2008年06月09日

【VS湘南】"This is Dragon" 久保竜彦

先週は色々忙しくて更新できなかった。でも書きたいことは山ほどある。

代表のこと、五輪のこと、審判のこと、ユーロのこと、大久保のアレ、そして、戸田の移籍。色々思うところがありつつも、なかなか形に出来ないのでもやもやした思いが溜まっていた日常だった。



そんな中、飛び出した久保のゴール。



仰け反った。


唖然とした。


そして、すべてがどうでもよくなった。



ちょっとカウンターもらうシーンが多くなかったか?

アジエル居たらこんなにイージーな試合にならなかったのでは?

5-0から2失点とかありえなくね?

っていうかミシャの交代は相変わらずどうなのよ?



オッケーオッケー。オールオッケーですよ。



戦術や選手起用やクラブのあり方にごちゃごちゃと理屈をつけることが、まったくもってバカらしく感じる。


これがプロのプレーだと僕は思う。


一発のゴールで非日常空間へと目撃者を誘う。そのためだけにチケット代を払う価値がある。

この試合をビッグアーチで目撃した人たちは本当に幸せだろう。


「オレ、目の前で見たぜ、あのゴール」


と自慢できるわけだから。



小難しい理屈は抜き。プロスポーツって、そんなもんだ。







とか書いてたら



寿人が代表召集?!



本当かな~・・・っていうか、合宿呼ばれていないのに寿人とかありないと思うんですが。



日刊のトバシであることに期待しておく。


本当だったとしたら甲府戦だけじゃなく、3試合ぐらい出れない気が。


もし本当だったら「大久保ふざけんな」ってことで。


でも寿人はオメ。

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posted by Lee |12:40 | 久保竜彦 | コメント(14) | トラックバック(0)
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2008年01月28日

【ついでに】久保のゴールについて語るエントリー【おまけ】

終わりといいつつ、Kariyushiさんのリクエストにお答えしていないのに気がついたので、ヒストリーとは別エントリーを立ち上げてしまいましょう。


「ヒューマン・ハイライトフィルム」ってご存知ですか?

昔のNBAプレイヤー、ドミニク・ウィルキンスのあだ名です。

ド派手なダンクで鳴らしたウィルキンス。要するに、TVのハイライトプレーに出てくるようなスーパープレーを連発する選手っていう意味(だと思う)のあだ名です。ウィルキンスよりも「いい選手」はいくらでもいると思いますが、ともかくダンクは凄かった。


久保って、まさにコレだと思うんですよね。トータルバランスで言えば久保より「いい選手」とか「点を取れる選手」なんていうのはいると思うんですが、久保より絵になるゴールを決める日本人選手は見たことが無いです。


さて、ちょっと話がそれましたが、派手なゴールが多い久保の個人的なベストゴールについてのお話をこれから。


いやー、選択が難しいっすな・・・


とりあえず、惜しくも3位以内に入ってこなかったゴールを色々振り返ってみましょうか。




●ランク外のゴールたち


・2002年 ジェフ戦のヘディングシュート


これ、点が入るサイドのゴール裏から見てたんですよね。なのでランクイン。藤本が阿部をフェイントで交わしてあげたクロスに飛び込んでのヘッド。かなり助走を取ってから飛んだのでむちゃくちゃな高さで飛んでました。周りの選手はジャンプしていなかったので、本当に久保にしか届かない高さというものがあるのを再認識しました。中西の天を仰ぐ姿が印象的。



・2001年 セレッソ戦のヘディングシュート


服部のクロスをヘッドで決めたもの。久保らしい、でたらめなゴール。何しろ、服部のクロスに対してジャンプしすぎたので無理やり身体を丸めてヘディングしたもの。PAのライン付近からそれで叩き込むのだから、異常です、はっきり言って。



・2004年 チェコ戦の弾丸シュート


説明不要。裏に抜け出すとドリブルで持ち込み、DFが不用意に寄せてきたところを交わしてニアサイドにズド~ン!!

ああっ、気持ちいい!!



・2000年、マリノス戦のボレー


Kariyushiさんご推薦の一撃。ロングクロスに一気に抜け出して右足を伸ばしてダイレクトボレー。間接が「びよーん」と伸びたようにボールを捕らえたように見えた。あそこでダイレクトで撃つのが久保。まともなセンスじゃありません。



・2006年 アビスパ戦でのループシュート


裏に抜け出したスルーパス。ややパスが長く、追いついたときには角度がなくなっていたため一度トラップするかな、と誰もが思ったところ、そこからかぶせるようにキックしてループシュート。難易度Eクラス。その後柳楽に頭突きかまして退場になる。



・2001年 清水戦での超ロングシュート


ランク外にしてしまうのはアレなんですが・・・キーパーからのゴールキックを競った後、こぼれたボールを拾いながら90度反転して40m近いロングシュート。ありえない一撃。普通に解説者とアナが雑談をしている最中に決まってしまった。サンフサポには伝説の一撃。



・2004年 インド戦でのボレーシュート


三都主からのアーリークロスを呼び込んでダイレクトボレー。ちょっと懐に入りすぎていたボールを器用に足をたたんでインサイドで合わせる。見た目よりも相当難しいゴール。積極的にボールを呼び込む姿にも久保の成長が見受けられた感慨深い一撃。


・1999年 鹿島戦(?)でのゴール


ポポビッチがキープしてヒールで流したボールに走りこんで久保。左足で軽く浮かせると左足のアウトで強烈なシュート。ものすごい弾道でネットに突き刺さったのを覚えている。若い久保の荒々しさの象徴とも言えるゴール。



さて、ここからはベスト3に入ります。いやー、これ選ぶだけでも相当掛かりますな。


●第3位


・2003年 ガンバ戦 ジャンピングボレーシュート


ご存知、めんどくさボレー。左サイド奥からのクロス。上げた奥はちょっとマイナス気味に入りすぎたと思っただろう。このときワントラップしていればDFに寄せられてしまっていたと思う。久保の選択肢はジャンピングボレー。一度フワリと飛んでから空中で姿勢変えつつかぶせて、吹かさないようにボレーを打っている。異常人のゴール。




