2008年09月17日

スカートの中のスタジアム

 随分ご無沙汰していたが、胸躍るニュースが寄せられたので、筆を起こしたい。

 報道によれば、オランダのアマチュア女子サッカーチームが、従来のルールに反してユニフォームにスカートを採用したとのことだ。

 参考写真を見るにテニスのそれに近いもののようだが、中々にエレガントである。

 このチームのゲームにおいては、観衆の視線がボールから離れたところに移る可能性大であるが、それはそれで妙味がある。というのは、男子には世界共通の感性、チラリズムというものがあるからだ。

 シュートシーンでスカートがめくれ、ホットパンツが丸見えになるシーンよりも、トラップのタイミングで、スカートがひらりと揺れ、スカートの中が見えそうで見えない焦らされた感覚に男子たちは酔いしれることだろう。
 
 スタジアムにもうひとつの劇場が生まれるという次第だ。

 また、フットボールにおけるトラップの重要性は今更いうまでもないがシュートシーン以上に注目が集まるのであれば、未来のフットボーラーにもよい教育となるだろう。

 ところで、プロでなくアマチュアスポーツの世界において、女性が愛らしく魅せたいと発想したことを古風なフェミニストがどう論じるか。興味深いところだ。(了)

他にこんなユニフォームも萌えたぜ!白いヨルダン女子サッカー

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2008年03月25日

(行者偶感)思い出プロレス・狂気の作り方。正気のタイガージェット・シン

ジェットシン ■悪役レスラーのイメージとは? 

 平成のプロレスファン、格闘技ファン諸君は、タイガージェット・シンというレスラーにどのような印象を持っているだろうか。現在は、自身のパロディを演じるシンを『かつての有名悪役レスラー』といった程度に認識されているのかもしれない。

 悪役レスラー、フレッド・ブラッシーやザ・シーク、アブドーラ・ザ・ブッチャーら往年の名優たちは、噛み付きや凶器などによる反則攻撃を専らとし、レスリングとなるとからっきしダメというキャラクターで、怖ろしくもある面で愛嬌のある存在としてお茶の間の『人気者』でもあった。悪事を働いた後に、正統派レスラーから制裁を受けて逃げ惑い、コーナーポストを背にして「ノーノー」と哀訴するその姿は、会場やお茶の間に笑い声を誘った。

 ところが、日本デビュー当時、まだ無名の悪役だったシンは、ブラッシーやシーク、ブッチャーらとは異質な、本当の怖さによって、圧倒的な印象を我々に与えることに成功し、日本での地位を確立した。いや、日本における悪役レスラーの代名詞となったのだ。果たしてシンの恐怖とは、どのようなものだったのか。


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posted by gyoja_busyo |14:41 | 格闘技・プロレス | トラックバック(0)
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2007年12月15日

(行者偶感)プロ選手、山口素弘が引退。

 速報的な記事になりますが、長年応援していた元日本代表MF山口素弘選手が引退しました。

 引退と知った時の落胆から、自分がいかにモトさんのプレーを頼りに生活してきたのかを思い知りました。

 初めてモトさんをTV観戦した広島戦。当時素人ファンであった私にはディフェンシブ・ハーフという聞きなれないポジションで、オフト代表で名を馳せた森保選手を上回る技量の持ち主として紹介された男前に一目ぼれしてしまいました。

 あれから15年、容姿はもちろんのこと(笑)、それ以上にプレーやたたずまいというものに魅かれ、雑誌のインタビューでの知的かつ冷静なコメントに共感し、毎日「山口、山口」と言って暮らしてきました。

 思い出深い彼のプレーそして経歴。Jリーグで唯一「潰れたクラブ」のキャプテン。解散決定後、無敗で消滅したチーム、このときはJの覇者、磐田と鹿島を破っての賜杯です。名古屋、新潟、そして最後は横浜に戻ってきましたが、いつも彼の腕にはキャプテンマーク。

 宿敵・鹿島戦でのミドルシュートによるハットトリック、アジア王者を争ったタイファーマーズ戦でのダイレクトのスーパートラップと起死回生同点ゴール。J最後の試合では、王者浦和にベテランの矜持を見せつけました。

 そして代表での、あの韓国戦のループシュートとイラン戦の決定的なインターセプト。代表デビューのナイジェリア戦での果敢さ、イングランドのカップ戦での充実ぶり。ブラジルからあわやゴールを、というシーンもありました。

 長々となってしまいそうなので、最後にモトさんの人となりが出ているのではないかというエピソードを一つ。

 97年のW杯予選で代表が苦しむ中、代表のUAE戦を前にしてモトさんは、フリューゲルスの試合に出場しました。「僕が契約しているのはクラブ」と当時の岡田代表監督に言ったとか。

