2008年10月03日

大分国体にも台風がその1

  大分国体も体操競技で台風の影響下にありました。多分、カッティング作業に影響があったのではないかと思います。とにかくこの時期の大会は台風様の機嫌を損なうことはできません。我が宮崎県では台風直撃物語がありますが、大分国体がこの程度で済んだことに胸をなで下ろしています。
 昭和54年「日本のふるさと宮崎国体」では体操競技で台風に出会いました。試合会場の外に速報報道板を設置していました。当初、係員は雨合羽を着て各県の得点と順位を表示していましたが、次第に風雨が強くなり表示することがままならない状況に陥りました。台風を想定していませんでしたので対策が全くありませんでした。今日の危機管理ニッポンから考えると信じられないことでした。そこで、体育館玄関の地べた(通路)に並べることになりました。視線の高さに表示するのではなく足下に置いたのです。カルタ取りを行うようなものです。観客や関係者が輪を作って下を見つめているわけです。そんな時代がありました。
 そんな時代と言えば当時の本部記録業務の行い方が滑稽でした。本部記録という仕事は会場記録からきたチーム得点表と審判員の採点票を点検し、得点を集計して速報原稿を作成することです。間違いないかを点検し、正確な情報を提供するという極めて単純で重要な仕事です。当時の計算手段はパソコンという宝がありませんでしたので、暗算、電卓、算盤(ソロバン)の達人が重宝がられました。また、ワープロというものもなかったので、達筆人間か体裁の良い文字が書ける人物が必要でした。二人の人間が計算し、さらに交替して計算していました。間違いを避けるためです。文字は鉛筆で書いていました。そして速報原稿ができあがり印刷にまわったというわけです。
 速報ができあがると速報を配付することになります。当時の速報配付方法は速報引換券の時代でした。速報番号を付した速報引換券を監督会議で渡し、その引換券と速報を交換するわけです。確実に速報が手渡しできますが労力のかかる方法でしたし、広く速報が報道されることがありませんでした。ですから速報報道板が必要だったわけです。また、速報を印刷する場所には各大学の派遣コーチ等が群がっていました。そうです、選手勧誘活動を展開するために速報が必要だったわけです。当時はネットを通していつでも情報を入手できる時代ではありませんでした。脚で情報を得ていた時代でした。
 そんな宮崎国体の想い出があります。次回は平成4年全国総体宮崎大会時の台風物語について書きます。

posted by gymmyzk |23:57 | トラックバック(0)
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