2008年01月25日
その1はこちら。
【背番号は】久保ヒストリーおさらい編その1【サンキューです。】
いよいよ久保が世間に知られ始めてから。このあたりになるとボチボチ記憶が鮮明になってきますなあ。
■マリノス移籍までのお話
<サンフレッチェ編>
・1997-2000まで、エディ・トムソンに率いられた広島。武器はガチガチの守備と久保の速さを生かしたカウンターアタック。思えばこの周囲のサポートが少ない状態であればこそ単独で行ける久保の能力が磨かれたとも言える。広島は上位陣を苦しめ、下位にあっさり負けるという試合を繰り返していた。
「海外?行きたくない。メシがまずい」
は記憶によるとこの頃のオーストラリアキャンプの影響ではなかったかと思われる。
・柏戦での2ゴールはまさに久保。DFの裏を突いて左45度から放った低空の弾丸シュート。そして右45度から柔らかく巻いてのシュート。豪快さと繊細さを併せ持つ久保の魅力が凝縮された試合と言える。当時柏にいたホンミョンボは「日本のFWで一番怖いのは久保。日本人のFWは教科書通りのプレーしかしないので読みやすいが、彼は何をしてくるか全く分からない」と評していた。
・コパ・アメリカを辞退するなど、ちょいちょいと怪我をしていた久保だったが、本格的な長期離脱が1999年シーズンに起きる。忘れもしない鹿島戦。にっくきビスマルクに踏みつけられて緋骨骨折でシーズンを棒に振る。走っている最中に、後方からふくらはぎを踏むという悪質極まりないファウルだった。未だにこれを嘆く人は多い。この離脱が無ければ、この年は日本人得点王となり、広島は天皇杯で優勝し、久保は代表にももっと早く慣れたはずだという主張もあった。中には骨折前の久保こそ本来の久保であり、その後はプレーの凄さが落ちたという人まで居るほどだ(僕はそうは思わないけど)。
・怪我は長引き、2000年シーズン、広島は得点力不足に悩まされることになる。トムソンは久保の復帰を何度も促したが、久保は「痛みが引かない」と言って首を縦には振らなかった。メディカル的には問題が無かったため、かなりスタッフとの間で軋轢があったとも言われている。
・シーズン途中で突然の復帰。しかし、本来には程遠いプレーが続き、一部では「久保は終わった」という声すらも聞こえてくるほどであった。
・それでもたまには凄いプレーが飛び出す。FC東京戦では売り出し中だった小峰をドリブル突破で振り切ってPKをゲット。さらにサイドからのロングクロスをエリア外の角度の無いところでワントラップすると落ち際をアウトに掛けて強引にシュート。強烈な軌道で曲がったシュートはポストを叩いたが、どよめきはしばらく消えなかった。この試合の後、様々な感情を込めたトムソンの名言があった。
「久保はアウト・オブ・スタンダード(規格外)。我々の持っている物差しで彼を図ることは出来ない。」
・復帰後の初ゴールはマリノス戦。藤本のロングパスに一気に抜け出すと、利き足と逆の右足をぐいっと伸ばしてそのままダイレクトボレー。意表をつかれた川口のあざ笑うかのように逆サイドネットを揺らした久保のゴールにビッグアーチが揺れた。その後、例の名言が飛び出す。
「スタジアムに来てくれた子供たちに一言!」「・・・勉強、頑張ってください」
オマエが頑張れというツッコミと共に、再びビッグアーチが久保劇場となったのだった。
・しかし、最終節で2ゴールを上げて3年連続二桁得点としたものの、このシーズン通じてプレーは不安定。完全復活は次のシーズンに持ち越しとなる。最後の試合でのゴールをトムソンは嬉しそうにこう評したという。
「彼はいつもそうだ。試合から完全に消えているかと思っていると、突然出てきて点を取る」
このシーズンでトムソンは広島を離れる。
・トムソン最後の試合に際しての久保。記者に「恩師の最後の試合だけど、特別な思いはある?」「別にないっす」「この試合だけ頑張れるのなら、もっと前から頑張らないといけないから」と発言。結構深い。