 98W杯出場は至上命題、代表最優先の当時の世論・風潮の中で、クラブを優先したモトさんにサッカーマンとしての信念を私は感じました。 


 長い間一人のプレーヤーの存在に本当に沢山の喜びと励ましをもらいました。そのことを思う時、プロとはなんたるかということにも思い至ります。

 私にとっては彼こそが「プロ」選手でした。モトさん、本当にお疲れ様でした。

 そして「次」を期待しています。「オヤジ」の果たせぬ夢、リベンジを期待しています。

posted by gyoja_busyo |19:03 | サッカー | トラックバック(0)
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2007年12月05日

(行者偶感)HERO’SはPRIDEを越えれない

 HERO’SはPRIDEを越えることは出来ない。それは大衆的なムーブメントとして、という意味においてである。何故か。目新しくないからである。


 「今年の年末は、PRIDEばっかりやろ」

 数年前の職場の先輩の言葉である。かのPRIDE、K-1ダイナマイト、猪木ボンバイエの三大会が同時に地上波で放送され、格闘技イベントが紅白歌合戦を食ったあの年の師走の某日。

 彼の「PRIDEばっかり」という言い方に引っかかったが、すぐに合点がいった。格闘技に関心の乏しい彼は、PRIDEというイベントタイトルを総合格闘技の競技名称として用いたのだ。

 それは誤認だったのか、

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posted by gyoja_busyo |15:31 | 格闘技・プロレス | トラックバック(0)
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2007年11月28日

(行者偶感)思い出プロレス・逆転!ジャンボ鶴田のオーッ!!その時歴史が動いた

鶴田 平成のプロレスファン、総合ファンの諸君らは、今は亡きジャンボ鶴田というレスラーにどのような印象を持っているだろうか。

 優れた身体能力、アマチュアレスリングでの実績。そこから類推してセメントでも一級の実力者では?という憶測をする御仁もおられるかも知れない。

 が、我々昭和のプロレスファンが見ていたジャンボ鶴田は、「善戦マン」の名のとおり今ひとつ冴えない、トボけた二代目であった。そう、ある時点までは。
 
 *善戦マン  若き日のジャンボのニックネーム。伊東四朗の人気バラエティ『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』のキャラクター「電線マン」をもじったもので、善戦するが勝てないの意。

 赤いパンツのノンキ者、その二代目の得意のパフォーマンスは、皆さんご存知の「オーッ!」だ。ジャンピング・ニーパットで敵を蹴散らしては右手を上げて「オーッ!」。時には頭を掻きむしる意味不明のアクション付きで、本当に頭は大丈夫かと少年行者は心配したことさえある。

 この「オーッ!」には、解説席のG馬場社長が「余計なことをせずに早く次の技に行け」とお小言をもらしてられた。そしてその不満は、社長のみならず、会場やお茶の間の不満でもあった。プロレスは真剣勝負、勝ちにこだわるべきだ。そんな声が聞こえそうなジャンボの「オーッ!」だった。


 さて、80年代初頭は「過激なプロレス」の新日ブーム、そしてこの落とし子とも言えるUWFの登場と、ジャンボ所属の全日本プロレスには向かい風の状況にあった。米国に強力な招聘ルートを確立していたこともあって、全日本プロレスのイメージはアメリカンスタイル。

 当時のプロレスファンの中では、「全日=アメリカ的=ショー的」というイメージがかなり一般化していたように思う。一方の図式は「UWF・新日=格闘技的=真剣勝負」というもの。馬場社長の「プロレスと格闘技は別」との見解もこの認識を補完してしまった。

 (このあたりは、少なからず行者の主観も入っているので、必ずしも正確無比なものではないが、80年代半ばまでの雰囲気を知る人であれば、上の図式が当時のプロレスファンの気分からそれほど離れていないことを認めてもらえると思う。)

 そんな雰囲気の中で、そろそろエースとしての貫禄が欲しいジャンボが相変わらずの「オーッ!」だから、会場にはついに失笑が生まれ、あろうことかジャンボの「オーッ!」を真似る輩まで現れた。

 ジャンボは後に米国で大学教授にもなる知性の持ち主。ただのノンキではない。そんなジャンボが会場からの揶揄に気づかないわけがない。そこでジャンボはどうしたのか。「オーッ!!」のお返しである。それもより一層大きな。

 「何がストロングスタイルだ!何がUだ!俺はジャンボだ!レスリングで俺に勝てるンか!?オラッ!オラッ!オーッだ!!」

 あたかもそう叫ぶような、この怒髪天を衝くメッセージに会場は肝を冷やして、そしてジャンボに跪(ひざまず)き、この「怪物」を崇拝しはじめたのだ。プロレス的と嘲笑の的であったジャンボの「オーッ」の価値が逆転した瞬間。この時、歴史が動きました。

 この一件が「プロレス的で何が悪い!?」という新たな価値感を生み、後に、いわゆる「純プロレス」なる言葉を生んでいくことになったのではないかと思う。「王道」という言葉が強調されはじめたのもこの頃ではなかったか。

 その後「善戦マン」は「怪物」と化して、そのバケモノぶりで日本プロレス会を恐慌に陥れていくことになるが、その端緒は怒りの「オーッ!」にあったように思い出すのである。

怪物否、若大将、安らかに。

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posted by gyoja_busyo |13:29 | 格闘技・プロレス | トラックバック(0)
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2007年11月20日

(行者偶感)思い出プロレス・ザ・コブラの宿敵、センスゼロ!