●第2位


・2006年 レッズ戦 超ロングシュート


記憶に新しい一撃。清水戦とどっちを入れようかすごく迷ったんですが・・・。やっぱり開幕戦・レッズが相手というところがポイント。説明不要でしょう。




●第1位


・1999年 柏戦 裏に抜け出して弾丸シュート


僕が久保が気に入っているところはランニングフォームのかっこよさにもある。普段はぼーっとうろうろしているだけのクセに、一気にDFラインの裏を抜け出すときのしなやかさとスピードはネコ科の動物を思わせる。なので1位はDFラインの裏に抜け出すプレーにしようと決めていた。

一気にDFラインの裏を突くと、トップスピードにのったままワンバウンド目を押し出してトップスピードに入り左足で逆サイドネットに低空の弾丸シュート。震えるような一撃だった。




思い出深いゴールはたくさんあるんで、本当に決めかねますね。しかしどのゴールの映像を見返しても本当に凄い。こんな選手はもう出てこないだろうなあ・・・。


ところで、未遂に終わったスーパープレイも、なぜか久保の場合覚えていることが多い。そっちのランキングも上げておきましょうか。



●ランク外のゴール未遂


・2002年 FC東京戦 大木とのワンツーから右足ボレー


ロングボールからだったと思うんですが、フリーになった久保の足元に入ってきたボールを、左足のアウトでダイレクトで大木に縦パス。すぐさまダッシュしてこれまた大木のダイレクトの落としを受けてそのまま右足シュート。このパスを感じている大木も異常だと思うけど、DFが誰もついていけない異常なワンツープレーだった。左足だったら凄いのが行ってたかもしれない。



・2001年 神戸戦 PA外から弾丸シュート


縦パスをもらって敵DFと1VS1の体制になる。寄せが甘いと見るや、DFがいようがかまわず強引に左足の強烈なシュート。正面に飛んだシュートだったがあまりの弾道の強さにGKが弾ききれずコーナーに。実況・鉄人八塚も呆れる一撃。



●第3位


・2002年 札幌戦 超ロングシュート


スローインを受けて、寄せてきたビジュの股を抜いてそのまま35mのロングシュート!!GKがかろうじて弾いてポストにあたって外れた。まともに当たりすぎてホップするような弾道だったので、GKがかろうじて触れる高さに行ってしまったのが残念。




●第2位


・2006年 磐田戦 ファブリシオを交わしての一撃


PA手前でこぼれ球をワントラップ。久保にマンマーク気味に来ていたファブリシオと1on1。左足を跨いで右足インサイドで斜めに一気に抜け出してファブリシオを抜き去るとPAラインから左足の強烈な一撃。ニアサイドのポスト上部を激しく叩いてゴールならず。川口があの距離からも反応しきれないほどのスピード。「久しぶりに見せてもらいましたね!これがプロのプレーですよ」と宮沢ミシェルも大喜び。



●第1位


・2000年 FC東京戦 ハーフボレー


本文中でも触れたけどこれはすごかった。森保からのロングフィードに抜け出すと、PAエリア外ゴール左30度ぐらいの位置から、寄せてくるDFをもろともせず、角度が無いのも関係ねえといわんばかりに左足を強振。クロスかと思いきや強烈にアウトに掛かったボールはポストの上部を激しく叩いた。あまりに規格外の一撃にビッグアーチのどよめきがしばらく消えなかったほど。入っていればこれがベストゴールだと個人的には思う。








こうして振り返ってみると、怪我がちと言われつつも毎年のようにトンでもプレーをしているのが良く分かります。今年は広島でどれぐらい久保らしいプレーが見られるのかなあ。


楽しみですね。

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posted by Lee |23:53 | 久保竜彦 | コメント(7) | トラックバック(0)
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2008年01月28日

【死ぬ気で】久保ヒストリーおさらい編その4【頑張ります】

以前のヒストリーはコチラ。


【背番号は】久保ヒストリーおさらい編その1【サンキューです。】

【成長したのは】久保ヒストリーおさらい編その2【しゃべりです。】

【お好み焼き】久保ヒストリーおさらい編その3【食べたいです。】



■怪我と離脱、そして帰還。


<クラブチーム編>


・2005年は、3連覇を狙ったマリノスが完全に低迷する。久保はというと広島のときと同じく「メディカル的に問題はない」が、「痛みがある」という状態が続く。シーズン中盤からベンチ入りするようになるものの、出場時間が限られた試合が続く。岡ちゃんが「久保と話すには医者という通訳が必要。本人としては少しずつ出場時間を増やしたいようだが、久保の都合で試合は進まない。」と語ったことを見ると、おそらく広島の時と同様、スタッフとの間にもやや軋轢があったのではと思われる。


・基本的にはヘルニアの腰だったのだが、腰をかばううちに両膝を痛めてしまう。もともと膝は広島時代から慢性的に悪かったのだが、悪化させてしまった模様。また、もともと久保は先天的に膝蓋骨(膝の皿)が割れていて、そこに痛みが発生していたらしい。


・シーズン終盤にスタメンに復帰。本人はスタメンを告げるとクビをかしげていたという。しかし、マリノスと久保はこの試合から上昇気流に乗る。天皇杯のベガルタ仙台戦では打点の高いヘッドで久々のゴールを決めると、リーグ戦では清水戦でフル出場。グラウのゴールをアシスト。Youtubeなんかに上がっている左サイドからのクロスをヒールで合わせている試合はコレ。コンディションも徐々に整っていく。


・久々のリーグ戦ゴールは古巣・サンフレッチェ広島戦。右サイド・田中ハユマのアーリークロスに幅跳び選手のようにジャンプすると、左足を踏み切った体勢から上半身だけを強引に捻って逆サイドにヘディングシュート。さらにグラウへラストパスを送り逆転ゴールをアシストすると、ドリブルからPKを誘って3点に絡む。久保復活を印象付ける圧倒的な存在感だった。