・次のシーズンはヴァレリーを迎えて3トップ。先シーズンとは180度違う戦術に広島は苦しんで守備が崩壊し、J2降格の危機を迎えてしまう。とはいえ、久保のプレーそのものは悪くは無かった。
・特に、トムソン時代から課題だった「久保のパートナー」にシーズン途中から選ばれた大木勉とは変幻自在のコンビネーションプレーを見せ続ける。そもそも大木は半年契約で、シーズン途中で結果が出なければ自動的にクビだったが、チャンスを得たナビスコカップでゴールを決めて契約延長を勝ち取る。このゴールをアシストしたのは当然のように久保だった。
・しかし、残留がかかって残り5試合での久保の働きは凄まじく、神戸戦で1ゴール、ガンバ戦ではオウンゴールを誘い、清水戦では2ゴール。磐田には負けたものの、最終節でも2ゴール。特に清水戦の超ロングシュートはサポーターの間では伝説のゴールとなっている。この年は自己最高の15ゴールを上げた。
・ヴァレリーは1年でチームを去ったが、久保を「彼の能力なら15ゴールは物足りない」と評した。「右足のシュートを磨けば30点取れる」とも言っている。
・思い出したくもない2002年。久保は極度のスランプに苦しむ。色々なことがあったが、結局ワールドカップの落選が一番堪えたのではないかと思う。レギュラーポジションを外されてさらにモチベーションを低下させてしまい、結局シーズンではわずかに7ゴールに終わる。天皇杯では久保のプレーは復活したものの、広島はJ2落ち。
・っていうか振り返りたくないのでこのシーズン割愛したい。
・そして久保は移籍を決意する。本人曰く「他所でやれるのかとか、知らないところで大丈夫かとか、メチャメチャ不安だった」そうな。年俸交渉の場で久保から「移籍させてください」と頭を下げられた今西は、残念に思いながらも「こいつもここまで成長したか」と、感慨深かったという。
・複数チームが手を上げたが、レンタル移籍を認めないと広島が宣言したため、磐田かマリノスかに絞られた。マリノスを選んだのは、奥が居るからとか、年代が近い選手が多かったとか、名波に代表でこき下ろされて苦手だったとかいろいろ言われているが本当のところは不明。
・久保がマリノスに出した条件は「広島の言うことを何でも聞いて下さい」ということだけだったとも言われている。マリノスは満額の移籍金を提示して、それに答えた。
<日本代表編>
・トルシエジャパンになっては久保は常連となったが、とにかく年度別代表に選ばれたことも無ければ広島の選手もいない久保にとっては相当苦痛だったようで、行きたくないと駄々をこねる事が多かったという。たいした怪我でもないのに辞退したりなどをしていた模様。時には町内会の会合に出るから嫌だということもあったそうだ。スパサカインタビューによると、「飛行機の乗り方もわからんし、嫌」だったとのこと。
・そんな中、久保の話し相手になっていたのは後に親友となる奥大介だった。これはワールドユースで同期だった大木が、代表に選ばれたことを心配して、安永と奥に「面倒見立ってくれや」と連絡したからだという。ちなみに久保は大木の作ったカレーも大好きだ。
・サッカーマガジンでの伊東輝のインタビュー。
「他の選手と話する?若手の久保とかどう?」
「いやー、僕も絡もうとしてみたんですけど、僕と久保ではまったく会話が続かなかったです。でも奥には心を許しているみたいですね。」
・アジアカップでは出番を貰ったものの、まったくボールに絡めず前半にて交代される。何気に優勝メンバーではあるのだが、本人は全く嬉しくなかっただろう。
・途中出場が苦手な久保は全く結果が出せなかったが、トルシエは久保には相当期待をしていたのは間違いがない。いい例は鈴木隆行がブレイクしたコンフェデの決勝戦。0-1の状態からトルシエが最後に切ったカードは久保だった。結果も出ていないのに。久保も珍しくやる気を見せたプレーをしていたが、ゴールは奪えず。鈴木の台頭で久保は出番を失っていくのだが、この頃から逆に久保は代表でのプレーに魅力を感じて行ったらしい。
・ワールドカップは無理だろうと思われていたが、直前のヨーロッパ遠征にまさかの召集。トルシエはフランスに粉砕された後チーム作りをやり直したが、その一環だと思われる。個人能力に優れる久保を切り札と考えていたのだろう。
