2010年03月06日
メディアのモラル
先日、自分が書いた覚えのない記事に、自分の名前が署名され 全国の書店に出回るという気味の悪い出来事を経験しました。 出版社から依頼され、取材相手に会ったのが1月下旬。 発売は3月の予定なので、詳しいことは追って連絡すると言われ その日は担当編集者と現場で別れました。 しかし、待っても待っても連絡は来ません。 2月下旬、「さすがにそろそろ締め切りを決めてもらわないと」と思っていた矢先 そのときの取材がすでに記事になり、発売されていることを知りました。 もちろん、わたしは一文字たりとも記事を書いていません。 自分が書いていないものが、書いたことになっている。 真実を伝えるのが記者の使命なのに、これでは そもそも最初の段階から読者に嘘をついていることになります。 背筋が凍るような出来事でした。 やっと連絡が取れた担当者の説明によると 発売日が急きょ、早まった。 わたしに電話をしたがつながらなかった。 そこで自分で録音テープを聞き、記事にした。 それらすべての経緯を、忙しさのあまり、わたしに伝え忘れていた。 とのこと。 早まったという締め切りまでは2日もあったのに 留守電へのメッセージもなく、メールもなく 簡単に連絡を取ることをあきらめる。 それでいて、球団の原稿チェックは済んでいる。 到底、納得のできる説明ではありませんでした。 そもそも、わたしが記事に署名を入れるのは 目立ちたいからとか、有名になりたいからではありません。 自分の記事に責任を持ちたい、 それくらいの覚悟を持って仕事をしたいからです。 ペンというのは、ときには凶器にもなります。 人さまの人生を描くということは、それくらいの思いで取り組むべき 責任重大なことなのだと思います。 記事の種類や雑誌の読者層によって文章のスタイルを変えることはあっても、 その気持ちだけは、記事を書くときにいつも変わらずに心にとどめてきました。 ところが、その担当者の認識は違うようでした。 でなければ自分が書いた記事に他人の署名を入れ しかもそんなに大事なことを、勝手に筆者にされたわたしに 言い忘れるなどあり得ないからです。 価値観とか、仕事に対する認識の違いは 育った環境によって変わってきます。 その担当者だけの責任ではないのかもしれませんが 自分の考えるモラルとはあまりにもかけ離れているので面喰ってしまいました。 こんな風に勝手に名前を入れて記事が作れる事実を考えると ニュースのねつ造など、出版社側の作為で簡単にできることになってしまいます。 だからこそ、メディアにはモラルが必要なのではないでしょうか。 一人一人が「ぜったいに譲れない境界線」のようなものを 心にしっかりと持っていないと、習慣に流されて感覚はマヒしていきます。 わたしはこれからも、自分の中のモラルに忠実に生きていくしかありません。 未だ、わたしは、その「わたしが書いたという記事」を目にしていません。 掲載紙も届きませんし、その後、編集部からは何の連絡もありません。 本当に怖いです。 そして、インタビューを受けていただきながらも 記事が書けなかった取材相手に対しては 申し訳ない気持ちと残念な思いでいっぱいです。 いつかどこかでまた記事を書かせていただきたいと思います。
posted by 市川忍 |00:14 |
ライター業のあれこれ |
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