2008年08月17日
うお、完全に酔っ払った。
よった勢いで適当なことを書こう。ソースどうこう、ワカンネ。
春秋制のことだ。ああああと、秋春制に移行することに信念をもってやるんだっけ?
うん、夏はキツイ。でも、山形じゃぁ冬は無理だ。暑いところを涼しくするのよりも、寒いところを暖かくする方がコストは掛からんとぬかしたと。・・・・雪かきにきやがれってんだ。
ただ、真夏の酷暑の中でプレーことに「興業面」でなく「選手の健康」面でデメリットがあるとは思う。ただ、観客暖めても、試合中の選手が怪我しやすくなるんでねーの?モノじゃねーんだぞ。
おう、1月2月は雪国はアウェーでやれとか。んじゃ、その期間分のホーム戦は回してくれんだろうな。雪国でも野球は練習してるだと?シーズンオフとオンシーズンの練習はちがうだろうがよおおおお。解かってくれよ。ピッチで連携の確認もできんで、なんでシーズンのりこえられんだよう。その期間の本拠地うつせってか。
切捨てか?切捨てなのかよ。せっかく、サッカーが面白くなって、地元にクラブがあって、その幸せを満喫支してんのによ。
うん?でもラグビーは秋春制か?どうだろ。
なんかさ、興業面だけなんだよう。言葉が。犬飼さん。紙媒体でしか判断しようないけどさ。
・・・しかも、ネガティブなことに目が行くのはやる気がないからだとおお。
欧州と期間が違うことが主な原因で選手の行き来がすくないわけではなろう。よい監督がこれないのが期間のせいじゃねーだろう。実際ロシアは春秋制だろ?いいかどうかは別として、ヒディングよんでんじゃねーか。選手の行き来もロシアリーグと欧州じゃしょっちゅうアンだろう。単に文化圏や距離的な問題だろうよ。
ドイツWC、その後の代表、五輪、今の代表見てりゃわかんだろうよ、優秀な指導者をよべないあんたらの問題だろう!!!だから、代表人気も落ちるんだよ。選手の日の丸に対する愛国心の問題にすりかえんなぁあああああ!!!
「ネガティブなことに目が行くのはやる気がないからだ」その言葉は、そっくり「のし」つけてかえしてやんよ!!!
ジェフをみろや!!オシム監督を招聘したじゃないか。明らかに、心意気に琴線にふれたから日本に来たんだろうがよ。
躍進するトリニータをみろや!!フロントが必死に考えて、ブラジルの新進気鋭の監督シャムスカを招聘したろうがよ!!!明らかに、大幅補強や、金で選んだわけでないのは明白だろうがああ!!!
お前さんたちの「やる気」の問題なんだよ。「やり様」の問題なんだよ。キズケヨ、いい加減。その強大な権力の使い道を考えてくれよ。
春秋制だけの問題じゃぁないんだぞ。
・・・話の論点がダイブずれてんなぁ。まぁいいや。
posted by hemrock |02:28 |
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2008年03月07日
「間もなく、Jリーグが開幕ですね!」
俺は、その楽しみも吹っ飛んでしまう想いが有る。
スポナビ+に僭越ながら、書かせていただいている身としては、その看板のおかげで、通常の個人ブログで書くよりも、より多くの方々から見てもらうことも出来る喜びを満喫している。つまりは、スポナビの看板を利用して「自己顕示欲」を満たしているだけだろうな、俺は。むしろ、「ほ~ら見てごらん」的な「露悪趣味」を存分に満たしているともいえる。
