2011年01月08日
好みの問題でしょう。
私にはとって青木真也選手は本当に華のある選手。
桜庭和志選手にも劣らないポテンシャル、ドラマ性。
物語はまた始まったのだと、思いたい。
'俺達はここに居てもいいのか
俺達はまたどこかに向かうのか
手探りで真夜中の高速を突っ走る
'
青木真也さんは、旅に出られるとのことですが、
失われた10年の世代、
ZEROジェネレーションのシンボルとして
彼もまた物語を背負うことのできる稀有なプロ競技者。
もう一度彼のページを開けたい。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
本エントリーについてはコメントをいただく性格のものではないので、「コメントは許可しない」を選択させていただきます。悪しからずご理解ください。 行者
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posted by gyoja_busyo |07:25 |
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2011年01月05日
先般、大晦日のダイナマイトで苦杯を喫した青木真也選手がブログで意味深発言をした。
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/dream_shinya_aoki/daily/20110104
まず、結論。
'青木くん、やめろ、そして世界に打って出ろ。
負けて、勝って、そしてより逞しくなって帰ってきてくれ。
残念ながら今、この国に君を熱くする土俵はない。
AOKI、世界は未だ君と闘いたいと思っているはずだ!
大晦日、君の物語が新たに始まったと、俺は確信している。
'
以上。
以下は私、行者の偶感。
そもそも今回の試合形式(総合 VS K-1、ラウンド・ルールターン制)自体に難しいものがあったと思う。
土俵は違えどストライカー同士の闘いであれば無い話ではないが、現在における日本の立ち技の猛者の一人とオープンフィンガーグローブで闘うというのは、グラップラー青木としてはかなり辛いものであったのではなかろうか。
総合の理念が「打・投・極、すべてにおいて優越する」であったとしても、専門家にはかなわん、というのは、かのGSPの意見でもある。
「試合を受けた以上、ちゃんとせいや!プロやろ!」それもごもっとも。
「青木、打撃もシッカリ練習しとけや」という声も聞こえてきそうだが、ファン行者としては「やってるよ!」とも反論したくなる。繰り返しになるが、相手はその道の第一人者。その上グラブも。。
まさにあの猪木-アリ戦のようなすれ違い感。パンチが一発当たったらオシマイの緊張感。今日の「総合」とは違う、「ミックスド」マーシャルアーツの世界でもあった。
ドロップキック、浴びせ蹴りは、大会プロデューサーへのオマージュ、リスペクトか?まあ、かけ逃げの誹りからは免れないが。そして、リング上を逃げ回る悪態。
スポーツの試合というよりは、多分にギミック的なマッチメイク。このマッチメイクを知った時、10年が経ち、日本の総合も一区切りか、との思いが沸いた。
そして、この結果を待たずして思っていた。「青木、日本を去れと」
そもそも、この年末の祭りにはギミック的なものが、つきモノではあったが。
言うまでも無いことだが、長島選手がギミックだと言うつもりは毛頭ない。彼のファンサービスや趣味性は、80年代のそれを愛するものとして、微笑ましく感じる。
圧倒的に不利な第1ラウンドを捨てた青木選手と圧倒的に不利な第2ラウンドにも勝機を求めた長島選手。
今回におけるこの違いは際立っており、その点はまさに大会テーマにふさわしいものであったかと思う。その点、長島選手に大きな拍手を送りたい。
最後に長島くんへ。年上の元同類として。君、コスプレせんでも、結構カッコエエで。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
コメントは許可制としており、悪意に満ちたもの、感情的なものについては掲載いたしませんので、予めご了承ください。 行者
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posted by gyoja_busyo |04:16 |
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2007年12月05日
