2008年12月16日
駒野がいるせいか、前年度のプレイバックとして何度も繰り返し放送される寿人の叫びのせいか。あるいは槙野のオーバーヘッド弾がポストに弾かれるという幕切れがあまりにも無常に感じたせいか。
最後の入れ替え戦も、素直には楽しめませんでした。
そんな中ではありますが、ともかく試合が終わった時に感じたのは、
「アウェイゴールのルール考えたやつは神」
ってことですね。
昔、杉山茂樹がどっかの雑誌で似たようなこと発言していたような気がしますが、重要度が高い試合ほど大味な展開になりにくいだけに、この「アウェイゴール」ルールはなおさら意味を持ってきます。
思えば昨年、アウェイでの絶望的な試合展開に一筋の光明のをつけたのが平繁の1点でした。今回もそうで、普通のルールなら2-0から終了間際に2-1にされたところで、あそこまで緊迫した展開にはならないはずです。一発のゴールが、サッカーではありえない逆転ホームランに等しい価値になるわけですからね。
ナビスコでもこのルールを採用していますが、やっぱりナビスコを勝ちあがれるのか、っていうのとJ2落ちるか、J1昇格するのかっていうのは緊迫感が違うんで・・・
今シーズン限りで入れ替え戦が無くなると言うのも、なんとも惜しい限りです。
そしてもう1点。
「勢いって、怖い。」
ということも、ありきたりではありますが再認識。
はっきり言って、磐田の「磐石ゲーム」だったはずですよね。ほとんど途中からチャンスらしいチャンスは仙台に与えなかったのに、リャンにFKを決められてからの試合の激動ぶり。
「アウェイゴール」の魔術もあり、磐田の選手にはプレッシャーが、仙台の選手たちのハートには火がついて、あんな紙一重の展開になってしまう。
一度回り始めた歯車は、簡単には止められない。川口のビッグプレーで磐田は絶望の底から返り咲いたわけですが、ちょうど1年前は負のスパイラルに陥った広島がそのままJ2降格。
動かざること山の如しな我らが監督は、来年そういう展開になったときに効果的な手を打てるのか、というと、未だに疑問符が付く部分もあったりするわけで・・・
いろいろな意味で心にもやもや感が残る入れ替え戦ではありました。
まあ、でもなんといっても松浦ですよ。あんな舞台で大暴れ。メッシに例えるメディアの記事もありましたが、個人的にはいろんな意味で「アルシャビン」ですね。1戦目のミドルなんて、そうそう入んない。2戦目だって、アバウトなクリアボールがあんなところに飛んでこない。でも、そんなことが起きてしまう。ノッている若さの破壊力は、なにかを引き起こしてしまう。凄いことです。
そして駒野が2年連続で大変な目にあわないでホントに良かった。
だから磐田でいいのかとあれほど・・・(以下ry)
posted by Lee |00:38 |
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2008年12月06日
すんげー久々に更新。
本業+二人目の子育てに追われていてですね・・・心に余裕がございませんでした。ちょっと落ち着いてまいりましたんでボチボチ再開したいと思います。
久々の再開で書くことがサンフネタ以外なのはご容赦くださいませ。そっちはボチボチと・・・。
さて。本題。
元日本代表DF・森岡隆三が引退しました。彼と僕は同い年で、かつちょっとした繋がりもあったりしたので、感慨深いものがあります。
(『サンデーとマガジンどっちが面白いか?』とかいうクダラナイことを討論しあっていたという謎の記憶もあったりします。まあ、向こうは覚えちゃ居ないでしょうが・・・)
僕の友人で森岡と桐蔭で同期だった男がいるのですが、そいつが2002年のワールドカップを見ているときにポツリとこんなことを漏らしていました。
「高校のとき、森岡のロングパスのミスからカウンターで負けた練習試合があったんだけど、その日の夜から、ひとりであいつ毎晩ロングフィードの練習をひたすらやり続けてたんだよ。森岡ってさ、足は速くなかったし、プロでやれるもんなのかと思ってけど、やっぱり『努力する』ってことは才能を超えるもんなのかもしれねえな。」
「努力の人」
という形容詞は使いまわされていて、あまりに陳腐に聞こえてしまうかもしれませんが、彼の歩みを見る限り、サッカー選手としての彼を表現する上で、これ以上の言葉は無いのではないかと感じます。
彼が所属していた当時の桐蔭学園サッカー部は、今でこそ桐光の後塵を拝していますが、李国秀監督の下で高校レベルを超えたモダンフットボールをしているチームとして有名でした。
当然、桐蔭には全国各地からスカウトされた優秀なサッカー推薦入学の選手たちが揃っており、彼らエリートが少数精鋭で「サッカー部」を構成していたため、推薦以外の選手たちはサッカー部に入ることを許されなかったそうです。
桐蔭学園の中等部から高校に上がった森岡選手は、サッカー推薦の選手ではなかったため、簡単にサッカー部に入部することを許されなかったと聞いています。そこから這い上がって桐蔭のレギュラーを掴み取るわけですから。これだけでも相当の努力をして来た人物なのだということがうかがい知れますが、プロになってからの歩みを見てみると、その印象はさらに強まっていきます。
森岡の桐蔭学園の同学年には、1人のスターが存在しました。
廣長優志。
高校サッカー界で名を轟かせていたスーパーリベロの廣長は、その才能をあらゆる方面から絶賛される存在でした。ジュニアユースの日本代表。フィジカルが強く、パスが出せて得点のセンスもある。アトランタ五輪でも本大会までは絶対的な存在で中盤の底に君臨していました。
その廣長はルーキーイヤーで、あの当時のヴェルディのセンターバックとしてレギュラー奪取。華々しい活躍を見せる一方で、鹿島に入団した森岡は泣かず飛ばず。2年間でわずか出場は1回。3年目で森岡は清水エスパルスにレンタルされます。
その後の飛躍を誰が想像したでしょうか?
僕なんぞは、やっぱりプロで活躍するには、廣長のような「選ばれし人間」じゃないとやっぱり難しいんだなあ、と漫然と思っていたものです。まあ、少なくとも森岡を知る僕の周りの人間で、彼が2002年のワールドカップにレギュラーで出場する、なんて本気で考えていた人間はいなかったでしょう。
そんなこともあり、僕にとっては、彼は「努力と才能」というものの価値をひどく感じさせる人だったのですね。
これからは指導者の道を歩むとか。クレバーな頭脳と努力を持ち合わせる彼のことです。ひょっとしたら監督として選手のときよりも大きな成長を収めてくれるんじゃないかと、個人的には思っています。
posted by Lee |00:30 |
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