2008年03月23日
先週のワイカトオープン(NZハミルトン)に続き、今週は台湾ライオンズカップ(台北)に参加していました。
先ほど、21時ごろにクアードダブルス決勝が終了しホテルに戻ってきました。
結果は木村・柿木原ペアに負け準優勝でした。
シングルスは1回戦でシンガポールの選手に負けています。
どうも先週のNZから気持ちが沈みこんでいてよくありません。。
日本に戻って練習あるのみです。
こちら台北に来て驚いたのが大会ホスピタリティーの高さです。
なんだか試合に来たのか、もてなしを受けに来たのかわからないくらいビックリすることだらけで、ちょっと戸惑っています。
身の回りのちょっとしたことまで面倒を見てくれるので、コートの移動なんかも驚くくらい簡単でした。
あと驚いたのが空気の悪さで、半日もコートにいると喉が痛くなってしまいました。車やバイクの排気ガスがすごかったのでそのせいでしょうか。
台北でこんな感じですので、北京なんかは大変なんでしょうね。
この記事は同室の本間選手のPCを借りて書いていますので、これくらいにて。
写真は帰国してからアップします。
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2008年03月06日
みなさんがやられているスポーツでは、道具についてどのくらい注意を払っていますか?
そろそろ開幕のプロ野球では、スラッガーたちはバット職人の元へ通い、名野手たちはグローブ職人の元へ通う様がスポーツニュースなどで報じられたりしています。オリンピックを前にしたアスリートがシューズ職人を訪ねたり、スケート靴職人を求めてヨーロッパに渡ったり。。その道にはすさまじい技術があり、それをアスリートたちは求めていきます。
当然です。食べたいものも食べず、飲みたいものも飲まず、練習では自らをギリギリのところまで追い込み、スタジアム、コート、フィールド、リンクで自らを表現するために、毎日毎日の日々の生活全てをプレーのために捧げている彼ら。
磨き上げた技術を、プレーとして表現するその瞬間にすべてを託すその道具、
ギアにも完璧を要求するのは当然です。
子どものころ野球の練習が終わってグローブをほったらかしにしていたら父親にブン殴られたことがあります。オイルを塗れ、型崩れを防げ、と厳しくしつけられました。
剣道をやっていたときは、防具、竹刀の手入れはもちろん、竹刀を杖の如く床に突いているものは激しく叱咤されました。竹刀=刀には魂がこもっていると。それを杖の如く扱うとは何事かと。
しつけの段階では、道具=大切でもいいのでしょうが、競技者としてはもう一歩踏み込んで、「プレーとして表現するその瞬間にすべてを託す」もの=大切、といった認識に到達すべきなのではないでしょうか。
さあ翻って、テニスではどうでしょう。
正直なところ、どうこだわっていいのか分からない、どこを何を大切にしたらいいのか分からない、そんな感じではないでしょうか。だって、テレビではプロテニス選手が、ラケット開発現場を訪ねたり、ストリンガーの元に通ったりするところなんかやってませんものね。
むしろ部室にストリングマシンなんかが置いてあって、そこで自分で張り替えるために研究したり。これはバットを自分で削るようなもので、プロゴルファー猿ではない限り本当に満足するものを手にすることは難しいでしょう。
ラケットのどこがどうなんだ?どうやらストリングは重要だぞ。強く、弱く?スイートスポット?グロメットはどうなんだ?結び目は?などなどなど。
昨年までの自分はそうでした。
しかし、本当のプロに出会うと、全てが見えてきます。
ストリングはラケットの一部で、ここの施工如何ではそれは「完成したラケット」にもなるし、ただの「最先端素材のカタマリ」にしかならないこともあります。
今、ボクがラケットに関するすべてを委ねているショップに出会うまで、それは分かりませんでした。
今のボクのスキルに比べて明らかにオーバークオリティな仕上がりなのですが、道具から見えてくる世界というのもアリなんじゃないかな、と思っています。この仕上がりに負けないくらい自分を追い込んで行こうと。
いつもそんな最高の仕上がりのギアが入手できないので、そこそこで良しとする考え方もありますが、最高の仕上がりを常に手元に置くための努力をするのもアスリートの努めなのではないでしょうか。自分の生活を、カラダを追い込んでいけば、自ずからギアに対しても要求は厳しくなるのは自然の流れのような気がします。だから、ギアの専門家=職人の元を、アスリートは訪ねるんだと思います。
スポーツギアとしてのテニスラケット。
その完成度を左右するストリングと施工。
もっと注意を払ってもいいのではないでしょうか。
posted by implayer |00:41 |
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2008年03月01日
サラリーマン選手、昨日はひさびさ仕事で帰宅が遅くなりました。
今年の1月から契約社員となり、毎日夕方5時に退社しトレーニング、という生活をさせてもらってましたが、昨日は多忙を極め、帰宅が夜の12時ということに。
ま、働き盛りのサラリーマンなら日付が変わらないうちの帰宅なら「おお、お早い帰りで」てな感じなのでしょうけど。。
写真:昨夜11時頃の六本木
翌日は4時起きで、6時から練習だったのでその夜は急いで寝て、体力温存としました。「それでも4時間も寝れるもんね」若いつもりで脳みそはそんな勘定をしてました。
そして当日の今朝。来週から試合があるので、ゲーム練習。
もう、まったく、ぜんぜん、さっぱり、ダメダメでした。。。
カラダは重いし、ボールにはついていけないし、まるで他人のカラダのよう。
そもそもケガしてマヒしてから、胸から下は他人のカラダのようなんですが、その他人にマタ貸ししてもらったカラダのようで、ちゃんと足腰はそこに付いているのか?、腕は動いているのか?、イロイロ不安なくらい、不自然な感覚でした。
いままでだったら「なんでだろう?」と分からなかったのですが、最近試合経験を積んでるワタクシ。ピンときました。
「あー、(海外遠征で)到着翌日に時差ボケで試合している感覚だー」
サラリーマン選手、強みは何と言ってもサラリーマン経験。
時差ボケ対策なんか、新入社員の小僧のころにしっかりと叩き込まれております。
飛行機内での過ごし方や、到着後現地での時間配分などなど。
それでも最近カラダは正直で、いくら脳みそをダマシても、
「おろ、まだ夜でしょ」と、しっかり動いてくれないことも多くなってきました。
今年のアメリカタホの試合では、太陽が黄色に見える中試合をしました。
そう、まるでそんな感じでした、今朝の練習は。
コンディションとは、かくも大切なものだったのか。
練習だから、こういった調整不足のケースなど、いろいろなケースを想定し試してみるのはいいことなんだろうけれど、練習を、コートに立つことを軽くみてしまうようなことはしてはいけないな、と強く反省しました。「明日、早朝から練習があるけれど、ま、仕方ないや」そんな感じで仕事を入れてしまった訳で、それはプレーヤー(競技選手)としてコートに立つ以上、やってはいけないことなんだなと、今回学びました。
「社会人である以上仕方ない」とか「そうしないとメシ食っていけないから」とかいろいろな自己正当化する理屈はあるけれど、そんな理屈を並べる前に、「自分はプレーヤーであるのか、否か」を自問自答するべきだな、と思いました。
単純なことです。
プレーヤーであるならば、プレーはすべてに優先し、
理屈で自分の甘さを自己正当化するのであれば、プレーヤーのフリをしてはいけない。
このことは理想論かもしれないけれど、その域を目指ざす以上身に付けておかなければならない最低限のこと。いわゆる競技選手たらんとするものは、当たり前に身につけていること、なんですよね。
posted by implayer |23:51 |
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