・長期合宿で周囲との仲も深まっていき、久保のプレーもそれにしたがって自分を出していけるようになる。特にポーランド戦では再三鋭いプレーを見せてゴールに迫る。そしてトルシエからこのコメント。
「久保は面白い武器。彼の自己表現のなさの謎がようやく解けた。それは彼は1230年に生まれて、ずっと冷凍されて、ある日突然見つけられました。だからまだ現代文明のコミュニケーションに慣れていないんです(笑)。」
メディアも久保が最終兵器との印象を強め、妙にプッシュが強くなる。
・しかし、最終的にはゴールを奪うことは出来なかった。テストマッチの最終戦、ノルウェー戦で久々に先発した久保はチャンスを生かせず前半で交代。トルシエの最終テストだったのだろう。ノルウェーに惨敗した日本代表は、中田の提案で宴会を開いたが、そこには痛飲して饒舌になった久保の姿があった。
・そして2002年のメンバーからは落選。高原の離脱で確実といううわさもあったが・・・。落選後、全く連絡が取れなくなった久保を周囲は本気で心配したようだが、家族と温泉に行っていたという。久保の代わりは中山だった。
<その他>
・ビスマルクに骨折させられたあと、追い回して報復してからピッチを去ったというウワサもあるが、アレは記憶にない。っていうかそれはウソじゃなかろうか?ただし、怪我をしてピッチから出されたが、怒り狂ってピッチに飛び出そうとしていたという記事は読んだことがある。
・一時ツートップを組んだ森山は久保を「理想のFW」として上げている。より野性に近いことを理想としていた森山にはピンときたんだろう。「久保に感性を合わせてあげればいいだけ。」いや、それ、むずかしいっしょ。
・ガンバにいた山口敏も語っていた。「久保がナンバーワンに間違いが無い。一緒にやってみればわかる。存在感が違う。」
・長女誕生。趣味は子育てに変化。
・当時のヴェルディ総監督だった李国秀も久保を高く評価していた。「久保君の怖さは、Jリーグの監督なら誰でも知っている」という言葉が出たのは、おそらくJリーグオールスターでのこと。ちなみにあの手の試合での久保は大体ロクなプレーをしない。
・お化けが怖く、寮から出るときに「あの部屋は出るらしいで」と冗談でチームメイトが脅すと部屋を変えてしまったらしい。
・ネクタイが上手く結べないらしく、下のほうが長いときがしばしば。
・子供の頃、キン肉マンの単行本を親に買ってもらえなかったらしく、子供になんでも買い与えるものじゃないというのが身上。ちなみに好きな超人はバッファローマン。
・車はシボレー。しかし、地元のラジオ放送でアナが「久保さんはシボレーがお好きなんですよね?」と場を和ませようとすると、突然不機嫌になったというウワサもあり、なんだかさっぱり分からない。
・御殿場で代表の合宿に参加したとき、駅から乗ったタクシーの運転手に高原と間違えられたらしい。
・代表の遠征でヨーロッパに行ったときに、空港において久保1人だけやたらと厳しいチェックをされた模様。
・スガシカオが広島のイヤーブックに久保のコラムを書いていた気がするんだけど・・・なんか忘れてしまった。覚えてないすか?
まだ続くよ。
posted by Lee |21:34 |
久保竜彦 |
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2008年01月25日
久保が正式に復帰して会見しました。本当に感慨深いものがあります。どうも例のシリーズを書いていると気分がダークサイドに落ちていってしまうので、こういう気持ちでエントリー書くのは久々です。
風貌どおりに「恥ずかしながら戻ってまいりました」とか言い出す会見の妄想をしてましたが、内容はやはり久保。予想できるヤツじゃないですわ。
会見の様子はこちら。
http://www.jsgoal.jp/news/00060000/00060005.html
Q:J2である広島を選んだ理由は?