・岡ちゃんはこの試合の久保を手放しで賞賛。「久保が前を向けば何かが起こる、という試合だった。」と振り返っている。延々と待たされた結果のこのプレー。久保は究極のツンデレキャラと言えるだろう。こういう爆発力を見せ付けられた結果、岡ちゃんは久保と心中することになるわけである。


・サンフレッチェ携帯サイトでは「久保が飛翔!!」と書かれていた。相手チームだろうが。嬉しそうに書くなや。


・しかし、続く鹿島戦では途中交代。肉離れと診断され全治1ヶ月。膝や腰の怪我でなかったことが幸いではあったが、結局久保には怪我の不安付きまとっているという印象を拭い去れない。


・天皇杯のフロンターレ戦で復帰し、2ゴールを上げるもののチームは敗れ、シーズンは終わる。しかしこのシーズン終盤の動きを見て、「来年のワールドカップには復活してくれるに違いない」と思った人も多かったと思う。


・コレぐらいの年から、久保は腰に負担を掛けないようなフォームに改造し、またシーズン入りの前には断食を行うなどして怪我への対策を練る。ただ、この一連の対策によってやや久保がバランスを崩してしまったのではないかという疑念は管理人の中では拭えない。


・次の年はマルケスとのツートップとなる。開幕戦では2ゴールを上げるものの、久保のコンディションは一向に上がる様子を見せない。前年の終盤のようなプレーを見せられないままでいた。マリノス自体もマルケス・マグロン・ドゥトラばかりがボールを持つ機会が増え、下位に低迷してしまう。


・ワールドカップには落選。その後は久保と共にマリノスも低迷を続け、ついに岡田監督は辞任。水沼が内部昇格。久保の能力を信じる水沼は久保を軸として使い続ける。一時的にいいプレーをするも、不安定な内容が続き、ついには信頼を失ってしまう。


・この年、親友の奥がマリノスから戦力外通告を受ける。これが影響かは分からないが、久保はマリノスとの契約を拒み、横浜FCへ移籍する。広島での先輩、高木琢也から直接誘われたのも大きかったそうだが、久保が移籍に踏み切った経緯というのは未だ真面目に表に出たことはない。


・迎えた開幕戦、王者レッズに対して、またも伝説的なゴールを決める。前半のロスタイム。右サイドでボールをキープし、左サイドに向かってドリブル。誰もがサイドチェンジのパスを出すかと思った瞬間、突然身体をひねりながら35mのロングシュート。見事にゴールに突き刺さる。埼玉スタジアムを埋め尽くすレッズサポを沈黙させる驚愕の一撃であった。


・このシュートのありえなさには、実況アナも意表を付かれていたことがわかる。

 「左サイ・・・ウォッと、久保狙ってきたシュート!!!!」

 その後は凄い凄いを連発。


・解説:山本人間力

 「時間帯といい、プレーの質といい・・・凄いですねこれは・・・」


・管理人は用があって、車でラジオを聴いていた。解説は金子達仁。

 金子「久保に入るボールの質が悪すぎる。これでは点が取れない。ロマーリオでも無理。」
    ↓
 久保スーパーゴール
    ↓
 金子「すいません、今のゴールはロマーリオでも無理です。」


・しかし、その後はチーム状態も悪く、周囲から効果的にパスを引き出すことも出来ずにゴール無し。練習中に地面を蹴ってしまった後、「今までにない痛み」が発生。長期離脱を余儀なくされる。


・チームは降格。久保はひたすらリハビリの日々を送る。練習場の周りをひたすらランニングする日々。この数年間ずっと繰り返された日々である。


・チームから奥と共に戦力外通告。これだけ怪我が続く以上、久保はサッカーをやめてしまうのではないかという危惧が管理人にはあったが「続けますよ」というスポ新のコメントを読み一安心。


・福岡からオファー。久保も乗り気との報道があるが、進展を見せない。一部では関東のクラブを希望しているとの報道もある。いい加減なものである


・2度目のJリーグトライアウトに参加。実はこの時既に広島からオファーがあったようだが、本人は、サッカーが再び出来るかどうかに不安を持っていたという。このトライアウトで痛みが出たら引退しようと思っていたらしい。


・トライアウトに参加するも、ストッキングとすねあてを忘れる。元マリノスの金子(?)にスパッツを借りてプレー。いかにも久保らしいとファンを和ませる。


・広島に復帰が決定。年俸は1200万+出来高払い。背番号は感謝の意味を込めて39。


・広島の試合はテレビで見ていたと発言。日本代表の試合すら途中で寝てしまうような男が・・・と思ったサンフサポは多いはず。個人的には一番グッと来ました。


・ともかく、お帰りなさい。




<日本代表編>


・離脱中も幾度と無く召集を受ける。怪我が関知しない間でもマリノスでベンチに入るたびに召集が掛かっていた。アウェイのインド戦などは典型。東アジア選手権でも召集されるが、辞退。結局、この頃はクラブチームとのコミュニケーションが上手く行っていないということがはっきり分かる出来事だと思う。


・本格的な復帰は2006年の代表合宿。ジーコと話し合いを持ったという。おそらくコンディションを徐々に上げて行きたいという話しをしたのだと思う。「ワールドカップに行きたい」と珍しくはっきり言ったようで、ジーコは「彼の気持ちは理解した」と報道陣に語った。


・アメリカ戦で久々の復帰。ワントップで試されるがいいプレーは出来なかった。しかし、次のフィンランド戦では久々の復帰ゴールを決める。インド戦では2ゴールを上げ、徐々にコンディションが整っていっているように思えた。ジーコも「日本の核となることを期待している」とコメント。


・しかしコンディションはそこから上がってこず、Jリーグでも精彩を欠くプレーをしている。ボスニア戦、エクアドル戦でもいいところが無かった。おそらく、この頃は久保は本大会に向けてセーブしてプレーしていたのではないかという気がしている。ジーコからもお墨付きっぽいコメントが出ており、怪我を再発させないことを意識していたのではなかろうか。


・結局、本大会メンバーには選ばれなかった。落選の一報は体のケアのために山形に行っていた帰りの新幹線の中で、嫁からの電話で聞いたと言う。マリノスのクラブハウスでは怒りの怒号が出たというウワサもあった。


