2008年12月06日

努力の人・森岡隆三

すんげー久々に更新。

本業+二人目の子育てに追われていてですね・・・心に余裕がございませんでした。ちょっと落ち着いてまいりましたんでボチボチ再開したいと思います。

久々の再開で書くことがサンフネタ以外なのはご容赦くださいませ。そっちはボチボチと・・・。



さて。本題。



元日本代表DF・森岡隆三が引退しました。彼と僕は同い年で、かつちょっとした繋がりもあったりしたので、感慨深いものがあります。

(『サンデーとマガジンどっちが面白いか?』とかいうクダラナイことを討論しあっていたという謎の記憶もあったりします。まあ、向こうは覚えちゃ居ないでしょうが・・・)


僕の友人で森岡と桐蔭で同期だった男がいるのですが、そいつが2002年のワールドカップを見ているときにポツリとこんなことを漏らしていました。


「高校のとき、森岡のロングパスのミスからカウンターで負けた練習試合があったんだけど、その日の夜から、ひとりであいつ毎晩ロングフィードの練習をひたすらやり続けてたんだよ。森岡ってさ、足は速くなかったし、プロでやれるもんなのかと思ってけど、やっぱり『努力する』ってことは才能を超えるもんなのかもしれねえな。」




「努力の人」

という形容詞は使いまわされていて、あまりに陳腐に聞こえてしまうかもしれませんが、彼の歩みを見る限り、サッカー選手としての彼を表現する上で、これ以上の言葉は無いのではないかと感じます。


彼が所属していた当時の桐蔭学園サッカー部は、今でこそ桐光の後塵を拝していますが、李国秀監督の下で高校レベルを超えたモダンフットボールをしているチームとして有名でした。

当然、桐蔭には全国各地からスカウトされた優秀なサッカー推薦入学の選手たちが揃っており、彼らエリートが少数精鋭で「サッカー部」を構成していたため、推薦以外の選手たちはサッカー部に入ることを許されなかったそうです。

桐蔭学園の中等部から高校に上がった森岡選手は、サッカー推薦の選手ではなかったため、簡単にサッカー部に入部することを許されなかったと聞いています。そこから這い上がって桐蔭のレギュラーを掴み取るわけですから。これだけでも相当の努力をして来た人物なのだということがうかがい知れますが、プロになってからの歩みを見てみると、その印象はさらに強まっていきます。



森岡の桐蔭学園の同学年には、1人のスターが存在しました。


廣長優志。


高校サッカー界で名を轟かせていたスーパーリベロの廣長は、その才能をあらゆる方面から絶賛される存在でした。ジュニアユースの日本代表。フィジカルが強く、パスが出せて得点のセンスもある。アトランタ五輪でも本大会までは絶対的な存在で中盤の底に君臨していました。


その廣長はルーキーイヤーで、あの当時のヴェルディのセンターバックとしてレギュラー奪取。華々しい活躍を見せる一方で、鹿島に入団した森岡は泣かず飛ばず。2年間でわずか出場は1回。3年目で森岡は清水エスパルスにレンタルされます。


その後の飛躍を誰が想像したでしょうか?


僕なんぞは、やっぱりプロで活躍するには、廣長のような「選ばれし人間」じゃないとやっぱり難しいんだなあ、と漫然と思っていたものです。まあ、少なくとも森岡を知る僕の周りの人間で、彼が2002年のワールドカップにレギュラーで出場する、なんて本気で考えていた人間はいなかったでしょう。



そんなこともあり、僕にとっては、彼は「努力と才能」というものの価値をひどく感じさせる人だったのですね。


これからは指導者の道を歩むとか。クレバーな頭脳と努力を持ち合わせる彼のことです。ひょっとしたら監督として選手のときよりも大きな成長を収めてくれるんじゃないかと、個人的には思っています。

posted by Lee |00:30 | 選手評 | コメント(5) | トラックバック(0)
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