「……声をかけてもらった時点で、半分くらいは(広島に移籍することを)決めていました。広島に戻れるとは思っていなかった。この5年間、ずっと広島の試合は、スカパーとかテレビで見ていました。一緒に、8年間くらい試合してきた友達もいるし、ずっと(広島のことは)気になっていました。去年の終わりくらいに(広島から)声をかけてもらった時は、本当に嬉しかったです」
い、いかん、目から汗が・・・。
というわけで、今回のエントリーでは「久保復帰記念おさらいコーナー」といたしまして、久保のエピソードを振り返っていきましょう。特に若いサンフサポは予習しておきなされ。
ではスタート。
●入団前~日本代表選出ぐらいまでのお話
<プレー編>
・高校時代のポジションはMF。完全無名で、国体選抜に選ばれた経験があるぐらい。筑陽の監督がサンフレッチェとつながりがあり、教え子を2人テストしてくれと頼んだところから入団が決定。ちなみにもう1人は元徳島ヴォルティス(大塚製薬)の大場啓。久保は大場が受かって自分は落ちたと思っていたらしい。
・ちなみに筑陽の監督はMFとして育てたことでいいことと悪いことがあったと思っていた模様。前者は強引で前に行くプレーが身についたこと。後者はDFを背負ったプレーが未だに苦手なこと。
・既にルーキーシーズンのキャンプからかなり目立っていた模様。ハシェックは「将来必ず日本代表になる」と語り、ハウストラは「一番気に入っている日本人選手は久保だね。」と言い、高木は「自分のポジションが危うくなるかもしれない」と危機感を抱いた。しかし、同期にいたワールドユース代表の大木などの方がマスコミに取り上げられる機会も多く、サンフサポにもあまり知られてはいなかった。1年目は出場無し。
・サテライトで様々なポジションで使われながら、最終的にゴールへの意欲を買われてFWに。そこから愚直にFWとしての動きを吸収していく。久保曰く、「それまで風間さんなんかを見てたけど、FWになってからはハシェックや高木さんを見るようになった」とのこと。素直で愚直なところが伸びた理由なんだろう。
・2年目のナビスコカップで初ゴール。リーグ戦での初ゴールは結構かかっていて13試合目ぐらい。確か日本代表での初ゴールも同じぐらいだったはず。途中出場にあまり合っていないタイプなんだと思う。
・柏のニカノールが、ナビスコカップの試合の会見後、突然「ちょっといいですか?今日は出ていませんでしたが、久保選手についてお話したいと思います。彼は素晴らしい可能性を持っている。(中略)日本のサッカーファンは久保という存在をもったことを幸せに思うでしょう。日本サッカー界にとって久保は宝石そのものです。財産です。これから大切に育ってほしいと思ってます」と語ったのも多分この頃。聞かれもしていないのに、試合に出ていない相手チームの選手のことを話すのだからアウェイで大暴れされたのがよほど印象に残ったのだろう。
・しかしこの頃は、有り得ないほど荒削りだった。絶対に無理な体勢から無理やり左足で蹴ろうとしてミスしたり、強引なプレーが目立っていたが、その分決めていたシュートもとんでもなかった。
・サテライトからトップに上がってからは「知らん人が多いのでトップチームではプレーしたくない」とこぼしていたという。
・この頃は毎試合出るたびににカードを貰っていた。「止めなければ確実に相手を殴っていたという時が何度もあった(高木談)」。とある試合で、審判を小突いてレッドを喰らってからはパタリと退場しなくなる。よほどこたえたのか、誰かに怒られたのか。
・好きなプレイヤーは「ラモス」。好きなところは「顔」。同期の大木のプレーを尊敬しており、彼が移籍したときには「やっと大木さんのアイディアについていけるようになったのに」と嘆いていた。
・1998年に高木を放出すると名実共にエースとなる。この頃から全国レベルで名が知られ始め、サッカー関係者の注目を集めるようになった。期待をこめてフランスワールドカップのメンバー候補に名を上げる解説者もチラホラ。(記憶では早野と宮沢ミシェル)。
・トルシエジャパンの初戦・エジプト戦で初選出。その頃の模様は湯浅健二のHPに詳しい。しかし1プレーをミスしてからはボールが足につかず、次第にパスをもらえなくなる。険しい表情でロッカーから出てきた久保に記者が追いすがって質問すると一言「死ぬかと思った」。
<その他>
・奥さんとは高校からの付き合いらしい。奥さんのほうから告白したらしいが、明確な返事がなかったらしく、付き合っているのかいないのか半信半疑だった模様。高校卒業時にようやくはっきりと返事をもらったとか。
・その後、広島に久保が行ってからは半年ぐらい連絡が無かったため、奥さんもあきらめていたとのこと。半年後に電話がかかってきて、別れていないことを再確認。
