が上がる機会が少なかったので、上がればかなり効果的だったのではないでしょうか。
攻撃でチャンスが増え、守備では人数にゆとりがもてるわけですから、スタミナだってもう少しもっていた可能性もあります。
だとしたら、もしかしたらもしかしていたかも・・・そんな期待がでてきたでしょうね。
本田圭佑選手が求められていたのは、上記のこれ。
それができんかったことを、もっと批判して欲しいな~と思います。
ここで反論がある方もいらっしゃるでしょう。
「本田圭佑はC・ロナウドやメッシではない。彼は決してスペシャルな選手ではないのだ」
と。
彼は決して、スペシャルな選手ではありません。
それは私自身も理解しています。
でも私がここまで彼を評価するのは、そうした無理に挑戦できるメンタリティがあるのと同時に、スペシャルな選手に偽装できるからです。
「ここでボールを持てば、優位になれる」
という場所を本田圭佑選手はよく知っているな~と感じませんでしょうか。
少し下がったスペースのあるタッチライン際で、ドリブル・パス自在な状況からドリブルで突っかかって行く。
エリア付近いおいてワンツーで相手選手と相手選手の間のエアポケットに入り込んで前を向いてボールを受け、シュート・ドリブルどちらも自由。
よくチャンスで見るこの状況は、本田圭佑選手がスペシャルな選手に偽装しているものです。
このときの本田圭佑選手は相手に脅威を与えています。
(偽装・・・というのはあまり表現がよろしくないかもしれませんね。ですが、誰しもがやっているポジショニング取りをさらに効果的に昇華させているこのプレーを評価する言葉がこれしか浮かびませんでした)
オランダ戦ではこの偽装がまったくできなかった。
要因の一つとして、自身の欲しい場所にボールが来なかった、要求が伝わっていなかったことがあるでしょう。
(長友選手とのやり取り~が記事になりましたが、そのとき本田圭佑選手主張していたのは、上で出した偽装の事例に当てはまるものだと思っています)
彼のコメントが度々取り上げられ、批判されていますが、私はむしろ主張し足りなかったと思っています。
エアポケットで欲しがってアピールしていたのに、遠藤選手にまったく見向きも去れずにボールを下げられたシーンなどは、その象徴ではないでしょうか?
本田圭佑選手に足りなかったもの。
それは、相手へ恐怖を与えるプレーと、そのための仲間への自己主張。
この2点だと思っています。
本田圭佑選手の起用が失敗したときのデメリットは今回よくわかりました。
この大きなデメリットを抱えた本田圭佑という選手をどう起用し、生かすか。
または無理だと判断して切り捨てるか。
岡田監督のやり方に、今後さらに注目したいですね。
posted by ittyo1 |21:35 |
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2009年09月07日
ナビスコカップ準決勝、FC東京対清水エスパルスの試合を観に行ってきました管理人でございます。
Jリーグの試合なのに、何故日本代表の話題としてカテゴリーして書いているか。
それは、ヨンセン選手の動きこそ日本の選手に足りていないものだな~と感じたからに他なりません。
この試合、ヨンセン選手が大活躍したかと言えば、決してそうではない。
むしろ、茂庭選手やブルーノ選手に抑えられていた。
ハイボール勝負だってダメでした。
それなのに何故、ヨンセン選手なのか?
その理由を以下に書きたいと思います。
クロスに対して必ずエリア内にいる
ヨンセン選手は組み立てにも参加したり、フィードを競り合ったりと役割をいくつか担っています。
いくつか役割を担っていても、クロスが入る場面では必ずエリア内にいる。
相手にとって何をされるのが一番嫌か、自分の最大の長所は何か、を非常によくわかっています。
そしてもう一つ、ヨンセン選手を評価したいのが、例え自身の長所が上手く発揮できなくても、長所を発揮するプレーを止めないことです。
試合後のFC東京の選手たちのコメントでは、しきりに「ヨンセン選手が~」とあります。
それだけ全体の意識がヨンセン選手の武器である高さに行っていました。
もし一回でもヨンセン選手が高さで勝っていたら。
意識が集中しているヨンセン選手からではない攻撃が上手くはまっていたら。
何か起きていたかもしれませんね。
自己の武器を生かす、生かせなくともやり続けるというのは非常に大切なことだと思います。
対比として分かり易くプレーしてくれたのが、私のおすすめ、平山選手。
平山選手がエリア内にいたら・・・相手は恐怖ですよね。
実際、この試合でも頭で得点を取っています。
石川選手が右サイドでボールを持ち、平山選手が中央で待ち構えていたら・・・石川選手に対峙するDFは縦に突破されてのクロス、内に切り込んでのシュート、どちらを止めればよいのか非常に悩むことでしょう。
そしてそれこそが、現在のFC東京の最大のストロングポイントだと思います。
でも平山選手はどうでしょうか?