また、このような場を無料で提供してくれて、大変感謝している。その「場」を守るために、事務局の方々も暗中模索、大変な苦労をして運営していることを想像するに難くない。
私もよく見に行くとあるブログにおいて、事務局様より「純スポーツと期待し、スポーツナビからいらっしゃるお客様もおられますので、非スポーツと思える前振りの部分は、ほどほどでお願いします」という趣旨の注意がされた。この対応も、ある意味、致し方ない面もあるだろう。熱烈なるサッカーファンの方々から、「大儀名分」の「錦の御旗」を手にした「善意」の申出があれば、事務局としてもそうせざるを得ないのかと納得も出来る。
俺も以前、「麻雀サッカーシリーズ」やら「JAZZサッカーシリーズ」やら、他にも愚にも付かないエピソードを語っており、熱烈なる「純」サッカーファンの目を汚していたことだろうと思う。 スポナビ+ということで、純サッカー記事を期待して訪問して下さる方々に、多大なるご迷惑をお掛けしていたことになるわけだ。
ただ、言いたい。言いたいのだ。「大儀名分」の「錦の御旗」を手にした「善意」の熱烈なる「純」サッカーファンの方々に。
楽しみを見出す入り口の多様性を否定することに、何の益があるというのだ。なんと「無粋」なことよ。
サッカーに心血を注いできた方々にとっては、未経験者で且つサッカーに係りのあまり無かった人間から、気軽にサッカーの話題を元に話を展開されることに不快感を持つこともあろうことは、理解も出来る。その純粋さを否定する思いも無い。むしろ畏敬の念すらある。ただ、サッカーの話題から、日々の生活、サッカー以外の物事への関連性を広げていくことに、「楽しさ」を見出すことは出来ない物だろうか。
音楽とサッカーは違う。しかし、音楽を考えてみてくれ。一つの音楽を作り上げることに、どれだけの心血をそそいでいるか。しかし、その音楽自体も、様々なアレンジが加えられ変化していき、全く違うものに変化していく面白さ。その音楽から導き出される思い出や、エピソードが紡ぎだされることも音楽の楽しみではないか。音楽を元に、全く違うジャンルへの関連性を見つける楽しさ。確かに、それを「堕落」という「原理主義」てきな見方もあるやもしれん。しかし、その副次的な広がりの面白みがあってこその「文化」ではないか。
文学とサッカーは違う。しかし、文学を考えてみてくれ。一つの作品を書き上げることに、どれだけの心血をそそいでいるか。しかし、其の作品にたいして、読者が様々な解釈を持ち語り合うのも楽しさではないか。その作品から導き出される思い出や、エピソードが紡ぎだされることも、文学の楽しみではないか。文学を元に、全く違うジャンルとの関連性を見出す喜び。確かに、それを「堕落」という「原理主義」てきな見方もあるやもしれん。しかし、その副次的な広がりの面白みがあってこその「文化」ではないか。
音楽・文学にしろ、「音楽を奏でることが出来るか」とか「文章を書くことが出来るか」など関係ない。ましてや、係った「期間」なども関係は無いだろう。其々の作品について、個々の思いを語ること、語り合うこと、その思いの違いで喧嘩する事、それもひっくるめての文化。其々の作品から、様々な事象にリンクしていく喜び。それは、全くの見当違いかもしれない。そこをまた、語り合うことに楽しさがあるだろう?その広がりを許容できるキャパシティがあるのだ。
熱烈なる「純」サッカーファンの方々よ。
サッカーは文化であってはいけないのか?
熱烈なる「純」サッカーファンの方々よ。
サッカーは文化であってはいけないのか?