・しかしその頃の久保の私生活はメチャクチャで、試合が終わるとすし屋に直行して、ベロベロになるまで毎日飲む。酔っ払って、地べたに転がって寝ているところを近所の人が寮に連絡するということがしょっちゅうあったらしい。当時は広島の寮はマツダの社員寮をつかっていたので監視が行き届いていなかったのだろう。今西総監督(現岐阜FC)は久保を見て絶対に専用の寮を確保しようと心に決めたとかいううわさもあり。
・インタビューで「知らん」「分からん」「・・・・・」を連発する久保を見かねてクラブ側が話し方教室を勧めたのもこの頃。ちなみに、これはクラブの選手全体で受講するもので、別に久保だけのために開催されたものでもない。しかし、やっぱり変らなかったので、講師にもすごく怒られたとのこと。
・私生活を心配した今西から「ヨメの候補はおらんのか」と言われて、結婚をすることを決める。両親(特に久保の)から猛反対に会うが、最終的には今西が出て行って親を説得したらしい。その後、すし屋には相変わらず来るものの、嫁同伴になったので潰れることはなくなったとか。
・この頃の久保はとにかく荒っぽくて有名。中指を鹿島サポに立てて試合後バスを囲まれる。森保が仲介に入り事なきを得る。ポイチさんすいません。
・札幌の誰かの髪の毛をつかんで引きずり回した。誰だったかは失念。こええ。
・サンパイオを追い掛け回した・・・という話がどっかにあったけど、多分サンパイオじゃないと思う。バウベルじゃないかな?少なくとも、外国人選手を追い回すなど前代未聞。乱闘が一部である野球においても少なくとも構図は逆のはずである。
続く。
※この頃の久保エピソードを覚えている方はコメント欄にどうぞ。
posted by Lee |12:41 |
久保竜彦 |
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2008年01月22日
監督が変っても右サイドをやらせてもらえない駒野に合掌。
さて。
ジェフには昔からなにかしらの親近感を抱いています。いいサッカーをしていてもサンフレッチェには負けてくれていたからかもしれませんし、不人気チームでユース昇格組みが多いく、成績的にはイマイチ(オシム以前の話ですよ?)というちょっと似たもの同士というイメージがあったせいかもしれません。
しかし、ジェフとサンフレッチェには決定的な違いがあります。
それはジェフは「取られるクラブ」であり、サンフレッチェは「取られないクラブ」である、ということです。
今回の大量流出はあまりに気の毒な話ですが、ジェフは毎年のように主力クラスの流出が続いています。先シーズンを除けば下位に低迷していたわけでもないにもかかわらず、です。サンフレッチェはというと、瞬間的に上位につける事はあったにしても、総じて残留争いから抜け出せないクラブ。それどころか2002年に引き続き、2007年にも降格をしてしまっているクラブです。しかし、戦力外以外での主力の放出というのは久保と駒野ぐらいのものです(藤本と闘莉王は当時の主力ではありません)。
なぜサンフから流出が少ないのかは分かりません。こればっかりは選手に聞いてみるしかないですが、少なくとも選手からの「満足度」が低くはない、ということは言えるのでしょう。広島の地理的な問題なんかもあるかもしれない。これが関東のクラブだったらまた事情が違うかもしれません。
では、「取られない」サンフレッチェは「良いクラブ」と言えるのでしょうか?
前述したように、広島にいる選手の「満足度」は低くはない、と思われます。優勝を狙えるようなクラブでもなく、客の入りも悪く、練習場はめっちゃ遠いのに?
上は環境的な要因ですが、最もストレートに選手に響くものは年俸です。しかし、オフのとき、選手が年俸で揉めたという話をあまり聞いたことがありません。財務的に苦しいはずで、優勝争いなどついぞしたことがないクラブなのに?
この現状を見て言えることは「広島は(主力メンバーにとっては)ぬるま湯」である、ということだと思っています。
断っておきますが、僕はサンフレッチェに所属している選手たちに思い入れや愛情を持っているつもりです。曲がりなりにもサポだから。だからマイナス面が見えようが応援する。でもフロントがそれで本当にいいんでしょうか。
カズや浩司は確かにチームの顔でしょう。しかし残念ながら彼らはチームを引っ張っていない。ずっと前からそういう存在でなければならなかったはずなのに。メンタルヘルスの問題でチームを長期間離れることすらありました。下田は今シーズン大量失点を食い止めることは出来ませんでした。彼の責任だとは言い切れませんが、怪我をしてからはトップパフォーマンスでないことは明らかです。今シーズンようやく途切れましたが、服部はフルタイムの連続試合出場を続けていました。どんどんプレーが悪くなっているに。特に今シーズンは左サイドははっきり言って「穴」だったと思います。でも、彼らが揉めたなんて話を聞いたことがない。
今シーズンデオデオから第三者割当増資で5億円を受けて、債務超過を回避しているような状態なのに?