デイビーボーイ・スミス 初代タイガーマスクの穴を埋めるべく、唐突に現れた銀覆面の男、ザ・コブラ。このジョージ高野扮するニューヒーローのライバル役を指名されたのが、後にWWFで大成功を収める「ブリティッシュ・ブルドックス」デイビーボーイ・スミスだった。

 彼はザ・バンビートと名乗る覆面レスラーとしてリングインしたが、マスクマン達の御輿に担がれて入場してきたザ・コブラに腹を立てたのか、「俺はお前の下風には立たん」とばかりに突如マスクを脱ぎ捨てた。

 この衝撃のシーンに会場と放送席は驚きを隠さなかったが、小生は幼心にこれはヤラセではないか*1との思いがよぎった。なぜなら、ザ・バンビートのマスクの色が、水色のタイツとコーディネートがまるでなっていなかったからだ。

 それこそ身だしなみにはうるさい、映画評論家のピーコさんも悲鳴を上げそうチグハグぶり。ファッションセンスがゼロなのである。

*1 当時プロレスではヤラセなどない真剣勝負であると広く理解されていた。


 その上、マスクのデザインもおざなりなものだったように記憶している。70年代に活躍したミル・マスカラス以降、日本でもルチャ系の華やかなマスクは一般化していたにも関わらず、ザ・バンピートのマスクときたら、、、

 「プロレス大百科」などに白黒写真で載っていた「ジ・アサシンズ」とかなんとかいう、二流レスラーの冴えないマスクさながらのデザイン性の乏しさだったのだ。


 そんなコスチュームで今後もザ・バンピートとしてやっていくうようには見えない、とりあえず被ったマスク、そんな印象だったのだ。要するに脱ぐために被ったマスクだったということである。

 ストーリーとして行われた脱マスク。しかし、そのチグハグ感は試合にも伝染したのか、その日のコブラ日本デビュー戦は、まるでスイングしない戦いだったことを思い出す。


 その後、ダイナマイトキッドも加えてこの三人のライバル関係は深化し、なかなかの好勝負を展開することになった。WWFジュニアのベルトを巡っての三つ巴戦は新日ジュニア史の白眉といえよう。

 そんなポジティブな記憶を残してくれたD・スミスだったからこそ、ザ・バンピートの醜態は記憶の奥にしまい込まれていたのかも知れない。


(まるっきりの余談)
 ユナイテッドにザ・スミスそしてデイビーボーイ・スミス。俺の好きなものは何故かマンチェスターのものばかり。

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posted by gyoja_busyo |14:42 | 格闘技・プロレス | トラックバック(0)
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2007年11月15日

(行者偶感)思い出プロレス・荒鷲の優しさ

坂口征二 かつて昭和の金曜午後八時。格闘ロマンと興奮の坩堝の時間にも、会場で、そしてお茶の間で男たちが嘆息をもらす瞬間があった。

 それは「世界の荒鷲」こと坂口征二が相手のバックをとり、その身を軽々と持ち上げた瞬間だ。「嗚呼、またアトミックドロップだ。。。」


 バックドロップというプロレスの王道、大技を繰り出すことなく、相手の尾てい骨に痛打を与える一撃を毎回選択する荒鷲。この技を食らった外人レスラーが尻を押さえて飛び跳ねる様。まるでカマを掘られたノンケのようだ。

 荒鷲の十八番は、四角いジャングに「過激なプロレス」とは一線を画すコミカルなシーンを召喚するのである。

 
 が、今日、97年のWWFのカミングアウト、高橋本の暴露によって、プロレスが何であるかを認めさせられた我々は、あの日の荒鷲のアトミックドロップに別の感慨を抱く。

 ご本人の腰痛をおいても、トップスターにして経営陣の一人である荒鷲が、興行の中で選手を傷つけることなど、許されることではなかったのだろうと。

 2メートル近い荒鷲が、持ち上げた相手をハイスピードで後方に投げつけたなら?それはきっと担架と救急車の世界だろう。ありえる話だと思うヨ。荒鷲が相手から「人間不信」の言葉を頂戴しかねない。