HERO’SはPRIDEを越えることは出来ない。それは大衆的なムーブメントとして、という意味においてである。何故か。目新しくないからである。
「今年の年末は、PRIDEばっかりやろ」
数年前の職場の先輩の言葉である。かのPRIDE、K-1ダイナマイト、猪木ボンバイエの三大会が同時に地上波で放送され、格闘技イベントが紅白歌合戦を食ったあの年の師走の某日。
彼の「PRIDEばっかり」という言い方に引っかかったが、すぐに合点がいった。格闘技に関心の乏しい彼は、PRIDEというイベントタイトルを総合格闘技の競技名称として用いたのだ。
それは誤認だったのか、
posted by gyoja_busyo |15:31 |
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2007年11月28日
平成のプロレスファン、総合ファンの諸君らは、今は亡きジャンボ鶴田というレスラーにどのような印象を持っているだろうか。
優れた身体能力、アマチュアレスリングでの実績。そこから類推してセメントでも一級の実力者では?という憶測をする御仁もおられるかも知れない。
が、我々昭和のプロレスファンが見ていたジャンボ鶴田は、「善戦マン」の名のとおり今ひとつ冴えない、トボけた二代目であった。そう、ある時点までは。
*善戦マン 若き日のジャンボのニックネーム。伊東四朗の人気バラエティ『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』のキャラクター「電線マン」をもじったもので、善戦するが勝てないの意。
赤いパンツのノンキ者、その二代目の得意のパフォーマンスは、皆さんご存知の「オーッ!」だ。ジャンピング・ニーパットで敵を蹴散らしては右手を上げて「オーッ!」。時には頭を掻きむしる意味不明のアクション付きで、本当に頭は大丈夫かと少年行者は心配したことさえある。
この「オーッ!」には、解説席のG馬場社長が「余計なことをせずに早く次の技に行け」とお小言をもらしてられた。そしてその不満は、社長のみならず、会場やお茶の間の不満でもあった。プロレスは真剣勝負、勝ちにこだわるべきだ。そんな声が聞こえそうなジャンボの「オーッ!」だった。
さて、80年代初頭は「過激なプロレス」の新日ブーム、そしてこの落とし子とも言えるUWFの登場と、ジャンボ所属の全日本プロレスには向かい風の状況にあった。米国に強力な招聘ルートを確立していたこともあって、全日本プロレスのイメージはアメリカンスタイル。
当時のプロレスファンの中では、「全日=アメリカ的=ショー的」というイメージがかなり一般化していたように思う。一方の図式は「UWF・新日=格闘技的=真剣勝負」というもの。馬場社長の「プロレスと格闘技は別」との見解もこの認識を補完してしまった。
(このあたりは、少なからず行者の主観も入っているので、必ずしも正確無比なものではないが、80年代半ばまでの雰囲気を知る人であれば、上の図式が当時のプロレスファンの気分からそれほど離れていないことを認めてもらえると思う。)
そんな雰囲気の中で、そろそろエースとしての貫禄が欲しいジャンボが相変わらずの「オーッ!」だから、会場にはついに失笑が生まれ、あろうことかジャンボの「オーッ!」を真似る輩まで現れた。
ジャンボは後に米国で大学教授にもなる知性の持ち主。ただのノンキではない。そんなジャンボが会場からの揶揄に気づかないわけがない。そこでジャンボはどうしたのか。「オーッ!!」のお返しである。それもより一層大きな。
「何がストロングスタイルだ!何がUだ!俺はジャンボだ!レスリングで俺に勝てるンか!?オラッ!オラッ!オーッだ!!」
あたかもそう叫ぶような、この怒髪天を衝くメッセージに会場は肝を冷やして、そしてジャンボに跪(ひざまず)き、この「怪物」を崇拝しはじめたのだ。プロレス的と嘲笑の的であったジャンボの「オーッ」の価値が逆転した瞬間。この時、歴史が動きました。
この一件が「プロレス的で何が悪い!?」という新たな価値感を生み、後に、いわゆる「純プロレス」なる言葉を生んでいくことになったのではないかと思う。「王道」という言葉が強調されはじめたのもこの頃ではなかったか。
その後「善戦マン」は「怪物」と化して、そのバケモノぶりで日本プロレス会を恐慌に陥れていくことになるが、その端緒は怒りの「オーッ!」にあったように思い出すのである。
怪物否、若大将、安らかに。
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posted by gyoja_busyo |13:29 |