・広島時代のチームメイト、藤本主税は自身のブログにて「巻の選出はサプライズじゃないけど、タツの落選はサプライズ。彼は絶対に日本の力になれるはずなのに」と語った。


・母校、筑陽学園では両親や恩師が集まり記者会見の準備が行われていた。落選のニュースが流れると、お通夜状態となり、両親は周囲の人々に頭を下げて退室した。


・前回の落選とは違い、大きいニュースとなった今回。クラブハウスではしっかりと記者会見に答える久保の姿があった。「一緒にたくさん練習した仲間なので、頑張って欲しい」とエール。

 記者「落選した原因は何だと思いますか?」

 久保「・・・・・・なんでなんすかね・・・・・・・・」


正直、記者を殴りたくなった。


・久保は見るものを虜にさせる。サポーターやファンだけでなく、周囲や指揮官もそうだ。トルシエもトムソンもヴァレリーも岡ちゃんも水沼も、久保を身近で見るにつけ、その才能やプレーにほれ込み起用し続けた。一度そのプレーの虜になると中々抜け出せない。ジーコだって何度も何度も久保を招集し続けた。最後の最後まで見続けた。しかし、久保のプレーは上がってこなかった。トルシエだって最後まで我慢した。しかし決められなかった。魅力がある選手であるが故の悲劇だと言える。

・岡ちゃんや水沼、高木は久保を信頼して起用した人々である。ファンという立場を一歩離れてみれば、久保という存在は指揮官にとっては「危険」な存在だと思う。虜になると抜け出せない。




<その他>


・結局、この頃の久保はメンタル的に問題を抱えていたように思う。怪我への不安、代表落選、家族の問題。それはピッチ上に出ている。特に、もらうカードが急造していることからも分かる。2000年前後から退場はほとんど無かったのに、2004年ぐらいからは突然試合中に一発レッドを食らったり、不必要なカードをもらうようなシーンが頻発している。


・福岡戦では難易度Eのループを沈めた挙句に、柳楽とメンチを切りあい頭突きして退場。これには笑ったが、サポからすれば笑えまい。


・家族の問題とは、第2子が怪我をしたこと。ポットをひっくり返して火傷してしまったらしい。久保が目を離したときに起こってしまった事件だっただけに本人は相当気に病んでいた模様。事実、これで復帰が遅れている。


・自分で服を買うことはなく、大体がもらい物らしい。多くは親友の奥からもらったもの。実際には奥と久保ではサイズが合う訳もないが「それをうーんと伸ばして」着ているとのこと。


・怪我をしてから食べ物に気を使うように。酒も控えめになった。


 「野菜は取り寄せてる。いいもん食ってると体の動きが違う」


とのこと。


・水沼、2005年ワールドカップ前の特番にて。これからの日本代表に必要なものは?という問いに答えて「久保」とだけフリップに書く。久保のコンディションが整うかどうかがキーで、それ以外は瑣末なこと、と言い切る。


・腰を痛めていたので、飛行機に乗っていたとき(おそらくマリノスのアメリカ遠征)では、通路に寝そべってみたらしい。が怒られてやめた。しかも床が熱かったとのこと。


・代表では交渉して腰の負担を減らすためにファーストクラスをゲット。「寝心地?良かったです。」


・ずーっとリハビリで練習場をグルグル回る日々。2005年途中には相当イライラしていたと自ら語っている。「もうやめようかと何度も思った」と言う。広島に移籍してきての練習後「リハビリしている姿ではないところを見せたい」と言っていたように、本人としても忸怩たる思いがあるのだろう。


・たまに久保が四股を踏むようなストレッチをしているときがあるが、アレはトレーナーに指導されたものらしい。あれで自分の膝に「まだやれるか?」と言い聞かせているのだとか。


・書き忘れネタ。「ドラゴン久保」は、あまり広島時代は言われていなかったあだ名。マリノス移籍してから定着した。なのでサンフサポはあまり「ドラゴン」と言わない。


・子煩悩と言われているが、本人曰く「そういうわけじゃなくて、娘とは馬が合う。人間的に合うから。」とのこと。


・ディズニーランドは嫌い。一度行って、並ぶのが嫌だったので二度と行かないそう。

 「でも嫁は行ってるみたい。なんか首にぶら下げて帰ってきとるし。」


・スーパーサッカー2度目のインタビュー。

 加藤「ワールドカップのドローがありましたけど」
 久保「ドローってなんすか?引き分け?」

・スーパーサッカー3度目のインタビュー。

 加藤「なんで古いご飯にカレー掛けて食べるのが好きなんですか?」 
 久保「だって熱いご飯にカレー掛けたら・・・熱いじゃないスか」


・でも・・・

 ※移籍後記者会見にて

 記者「スーパーサッカーです。加藤さんが久保さんのことをだいぶ気にしていて・・・なにかお伝えすることありますか?」

 久保「いや、別にないっす。」




結局、久保は久保である。

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posted by Lee |18:27 | 久保竜彦 | コメント(11) | トラックバック(0)
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2008年01月26日

【お好み焼き】久保ヒストリーおさらい編その3【食べたいです。】

コメント返信滞ってますが、すいません!とりあえずこいつを書き上げてしまいましょう!


http://www.sanfrecce.co.jp/community/movie/


会見の動画公開されております。お暇な方はどうぞ。



以前のヒストリーはコチラ。



【背番号は】久保ヒストリーおさらい編その1【サンキューです。】

【成長したのは】久保ヒストリーおさらい編その2【しゃべりです。】





■栄光、そして怪我との戦いの始まり。


<Fマリノス編>

・移籍してきたタイミングで岡田監督が就任。外国人選手も久保に会う選手を取る、との説明を受けて居た模様。ちなみに、久保に会う選手、というのはわからないとしても、合わない選手ははっきりわかる。運動量が少ないポストプレイヤーである。背番号は9。広島では10番だったので、10番をつけさせたい奴はサンフサポということが簡単にわかる。