 そう言えば、荒鷲はいつも試合中は億劫そうな顔をしていた。男が「仕事」をしている時は、たいていそんな顔をしてるんだろうなあ。


 そんな荒鷲が自らタブーを破り、バックドロップを放ったシーンを金曜八時に一度だけ見たことがある。その時の会場の驚嘆、どよめき。お茶の間にも響いたことだろう。

 放心する小生の横で父が「やれるじゃないか!坂口!」と満足そうに独りごちたのを思い出す。凡夫として暮らす彼は、でしゃばらない荒鷲に自分の姿を重ねていたのかも知れない。

 本稿を綴る際にネットで調べたのだが、このバックドロップの洗礼を浴びたのは、かのアニマル・気合・浜口選手のようだ。荒鷲の禁じ手は、信用できる受け手のみに使われたということか。アニマルは、ドラゴンの大事な復帰第一戦の相手を務めた男でもある。


 現在、荒鷲二世が総合格闘技の世界で奮闘しているようだ。いつか真剣勝負の舞台で、父親譲りのジャンピングーニーパットを、アトミックドロップを、そして禁じ手バックドロップを、と彼に期待するのは、昭和のプロレスファンの悪い癖かも知れない。

(敬称略)

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posted by gyoja_busyo |06:04 | 格闘技・プロレス | トラックバック(0)
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2007年10月23日

(行者偶感)日本代表目線で観る欧州選手権予選その2

 先般衛星放送で放映された、イスタンブールでの欧州選手権2008の予選試合、トルコvsギリシャの一戦を日本代表を応援する目線で、少々追ってみます。

 前半は本戦進出のために勝ち点3が欲しいホーム・トルコが、主としてサイド攻撃を中心に攻勢に出ますが、枚数の多いギリシャ守備陣の中央を崩すことが出来ません。一方でギリシャは効率よくカウンターアタックを仕掛け何度か決定機を作ります。

 後半はトルコが勝ち点0を恐れたのか、守備の意識が高まり、そのことでむしろギリシャが前半に比べ攻撃的になり、押しつ押されつの展開となりました。

 そして後半30分台にトルコのミスか、オフサイドトラップをかいくぐったギリシャ・アマナティディスの得点が生まれ、これが決勝点になります。この勝利でギリシャは本戦進出が決まり、トルコは3位に後退して本戦進出が危なくなってしまいました。

 この試合を通じてもっとも興味深かったのはギリシャのゲーム運営のしたたかさです。

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posted by gyoja_busyo |06:22 | サッカー | トラックバック(0)
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2007年10月19日

(行者★スポ第54号)西村意味深発言に、ドラゴンがまた「聞いてないよ!」

 10月18日に開催された「無我」後楽園ホール大会で、エース西村修が意味深コメントを残してコスチューム姿のまま会場を後にしたそうだ。「何もありません」と言い残して去った西村は、試合後に恒例となっている記念撮影にも参加しなかったのだから、これは穏やかでない。

 最近は「ニシム・ラマ」の名前でハッスルにも参戦を果たし、活躍の場を広げている西村だが、バラエティに富んだカードを組んだ今大会の「無我」に異論があったのだろうか?クラシックなストロングスタイルを旨とする「無我」の理念から離れることを懸念したのではと憶測するのだが、西村の胸中は如何に。

 さて、そんな西村のゆゆしき行動に、相変わらずの対応をしてくれたのが、青春の未遂王こと我らがドラゴン藤波だ。

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posted by gyoja_busyo |15:10 | 格闘技・プロレス | コメント(3) | トラックバック(1)
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2007年10月16日

(行者偶感)日本代表目線で観る欧州選手権予選その1

*偶感...ふと心に浮かんだ感想のこと。まとまりを欠いた、ユーモアの乏しい、感想のような文章になりますが、「行者の偶感」はブログという投稿形式の一つの特徴である即時性に重きをおいております。その点、含みおきください。

 先日開催された、2008年の欧州選手権予選のスペインvsデンマーク戦を衛星放送でTV観戦しました。この一戦に関して、日本代表を応援する目線で少々お話させていただいます。

 試合結果は既報のとおり、1-3でアウェイのスペインの勝利。スペインの得点シーンはどれも見ごたえがありましたが、私が特に注目したのが、右SBセルヒオ・ラモスによる二点目。

 キーパーと一対一になったラモスがキーパーの動きをよくみて、浮き球で決めた得点なのですが、圧巻だったのが、そこに至るまでのプロセス。シャビとのコンビネーションで抜け出したラモスが1トップのタムードにパス。タムードはポストプレーを選択し、ラモスにダイレクトのワン・ツー。かくしてラモスはフリーでゴールに突進、ということです。

 そして、この一連の動きの中で、私が最も光っていたと思うのは、敵陣のスペースを衝いたセンターハーフ、シャビのランニング。

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