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2007年11月20日
初代タイガーマスクの穴を埋めるべく、唐突に現れた銀覆面の男、ザ・コブラ。このジョージ高野扮するニューヒーローのライバル役を指名されたのが、後にWWFで大成功を収める「ブリティッシュ・ブルドックス」デイビーボーイ・スミスだった。
彼はザ・バンビートと名乗る覆面レスラーとしてリングインしたが、マスクマン達の御輿に担がれて入場してきたザ・コブラに腹を立てたのか、「俺はお前の下風には立たん」とばかりに突如マスクを脱ぎ捨てた。
この衝撃のシーンに会場と放送席は驚きを隠さなかったが、小生は幼心にこれはヤラセではないか*1との思いがよぎった。なぜなら、ザ・バンビートのマスクの色が、水色のタイツとコーディネートがまるでなっていなかったからだ。
それこそ身だしなみにはうるさい、映画評論家のピーコさんも悲鳴を上げそうチグハグぶり。ファッションセンスがゼロなのである。
*1 当時プロレスではヤラセなどない真剣勝負であると広く理解されていた。
その上、マスクのデザインもおざなりなものだったように記憶している。70年代に活躍したミル・マスカラス以降、日本でもルチャ系の華やかなマスクは一般化していたにも関わらず、ザ・バンピートのマスクときたら、、、
「プロレス大百科」などに白黒写真で載っていた「ジ・アサシンズ」とかなんとかいう、二流レスラーの冴えないマスクさながらのデザイン性の乏しさだったのだ。
そんなコスチュームで今後もザ・バンピートとしてやっていくうようには見えない、とりあえず被ったマスク、そんな印象だったのだ。要するに脱ぐために被ったマスクだったということである。
ストーリーとして行われた脱マスク。しかし、そのチグハグ感は試合にも伝染したのか、その日のコブラ日本デビュー戦は、まるでスイングしない戦いだったことを思い出す。
その後、ダイナマイトキッドも加えてこの三人のライバル関係は深化し、なかなかの好勝負を展開することになった。WWFジュニアのベルトを巡っての三つ巴戦は新日ジュニア史の白眉といえよう。
そんなポジティブな記憶を残してくれたD・スミスだったからこそ、ザ・バンピートの醜態は記憶の奥にしまい込まれていたのかも知れない。
(まるっきりの余談)
ユナイテッドにザ・スミスそしてデイビーボーイ・スミス。俺の好きなものは何故かマンチェスターのものばかり。
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posted by gyoja_busyo |14:42 |
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2007年11月15日
かつて昭和の金曜午後八時。格闘ロマンと興奮の坩堝の時間にも、会場で、そしてお茶の間で男たちが嘆息をもらす瞬間があった。
それは「世界の荒鷲」こと坂口征二が相手のバックをとり、その身を軽々と持ち上げた瞬間だ。「嗚呼、またアトミックドロップだ。。。」
バックドロップというプロレスの王道、大技を繰り出すことなく、相手の尾てい骨に痛打を与える一撃を毎回選択する荒鷲。この技を食らった外人レスラーが尻を押さえて飛び跳ねる様。まるでカマを掘られたノンケのようだ。
荒鷲の十八番は、四角いジャングに「過激なプロレス」とは一線を画すコミカルなシーンを召喚するのである。
が、今日、97年のWWFのカミングアウト、高橋本の暴露によって、プロレスが何であるかを認めさせられた我々は、あの日の荒鷲のアトミックドロップに別の感慨を抱く。
ご本人の腰痛をおいても、トップスターにして経営陣の一人である荒鷲が、興行の中で選手を傷つけることなど、許されることではなかったのだろうと。
2メートル近い荒鷲が、持ち上げた相手をハイスピードで後方に投げつけたなら?それはきっと担架と救急車の世界だろう。ありえる話だと思うヨ。荒鷲が相手から「人間不信」の言葉を頂戴しかねない。
そう言えば、荒鷲はいつも試合中は億劫そうな顔をしていた。男が「仕事」をしている時は、たいていそんな顔をしてるんだろうなあ。
そんな荒鷲が自らタブーを破り、バックドロップを放ったシーンを金曜八時に一度だけ見たことがある。その時の会場の驚嘆、どよめき。お茶の間にも響いたことだろう。
放心する小生の横で父が「やれるじゃないか!坂口!」と満足そうに独りごちたのを思い出す。凡夫として暮らす彼は、でしゃばらない荒鷲に自分の姿を重ねていたのかも知れない。
