2008年02月29日

山口高志の速球を見た1

山口高志投手は今や伝説となっている様ですね。

僕の山口の印象は好不調が素人目に見ても分かる
そんな分かり易い投手でした。

好調の時は速くて手がつけられない。誰も打てない。全盛期のONでも打てない。

不調の時はファーボールは連発するし、棒球になって長打は浴びるし。
試合時間がやたら長い。

フォームが好不調の時にハッキリと違いが出ました。

好調の時は流れる様なフォームで無駄な力が入っていない。

不調の時はカクカクしていて、肩が開いて、天井目掛けて投げる様な感じ。
それを無理矢理腕を地面に叩き付ける様な感じで投げる。

日本シリーズで巨人戦でのビデオが出てますが、
あの時の山口は不調の山口です。

僕は1戦目にリリーフで出て来た時、テレビでたまたま観たのですが、
「こりゃアカンわ」と思いました。

フォームがカクカクしていて、球に力が乗っていない。
第1戦で巨人打線を抑えられたのはたまたまです。

あのシリーズはずっと悪い山口でした。

あのシーズンの山口は悪くてやっと秋口になって調子を上げて来た。
シーズン終盤になって良くなったのだけれど、
多分、またシリーズ前になって調子を落とした。

前年の広島とのシリーズではMVPの大活躍があったから、
また上田監督は必要以上に起用したと思うのだけれど、
その強気な起用法が7戦目まで行くという大苦戦を招いた。

山口がその真価を発揮したのはその次の年。
リリーフに廻った時だと思う。

その時のもの凄いピッチングを見たので、その伝説のピッチングを
次回書きたいと思います。

http://www.geocities.jp/kuroharu1218/      

  (黒川治基とスター軍団応援歌)











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posted by 黒川治基 |23:19 | 野球 | コメント(3) | トラックバック(1)
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2008年02月21日

ああ、愛しの東京球場

伝説の球場、東京球場。光の球場。

リアルタイムで観れなかったのがとても残念です。

少し写真で観れましたが内野には芝が敷いてあり、内野席は二階スタンドがあり、素晴らしいではありませんか!

大毎の名物オーナーの永田オーナーが私財を投じて作ったらしいです。

コンセプトは「モダンでいながらも庶民感覚で観戦出来る」という事で
下町の南千住に作られたらしいです。

もうワクワク!しますよ。

今の時代なら人気間違いなしでしょう!

でも当時はガラガラだったらしいですね。
いくら下位に低迷していたとはいえ、そりゃ~ないですよ。
残念です。

両翼90mだけど全く膨らみがなくホームラン量産されたらしいです。

でもその中で風向きや天候なども含めて微妙な影響下で試合が行われる
なんと味のある球場だったのだろうと理解したい。

僕だったら毎日観に行ってたでしょう。

やっぱりパの冬の時代だったのでしょうね。
巨人の力があまりにも強過ぎた。

でもそんな巨人に永田オーナーは対抗心を燃やして東京球場を作ったわけですよね。

今は巨人の絶対的権力は衰退して来ました。
でも昔はどのチームも巨人におんぶして巨人と試合をしたがった。

僕が思うに永田オーナーの考えはあまりに進み過ぎていたと思います。

時代がそれに追い付かなかった。
それが故に東京球場は膨大な借金を抱えて閉鎖されてしまった。

時として世の中にはこういう事が起こり得る。

そして東京球場は伝説となりました。

東京球場で行われた「ロッテ対巨人」の日本シリーズ。

是非、ビデオ化して欲しい。

東京球場の輝きを目に焼き付けたい。


 http://www.geocities.jp/kuroharu1218/ 

 (黒川治基とスター軍団応援歌)










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posted by 黒川治基 |13:00 | 野球 | コメント(9) | トラックバック(0)
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2008年02月20日

