2009年02月05日

田村勤 with determination

NPB史上、200勝を達成した投手は次のとおりとなっています。


■通算勝利数
400 金田正一 
350 米田哲也 
322 小山正明 
317 鈴木啓示 
310 別所毅彦 
303 ヴィクトル・スタルヒン 
284 山田久志 
276 稲尾和久 
254 梶本隆夫
251 東尾修 
237 若林忠志  
237 野口二郎  
222 村山実 
222 工藤公康※
221 皆川睦雄 
215 杉下茂 
215 村田兆治 
213 北別府学  
209 中尾碩志
206 江夏豊  
203 堀内恒夫  
201 平松政次  
200 藤本英雄 
200 山本昌 ※
(勝利数は2008年8月4日終了時・※は現役選手)  


錚々たる顔ぶれが並んでいますますね。
しかし、投手にとって勝利数だけが全てではない。もっと大切な何かがあってもいいと想う。

僕はその大切な何かの一つが、どれだけボールが白いかだと想う。
そして、これまで観てきた投手で最もボールが白かったのが元阪神の守護神・田村勤だ。

田村勤の最初の登板を僕はよく覚えている―
入団して間もない1991年4月にワンポイントリリーフで広島戦に登板、
当時広島の主軸だった小早川毅彦に逆転満塁ホームランを浴びた。
ラジオでそれを聴いていた僕は田村勤のボールの白さなど知る由もなく、ただただ呆然としていた。
しかし、次の日、彼が登板して左腕から描く弧をみてTVの前で僕は驚いた。
その弧はそれまで観てきたどの投手の弧よりも白かったのだ。

江川よりも郭よりも小松よりも―

どんな豪速球を持つ投手よりも彼の描く弧は白かった。
田村勤の立つマウンドには綺麗な白弧と共に140キロに満たないスピード表示が残された。

左のサイドから描かれる白弧は1992年のシーズンに入るとより鮮度をあげた。
それとともに田村勤に託される役割も左の中継ぎからクローザーへと格をあげた。
田村勤の描く白弧は打者のバットをすり抜ける。
しかし、僕はそのボールの眩しい程の白さに、何か嫌な予兆を感ぜずにはいられなかった。

田村勤はその当時のことをこう語っている。


 『今日が最後のマウンドになるかもってずっと思って投げていた』

 『もう終わったって感覚でしたね』


田村勤は知っていた。
遠くない未来に自分の左腕に訪れる破滅を。

田村勤はそれでも投げ続けた、破滅と引き換えに彼は誰よりも白い弧を描けたのか―

1992年の阪神は数年ぶりに上位で奮闘していた。
勝利のマウンドには田村勤が常にといってもいいほど立っていた。


しかし、6月に地方球場で行われた対大洋(現・横浜)戦で、沈みいく太陽が静かに見守る中
田村勤の描きかけた白弧は、大洋・進藤のバットに捕えられバックスクリーンへと消えていった。
そして、照明施設のない地方球場に漆黒が迫り、試合は順延となる。


その日を境に白弧の煌きに翳りがさし、田村勤は打ち込まれ始めた。
そして、左肘の故障を隠し切れなくなり田村勤は後半戦のマウンドにあがることはなかった。


1992年 5勝1敗14セーブ 防御率1.10


そして、それからの田村勤を僕はよく知らない。




続きを読む...

posted by hk |20:03 | 殿堂入り | コメント(1) | トラックバック(0)
このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをはてなブックマークに登録 newsing it! このエントリを Buzzurl に追加