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ジョコビッチ敗れる~チャレンジ制度の意義

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ジョコビッチ敗退から一夜明け、米国のTVのスポーツニュースでも、大リーグ、EUROサッカーに続いてテニスのニュースが流れます。ジョコビッチを破ったのが米国のサム・クエリーであることから、彼への称賛トーン一色かと思うと、報道の力点は完全にジョコビッチの敗退。そして彼にとって、手痛い、終盤のライン判定の映像2発、同時に電光掲示板のチャレンジ権利「クエリー2、ジョコビッチ0」の映像です。

昨日の米国リアルタイム放送では錦織-クズネツォフ戦は放映がなく、私もジョコビッチ-クエリー戦を観る選択肢しかなかったのですが、アップセットの可能性があったため、しっかり見守りました。第4セット前半でジョコビッチが早々とチャレンジの権利を使い果たしたシーンで、テレビ解説者は「ジョコビッチは自身の権利消滅に気付いていないのでは?」と警告していました。案の定、その後のきわどい場面で、ジョコビッチがチャレンジの意思表示をすると「権利なし」と宣せられて苦笑い。このセットは審判の判定に従うしかない状態を本人も認識しました。そして、不吉な予感は当たり、ラインジャッジが運命を分けてしまいます。

ゲームカウント4-4で迎えたクエリーのサービスゲーム。ここでキープすれば「あと1ゲーム」という場面、クエリーに勝ちビビりが出たか、手の縮まった凡ミスもありジョコビッチがブレイクに成功。ジョコビッチ5-4でサービシング・フォー・セットを迎えます。この瞬間、「クエリーも大健闘したが結局はジョコビッチ。最終セットはワンサイドか」という大団円を多くのテニスファンが想像したことでしょう。

そして第10ゲーム。ジョコビッチのワイド側に放ったサービスがフォルトの判定(本当は入っていたので実際はノータッチエース)、その後、バックハンドの鋭角クロスがアウトの判定(これも本当は入っていたので実際はストロークエース)がありました。この2球はテレビで観ていた私の目からも「入ってる」感覚がありました。もしジョコビッチにチャレンジ権があれば間違いなく行使した所。その後テレビ画像が「イン」であったことをコンファームするも判定が覆ることはありません。不運といえば不運ですが、セット序盤でチャレンジ失敗を繰り返し、大事な勝負所に権利を残せなかったジョコビッチのマネージメントミスでしょう。

もちろんチャレンジ制度も完璧ではありません。ラインの内か外かの判定はできても、それがエースなのかリプレイなのかには人間による定性的判断を伴いますし、ストローク中でアウトの疑義ある1球があってもプレーを続けてしまえば権利は使えません。基本はまず審判の判定ありきで、チャレンジはこのミスジャッジを訴える行為です。真実の前に両選手が平等なのではなく、チャレンジャー側にリスクやコストが依っていることは否めません。

ウィンブルドンの第1シード選手が敗れた試合の大事なポイントで起きたジャッジミスでしたが、チャレンジ制度の存在がこの結果をフェアなものにしており、本人やファンの後味の悪さも最小限(払拭?)にしています。制度導入時には、フェデラーやヒューイットが反対しましたが、現代のプロテニスの世界にすっかり定着し、各選手、判定そのものだけでなく、気持ちの切り替えや駆け引きにうまく活用しているように思えます。素晴らしきホークアイ。

ビデオ判定を導入しているスポーツは他にも色々ありますが、テニスほど成功している競技はないのではないでしょうか。相撲、柔道、野球、アメフトなど眺めると、権利行使が選手側になかったり、使途やタイミングが限定されていたりします。思い起こせば、スポーツ界におけるミスジャッジが大きな舞台で勝負を分けた例は少なくなく(相撲:大鵬の連勝ストップ、プロ野球:阪急VSヤクルトの日本シリーズ、柔道:シドニー五輪の篠原、サッカー:南アフリカW杯のドイツ対イングランド)そのたびにビデオ判定導入の是非が話題になります。各競技、それぞれの歴史と哲学に裏付けられた議論がなされ、スポーツ文化の研究として大論文が出来そうなほどです。

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この記事へのコメントコメント一覧

ジョコビッチ敗れる~チャレンジ制度の意義

オラオ様、コメントありがとうございました。


コメントをいただいて思いましが、ジョコビッチの権利消滅も、そこまで王者を追い込んだクエリーを褒めないといけないですね。仮に「あと1回」とわかっていたとしても「権利温存」という選択肢がとれたかわかりません。


制度そのものについては、ご指摘のとおりテニスの「1点」の重みもポイントですね。ホークアイはあくまで補助で、試合全体を裁いているのは人間という構図は明確です。だからこそ、人間か機械かの論争に折り合いがつけられたのでしょうね。


かつての時代のテニスは、ラインジャッジを巡って選手が激しく審判に詰め寄るというシーンもあり、テニス選手としてのジェントルマンシップと競技者としてのフェアネス主張のコンフリトが頻繁に生じました。昔、マッケンローがベースラインで寝そべって両手を10センチほど離して駄々をこねてたのが懐かしいです。紳士淑女たるべきテニス競技にとって、チャレンジ制度導入は爽やかさを促す方向に作用した印象です。


野球の話が出ましたが、アメリカ大リーグにはクエスティック・システムというストライク・ボール判定マシンがあるものの、試合で使われることはなく、審判のパフォーマンス評価や育成に活用されているとのこと。技術的に可能かどうかと、スポーツのあり方の関係は本当に興味深いです。

ジョコビッチ敗れる~チャレンジ制度の意義

おもしろい観点でのジョコビッチ敗退の考察は興味深かったです。確かにビデオ判定においてはテニスがもっとも成熟というか適応してるのかもしれませんね。
ただテニスで問題視されないのは今回もそうですが、そもそもクエリーがジョコビッチをそこに至るまでに追い詰めていなければ意味ないわけで、そういう過程があるから問題視されないor問題視が小さいとうのはあると思う。サッカーや野球、柔道、相撲などはミスジャッジがそのまま勝敗に直結する割合が多いので問題視されやすいのだと思う。実際あんまり勝敗に直結しない野球のストライク、ボール判定はそこまで問題にならないことが多いしね

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