・キャンプ、プレシーズンマッチで色々試した岡田監督は、1トップとして久保を起用することも考えていたようだが、やらせてみて「ワントップは合わない」とあっさりあきらめたという。これを引用して「久保にワントップは無理」と主張する人も多いと思うが、結局「典型的なポストプレイヤーとしてのワントップ」に向かないだけの話であって、チームのやり方しだいなんじゃないの、とは思う。


・移籍当初はプレシーズンマッチからなかなか点が取れなかった。岡田監督は「彼は何かと時間がかかるタイプ。心配していない。」と評している。本気で心配していなかったかどうかはわからないが「何かと時間がかかるタイプ」なのは間違いが無いだろう。


・サポはどうなのか知らないが、一部には獲得を疑問視する声もあからさまにあったらしい。以下サッカーマガジンの特集から。

  金田「しかし、久保はどうなんかのう?覚えなきゃいけないことがたくさんあるで、あれは。」
  木村「しかしサンフレッチェではパスの出してが居なかったということもある。」

怒り心頭に達した管理人は、その昔木村和司にサインしてもらった日産のユニフォームをフリマで売っぱらってやったのだった(実話)。


・第3節のヴェルディ戦で初ゴール。大体久保というとスロースターターなので、大体初ゴールは3節ぐらいという相場が決まっているものである。しかしその後は沈黙。借りてきた猫のようなプレーが続いた上、チーム成績も浮上せず、久保に対しての風当たりも厳しくなってくる。ジェレミー・ウォーカーは岡田監督に「久保にプレースタイルを変えるように指示したのか?」と質問を浴びせ「何が飛び出すかわからないチョコレートボックスのような久保のプレーが失われた」と嘆いていた。


・そして迎えたアウェイの鹿島戦。柳沢が先制ゴールをあげる苦しい展開だが、ここでチームを救ったのは久保。ドゥトラのクロスをDFと競り合いながらジャンプした久保は胸でワントラップしてボレーシュート。

  解説木村「やっと・・・久保が点取りましたねえ~」

さらに鹿島の緩慢なパスをカットした遠藤のクロスを高々と舞い上がってのヘディングシュート。さらには華麗な動きでDFを外してインサイドで流し込んでの3点目。リーグ戦では自身初となるハットトリック(※広島時代ではナビスコでハットトリックしている)を達成し、鹿島を粉砕する。この試合を持って久保は真のエースと認められたといえるだろう。


  解説木村「他にもチャンスありましたけど・・・でも3点取れば十分ですし。」


本格的に木村和司を嫌いになった瞬間だった。さらに2ちゃんねるで見た名言。


    1点目を見てビエリかと思った。  ←情報どうも!
    2点目を見てトレゲゼかと思った。
    3点目を見てアンリかと思った。
    インタビューを見たら久保だった。


NHKで放送されていたこともあり、この試合で久保の強烈なゴールは全国に名を轟かせた。


・この試合から上昇気流に乗った久保とマリノス。さらにガンバ戦での2ゴールも度肝を抜いた。クロスに対してマークしていた新井場を遥かに上回る高さからヘディングシュートを叩き込み、さらに後半には奥からのクロスをジャンピングボレーで叩き込む。試合後のインタビューにて、


   「トラップするのがめんどくさかったんで・・・」

と述べたことにより、このプレーは『めんどくさボレー』と称されるようになる。


・そのままファーストステージを制したマリノスは、セカンドステージも苦しみながらも勝ち点を重ねていく。久保は怪我で離脱することもあり、なかなかコンスタントな活躍が出来ていなかった。


・しかし次節に最終節・ジュビロ戦を控えた仙台戦、またもや爆発。奥のスルーパスに反応し、左アウトで引っ掛けてカーブシュートを決めて先制。再び奥からのパスを振り返って左足インステップで叩き込んで2点目。そしてクロスに反応し、GKが弾いたボールを冷酷に突き刺してこのシーズン2回目のハットトリック。残留争いをしていた仙台サポを奈落の底に叩き落す一戦であった。


・そして最終節。ジュビロ、鹿島、マリノスに(一応ジェフも)優勝の可能性があった最終戦。先制された上に、GK榎本がグラウへのラフプレーで一発退場になる苦しい試合だったが、ここでも久保が窮地を救った。同点ゴールはマルキーニョスだったが、ニアサイドに飛び込んできた久保が頭でそらしたボールを押し込んだもの(わかる人はわかると思うが、実に珍しい。多分とっておきのサインプレー)。そしてロスタイム。ゴール前にふわりと上がったボールを山西が躊躇してバウンドさせてしまった瞬間に久保がダッシュし競り合いながらヘディングシュート。マリノスが逆転し、ジュビロの優勝の可能性が消える。一方、他会場では終了間際に鹿島が同点ゴールを許し、そのままタイムアップ。マリノスが両ステージ制覇を決め、久保がプロサッカー選手として勝ち取った、初めての栄光の瞬間だった。


・この試合では、珍しく目を真っ赤にしながらインタビューに答える久保の姿があった。

   「応援のおかげです、ありがとうございました」

と、めずらしく殊勝に感謝を述べた言葉はか細くて聞こえなかったが、

   「朝まで飲みたいと思います」

という声ははっきり聞こえた。



・ちなみにこの試合にマリノスが勝たなかった、あるいは鹿島が優勝していた場合にはチャンピオンシップが行われることになっており、東アジア選手権ともろかぶりだった。そうなった場合、久保は当然東アジア選手権に出ることは出来ず、その後の予選に出ることもかなわなかっただろう。オマーン戦、久保が居なかったら・・・。



・2004年シーズンはアンジョンファンと2トップを組むことになる。マスコミ曰く「日韓ツートップ」である。アンジョンファンは久保のことをかなり認めていたようで、お互いがお互いをかなり意識したプレーをしていた。久保はというと

    「アンはめちゃかっこいい・・・かっこいいよ・・・」

と奥の嫁に語っていたそうな。


・この2004年シーズンはマリノスはACLに出場。久保はそのときに対戦した城南一和の印象が本当に強かったようで、「今までやってきた中で一番プレスが凄くて、玉際が激しかった。でもめちゃくちゃ楽しかった。」と語っている。