サイドに流れたり、サイドの選手のフォローにフリーランニングをしたりしてしまいます。
そのプレーが悪いわけではない。
羽生選手がそのプレーをしていたら、私も大絶賛します。
でも、平山選手がそれをしてしまえば、自ら牙を折って戦っているようなもの。
平山選手のこうしたチームプレーは、実はまったくチームのためにならない、というのが現実ではないでしょうか。
・・・これがなくなれば、即代表へ!と言いたいんですがね。
さて、日本代表の選手達。
こうした、過剰な役割負担で自ら牙を折っている選手が何人かいないでしょうか?
私が一番いいたいのが、中村俊輔選手。
試合が見えすぎる、色々出来すぎることで、平山選手のように脅威となるプレーが薄くなってしまっていると思います。
オランダ戦の中村俊輔選手は良かった。
それは、交してクロスを上げたシーンや、ドリブルで持ち込んでミドルシュートを打った場面などがあったからです。
あれをもっともっともっともっともっともっともっとやることが、相手の一番の脅威になるのではないでしょうか?
守備への奔走や下がっての組み立て参加よりも、そちらの方が大事だと思います。
チームプレーってなんでしょうかね?
自分を犠牲にして、仲間のため!というのがもっとも強いイメージだと思います。
それも一つのチームプレーの形です。
ですが、違うチームプレーの形だってある。
自分の最大の特徴を生かす工夫をする
というのも、チームプレーではないでしょうか?
そのために守備の機会を減らしたり、組み立て参加の機会を減らす。
個人プレーのようで、相手の脅威となっているわけですから、チームプレーの一つの形に他なりません。
例えば、中村俊輔選手が絶好調で、最高級のクロスを右サイドからドンドン放り込んでいたとします。
中村俊輔選手の切り替えしに相手SBはまったくついて行けません。
その中村俊輔選手が守備を少しサボり、右サイドの高い位置に張っていたとしたら・・・。
対面のSBだけでなく、ボランチか同サイドのSHは攻め上がりに躊躇するのではないでしょうか?
中村俊輔選手が守備に奔走し、体力を失うことよりも大きなメリットがあるのではないでしょうか?
日本選手からは、どうも犠牲という名のチームプレーばかり多く目にし、恐怖という名のチームプレーに欠けているのでは、と思ってしまいます。
犠牲という名のチームプレーだって重要です。
日本代表における玉田選手の犠牲は必要不可欠なものでしょう。
でも、中村俊輔選手が同様に犠牲になる必要はないし、そうした選択をしようとしている中村俊輔選手の判断は誤りだと思います。
一例として中村俊輔選手を出しましたが、こうした選手は代表だけでなくJリーグにも数多く存在します。
走ること、犠牲になることが必要以上に叫ばれている現在の日本サッカー。
そこに懸念を感じるのは、私だけでしょうか?
posted by ittyo1 |20:51 |
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2009年09月07日
今回のエントリーは、オランダ戦における本田圭佑選手のプレーについて語るものではありません。
オランダ戦のプレーについては、また次回書きたいな~と思っているので、プレーに関してのコメントはそのときにでもいただければ嬉しいです。
さて、少し前の記事ですが、
「本田圭佑選手が長友選手に上がるなと言った」
というものがありました。
これは、岡田監督のサッカーに反するもの(ほんとかなぁ?)であるそうで、監督の方針批判であると言われていたりします。
そのことで、様々なブログなどで批判がされていました。
「監督の方針に反していてはチームプレーにならない!」
などなど。
これはこれで一理あるとは思います。
そういえば、北京五輪のときを思い出して下さい。
・・・そうです、本田圭佑選手はそのときも監督の方針に反することをしようとしました。
そしてそれは、同じくオランダ戦。
今さらながら、北京五輪のオランダ戦の検証です。
本田圭佑選手は、「オランダといえどハイプレスをかければミスをする」と言い、前から取りに行こうと言いました。
反町監督は、「オランダは上手いからミスをしない」と言い、下がって守備をする選択をしました。
一昨日のオランダ戦、どちらの考えが正しかったでしょうか?
