2010年01月13日
ロッカールームのなかで ~パターン①~
「途中出場のチャンスは、いわば君にとってある種のはじまりを意味するんじゃないかな」 それだけ口にするとコーチはドアを閉めて立ち去っていった。 室内は静まりかえり、脱いだばかりのスパイクからはまだ生温かい芝生の匂いがした。足には疲労からくる痙攣がかすかに残っている。 彼はゆっくりとあたりを見回した後、コーチの言葉を反芻してみた。 「途中出場のチャンスは、いわば君にとってある種のはじまりを意味するんじゃないかな」 それは別の選手に向けられた言葉に思えたが、確かに彼に向けて発せられた言葉であった。ひっくり返しても、叩いても、明日の朝に思い出したとしても、凡庸な言葉だった。随分遠くまできたようにも思えたし、一歩も動いていないようにも思えた。結局それは同じことなのだ。少なくとも今の彼にはそう感じた。 これまでの彼は出場するためにはどんなポジションでも受け入れた。それは出場することで成長できると自分自身信じていたからだし、アピールする場を選んでいる余裕が1ミリもなかったからだ。結果的に彼はゲームに出場することで成長した。飛躍的に、と形容していい時期があったかもしれない。 しかし、いまはすべてが変わっていた。 ゲームに出場する機会は限定され、彼自身もポジションを選ぶようになった。そして、これがもっとも悲劇的なことだが、そのせいで彼はフットボール選手としての成長をストップさせていた。この世界で成長をストップさせるということは、ほとんど例外なく後退を意味する。 例外といえば、デニス・ベルカンプやライアン・ギグスのように年齢に応じてプレースタイルを変え、出場機会が限られたなかでキャラクターをみせることかもしれない。とはいってもサイコロを振って前に進むような単純なことではない。 移籍した当初、彼は出場機会を得ることをステップアップするための障壁だと捉えていた。預金通帳がインクでにじむ変わり、己に課せられた障壁だと。 「大丈夫よ、あなたは過去に同じ問題をクリアしてきたわ」 「イエス」 彼には以前同じ出場機会の問題はクリアした経験があった。しかし、彼の目論見はすぐに棄却されることになった。誰もがフットボール的ではないのだ。 政治的な判断や人種差別。オーナーの意向。これまで彼が顕在的か潜在的か認識していたはずのハードルが、嫌味なほどくっきりと姿を現した。ハードルを越えることは、彼の手持ちのカードでは不可能なのだ。 「いいじゃない。あたなは1週間ゲームに備えれば、バリ島までいってプールを一杯に出来るだけのビールだって買える。メルセデスやBMWだって買える。それは、はっきりいって非常に特別なことよ」 そんな言葉は余計に彼の気を滅入らせた。 世界中のフットボールが動きつづけていた。太陽の光や芝生の匂い、そして雨の音までが自分を置いていくような気がした。明日になれば、彼はまたトレーニングに参加するだろう。そして、日一日と劣化していく身体を、出場するそのときのために備えておくのだ。 ドアが開いた。 「マシュー・フラミニ、そろそろバスが出るよ」 誰かがそう彼に声をかけた。 【追伸】 このような拙筆のブログに訪れてくれた方、(だいぶ遅くなりましたが)あけましておめでとうございます。 本年も筆不精ながら更新していくので気が向いたら見にきてやってください。
posted by highbury |23:50 |
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