・しかし日本代表でもエースとなった久保には休養は許されず、マリノスでコンディションを戻すと代表につれていかれ、マリノスでは控えという状態がずっと続いていた。慢性的な腰痛、膝痛にも悩まされ続けることになる。


・ファーストステージはある程度試合に出ていたものの、セカンドステージはほとんど試合に出ることが出来ず、ついに久保は完全離脱。ここからが久保のつらく厳しい戦いの始まりになったのだった。


・マリノス時代の久保は、ドリブル突破やロングシュートよりもクロスへの対応から点を量産していたように思う。ダイレクト志向の強いサッカーではあったが、DFラインの背後を一発で狙うような動きよりもサイドアタックが中心だったせいだと思う。久保もポストプレーが上手くなった。



<日本代表編>


・ジーコはかねてから久保の能力を高く評価していた。2003年になってから何度か召集したもののいずれも久保は怪我のために辞退。ぎりぎりのタイミングと思われる東アジア選手権でひさびさのA代表マッチとなる。この試合には海外組を呼べなかったため国内の選手のみで戦うことになったが、そこで小笠原との相性の良さが生かされる。中国戦では幾度も小笠原のスルーパスに飛び出す姿が見られた。この試合で2ゴール。韓国戦、香港戦でも相手に脅威を与え続け、久保の能力の高さが代表レベルでもようやく認知されるようになった。



・年が明けてテストマッチで2度使われるも緩慢なプレーに終始。大体久保はスロースターターなのでこの時期はそんなもんなんだけど。



・そしてオマーン戦。俊輔がPKを外す危険な展開。柳沢と変わって後半から登場した久保は圧倒的な高さでオマーンゴールを脅かし続ける。しかしゴールを割ることが出来ず迎えたロスタイム。ゴール前のこぼれ球を拾った久保は落ち着いてワントラップしてGKのタイミングを外すとそのまま決めて日本を救う。


・しかし直後には、例の「キャバクラすし投げ事件」が発覚。代表を外される。


 「本当のことばかりじゃないけど、すいません」


と語っていたのが印象的。代表選手は大変です。



・ジーコは相当怒っていたものの、キャバクラセブンのうち、久保は一番最初に返り咲いた。しかしこれは鈴木・高原の離脱に伴うもので、わざわざジーコは「久保は隆行が呼べないから呼んだ」と断っていたほどだった。



・しかし東欧遠征で久保は爆発。ハンガリー戦では玉田と好連携を見せ、続くチェコ戦では裏に飛び出して強烈な左足シュートを叩き込む。目が覚めるような強烈な一撃だった。とはいえ、久保曰く、「親善試合だったから、DFが軽かった」とあっさり振り返っていたが。


・これでジーコの評価を一躍上げた久保は、イングランド遠征でエースナンバー9を手に入れる。それまで9番を付けていた高原が合流しても、9番は久保のままだった。アイスランド戦ではDFをあざ笑うかのように交わしてGKとの1対1を制し、小野からのロビングボールに反応して右足でGKの頭上を越えるシュート。イングランド戦では見せ場こそなかったものの、帰国後のインド戦では三都主のクロスから「めんどくさボレー」で先制。さらにロングボールを高々と舞い上がってヘッドで落とし福西のゴールをアシスト。俊輔のFKのゴールの前のファウルも久保が得たもので、「久保こそ待望の日本のエース」という雰囲気が漂うようになったが、その代償にこの試合では痛みを訴えて前半で交代してしまう。遠征では久保は時間限定にして欲しいというマリノス側の願いをジーコが無視(あるいは知らされていなかった)形になってしまい、そのツケが回ってきたとも言えるだろう。アジアカップは辞退。予選もインド戦には呼ばれたものの満足にプレーできる状態ではなかった。


<その他>


・スーパーサッカーにて加藤が行ったインタビューは世間の度肝を抜いた。どんなときが気持ち良いか、という問いに答えて「ゴールにこう・・・ぱさーっと入るところが気持ちいい」と答えたところから、久保のゴールは「ぱさぁ」と称されるようになる。


 加藤「またインタビューしに来てもいいですか?」
 久保「長くなりますか?」
 加藤「今日ぐらいだと・・・長いっすか?」
 久保「そうっすね・・・早く帰りたかった。結構。」


・完全制覇後にはやべっちFCにも出演。「巧」してました。また、番組中、中澤のDFを褒め称え「練習でいつか抜いてやろうと思ってるんだけど全然抜けん」とカミングアウト。また岡田監督は「久保は結構頭を使っている」と語っていた。


・岡田監督は普段の生活をしっかりすることがピッチでの一瞬につながるという考えを主張していた。ロッカーをきれいにしたり、ランニングのコーンでもしっかり外側を回る、など。ちなみに久保はどちらも不真面目であったことが暴露されている。


・親友、奥とは家族ぐるみの付き合い。奥の嫁の日記にはたびたび久保ネタが登場。

 →奥の電話につながらないときに日菜子の電話に掛けてきて「あ、オレ。」
 
 →「大さんはパズーに似とるな。子供キャプテンじゃ!!」

 →「ドナドナ」の歌を「バニャバニャ」と子供に歌っていた

などなど多数。


・とにかくこの頃は久保のインタビューが世間様の目に触れることが多くなったため、「よかったです。」「頑張ります。」を連発する久保に面白みを感じた人も多かったが、反面久保を良く知らない人から「プロとしてあの姿勢はおかしい。インタビュアーをバカにしているのではないか」という非難も見受けられた。


・この頃から将来の夢はトラックの運転手ではなく、田舎で農家に替わった模様。「横浜に来てよかった」とは語るものの「将来は都会はいやじゃ。嫁はいやがるかもしれんが。」と言ったりしている。


・ともかく、2003-2004年の半ばに掛けては久保のサッカー人生でももっとも幸運だった時期ということが出来るだろう。優勝し、代表ではゴールを決め、母校は高校サッカー選手権で準優勝。


・そしてこのシーズンはなんと行っても広島がJ1復帰を決めている。最終節のフロンターレ戦のスタジアムには久保の姿があったそうだ。大木との会話。

 久保「なんでそんなに守備するん?」
 大木「それがオレの持ち味よ。」



次が最後・・・かな?