前から取りに行って、成功しましたよね?
・・・まあ、90分どころか70分もハイプレスがもちませんでしたが。
比較での検証のため、北京五輪のときにハイプレスで全体で行って、成功したとは限りませんが少なくとも成功した可能性は低くなかったと。
あのときも本田圭佑選手は批判されましたが、今から振り返ると決して間違った意見ではなかったな~と思います。
さて、ここからが本題です。
何も、本田圭佑選手が正しい!反町監督が間違っている!なんてことを言いたいわけではありません。
自分の考えを言うことが、安易に批判される状況って変じゃないか?
ということを言いたいんです。
闘莉王選手の発言がフィンケ監督批判ということで、少し問題になりました。
でもあれだって、チームを良くしたいからでた発言であり、対立したくての発言ではないでしょう。
視点の異なる発言を混ぜ合わせることが何よりも大切なのではないでしょうか?
オランダ戦後、中村俊輔選手のインタビューがさも本田圭佑選手の批判のように書かれていました。
そこから対立のようなことも言われています。
ですが、サッカー観の違いがあるのは当然であり、意見のぶつけ合いによってより良いものにするのも当然のことです。
プロならば当然のことをしている二人を、下手に勘繰り妄想しストーリーをでっち上げる現状に違和感を感じます。
発言の抜粋で人物の批評もすれば決め付けもする。
そんなことが少し広がっているのかなぁ~という懸念を感じたので、一人の人物の過去と現在の発言を事例として上げてみました。
posted by ittyo1 |00:37 |
日本代表 |
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2009年09月06日
日本代表対オランダの試合、日本代表は運動量が足りていとお感じになりませんでしたでしょうか?
個人的見解では、あの2倍は欲しい。
えっ?
あれ以上走ったら死んじゃうって?
そうなんですよね・・・あれ以上走るのは無理なんですよね・・・。
そもそも90分もってないし・・・。
だとしても私は、日本代表には運動量が足りないと言いたい。
そして私の言いたい運動量とは、「攻撃における運動量」に他なりません。
守備の運動量はもうお腹いっぱいです。
カミカゼプレスでもハイプレス自滅☆でも、好きに称号を付けてもらってくださいって感じです。
日本代表のサッカーを見ていると、
「ハイプレスの守備でチャンスの糸口を見つけ、ロングランやスプリントの欠如でチャンスの糸口を広げないで消滅させる」
という展開があまりにも多いと思います。
フォローをしておきますと、オランダ戦に関しては、今まで以上にペナルティエリア内に入る選手の人数が多い場面がいくつかありました。
長谷部選手がシュートを打ったシーンなどは、素直に感嘆の声が出てきました。
あれは良いシーンだったなぁ・・・。
それでもやっぱり、走る選手が少ない。
ロングランやスプリントをあと2~3人の選手がすることで、いくつのシュートシーンが増えたことか。
ショートカウンターから玉田選手がミドルシュートを打ったシーン・・・あのシュートの選択が正しかったかは別として、あのようなシーンを増やさないことには得点は期待できないのではないでしょうか。
例え、90分間あのハイプレスサッカーができたところで、攻撃面での運動量が増えないことには良くて0対0の展開にしかならないのでは?
ロングランやスプリントが足りない現在の代表で、被害を受けているのは誰か?
それは、岡崎選手と中村憲剛選手ではないでしょうか?
オランダ戦の開始直後、岡崎選手がいくつか良いタイミングで裏へ抜けれるシーンがありました。
それらは、一瞬の駆け引きができる状況にあったから。
その後、岡崎選手が苦しんでいたのは、
①攻撃の人数が2~3人でパスコースが少なく、駆け引きができない状況
②最終ラインからのロングボールで、単純な走りっこ勝負になっていた状況
だったからです。
もし他の選手もフリーランニングをしていて、岡崎選手が相手DFと一対一で駆け引きができる状況であれば、もっと多くの決定機を作り、得点も取れていた可能性が高かったでしょう。
中村俊輔選手が右サイドの高い位置に開き、玉田選手がボールホルダーの近くを疾走し、岡崎選手が裏を狙う状況。
ボランチやSBがさらに駆け上がっていれば、さらに良し。
せっかくハイプレスで奪ったボールです。
そこで足を休ませてしまっては、本当に必要な、この状況は作れません。
だからこそ、攻撃での運動量が足りていない。
そう思うわけです。
そして、上記のような状況でもっとも光るのが、中村憲剛選手。
彼の裏へのパスは、タイミングやスピード、精度のどれをとっても一級品!!
