2007年05月19日

阪急ブレーブスはなぜ連敗しなかったのか

阪急ブレーブスは強かった。 
そして何よりも連敗をしなかった。 

上田阪急は常に独走した。 
前後期の2シーズン制が導入されたのは阪急があまりに強かったからだ。 
短期レースだったら他のチームにもチャンスが出て来るのではと思われたからだ。 

しかしそうなると阪急は前期も後期も制覇して完全優勝した年さえもあった。 
なんであんなに阪急は強かったのか?今でもよく考える。 

阪急は個々の選手の能力も高かったが、 
連敗をしなかったのは上田監督の積極性にあったと思う。 

上田監督は知将のイメージが強かったが、 
だからと言って、物静かに見守ってるというのでは全然無く、 
とにかく常に動いているイメージがあった。 

そして作戦面ではアッと驚く様な強気な面が見られた。 
知将と言われたがまるでセオリー無視の意外な面があった。 

日本シリーズで投手の山田がランナーでありながらランエンドヒットを仕掛けたり、 
明らかにバランスを崩して不調の山口高志を惜しげもなく投入して強気に速球を投げ続けさせたりした。 

シーズン中でも福本がやや暴走気味の走塁が何回あっても、 
その姿勢は崩さなかったのは上田監督の指示もあった様に思える。 
審判の判定に対しては特に厳しく、一目散にベンチを飛び出して抗議した。 

キャンプの時はマイクを使って常に大声で選手を叱咤し 
若手キャッチャーを蹴り上げた事もあった。 
また思い切ったトレードで新しい血を入れるという斬新さもあった。 

常に戦っている監督だった。選手と共に戦う。ベンチでもじっとはしていない。 
そして強気の姿勢を崩さない。 
これは選手にとっては心強いのではないだろうか? 
監督が一緒に戦ってくれると思うと気も和らぐし、 
大事な場面では監督と心中した気持ちで開き直れる。 
ダメなら監督の責任にしてしまえる。いい意味で。 

そして常に動いて強気な姿勢は、当時のパのチームに根付いていた 
「巨人コンプレックス」を感じさせる暇を与えなかったのではないだろうか? 
「悲運の闘将」と言われた西本幸雄監督が、大毎、阪急、近鉄と日本シリーズの大事なところで 
弱気な作戦に出てしまって日本一を逃したのとは対照的に 
上田監督はピンチになっても強気に行った。 

そしてそれが勢い余ってやや行き過ぎる事もあった。 
この象徴とも言うべきなのが、あの有名なヤクルトとの日本シリーズでの大杉のHRの長時間の抗議だろう。 

まさに戦う監督の姿がそこにあった。 
それまでの日本シリーズの有名な場面は選手が主である。 
しかしあの場面は上田監督が主なのであった。 
上田監督が常に戦っている姿がベンチではなく、グランド上でよく見える形で現われたのだな、と思った。 

やや行き過ぎとも思われたが「僕はプロ野球とはこういう世界なのだな」とも思った。 

やる時は徹底的にやる。オーバーなくらいで丁度いい。 
そうでないと、とても厳しい競争には打ち勝てない。 
コンプレックスは超強気で行く事でそれら余計な事を考える暇を与えない。 

僕はあの抗議には素人からは隠れてよく見えないプロ野球の怖さや厳しさが目に見える形で出た、と思った。 
輝かしい夢を売る仕事。それに酔ってしまってよく見えなかったものが見えたのだ。 


実はこれらの考えが僕の音楽の基礎になっているのだ。 


上田監督の強気な姿勢は主力選手との軋轢を生む事もあった。 
しかしそれは監督が選手と共に戦っている証とも思える。 

上田監督の前向きに戦う気持ちが、弱気になった時の選手に活力を与え、連敗をしそうな時の防波堤になっていたと思う。 

当時の阪急の強さはV9時代の巨人や3連覇の西鉄ライオンズの様な圧倒的な強さというよりも連敗しない強さだったと思う。 

また時間があったら「阪急の強さ」を考えてみたい。 

posted by 黒川治基 |15:33 | 野球 | コメント(0) | トラックバック(0)
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