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posted by Lee |02:29 | 久保竜彦 | コメント(6) | トラックバック(0)
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2008年01月25日

【成長したのは】久保ヒストリーおさらい編その2【しゃべりです。】

その1はこちら。


【背番号は】久保ヒストリーおさらい編その1【サンキューです。】


いよいよ久保が世間に知られ始めてから。このあたりになるとボチボチ記憶が鮮明になってきますなあ。


■マリノス移籍までのお話


<サンフレッチェ編>


・1997-2000まで、エディ・トムソンに率いられた広島。武器はガチガチの守備と久保の速さを生かしたカウンターアタック。思えばこの周囲のサポートが少ない状態であればこそ単独で行ける久保の能力が磨かれたとも言える。広島は上位陣を苦しめ、下位にあっさり負けるという試合を繰り返していた。

「海外?行きたくない。メシがまずい」

は記憶によるとこの頃のオーストラリアキャンプの影響ではなかったかと思われる。


・柏戦での2ゴールはまさに久保。DFの裏を突いて左45度から放った低空の弾丸シュート。そして右45度から柔らかく巻いてのシュート。豪快さと繊細さを併せ持つ久保の魅力が凝縮された試合と言える。当時柏にいたホンミョンボは「日本のFWで一番怖いのは久保。日本人のFWは教科書通りのプレーしかしないので読みやすいが、彼は何をしてくるか全く分からない」と評していた。


・コパ・アメリカを辞退するなど、ちょいちょいと怪我をしていた久保だったが、本格的な長期離脱が1999年シーズンに起きる。忘れもしない鹿島戦。にっくきビスマルクに踏みつけられて緋骨骨折でシーズンを棒に振る。走っている最中に、後方からふくらはぎを踏むという悪質極まりないファウルだった。未だにこれを嘆く人は多い。この離脱が無ければ、この年は日本人得点王となり、広島は天皇杯で優勝し、久保は代表にももっと早く慣れたはずだという主張もあった。中には骨折前の久保こそ本来の久保であり、その後はプレーの凄さが落ちたという人まで居るほどだ(僕はそうは思わないけど)。


・怪我は長引き、2000年シーズン、広島は得点力不足に悩まされることになる。トムソンは久保の復帰を何度も促したが、久保は「痛みが引かない」と言って首を縦には振らなかった。メディカル的には問題が無かったため、かなりスタッフとの間で軋轢があったとも言われている。


・シーズン途中で突然の復帰。しかし、本来には程遠いプレーが続き、一部では「久保は終わった」という声すらも聞こえてくるほどであった。


・それでもたまには凄いプレーが飛び出す。FC東京戦では売り出し中だった小峰をドリブル突破で振り切ってPKをゲット。さらにサイドからのロングクロスをエリア外の角度の無いところでワントラップすると落ち際をアウトに掛けて強引にシュート。強烈な軌道で曲がったシュートはポストを叩いたが、どよめきはしばらく消えなかった。この試合の後、様々な感情を込めたトムソンの名言があった。

「久保はアウト・オブ・スタンダード(規格外)。我々の持っている物差しで彼を図ることは出来ない。」

・復帰後の初ゴールはマリノス戦。藤本のロングパスに一気に抜け出すと、利き足と逆の右足をぐいっと伸ばしてそのままダイレクトボレー。意表をつかれた川口のあざ笑うかのように逆サイドネットを揺らした久保のゴールにビッグアーチが揺れた。その後、例の名言が飛び出す。

「スタジアムに来てくれた子供たちに一言!」「・・・勉強、頑張ってください」

オマエが頑張れというツッコミと共に、再びビッグアーチが久保劇場となったのだった。


・しかし、最終節で2ゴールを上げて3年連続二桁得点としたものの、このシーズン通じてプレーは不安定。完全復活は次のシーズンに持ち越しとなる。最後の試合でのゴールをトムソンは嬉しそうにこう評したという。

「彼はいつもそうだ。試合から完全に消えているかと思っていると、突然出てきて点を取る」

このシーズンでトムソンは広島を離れる。


・トムソン最後の試合に際しての久保。記者に「恩師の最後の試合だけど、特別な思いはある?」「別にないっす」「この試合だけ頑張れるのなら、もっと前から頑張らないといけないから」と発言。結構深い。


・次のシーズンはヴァレリーを迎えて3トップ。先シーズンとは180度違う戦術に広島は苦しんで守備が崩壊し、J2降格の危機を迎えてしまう。とはいえ、久保のプレーそのものは悪くは無かった。


・特に、トムソン時代から課題だった「久保のパートナー」にシーズン途中から選ばれた大木勉とは変幻自在のコンビネーションプレーを見せ続ける。そもそも大木は半年契約で、シーズン途中で結果が出なければ自動的にクビだったが、チャンスを得たナビスコカップでゴールを決めて契約延長を勝ち取る。このゴールをアシストしたのは当然のように久保だった。


・しかし、残留がかかって残り5試合での久保の働きは凄まじく、神戸戦で1ゴール、ガンバ戦ではオウンゴールを誘い、清水戦では2ゴール。磐田には負けたものの、最終節でも2ゴール。特に清水戦の超ロングシュートはサポーターの間では伝説のゴールとなっている。この年は自己最高の15ゴールを上げた。


・ヴァレリーは1年でチームを去ったが、久保を「彼の能力なら15ゴールは物足りない」と評した。「右足のシュートを磨けば30点取れる」とも言っている。


・思い出したくもない2002年。久保は極度のスランプに苦しむ。色々なことがあったが、結局ワールドカップの落選が一番堪えたのではないかと思う。レギュラーポジションを外されてさらにモチベーションを低下させてしまい、結局シーズンではわずかに7ゴールに終わる。天皇杯では久保のプレーは復活したものの、広島はJ2落ち。


