2007年01月22日
【Today'S S-PULSE】
2007年1月21日(日)
鈴与グループPRESENTS
澤登正朗引退試合
清水 1-2 ジャパンオールスターズ
得点者 長谷川健太
澤登が引退した。
もう一昨年前に涙の引退セレモニーが行われたのが今でも昨日の
ことのようだ。
今日は澤登のために日本サッカー界を代表する豪華ラインナップが
日本平に集った。
この日のために、体を作ってきたノボリの動きは軽快で、随所に
ボールのあるところに顔を出していた。1得点1アシストは流石。
笑顔あふれるさわやかな引退試合だった。
澤登といえば、自身もベストゴールにあげる99年チャンピョンシップ
第2戦の伝説のフリーキック。ミスからの失点、アレックスの退場、
あらゆるビハインドが集中した場面でのフリーキックで自身最高の
キックを出せる彼は本物の「ミスターエスパルス」だった。
このチャンピョンシップ最後のPK戦でエスパルスに敗北が告げられた
とき、当時監督のペリマンは涙でベンチから立てなかった。
それから6年、2005年11月26日、沢登は現役ラストゲームで
こらえきれない涙で家族を抱きしめ感謝を示した。
悔し涙も感動の涙も、エスパルスが歩んできた歴史の中にいつも
澤登正朗が存在した。
この2つの涙を決して私は忘れない。
ありがとうミスターエスパルス。
ありがとう清水の、日本の、そしてみんなのノボリ。
【S-PULSE'S HERO】
ミスターエスパルス
背番号10 澤登 正朗
YOU ARE A HERO OF S-PULSE FOREVER!
posted by hero |01:34 |
オレンジエスパルス |
コメント(1) |
トラックバック(0)
2007年01月14日
2006年11月30日、衝撃のニュースが流れる。
東京ヴェルディ1969は、DFで選手会長の柳沢将之選手と来期契約を
結ばないことを発表した。
確かに、今季の柳沢は怪我に悩まされ、リーグ戦出場5試合に留まり、
ラモス監督の構想からも外れているかの印象があった。
しかし、柳沢は入団からヴェルディの右サイドを支えてきた。J2に降格
した今季もチームに残り、選手会長として裏方での仕事もあったはずだ。
下部組織からの生え抜き選手でもある柳沢にこのタイミングで「0円提示」
を行うとは正直考えられない。
根占、久場、玉乃ら今後のヴェルディを支える若手も同様に契約を打ち切
られている。
今季、シーズン途中にも何度も選手の入れ替えを繰り返し、チームの根幹を
作れずに、7位とJ1昇格を果たせなかった責任はフロントにあるだろう。
そして、シーズン後の大粛清・・・。
この状況下でも、柳沢は冷静だった。自身の「ヤナギノブログ」で解雇を
知らされた当日に、サポーターに対する熱い感謝の思いを綴っている。
なかなか簡単にできることではない。
大学時代から、私は柳沢選手を取材させていただく機会にあり、このコラム
のテーマともなった「HERO」のモデルのようなその姿に尊敬をしている。
2006年12月2日、ヴェルディグラウンドを訪れると、そこには必死に
サテライトの練習に参加している柳沢選手の姿があった。若手を引っ張り、
声を人一倍かけ、笑顔も絶えなかった。
Jリーグ合同トライアウトを経て、2007年1月12日、J2セレッソ大阪への移籍が決まった。
再び柳沢選手のプレーがJのピッチで見られることに安堵と期待で今はいっぱいである。
正直、ヴェルディへの不信感はまだ拭えない。しかし柳沢選手はその
熱い気持ちから想像しても、きっともう前しか向いていないだろう。
声高らかに応援を送り、柳沢将之の第二の戦いの舞台を目に焼き付けたい。
【Today'S HERO】
セレッソ大阪
DF 柳沢 将之
1979.8.27 170cm 69kg
posted by hero |23:20 |
師・柳沢将之 |
コメント(3) |
トラックバック(0)