posted by HemRock |11:40 |
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2008年02月21日
これを実家に届けて、急いで帰らねば。
別に急ぐ必要は無いのである。もう既に、試合は終了している筈なのだから。
今晩の日本vs中国戦。仕事で遅くなるのは織り込み済み。出社前にしっかりと予約録画設定もしてある。妻への『口止め』も万全だ。なぜ、口止めか?リアルタイムで見られない者が、結果を知った上で録画の試合を見ることに、何の情熱があるというのだ。そういうことだ。
ただし、用件を言い渡された。帰宅途中に、俺の実家に届け物をすること。妻の母親が買ってきた旅行土産を、俺の実家に届けろというのだ。何も今晩でなくとも、という言葉を飲み込む。今晩の快適なビデヲ観戦を望むなら、僅かなりと謂えども、妻に不満を残すわけにはいかない。弱気なことと、自分自身を嘲笑いたくもなるが、これが俺のリスクヘッジなのだと、自分に言い聞かせた。
仕事場で、19時以降からIEへのポインタ移動の禁止を自らに課す。一時の禁為は、後の快楽を際立たせるスパイス。辛くは無い。むしろ、楽しんですらいた。
となれば、逸る気持ちも理解できよう。
実家に到着し、玄関を開ける。あらかじめ、妻が連絡を入れていたのだろう、珍しく親父が玄関に出てきた。
親父は、団塊の世代。仕事一筋であった人間である。ご他聞に漏れず、家族とのコミュニケーション能力に大変な不自由がある。特に、母親と。退職後の惨状を想像するに、難くは無いだろう。親父の会話の相手は、一匹の犬と、時折訪れる一歳半の俺の次女のみである。困ったことに、息子である俺は、その惨状に同情する気持など持ち合わせてはいないのだ。
「おおおーーーー!来たか!!日本勝ったぞ!!!1-0だ。たいしたもんだ!!!!」
親父は、サッカーにまるで興味は無かったはずだ。『野球は巨人』な人である。
正月に俺の実家で飲んだ時、妻が母親に俺のサッカー熱のことを話し、其のネタで大いに話が盛り上がっているところを見ていたのだろう。自らの妻と会話の切掛けもなく、たまに来る息子との共通の話題を持ちたいという、涙ぐましい努力であることは確かだ。
しかし、それは、裏目であった。
「あぁあ・・・やっぱり言っちゃったのね、この人は。」母親が、遅れて出てきて言った。
「こないだの韓国との試合や、今日の中国との試合を見てたもんだから、もしやと思って、あんたが来ても結果は言わない方がいいからねって忠告したんだけどね、『五月蝿い』って逆に一括されちゃったし。人の意見を聞きゃしないんだから。」
懇々と親父に文句を言う俺。冷ややかに親父を見る母親。
自分の実家に予防線を張っていなかった落ち度を棚に挙げて、文句を言う俺。俺との会話を盛り上げようと、よかれとやった親父に文句を言う俺。半世紀近く、家族の為に働き詰めだった親父に、サッカーのことで文句を言う俺。俺は、確実に親不孝者である。
『因果応報』。
やけに萎れた親父の後ろに、30年後の自分の姿が見えたような気がして泣けてきた、夜。
posted by HemRock |12:58 |
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2007年10月30日
「名プレイヤーだから良いプレイをする訳ではない。良いプレイをするのが名プレイヤーである。」
この言葉は、サッカーを見る上でも当てはまる言葉ではなかろうか、などど考えてみる。
実は、これはサッカーのことを語った言葉ではない。以前通っていたJazz喫茶のマスターが、Jazzプレイヤーを評して語った言葉である。
音楽業界においては、往年の名プレイヤーが来日する事が多い。確かに、最高のパフォーマンスを魅せてくれる人もいるが、なんの閃きも無い、自己模倣のようなプレイに終始する人も多い。それで、満足してしまう聴衆が多いのも確かである。
あまりに、往年の名プレイヤーを愛するあまり、無批判に評価してしまうのだ。さらには、現在のプレイヤーを全く聞きもせず、「そんな、名も知れてないプレイヤーなんて聞いてもしょうがない。」などど言うファンもいる。