本稿を綴る際にネットで調べたのだが、このバックドロップの洗礼を浴びたのは、かのアニマル・気合・浜口選手のようだ。荒鷲の禁じ手は、信用できる受け手のみに使われたということか。アニマルは、ドラゴンの大事な復帰第一戦の相手を務めた男でもある。
現在、荒鷲二世が総合格闘技の世界で奮闘しているようだ。いつか真剣勝負の舞台で、父親譲りのジャンピングーニーパットを、アトミックドロップを、そして禁じ手バックドロップを、と彼に期待するのは、昭和のプロレスファンの悪い癖かも知れない。
(敬称略)
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posted by gyoja_busyo |06:04 |
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2007年10月19日
10月18日に開催された「無我」後楽園ホール大会で、エース西村修が意味深コメントを残してコスチューム姿のまま会場を後にしたそうだ。「何もありません」と言い残して去った西村は、試合後に恒例となっている記念撮影にも参加しなかったのだから、これは穏やかでない。
最近は「ニシム・ラマ」の名前でハッスルにも参戦を果たし、活躍の場を広げている西村だが、バラエティに富んだカードを組んだ今大会の「無我」に異論があったのだろうか?クラシックなストロングスタイルを旨とする「無我」の理念から離れることを懸念したのではと憶測するのだが、西村の胸中は如何に。
さて、そんな西村のゆゆしき行動に、相変わらずの対応をしてくれたのが、青春の未遂王こと我らがドラゴン藤波だ。
posted by gyoja_busyo |15:10 |
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2007年10月06日
*偶感...ふと心に浮かんだ感想のこと。まとまりを欠いた、ユーモアの乏しい、感想のような文章になりますが、「行者の偶感」はブログという投稿形式の一つの特徴である即時性に重きをおいております。その点、含みおきください。
昨年大みそか「Dynamite!!」の桜庭戦での反則行為で、無期限出場停止処分を受けていた秋山成勲選手が、10月28日に韓国で開催される「HERO’S KOREA 2007」で復帰を果たすようです。
この一件に関して、先般、私が年来応援してきた「赤いパンツの頑固者」田村潔司選手に総合ルールで勝利した金泰泳選手がコメントを発したようです。
金泰泳選手によれば、「この仕事は、プロ格闘家として“生き様”を見せていくもの。ファンに対しても主催者に対しても、生き様を見せることが大事。秋山選手がその生き様を見せていければ、と思います」とのことです。
「生き様を・・・」という格闘家の言葉をしばしば耳にしますが、
posted by gyoja_busyo |05:01 |
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2007年07月16日
本日7月16日月曜日の午後4時。すでに『HERO’S2007~ミドル級世界王者決定トーナメント開幕戦~』は、開始されている。私はこの大会の模様を地上波で見る予定だ。
HERO’Sは、いつも楽しく観させてもらっている、というのは、強い思い入れのある選手が在籍していないからだ。強いほうが勝てばいい、積極的に攻めた方を評価したい、そんな感じでこのイベントを観戦しているわけであるが、今夜は違う。
今夜は、年来応援してきた田村潔司が何とメインイベントに登場する。この厚遇には本人も驚き、遠慮した様子だが、彼の格闘技界におけるネームバリューと主催者側の期待感が現れる抜擢である。
相手は、空手家の金泰泳選手。田村と同じく、90年代の観戦用格闘技を支えた一人である。前日の記者会見では、二人とも口を揃えてプロらしくいい試合を、と語った。
田村の一ファンとしては、どんな形でもいいから勝って欲しいと願うばかりだが、二人のベテランが、観客とTV視聴者に面白いMMAを見せようというのであれば、これも中々妙味がある。
ともあれ、二人の功労者にはベストの自分が出せるようにとエールを送りたい。そして、クリーンな試合とジャッジも期待するものである。
(敬称略)
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posted by gyoja_busyo |16:19 |
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