2009年09月16日
皆さん、こんにちは。
グラチャンの抽選会が行われたようです。
あいにく締切前で会場には行けませんでした。
行った方の情報によると…
日本テレビの上重聡アナが会場にいらしたようです。
実況か、ベンチリポートをされるのでしょうか。
上重アナはご存じのかたも多いと思いますが
高校時代、PL学園のエースとして甲子園に出場した経験があります。
横浜高校と延長17回の死闘を繰り広げたとき
途中からマウンドに上がり、決勝の本塁打を打たれました。
その後、立教大に進み、大学でも完全試合を達成した名投手です。
わたしは昔、「輝け甲子園の星」という雑誌で記者をしていて
当時、注目されていた上重さんを何度も取材させてもらったことがあります。
とてもシャイな青年で、そんな彼がまさか「話すこと」を生業に選ぶとは
当時は夢にも思いませんでした。
そして奇偶にも…
大学のときに上重さんが完全試合を達成したニュースを
直後に発売した「Number」で書かせていただいたのですが
それがわたしのNumberデビューでした。
そこから、現在のような一般誌へと徐々にフィールドが広がった
きっかけともいえる、思い出深い選手でした。
こんな形で(しかもバレーボールで)現場で会うかもしれないとは
本当に人の縁って不思議ですよね。
元アスリートならではの仕事ぶりを期待しています。
ではまた。
posted by 市川忍 |01:27 |
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2008年10月26日
皆様、こんにちは。
今日は巨人が、そして22日には西武が
日本シリーズ進出を決めました。
22日は堺ブレイザーズ、朝長孝介選手の引退会見の日。
西武ドームにも行きたい、でも堺にも行きたい。
行きたい場所は2つ。
でも体はひとつ。
胴上げは今後、何度でも見られますが
大事な選手の引退会見は一度きり。
…ということで、迷わず堺に向かいました。
ご本人からのコメントは公式HPなどでもご紹介されている通りです。
そこでわたしは、
朝長選手に出会ったころの印象を書き止めておきたいと思います。
初めて会ったのは彼が大学3年生のころでしょうか。
高校時代から取材をさせていただいていた北島武選手が筑波大に進学し
それをきっかけに毎週、大学リーグに足を運ぶようになりました。
そして筑波大にも練習を見に行きました。
そんなとき、北島選手の居残りスパイク練習に
必ず付き合ってくれているセッターがいました。
それが朝長選手でした。
納得するまで練習をやめない北島選手に対し
いつもいつも朝長選手が黙って相手をしてくれているので
最初はてっきり同じ学年の選手だとばかり思っていました。
先輩(それも2学年も)だと知ったのは、しばらくしてからです。
リーグ戦で初めてプレーを見たときは
正直言って、お世辞にもうまいとは思えませんでした。
着地して丁寧に上げたトスが相手コートに流れてしまったこともありました。
ごく最近、「まさか朝長君が全日本に入るとは、
しかもオリンピックに出場するとは、当時は考えていなかった」
「なんと、わたしの見る目の甘かったこと!」と頭を下げると
「いいですよ、だって僕も思っていませんでしたもん」とニコニコ。
どれだけ彼が努力を重ねてきたのか。
彼の成長度を見れば、積み重ねてきた努力の大きさが予測できます。
そして、朝長選手の功績は自身の成長だけに留まりません。
「トス、お願いします」と頼まれれば絶対に断らない朝長選手のおかげで
おそらく大勢のアタッカーがたくさんの技術を習得し
日本屈指のプレーヤーに育っていったことと思います。
オリンピックに出場したことはもちろんですが
そういった「朝長選手の陰の努力」が日本に残した功績は多いはずです。
大学時代から取材をさせていただいていた選手が引退するのは
正直、時間の流れの速さを感じてとても寂しいのですが
新しい職場でも持ち前の根性で、指導者のプロとして頑張ってほしいと思います。
さて、開幕まで2週間となりました。
こっそり頭の中で戦力分析をして、やはり頭の中で順位予想などをして
開幕を楽しみにしているところです。
当たったところで何のメリットもないので、ただの趣味なんですけどね(・_・;)
皆様も独自の楽しみ方などを持っていらっしゃるのでしょうか。
ではまた。
posted by 市川忍 |00:24 |
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2008年06月11日
やっと締め切りが終わりました。
皆さまは、まだ熱戦の余韻にひたっていらっしゃるでしょうか。
さて、OQTの感想を書く前に、どうしてもひとつ、触れておきたいことがありました。
ここ数週間でさまざまな選手の勇退、移籍が発表されています。
近年は特に、親しくさせていただいていた選手の引退が続き、寂しい思いをしています。
ちょっと前に発表された澤畠雄一郎選手には、
さっそく長年、お世話になったお礼を申し上げたのですが
またひとつ、寂しいニュースを耳にしました。
JTサンダーズからも平野信孝選手と臺光章選手の勇退が発表されました。
平野選手は、わたしが初めて「担当」という形で、
何度も続けて取材をさせていただいた選手でした。
わたしがバレーボールの記者になったばかりのころ、
男子バレーはとても人気がある時期で
今では信じがたい話ですが、わたしが働いていた専門誌では
全日本の人気選手には各々、その選手を継続して取材する「担当記者」がついていました。