なにかがおかしい。
サンフレッチェの目指すところは「育成型クラブ」のはずです。大きな収入源があるようなクラブであれば、育成にこだわる必要はない。育成せねばならないのはカネが無いからであり、つまり選手は広島にとっては資産そのものだと言えるわけです。特にJリーグ内の移籍であれば移籍金は必ず得ることが出来る。苦しい台所ならば、これは利用しなければならないもののはずです。しかし、現実には2回の降格にもかかわらず、選手を繋ぎとめて赤字を拡大させている。
今シーズン選手を引き止めたことを非難はしません。なぜなら、前回のエントリーで述べたように、広島は育成に「失敗」しています。故にカズや浩司の下にはもう既に北京世代の選手しかいないような状態です。これではあまりに若すぎますし、昇格は困難です。
しかしそれであってもミッドフィールドはすでにダブつき気味。カズ、浩司、陽介、アオ、くわ田、高萩、高柳。これにルーキーが加わります。下からは岡本君も上がってくるでしょう。今はダメであっても、1、2年後には必ず「整理」しなければならない時がある。そういうときに冷静でシビアな判断が出来るのか、どうか。クラブにとってもっとも「得」な選択肢を選ぶことが出来るのかどうか?
もちろん選手が出て行くことなんてホントは推奨したくありません。しかし、「取られないクラブ」であるサンフレッチェの現状が正常な姿であるとは全く思えないのです。
デオデオがコケたら皆コケた、となってしまっては誰もが困るのですから。
まだ何回か続きます。
posted by Lee |23:44 |
降格シリーズ |
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2008年01月19日
いまだに久保以外に補強の話がはっきり出てこないのが気がかりな毎日でありますな。
今日は、降格が決まってから、「天皇杯が終わったら書こう」と思いつつも、決勝まで来てしまったためについ書きそびれたことを書いていきたいと思います。
繰り返すのもアレながら、サンフレッチェ広島は今シーズン、J2に降格してしまいました。
なぜ、広島は落ちたのか。
もちろん、現場責任者である監督の責任は大ですし、采配や起用がナットクがいかないことが多かった。相も変わらず「コミュニケーション不足」だとか言っている選手たちにも当然原因があるでしょう。また、その後中国新聞あたりから聞こえてくるようなフロントの「怠慢」としか言いようが無い姿勢も大きい責任があると言えます。
しかし、僕のブログにコメントをくれたどなたかも言われていたように、広島はほぼ毎年のように降格争いをしています。以前の降格の前からそうです。決してメンバーが居なかったわけではありません。各カテゴリーの代表クラスを抱えながらも、成績は一向に上がらない。つまり、「サンフレッチェ広島」というクラブそのものがなにかしらの大きい課題を抱えているということが言えるわけです。
低迷する原因はなんなのか。僕はその要因を「クラブのコンセプトの欠如、あるいはコンセプトからの乖離」だと考えています。
ここでいう「クラブのコンセプト」とは言うまでも無く、「サンフレッチェはどうあるべきか?」という形のことであります。
「でも広島って育成型クラブでしょ?むしろはっきりしてるんじゃない?」
と思われる方は多いでしょう。
そうなのです。外から見れば、サンフレッチェは優秀なユース組織を持つ「育成型クラブ」です。これは間違いない。ですが、最大の問題点は、「育成型クラブ」であるということとは全くそぐわないクラブ運営がなされていることだと思うのです。
話は前回降格時にさかのぼります。
当時の小野監督とフロントは、「3ヵ年計画」の声明を発表します。1年でJ1に復帰し、2年目は中位を狙い、3年目には優勝争いをするという中期計画でした。
まあ、いいでしょう。実際に優勝するというのは簡単なことではありませんが、目標を高くすることは間違っていることではありません。当時の広島にはいい若手の選手もいましたし、ユースは黄金期を迎えていました。彼らが育っていけば昇格は出来るだろうし、いずれJ1で上位に食い込んでいくことも可能かもしれない、と自分としては思っていました。
ところが、小野さんはそう考えては居なかった。ある意味、まっとうに「優勝しよう」と思っていたのです。
上のような目標を真正面からやりきるには何が必要か。当然「補強」です。3年で優勝しなければならない。1年でJ1に絶対に返り咲かなければならない。当然、育成<補強になる。小野監督が選んだ道はまさにこれでした。広島は決して財政的に裕福なクラブではないにもかかわらず。
1年目は、まだいいでしょう。J1昇格の命題を成し遂げるためには確かに必要な補強もあったでしょう。特に外国人選手に関しては優秀な選手を揃える必要がある。しかし、結局そこで取った日本人選手たちはどうであったか。現在までクラブに残っている選手は一人としていません。「活躍した」と胸を張っていえるほどの選手はいたでしょうか。補強した井川はまだ出番があったほうですが、2年にはとたんに出番を失っています。本人の問題もあるでしょうが、果たして補強をする意味があったのか?茂木や高橋、山形や大久保、松下や八田。彼らを育てるという選択肢はなかったのか?