マスターは、そういう姿勢に苦言を呈す。勿論、彼も過去の名盤は大好きだ。しかし、其れのみにコダワルことなく、現在もっとも活きのいいプレイヤーを探し、海外のライブハウスを巡り、新譜をバンバン聞きまくるのだ。そうして、新しい才能を見出すことに喜びを感じ、其のプレイを存分に楽しんでいる。もっとも、好き嫌いはあるようで、フュージョンやアシッドの類は全く受け付けないのではあるが。
一方、私は「ラベル」に弱い。音楽にしろ、酒にしろ、「世間一般的に評価をされているもの」が「良」であり、其れを証明する「ラベル」を見ながら楽しむことで、満足を得ている。逆に言えば、「ラベル」がなければ、本当に「良い」と自分で感じているか、怪しい物である。偽者に「ラベル」を貼っただけのものであれ、有難がってしまうかも知れない。いや、実際、有難がっているのだろう。
では、サッカーではどうだろうか。
一般的には、と断りをいれれば、スタープレイヤーの存在がクローズアップされ、其のプレイヤーのやることは手放しに「素晴らしい」と見てしまいがちである。チームとしても、「ビッグクラブ」同士であるがゆえに、其の試合が「素晴らしい」物であるかのように語られることもある。
どのようなプレイが「素晴らしい」と感じるか感じないかは其々の価値観の違いが有るだろう。しかしながら、その判断の中に「ラベル」が介在しないように心がけたいと思うのだ。
どのような無名の選手であれ、良いプレイがあれば、其の試合では名プレイヤーである。どのような小さなクラブ同士の試合であれ、名勝負はあるだろう。そのようなものを、感じる感性を養いたいと、願ってやまない。
しかし、ここで付け加えておきたいのは、「逆もまた然り」であることである。「メジャー」であることに拒絶感を持ち、頑なに否定する「マイナー嗜好」は、逆説的に「ラベル」に縛られた姿であろう。
そう、サッカーにおいても、「名」にとらわれずに観戦したい。もちろん、過去の素晴らしいプレイといわれている映像を見ることも大変重要であるし、大変楽しいものである。ただ、其れのみに埋没してしまい、今あるものを見逃すことは、非常に勿体無い。
過去をリアルタイムでは見られない。当事者にはなれないのだ。
さらに、「名」のみにコダワっているとなれば、感性が曇ってしまうだろう。其の瞬間が目の前で起こったとしても、認識できないほど曇ってしまうかもしれない。それ以前に、其の瞬間に出会う機会ですら、自ら捨ててしまうだろう。
多くのサッカーファンは、この点は十分解っているように見受けられ、大変羨ましい事である。取りようによっては、「サッカーファンは一般的ではない」という皮肉にもなってしまうが、褒め言葉として受け取って頂きたい。
私は、そのような見方ができるのか?
音楽においてはブラインドができず、酒においては利き酒ができぬ。評価はすべて日和見。
分析力に欠ける上、全ての物事において、判断基準というものを自ら構築することを疎かにしてきた者が、そのような見方ができるのか甚だ疑問ではある。しかし、個人として、そのような目的を持つことも、まんざら悪いことでもない。
まぁ、ぼちぼちやって行くしかないかな。
posted by HemRock |18:10 |
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2007年10月25日
えっと、私もよく読む、村松尚登 さんのセレクトブログ「日本はバルサを越えられる」で「ジャズピアノとフッボールの深い関係!?」というエントリーがありました。私も、ジャズは好きでして(というか、ファンを名乗るのもオコガマシイほどの知識しかない・・サッカーもおなじか)、ジャズとサッカーの話を書いてみたいとおもいます。ちなみに、松村さんのブログのように、役に立つ物にはならんです。遊びなので。話の方向性も違うものになってます。
松村さん、すみません、便乗させていただきます。