一瞬で前を向けるアジリティも含めて、この状況でこそ、中村憲剛選手は本当の輝きを放つ。
川崎フロンターレで見せる超絶技巧パスを代表でも発揮するためにも、攻撃面での運動量は増やすべきではないでしょうか?
攻撃面の運動量を増やしたら、もっと体力はもたないし、上がったことによるスペースを突かれてピンチが増える~ということも考えられます。
実際、そういう状況になるかもしれません。
ただもう一つ考えられる状況として、攻撃面での運動量を増やすことによって、相手を疲弊させることができるかもしれないとも考えられます。
オランダのような強国相手であったとしても、複数の選手が駆け上がってくるような状況でピンチにならないことはありません。
そうなれば必然的に何人かの選手は守備に走る、もしくは戻ってくるようになります。
(その時点で相手の攻撃力が低下しますし)
自分たちが走ることで、相手を守備に奔走させる。
これならば、例え自分たちが90分もたなくとも、相手ももたなくなるわけですから、終盤にやられる可能性は下がるかと。
まあ、単なる机上の空論ではありますが。
ただ、オランダ戦においても、多くの日本選手が相手ペナルティエリアに進入していた状況では、オランダも下がって守備をしており、クリアボールが簡単に拾えるなんとこともありました。
相手を押し込めるほどの運動量があれば、カウンターの危険も減るという一つの事例ですね。
今回のエントリーはあくまで一つの考えです。
本当に攻撃面での運動量を増やしたら、終盤には完全崩壊している可能性も低くはないでしょう。
ですが、ハイプレスでボールを奪う労力とリスクの割りには、あまりにも手にしているメリットが小さい。
・・・いや、もう少しリスクを冒せば大きなメリットが手に入るのに、そのもう少しを躊躇している、というのが正しいのかもしれません。
岡田監督はこのままハイプレスサッカーを続けるそうです。
だとしたら、守備における運動量だけでなく、どこかで攻撃における運動量も形にしてもらえれば・・・。
守備と攻撃の運動量のバランスも含め、W杯の本番までになんらかの答えを見せて欲しいです。
posted by ittyo1 |23:36 |
日本代表 |
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2009年09月05日
どこの誰が書いた記事でしょうか?
読んでいてがっかりしてしまいました。
意思表示って、王様の言葉らしいですよ?
本田圭佑選手が長友選手に、
「上がるな」
と言ったことが王様発言だそうです。
自分の意志を表示しただけですよね?
別にこんなことって、どこでもあるでしょ?
こんなことも言えない空間の方が問題大有りです。
・・・下らな過ぎるので、この記事自体のことは、また別の機会にゲンナリした気持ちが落ち着いたら書きます。
さて、本題です。
本田圭佑選手が~とか、長友選手が~とかの問題ではなく、
「SBが上がることが正しいのでしょうか?上がらないことが正しいのでしょうか?」
・・・もっともっと、シンプルにします。
「ボールホルダーの個性を優先すべきか、周りの連動を優先すべきか」
チームのコンセプトは全体の押し上げと数的優位での攻守です。
ボールホルダーの個性はスペースを利用して仕掛けることです。
記事でのやり取りの要点は、ここではないでしょうか?
みなさんはどう思われますか?
本田圭佑選手や長友選手という具体的な選手例ではなく、あくまでも上記の捉え方で考えた場合の意見をいただければ、と思います。
私としては、ボールホルダーに
「自由と責任」
を与えるべきだと思います。
ボールホルダーは22分の1じゃない。
ボールホルダーこそがその瞬間の主役であり、その後の状況の決定者であるわけです。
味方選手は如何に最高の選択・最高の行動ができるようにサポートするか、だと思います。
当然、最高のサポートを無碍にした選手には相応の責任を背負ってもらいますが。
責任の分化をどうしても感じてしまう日本サッカーの現状・・・。
それこそが日本サッカーの発展にとって最も大きな癌だと感じます。
この点に関しても、どう思われますか?
みなさんからもご意見いただければ幸いです。
posted by ittyo1 |00:36 |
日本代表 |
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