・っていうか振り返りたくないのでこのシーズン割愛したい。


・そして久保は移籍を決意する。本人曰く「他所でやれるのかとか、知らないところで大丈夫かとか、メチャメチャ不安だった」そうな。年俸交渉の場で久保から「移籍させてください」と頭を下げられた今西は、残念に思いながらも「こいつもここまで成長したか」と、感慨深かったという。


・複数チームが手を上げたが、レンタル移籍を認めないと広島が宣言したため、磐田かマリノスかに絞られた。マリノスを選んだのは、奥が居るからとか、年代が近い選手が多かったとか、名波に代表でこき下ろされて苦手だったとかいろいろ言われているが本当のところは不明。


・久保がマリノスに出した条件は「広島の言うことを何でも聞いて下さい」ということだけだったとも言われている。マリノスは満額の移籍金を提示して、それに答えた。





<日本代表編>


・トルシエジャパンになっては久保は常連となったが、とにかく年度別代表に選ばれたことも無ければ広島の選手もいない久保にとっては相当苦痛だったようで、行きたくないと駄々をこねる事が多かったという。たいした怪我でもないのに辞退したりなどをしていた模様。時には町内会の会合に出るから嫌だということもあったそうだ。スパサカインタビューによると、「飛行機の乗り方もわからんし、嫌」だったとのこと。


・そんな中、久保の話し相手になっていたのは後に親友となる奥大介だった。これはワールドユースで同期だった大木が、代表に選ばれたことを心配して、安永と奥に「面倒見立ってくれや」と連絡したからだという。ちなみに久保は大木の作ったカレーも大好きだ。


・サッカーマガジンでの伊東輝のインタビュー。

「他の選手と話する?若手の久保とかどう?」
「いやー、僕も絡もうとしてみたんですけど、僕と久保ではまったく会話が続かなかったです。でも奥には心を許しているみたいですね。」


・アジアカップでは出番を貰ったものの、まったくボールに絡めず前半にて交代される。何気に優勝メンバーではあるのだが、本人は全く嬉しくなかっただろう。


・途中出場が苦手な久保は全く結果が出せなかったが、トルシエは久保には相当期待をしていたのは間違いがない。いい例は鈴木隆行がブレイクしたコンフェデの決勝戦。0-1の状態からトルシエが最後に切ったカードは久保だった。結果も出ていないのに。久保も珍しくやる気を見せたプレーをしていたが、ゴールは奪えず。鈴木の台頭で久保は出番を失っていくのだが、この頃から逆に久保は代表でのプレーに魅力を感じて行ったらしい。


・ワールドカップは無理だろうと思われていたが、直前のヨーロッパ遠征にまさかの召集。トルシエはフランスに粉砕された後チーム作りをやり直したが、その一環だと思われる。個人能力に優れる久保を切り札と考えていたのだろう。


・長期合宿で周囲との仲も深まっていき、久保のプレーもそれにしたがって自分を出していけるようになる。特にポーランド戦では再三鋭いプレーを見せてゴールに迫る。そしてトルシエからこのコメント。


「久保は面白い武器。彼の自己表現のなさの謎がようやく解けた。それは彼は1230年に生まれて、ずっと冷凍されて、ある日突然見つけられました。だからまだ現代文明のコミュニケーションに慣れていないんです(笑)。」 
  

メディアも久保が最終兵器との印象を強め、妙にプッシュが強くなる。


・しかし、最終的にはゴールを奪うことは出来なかった。テストマッチの最終戦、ノルウェー戦で久々に先発した久保はチャンスを生かせず前半で交代。トルシエの最終テストだったのだろう。ノルウェーに惨敗した日本代表は、中田の提案で宴会を開いたが、そこには痛飲して饒舌になった久保の姿があった。


・そして2002年のメンバーからは落選。高原の離脱で確実といううわさもあったが・・・。落選後、全く連絡が取れなくなった久保を周囲は本気で心配したようだが、家族と温泉に行っていたという。久保の代わりは中山だった。



<その他>


・ビスマルクに骨折させられたあと、追い回して報復してからピッチを去ったというウワサもあるが、アレは記憶にない。っていうかそれはウソじゃなかろうか?ただし、怪我をしてピッチから出されたが、怒り狂ってピッチに飛び出そうとしていたという記事は読んだことがある。


・一時ツートップを組んだ森山は久保を「理想のFW」として上げている。より野性に近いことを理想としていた森山にはピンときたんだろう。「久保に感性を合わせてあげればいいだけ。」いや、それ、むずかしいっしょ。

・ガンバにいた山口敏も語っていた。「久保がナンバーワンに間違いが無い。一緒にやってみればわかる。存在感が違う。」


・長女誕生。趣味は子育てに変化。


・当時のヴェルディ総監督だった李国秀も久保を高く評価していた。「久保君の怖さは、Jリーグの監督なら誰でも知っている」という言葉が出たのは、おそらくJリーグオールスターでのこと。ちなみにあの手の試合での久保は大体ロクなプレーをしない。


・お化けが怖く、寮から出るときに「あの部屋は出るらしいで」と冗談でチームメイトが脅すと部屋を変えてしまったらしい。


・ネクタイが上手く結べないらしく、下のほうが長いときがしばしば。


・子供の頃、キン肉マンの単行本を親に買ってもらえなかったらしく、子供になんでも買い与えるものじゃないというのが身上。ちなみに好きな超人はバッファローマン。


・車はシボレー。しかし、地元のラジオ放送でアナが「久保さんはシボレーがお好きなんですよね?」と場を和ませようとすると、突然不機嫌になったというウワサもあり、なんだかさっぱり分からない。


・御殿場で代表の合宿に参加したとき、駅から乗ったタクシーの運転手に高原と間違えられたらしい。


・代表の遠征でヨーロッパに行ったときに、空港において久保1人だけやたらと厳しいチェックをされた模様。


・スガシカオが広島のイヤーブックに久保のコラムを書いていた気がするんだけど・・・なんか忘れてしまった。覚えてないすか?



まだ続くよ。

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posted by Lee |21:34 | 久保竜彦 | コメント(7) | トラックバック(0)
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