阪急ブレーブスはなぜV9巨人に勝てなかったのか?2

前回このテーマで多くの情報や意見を頂きまして有難うございました。

どうしても情報を知りたかったものですからとても嬉しかったです。
このタイトルはシリーズ化したいと思っています。
それくらい自分にとっては興味深いです。

僕は5連敗しても阪急ブレーブスの選手は凛々しかったと信じたい。
そして今こそブレーブスのその功績が光り輝く時が来たと思っています。

僕は阪急ブレーブスの球団創設50周年の球団史をある図書館で見ました。

出来れば自分でも購入したいとも思っているのですが、
その本には全試合の詳細が載っていたと思います。
ただ今は手元にないのが残念です。

僕は日本シリーズの敗因は世界の盗塁王福本が盗塁出来なかったからとも思いました。
ただ詳しい事は分かりません。

福本が足で掻き回す阪急ペースに持ち込めなかったんじゃないかと。
そうすればONへの恐怖感も軽減出来たと、こういう風に想像しますが、
実際はどうだったのでしょうか?

例えば昨年の阪神が詰めで粘れなかったのは赤星の盗塁が減少したからだと思っています。

福本もそういう感じだったのかな?と。

それと金やんこと金田正一投手が晩年でゆるい球しか投げられず、
更にゆるいカーブでも阪急打線を抑え込んだと聞きました。
一体どんなピッチングだったのでしょうか?

なぜ阪急は打てなかったのでしょうか?
僕は金やんの現役時代を観た事がないので、益々興味深いです。

また阪急の投手陣は「黄金の投手陣」と呼ばれ梶本、米田、山田、足立
と球界を代表する投手が一杯いてどんなピッチングをしたのでしょうか?

梶本ってポーカーフェイスで投げると聞きました。
そんな頼もしい投手でも巨人には通用しなかったのでしょうか?

阪急の西本監督は立教大の後輩である長島をどう見ていたのでしょうか?

六大学のスーパースターであり当時もスーパースターだった長島に
対して現役時代には実績を残せなかった西本監督は
長島に引け目を感じていたのでしょうか?

球場の雰囲気は?

後楽園球場はだいたい予想はつきますが、西宮球場はどうだったのでしょうか?
G党にジャックされてる様な雰囲気だったのでしょうか?
阪急ファンはどのくらいいて、相変わらず迫力とまとまりに欠ける
応援をしていたのでしょうか?

ファンは少なくても阪急ブレーブスの雄姿は輝きを放っていたと思います。

栄光の阪急ブレーブスは不滅です。


http://www.geocities.jp/kuroharu1218/ 

 (黒川治基とスター軍団応援歌)







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posted by 黒川治基 |04:11 | 野球 | コメント(14) | トラックバック(0)
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2008年02月17日

阪急ブレーブスはなぜV9巨人に勝てなかったのか?

あの強い阪急ブレーブスがV9巨人になぜ勝てなかったのか?
今でもよく考えます。
 
リアルタイムで観たわけではないのですが、5連敗したのですね。
 
普通5回も戦えば1回くらいは勝てると思うのです。
プロですから。パリーグの覇者ですから。
 
実力は互角だったんじゃないかな。
やっぱりGの圧力。これに屈したんじゃないかと、思うわけです。

阪急選手は緊張でガチガチに固くなってた。
慣れない全国区。超満員のスタンド。大勢のマスコミ。
パの負の部分を抱え込んでた。
 
全国民、マスコミがG一辺倒。
もし阪急が勝とうものなら悪役扱い間違いないでしょう。

そんな目に見えない凄いプレッシャーと戦いながら、
非常にやりにくい状況だったと思います。

ONというスーパーヒーローの存在感にはやはり敵わなかったのでしょうか?

聞いたところに依ると世界の盗塁王福本が弱肩の森捕手によく刺されたらしいです。
やはり巨人の野球は緻密さでは一枚上だったのでしょうか?

また先日の週刊ベースボールには当時の速球派だった山田の球が意外にも遅かったと長島氏の対談に書いてありました。
これこそ緊張感の賜物ではないのでしょうか?