「サッカーはサッカー・音楽は音楽」そう思う。よく、芸術とスポーツ・特に音楽とスポーツの関係述べる話は多い。その行為自体は無意味な物であり、サッカーの発展には寄与しないことも重々承知しているし、其れを語るときの「いやな臭い」を感じ取る人も多いだろう。でも、サッカーを、色んな物事にリンクさせて考えることは大変に楽しい。
ジャズの醍醐味は、インプロビゼーション・即興演奏である。テーマとなる曲を決め、そのコードを利用して、即興でまるっきり新しいメロディを紡ぎだすのである。たとえば、「チューリップ」という曲の和音をつかって、「チューリップ」とは違う旋律を、一瞬にして作曲するみたいなものである。まぁ、ある程度得意なパターンとか癖とかあるんだけど。
ただ、その上で決まりごともある。原曲のコードを基にすること(あえて外すこともある)、リズムを合わせること(これもあえて外すこともある)、原曲の長さ(小節数・形式)にあわせる事(これもあえてはずすこともある)、こんなところかな。(いや、異論はいろいろあるでしょう。そんときは教えてください。)
ソロならイザ知らず、トリオ以上のバンドという形式でやるには、どういう流れでやるかという決まりごとは必要になってくるわけで。でないと、曲として成立しなくなる。
この決まりごとを全く作らない「フリージャズ」というジャンルもある。ある意味究極の即興演奏なのだろうが、俺はあまり聞いたことが無い。
サッカーで言えば、チームとしての戦術をしっかりと作ってあり、逸れに基づいた上で、意外性のあるプレー・インプロビゼーション(アドリブ)を見せられるのが「ファンタジスタ」であろう。ただ、あまりに奇をてらい過ぎたり、プレーの意図が他のプレーヤーに理解されない場合は、サッカーとして無残な結果となる。これは、ジャズにおいても一緒。独りよがりに突っ走るアドリブ(まぁそれはそれで面白いのだが)、まったく付いてこない他プレーヤー。曲としては崩壊だ。
ジャズもサッカーもスタープレーヤーを集めればよいというわけでもないのである。
しかしながら、それぞれのプレーヤーが各々のプレーの意図を理解すると、アドリブと連動したり、アトリブの絡み合いが生まれ、素晴らしいセッションを生み出すのだ。
そう、プレーイメージの相互理解なんである。なにも、違う楽器を弾けるようになる必要性はない。「あの楽器をこういう風にあいつは鳴らす」ことを理解することが重要なんだな。
サッカーで言えば、「ここであいつならこう来る」っていう理解というか。そういうところが似ている。
ただただ、約束事だけに従事することも大事である。特に、ドラムやベースが好き勝手しすぎると、曲は成り立たない。
しかしである。時に、ドラムであれベースであれ、他パートのアドリブにまた積極的に絡んでき始めるとまたこれも面白くなる。メロディとメロディの応酬だ。そうDFの攻撃参加ににている。地道に守るだけではない。時には積極的にゲームを作っていくことがさらに面白さを増す。
なんか収拾が付かなくなってくるのだが、楽器もサッカーも自分のプレーイメージを確立することが重要だと思う。そして、それが各々のプレイヤーのイメージと繋がっていく。どうしたいかもなければ、どう進んでいくか、なにもわからんだろう。じっさい、自分でやっていた時がそうだった。どういう風に楽器を鳴らしたいかももっていない俺に、いいプレーなどできるはずも無かった・・・。
ジャズにおいては、全く楽譜が読めない名プレーヤーもいる。譜面が読めることだけが重要ではないのだ。
目を見張るテクニックなんて全く無いのに、間の取り方で素晴らしいアドリブを聞かせるような、ヒッポみたいなプレイヤーも居る。テクニックだけが重要ではないのだ。
約束事だけではツマラナイ。インプロビゼーションの融合が、さらなる面白さを生み出すのだ。
サッカーもその点は非常によく似ていると感じるのである。
・・・今度もうちょっと整理しようかな。
posted by HemRock |19:22 |
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2007年10月16日
10/4新規記事を投稿したところ、私の操作ミスにより、システムエラーを発生させてしまいました。スポナビのスタッフの方には大変ご迷惑をお掛けいたしました。この場を借りて、お詫び申し上げますと共に、早期に復旧させていただきましたことに厚く御礼申し上げます。