2年目。上村や桑原といったベテランを放出します。若手に切り替えるのかと思いきや、それに変わるように小村、吉田、外池といったベテラン選手の補強を敢行。かなり僕としては謎の補強でしたが、とはいえ、主力の離脱で2種登録のユース選手の出番が増え、リーグ終盤には前田俊介も初ゴール。広島の未来は見えてきたかと思われました。
そして3年目。「まっとう」に3ヵ年計画を遂行しようとしていたサンフレッチェは大型補強に打って出ます。寿人、池田、茂原、ガウボン、ジニーニョ。ジニーニョを中心とした守備力でリーグ中盤には上位に浮上しますが、終盤には完全に失速して、7位。試合内容から見て、この年で契約が終わるかと思われましたが、結局続投となり、また戸田や上野といった補強をしつつも・・・というのは蛇足の話になってしまうので避けましょう。
この、クラブの形態にそぐわない3ヵ年計画は何をもたらしたか。
補強による赤字。そして育て切れなかった若手の流出です。
前述のとおり、広島には優秀なユース組織があるだけでなく、スカウト網も決して悪かったわけではありません。高校生を中心にユース世代の代表クラスの選手をチームに迎え入れています。にもかかわらず、彼らを我慢して育てることより補強する道を選んだ。しかも広島は決して資金があるほうではないため、中途半端な補強をしては、そのおかげで若手は育たない上に、結局そういう選手は主力にならないという結果を生んでしまっています。
降格した年から、小野監督が離脱するまでの間、結局外国人選手以外の主力メンバーはほとんど変わりませんでした。森崎兄弟、駒野、服部の両翼、そして下田と大木。これに加わるのは結局お金を出して獲得した寿人だけです。クラブの体制とやり方がまったくマッチしていなかったのは明白だと思われます。
育てながら戦うということは大変なことです。育てながら勝つということはさらに厳しく、育てながら優勝する、というのは不可能事に近い。ステージ制だった以前であれば、勢いでどちらかのステージを制する可能性はまだあったと思いますが、すでに1シーズン制に移行していることを考えればトータルの力が試されるます。レッズすら固定メンバーで戦ったツケを払わされている。優勝へのハードルは当時よりも高まっているということが言えます。
今回の降格を受けて、また3ヵ年計画的な発言がクラブ関係者から出てきています。それはまあいいでしょう。しかし、やり方はあくまでサンフレッチェはどうあるべきなのか、ということに沿ったもので無ければなりません。それが出来ないならば「優勝争い」というようなことは目標とすべきではないと思うのです。
このシリーズはまだ続きます。
posted by Lee |02:30 |
降格シリーズ |
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2008年01月16日
ネタで色々書いてたらなんかキター!!!!!!
サンフレに久保が復帰も
サンフレッチェ広島は15日、元日本代表FWの久保竜彦(31)へ、獲得を正式に申し入れた。久保は昨年11月、J2へ降格した横浜FCから戦力外通告を受けていた。広島は昨季J1で17得点を挙げたウェズレイが退団するなどFWは補強ポイントとなっている。織田秀和強化部長が「年明けから、接触していた」と認めた。久保は1996年から2002年まで広島でプレーし、球団史上最多のJ1通算67得点をマークしている。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200801160048.html
理屈抜きで久保みたいぞっと。
しかし、公式HPで久保のキャッチフレーズ募集とかやってたのも10年ぐらい前の話ですか。
思い出して該当URL(http://www.sanfrecce.co.jp/info/981218a.html)に飛んでみたけど・・・さすがに残ってない。
なんか凄いくだらないキャッチフレーズが連発されてた覚えがあるんですけど、誰も覚えてないですよねえ?
とりあえず、続報を待ちましょう。
posted by Lee |00:59 |
久保竜彦 |
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