当時、全日本の主力選手は中垣内氏や南氏、青山氏。
彼らのインタビューは毎回、すでに先輩記者が担当することが決まっていました。
そこで新入りのわたしが、ちょうど全日本に選出されたばかりだった
平野選手を担当させていただくことになったのですが、
その専門誌が休刊になるまでの間も、
そして、一般紙へと活動の場を移してからも、
何度も何度も取材にご協力いただきました。
最初のころは、突然、バレーボールという未知の分野を任されることになり、
右も左もわからない状況で、頭に叩き込んだルールや
資料を頼りにインタビューへと向っていました。
そんなわたしにも、平野選手は、とても優しく接してくださった覚えがあります。
(そもそも当時のわたしは、スーパーエースがポジションの名前だとは知らず
「すごいエース」という意味だと勘違いしていました!恥ずかしい…)
初対面の印象は、そのまま、何年経ってもずっと変わりませんでした。
普段から本当に穏やかな性格のかたでした。
普通だったら嫌な顔をされても仕方ない状況でも
(何日間も遠征に密着させていただいたり、負けた試合のあとでもコメントを取りにいったり)
驚くほど真摯に対応してくれる選手でした。
平野選手を筆頭とした、記者になって間もないころに出会えた人たちの優しさのおかげで、
素人同然だったわたしが今でもこうして
バレーの記者を続けていられるのだと感謝しています。
出会った選手、皆様全員に育てていただいたのだと思っています。
平野氏はベテランと呼ばれる年齢になってからも常に進歩を続けていた選手だと思います。
スーパーエースからレフトに転向し、
レセプションフォーメーションに入るようになったのも近年でしたね。
早出練習で毎日のようにレセプションの練習を繰り返していたそうです。
そのプレースタイルと同様、常に「攻め」「挑戦」の姿勢を失わない選手だったと思います。
これからはコーチとしてチームに係わられるとか。
ぜひ後輩の育成にご尽力いただきたいと思います。
そして臺選手のほうは、非常にユニークで、不思議な人といったイメージでした。
あるとき、わたしの質問に対して、長い長い沈黙が続いたことがありました。
「こんなにじっくり考えてくださって、これは、ものすごい答えが返ってくるに違いない!」
と身を乗り出して待ち構えていると「で、質問の内容、なんじゃったかねぇ」と。
新喜劇のようにズッコケました(笑)。
個性的な、ステキなかたでした。
新しい世界でもより一層のご活躍をお祈りしています。
今シーズン、勇退を発表された皆さま、本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました。
posted by 市川忍 |00:25 |
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2008年04月20日
宣言通り、昨日は久しぶりに大学バレーを見に行きました。
インカレ以外でこうして大学バレーを見るのは2年ぶりくらいでしょうか。
パっと見たところ、全体的に選手が小粒になったなぁという印象です。
背の高さに目を引かれてパンフレットでプロフィールを確認すると、
それほど高身長ではない、180㎝台後半。
190㎝台の選手が本当に少なくなったのだなと痛感しました。
バレーボールの将来にとっては、危機的状況です。
そんな中、心惹かれたのは順天堂大の16番の選手。
小柄ですが機敏で、守備でも攻撃でも、相手のプレーの先を読んで動いていました。
それと、日本体大の2人のミドルブロッカーは、まだまだ伸びしろのある選手だと思います。
ただ、残念ながら「成長を見逃すわけにはいかない」と感じて、
毎試合、足を運びたくなるほど吸引力のある選手は見つけられませんでした。
わたしが最も大学バレーに通っていたのは
北島武選手が筑波大に在籍していた4年間でした。
上級生には篠田歩選手、朝長孝介選手、山村宏太選手、柴田恭平選手らがいて、
同級生は勝野裕士選手、下級生には石島雄介選手がいました。
リーグ戦はもちろん、大学まで練習も見に行きました。
いったい、どういう練習をして試合に臨むと、
これほど見ている人の心を動かすプレーができるのか。
その裏側を覗いてみたくなるくらい、心身ともに強い選手が揃う、強いチームでした。
NECの金子隆行選手のいたころの東海大も同様です。
金子選手が2年生の春リーグでしたか。
試合の直後、がっくりと肩を落としている東海大の選手たちに遭遇しました。
金子選手はうずくまって、床を叩いて涙を流していました。
勝った試合なのに?
4年最後のインカレではなく、まだ2年生なのに?
しかも春のリーグ戦の初戦なのに?
あとで聞いたところによると、「試合内容に納得ができなかったから」だそうです。
この選手はいったい、どれほどひとつの試合、
ひとつのプレーに執着しているのだろうとビックリしました。
サポーターの皆様が何かのきっかけで特定の選手のファンになるように、
わたしの仕事にも「この選手を見続けて行きたい」と思う瞬間が存在します。
そもそも「主観を排除しない文章を書き慣れたい」と、このブログを始めたわたしですが、
どの選手を取材したいとか、この選手の記事を書きたいと感じている時点で、
わたしの文章には今までも、多かれ少なかれ主観が含まれていたのかもしれません。
取材対象との大切な出会いに、これからも敏感でいたいと思います。
posted by 市川忍 |10:37 |
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