また、私の下らないエントリーでも読んで下さる皆様にも、ご心配をお掛けいたしました。今後も細々と続けるつもりですので、よかったらまた読んで下さい。
以下、10/4にエントリーしようとした記事です。
残暑が嘘のような、朝晩の冷え込みがキツイ(東北だからか)今日この頃、皆様イカがお過ごしでせうか。
俺は、半ば住み込み労働のような日々となっていますが、この間初めて「サッカーボール遊び」やってみた。
以前よりチョロッと話してたが、仲間を集って、フットサルチームを結成した。未だ練習もなにもせず。リーダーが寄付してくれたボロボロのサッカーボールが1こ有るのみ。
で、別件の用事でメンバーが集まった際、「チックらボール蹴ってみっべや」という声があがりまして・・・。
初代会長は昼真っから酔っぱらってる駄目人間ぶりで×(唯一のサッカー部所属経験者)。その他メンバー(私を含め4人)でボール遊びをすることに。
ただパス回しするのも詰まらないので、三人がパス回しをし、その中に一人が入って邪魔をすることにした。で、ボールを奪ったら、奪われた人と交代。
結果、5分ぐらいでグダグタ。私も、技術が無い代わりに運動量で勝負だ!と意気込んだはいいが、もちましぇーん。
草サッカー経験者のみは平然とやっていたが、他はゼハゼハ。
一人に邪魔されるだけで、もうアタフタ。それを助けるべくパスの受け手として色々動いてみるものの、あっという間に動けなくなったりして。逆にボールを奪う立場になり、啓太バリにプレスに行くものの、それこそ一瞬で動きが止まる。
でもですね、サッカーはこれを走りながらやるわけよね。しかも、邪魔してくる相手は一人ではないわけで。逆の立場から言えば、パスの受け手は2人だけでない。それを広いピッチの上で繰り広げるわけでして。走りながら、極限の疲労の中で、周囲の状況を把握し、的確な判断を、瞬時に行う・・・・・・できるかーーーーーー!!
でも、やってるわけです。しかも、チーム全体で。サッカー選手は凄い。
俺なんざ、止まってパス回しに産毛も生えない程度の動きですらへばってる。
ゴールシーンは確かに醍醐味だが、その他の「動き」の凄みってのが身をもって思い知らされた。
これは、益々サッカーを見るのが面白くなりそうだ。
まぁ、はやいとこ試合に参加できるようにならないとねぇ。
で、ボール遊びはというと・・・・・
5分くらいを2~3回繰り返した後、草サッカー経験者を除きダウン。早々に会長を囲んでの酒盛りに変更と相成った。いやー酒はウマイっす!
posted by HemRock |10:50 |
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2007年09月03日
J2第37節 山形vsC大阪戦でのこと
前半も終わって直、私は後ろの席から声をかけられた。
「もう佐々木が入ったんですか?」
振り向いて見ると、60前後の初老の男性。どことなく平泉成に似ている。
全体的に小さくなった平泉成といった趣である。
「ええ、前半の40分過ぎたところで、財前と変わって交代しましたよ。珍しいですよね。」
佐々木勇人は、すばらしいドリブルスピードとクロスをもつ選手である。
山形においては、後半途中、局面を打開するために投入されることが多い。
「へぇ!?なんででしょうね。」
後日、財前の怪我での交代であったことが判明するわけだが、この時点では知る由も無い。
「前半はどんな感じだったんでしょうか。」
私は、前半の試合の流れを説明することとした。
私も、聞かれて嬉しかったのか、一人で見ている寂しさからか、かなり喋りすぎたかもしれない。
「なるほどねぇ。ありがとうございます。」
「私は、サッカーを見始めたのは最近なんですよ。」
平泉成も語り始めた。
「3年ぐらい前からかなぁ。初めはね、知り合いから連れて来られたんですよ。
でも、最近は一人でも来る様になっちゃった。
サッカー場はいいですね。ピッチの緑がとてもきれいじゃぁないですか。