僕が思うにチームリーダーの不在。
あるいはそれが機能しなかったからだとも思います。

西武ライオンズが巨人を破った時には石毛というチームリーダーがいました。

石毛は期待の大型新人として入団して来てほぼ全国区の選手でした。
これは巨人という大きな壁を打ち破るには大きかったと思います。

当時の阪急ならスペンサーだったと思います。

しかし聞くところに依るとスペンサーは巨人に徹底的に研究され丸裸にされて
ほとんど打てなかったらしいです。

無念残念。
当時の阪急の悔しさは想像に難くない。何しろ5連敗ですから。

でも僕はそんな阪急ブレーブスが愛しい。

時代は変わりました。

巨人の放ってたもの凄いオーラは弱まりました。
一極集中していたプロ野球の勢力図も地方分散化しました。

僕はリアルタイムで観れなかった阪急対巨人の日本シリーズを是非観たい。

今、観たら違うと思う。

巨人のオーラというよりも、
阪急ブレーブスの選手達のその雄姿が今こそ輝いて見える、
そんな気がするのです。

時代が変わったからです。

山田が王にサヨナラホームランを打たれたシーンはもういいです。
上田監督の猛抗議ももういい。

それよりも米田の巨人戦完投勝利とか、長池のホームランとか見たい。
負けたところでもいいんです。

あの正統派の赤のユニフォームに身を包んだブレーブスの選手達が
全国区の巨人に青ざめながらも挑む姿が脚光浴びる時代が
やっとやって来た。

youtubeでONや田淵の時代の巨人阪神戦のテレビ中継やっていて
ビックリしました。興奮気味。

もし日本シリーズの阪急巨人戦やってくれたら倒れるかも・・・・

ナンバーのビデオでもいい。
是非、阪急巨人戦のビデオ化を。永久保存、間違い無し。

今こそ、強かった阪急ブレーブスが輝きを放つ時代。

栄光の阪急ブレーブスは不滅です。

 
http://www.geocities.jp/kuroharu1218/ 

 (黒川治基とスター軍団応援歌)






































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posted by 黒川治基 |09:53 | 黒川治基 | コメント(10) | トラックバック(1)
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2008年02月15日

栄光の阪急ブレーブス

僕は阪急ブレーブスの長池徳二選手が好きでした。

と言ってもファンになった時には全盛期を過ぎておられたのですが・・・

とにかくバッティングフォームがカッコ良かった。

アゴを肩のところに乗せて打つんです。これがいいんです。
体の開きを防ぐ為に編み出されたフォームらしいです。

全体的にこれぞまさにプロ野球の4番バッターという雰囲気。

当時はONを始め野村や田淵などのスラッガーがいましたが
僕にとっては長池こそが4番バッターでした。

どうしても生の長池が見たくて、幼少だったので父親に頼んで
大阪球場の南海戦を観に行きました。

長池選手は4番だったけど、不調の年でその日の試合も打てなかった。
ただ高々と打ち上げられた内野フライのその距離と迫力に
プロの凄さを感じました。

長池が打たなくても阪急は強くて、その日も勝ちました。

福本が四球で出て盗塁、大熊が送り、加藤秀が犠牲フライで
福本が生還して得点という必勝パターンを目の前で観ました。

でもやっぱりお客さんは少なかったなあ~
5千人くらいだったろうか・・・・・

風格のある4番バッター長池徳二。
南海ホークスのプレーイングマネージャー、偉大なる野村克也。

これらの選手を持ってしても5千人しか集まらなかった。

やっぱり阪急の選手は地味だったのだろうか?
少年時代の僕にとっては憧れの長池がいただけでワクワクしたものだが・・・

でもあの独特の昭和のパリーグの匂いは貴重なものでしょう。
それを少しでも体験出来たことは良かった。

栄光の阪急ブレーブスは不滅です。

 http://www.geocities.jp/kuroharu1218/  (黒川治基とスター軍団応援歌)








posted by 黒川治基 |01:09 | 黒川治基 | コメント(6) | トラックバック(1)
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