2007年02月20日
永遠のファンタジスタ
その背中が語るものはあまりにも切なく、そして残酷だった。 94年のアメリカワールドカップ。 サッカー不毛の地アメリカはその時期炎天下だった。 僕の目に永久に焼きついたもの、 背番号10番、後ろ髪を縛った小さな選手はその場に立ち尽くしていた。 ロベルト・バッジョ その後姿を見たとき、なんて残酷で、なんて悲劇で、そしてなんてカッコイイのだろうと思った。 本物の悲劇のヒーローだった。 僕の中でブラジル優勝以上のインパクトを残した94年バッジョ。 バッジョはイタリアを愛しつづけ、そして嫌われつづけたのかもしれない。 ユベントスでプレーしていた頃、彼はサッカー界の中心にいた。174cmの細身の体から魅せるのはまさにファンタジーだった。カテナチオと戦術がイタリアの歴史であり姿だ。ただバッジョだけは特別だった。イタリアの枠に入らない選手だった。ユーベの王様でありイタリアの王様だった、バッジョに誰もが憧れた。そして皮肉なことに一人に若者、バッジョに憧れていた一人の若手の存在がバッジョをユーベから追い払った。アレッサンドロ・デルピエロもう一人のファンタジスタの登場だった。 ユーベはバッジョからデルピエロにシフトを変更する。バッジョは追い出されるかのようにミランへ移籍する。しかし、このときのミランにはユーゴの天才サビチェビッチがいた。さらに監督はファビオ・カペッロでありファンタジスタも一人の駒でしか数えられなかった。 ミランでの二年は順風満帆なものではなかった。その後ボローニャに移籍し、バッジョは復活する。 自身三度目のワールドカップ98フランス大会でのポジション、デルピエロのサブだった。大会直前の怪我でデル・ピエロは本調子ではなかった。イタリアの10番はデルピエロのものでありバッジョは18番であった。 しかしこの大会でもバッジョは、自分の存在を見せ付ける。 「まだ自分はやれる・・・」 そう世界に示しているかのようだった。そしてワールドカップ後バッジョはインテルに移籍する。 しかしここでバッジョを待ち受けていたのは壁だった。 怪我、バッジョの細い足はすでに限界だったのかもしれない、そしてリッピとの確執。世界最高のファンタジスタは度々監督を困らせてしまうこともあった。 そのファンタジーはリッピやカペッロといった、ファンタジスタも一つの駒としてみる監督にとって危険きわまりないものだ。チームを勝利に導く技術はあるものの、破滅へと陥ることもあるからだ。 2002年ワールドカップ前にも沸き起こったバッジョ待望論。 誰もがバッジョの奇跡を信じていた。そして彼がトロフィーを掲げる姿を見たいと思った。 ただそれが叶うことはなかった。 2004年バッジョはユニホームを脱ぐ。 イタリアのために戦いつづけたバッジョはイタリアに見放され続けた。 悲劇の天才とはバッジョのことを言うのだろう。 誰よりもサッカーを愛し、誰よりもサッカーをやっていたバッジョ。僕は忘れない。あの背中を。 そしてバッジョは言っていた 「忘れないでほしい。君たちの足元には永遠にサッカーボールがあることを」
posted by hiro |01:47 |
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