しかし、サッカーがこんなに面白いとは思わなかったなぁ。ゴールシーンなんて凄いですもの。
何人も協力して初めて一つのゴールになる、その動きの美しさは、なんとも言えないですよねぇ。」
「本当にそうですよね。私はここ数ヶ月ですよ、サッカーを真面目に見始めたのは。
でも山形の試合は殆ど見ていないのです。
スタジアムに来たのは、この間の札幌戦が初めてでして。今回で2回目です。」
と、私も答える。
「なるほど、そうでしたか。山形も頑張ってるんですけどね。
本当に、ほかのチームと比べて小さいメンバーが多くても、一生懸命走るじゃぁないですか。
そういうの好きなんですよね。」
その後も、前節札幌戦の話などをし、ハーフタイム中のわずかな時間を過ごした。
「お、後半はじまりますね。」
彼は、観戦モードに入ったようだ。私も試合に集中する。
・・・・・・・・
「サッカーは、なかなか思い通りにいかないものですね。そこが面白いんですが。」
彼は、C大阪・香川のゴールシーンを見届けた後立ち上がり、微笑みながらそう言った。
「本当、面白いですね。」
私も微笑みながらそう返して、そのまま別れた。
posted by HemRock |17:28 |
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2007年08月14日
氷入りカルピスの結露がよく似合う休日の午後。比較的風通しのよい茶の間でまどろんでいた私に、妻が声を掛ける。
「ねえ、みんなで散歩にでもいかない?」
暑さで氷が解けて薄くなったカルピスを、ぐい、と飲み干し、私も答える。
「いくか。」
妻は下の子を乳母車に乗せ、私は上の子の手を引きながら散歩に出かける。目指すは近くの堤防だ。川沿いの並木道なら、風もいくぶん涼しいだろう。
そうして堤防に行き、並木道を歩くと、ピッチが見えてくる。ピッチとは名ばかりの、土のでこぼこしたグランドに、錆だらけのゴールが置いてある質素なものである。そこで、地元の愛好会であろう、暑い中にも係らず、サッカーの試合をやっている。
上の子が歩き疲れたらしく、肩車をせがんでくるので、ここらで一休みをすることにした。もちろん、私はこの試合を見たいだけであるのは、妻には内緒だ。
妻は、下の子を乳母車から降ろし、抱きかかえて木陰の芝生に座る。私は結局、上の子を肩車することとなり、立ったまま試合を見ることにした。
「赤いのは赤いのでなかま?青いのは青いのでなかま?とうちゃんは、どっちがんばれするの?」肩の上で、上の子がたどたどしく話す。
赤いのと青いのとでは、力の差が歴然としている。青いのはボールにかたまり「ドヤドヤドヤ」とあっちへ、「ドヤドヤドヤ」とこっちへ行ったり来たり。一方赤いのは、この「ドヤドヤ」を引き付けて、反対側へ「ポーン」とボールを出し、鮮やかにサイドチェンジを行いながら、あっという間にゴール前までボールを運ぶ。ラストパスを受けた赤いのを、青いのがあわててPA内で倒してしまいPKを取られる。難なく赤いのは1点先取。
「こりゃ、勝負あったなぁ。赤いほうが圧倒的に上手いよ。」と妻に声を掛けるが、妻は興味なさ気に
「私は見るよりも、やる派だから」と下の子とじゃれあいながら答える。
球技が苦手な私と違い、妻は小・中・高とバスケで鳴らした選手だったらしい。今は見る影もないが。
「あなた、やったことも無いのに、何が面白くて見てるのかねぇ。」と妻は呆れ顔である。
上の子は上の子で、残り少ない私の髪の毛をむしり始めた。飽きてきたのだろう。
「とうちゃん、帰ろうよ。」
「そうね、暑いし、帰りましょうか。」
子供と妻には敵わない。未練は残るが、質素なピッチサイドを後にして、帰路についた。
わずか十数分の観戦であったが、草サッカーとはいえ、試合を生で見る幸せをかみ締めていた。
こんな感じで、気軽にサッカーを見ることができて、何だかんだとサッカー談義をするのが、サッカーが文化として根付くってことになるのかななどと思う、夏の午後の出来事であった。
posted by HemRock |14:55 |
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