2009年03月24日
★30代最後 19年ぶりのチャレンジ 東京マラソン2009★
マラソンなんてもう走らないと大学の卒業旅行の記念に ホノルルマラソンを完走したのは1990年12月。 あれから19年ぶりにマラソンを走った。 この1年は、大学院での研究、二つの会社を兼務、そして結婚と いままでに増して忙しく、社会人になってからの19年間で 最もスポーツができなかった年だった。 そんな中、1ケ月前からあわてて、週末の10km走と平日2回の5km走を 始めた途端、ヒザの痛み。運動不足である。 ひざが痛くて走れないから、プールで歩く、 そして、知り合いの紹介で沼津の神の手と呼ばれる先生に 治療してもらい、また走れるようになった。 しかし、今度は10日前に風邪をひいてしまった。 サーフィンもあまりできていないからか風邪をひきやすい。 1度の注射で治らず、本番10日前までに2度も注射を打った。 4日前にようやく回復し、あわてて、10km走、3日前に5km走、 2日前には、筋肉をほぐすつもりでサーフィンをして5km走で リカバリーしようとした。 前日に、東京マラソンExpo会場で、無料マッサージしてもらったのだが 私の足をマッサージしながら、「危険信号が出てます」と言われて。。 とにかく、時間がなかったので、帰宅後は、湯船につかり、念入りに マッサージをし、本番に臨んだ。 スタートの合図とともに、走りはじめたのだが、以外にも 自分としては、前半は好調なタイムだった。25kmまでは。 20km過ぎあたりから、雨が降り出し、体が冷えてきて 太ももが一気に三か所つってしまった。 これは、もう走れない、歩くしかない。いや完走もできないかも知れないと頭をよぎった。目標は学生時代のホノルルのタイムであったが、 完走もままならない気持ちだった。 特に雷門周辺では、ほとんど歩いた。歩くのもつらかった。 そして寒かった。 15km地点くらいまでは、スポーツドリンクも 飲まずに快調に走っていたが、ここはもう楽しんでいこう 色んなものを食べて、飲んでいこうと思い、ポケットに 入れていたレーズンを歩きながら食べた。そして、アミノバリューを 各ポイントで飲み続けた。 しかし、さすがに体が冷えて、寒さに耐えられず、救護班へ駆け寄り カッパが欲しいと懇願した。 「個人的なものだけであげます」と女性ボランティアスタッフがカッパを くれた。そして、両足太ももに、念入りにエアーサロンパスを ふりまいた。 浅草の沿道からの声援が、心にしみた。 おばあちゃんが、これおいしいから食べなさいと何かくれた。 かりんとうだった。なかなかのどの通りは悪かったが、 歩いているうちに体が温まり、痛みも和らぎ、気がつくと走っていた。 あとは、歩く、走るの繰り返し。40km地点では平井アナウンサーに 抜かされてしまったが、最後は、切り良く5並びのタイムを 狙ったのだが、5時間5分56秒と1秒オーバーしてしまった。 ▼ラップタイム▼ 19年前のマラソンを走った時との違いは、 ・iPhoneを付けて走ったことで、妻と電話連絡を取りながら、 途中4箇所で応援してもらえたこと。 ・たばこをやめていることで、肺が苦しいとか胸が苦しいということは なく、ただ、太ももの痛みだけだったこと。 ・そして、何よりも東京の街を途切れない声援がコースをつくっていたことで、最後まで頑張れたと思う。 自分の準備がもっとしっかりしていれば、絶対に19年前の タイムも超えられたと思った。 そう、変わったことは、またこの東京マラソンを走りたいと 思ったことだ。 最後に、東京マラソンで初めて、メタボランティアメンバーの一員として 「飢餓の子を思いながら自身の健康を増進させます!」という思いを胸に アフリカの子供たちへチャリティを行う目的で走りました。 メタボリック症候群といった、贅沢な国の病気とは逆に、 飢餓に苦しむ子供たちが世界にはあるんです。 減ったカロリー分だけ、その子供たちに寄付する。 走ることで、誰でも貢献できること。 スポーツ+1のアクションをしてみてはいかがでしょうか?
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posted by hsekiguc |08:46 |
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